第6話

「ちょっといいですか」

 黒服が伊織の腕を掴む。物腰は穏やかに見せかけて、腕を掴む手には力が入っている。背後の一人は伊織の奇抜な装いに、口元を押えて笑いを堪えている。

「案内はがきを無くしたんです。最近引っ越しして、転送が間に合わなかったんですよきっと。資格はありますからセミナー参加させてください」

 もうどうにでもなれ。伊織はオーバーアクションでデタラメなことを言い始める。

「そう言われても困るんですよ、ここは会員制の特別な会なんでね」

「じゃあ今から会員になりますよ」

 憤慨する伊織に、埒があかないと思ったのか黒服が応援を呼び始めた。黒服が受付に集まってくる。


「あっ、じゃあいいですよもう」

 さすがにまずい。伊織はあっさり引き下がる。

「待て」

 伊織はその場から脱げだした。物販に並ぶ客の間をすり抜けていく。

「逃げたぞ、怪しい奴だ。赤いラメシャツで・・・マジシャンのような格好の男だ」

 黒服がインカムで伊織を掴まえるよう伝達する。


 黒服の見張りが持ち場を離れたことで、警備の隙をついて榊と高谷は関係者入り口からホール裏手に入り込む。

「伊織さん大丈夫かなあ」

 スロープを足早に駆けながら高谷が呟く。

「あいつは意外としたたかだ。心配いらないだろう」

 伊織は腕っぷしが強いわけでなく、剛毅なわけでもないが、“龍神”の一件ではハルビンまで行動を共にして修羅場をくぐり抜けた男だ。肝は据わっている。榊は伊織のことを信頼しているのだ。榊の真剣な顔を見て、高谷は杞憂だったと思い直す。


 次の瞬間、榊が吹き出した。赤いラメシャツにシルバーのツヤツヤボトム姿の伊織を思い出したのだろう。この調子で大事な局面で思い出し笑いをしないだろうか、高谷は兄の方が心配になってきて思わず目頭を押えた。


「派手な赤いラメシャツのマジシャンのような男を追え」

「赤いマジシャンだ」

 後ろを振り向けば、強面の黒服たちが追ってくる。伊織は慌ててトイレの個室に駆け込んだ。黒服たちが駆け込んでくる靴音が響く。おそらく3人はいるだろう。

「どうしよう、やばすぎる」

 伊織は頭を抱えた。ここにいてもすぐに見つかってしまう。黒服がこれだけ集まっているということは、榊と高谷は隙をついてうまく入り込めたはずだ。受付で騒ぎを起こして警備を引き付ける作戦は成功だ。


「赤いマジシャンのような男を探せ」

 怒号と乱暴な足音が近づいてきた。ここで掴まれば、一般客に紛れて潜入するという役割が果たせなくなってしまう。インパクトの強烈な服装で乗り込めば、以前邪魔をした男だと気付かれないという郭皓淳のアイデアだったが、無理がある。今や目立ちすぎて良い目印になってしまった。

 伊織は郭皓淳を恨めしく思った。ドアを荒々しく開ける音が近づいてくる。このままドアから躍り出てなり振り構わず走りだそうか、とカギに手をかける。背中に冷たい汗が流れ落ち、シャツが背中に張り付いている。


「あ、そうか」

 大ピンチの中、伊織は閃いた。赤いラメシャツの下には、無地のTシャツを着ていたのだ。伊織は慌てて赤いラメシャツを脱ぎ、肩かけバッグに突っ込んだ。トイレの水を流し、平然とした顔でドアを開けた。個室前には強面の黒服が3人うろついている。その横をすり抜けて手洗い場へ向かった。


「じいちゃん、お待たせ」

 伊織は手を洗っていた老人に馴れ馴れしく声をかける。老人は耳が遠いのか、自分に話しかけられたと思っていないらしく反応がない。

「早く会場に行こう」

 老人に寄り添う振りをして伊織はトイレを出て行く。黒服たちはまだ赤いラメシャツの男を探してトイレから出てこない。

 伊織はトイレから離れると出入り自由になったホールへ入り込んだ。途中、黒服と何度かすれ違ったが、伊織を怪しむ者はいない。それほどまでに自分の顔は印象が薄いのか。郭皓淳のアイデアが功奏したことに、複雑な気分だった。


 ***


 曹瑛と郭皓淳は大井埠頭の倉庫2階の通路に身を潜めている。1階作業場では“康帝”の箱をサンシャインホール行きのトラックに積み込む作業が進んでいた。箱はまだ壁沿いにうず高く積まれている。

「中国で一時期話題になった漢方、“六君帰脾散”を知っているか」

「聞いたことがある」

 曹瑛が頷く。

「血圧、血糖を下げる特効薬だと専門家も絶賛した。確かに効果はてきめん、しかし肝臓や腎臓に悪影響を及ぼすことが分かり、市場から消えた」


「それがパッケージを替えて日本に出回り始めたというわけか」

 曹瑛は無表情で作業場のスタッフの動きを見つめている。

「本土で売れないものだ。二束三文でも買ってもらえるなら渡りに船というわけだ」

 郭皓淳が鼻を鳴らして笑う。この情報は上海九龍会の劉玲から仕入れたらしい。処分に困った製造元が蘇州鳳仙会に売り渡し、それを陣内組が仕入れたという。


「積み込みが終わったようだ」

 曹瑛は柵を跳び越え、積み上げられた箱の上に飛び乗った。そのまま軽やかに段差を利用して一階に降り立つ。

「おいおい、行くなら言ってくれよ」

 郭皓淳も慌てて後を追う。曹瑛はトラックに近づいていく。

「なんだ、お前ら」

 トラックの脇に立つモスグリーンのブルゾンの男がタバコを投げ捨て、つま先で揉み消した。


 その声を聞いて、トラックの背後から赤の開襟シャツから刺青を覗かせた男、パンチパーマに金縁眼鏡の男が姿を現わした。

「配送を邪魔しにきやがったな」

「思った通りだ」

 陣内組もバカでは無かったらしい。この間、郭皓淳がセミナー会場をひっかきまわしたことで、警戒していたようだ。


「お前、この間新宿の会場で騒いだ奴だな」

 ブルゾンが唇を歪め、郭皓淳を指さす。

「覚えてくれていたのか、光栄だぜ」

 郭皓淳はヘラヘラ笑いながらわざとらしく肩を竦める。

「その胡散臭いちょび髭に、ニヤけた面、忘れられるかよ」

「失礼な奴だな」

 郭皓淳は不満げにあひる口を突き出す。


「おい、構わず行け」

 赤シャツが困惑して立ち尽くしていたトラックの運転手に指示を出す。運転手は戸惑いながらも運転席に乗り込もうとする。不意に背後から腕が伸びてきて、ドアを押えた。振り向けば、いつの間にか長身の黒づくめの男が立っている。

「待て、行き先は変更になる」

 その異様な迫力に押されて、運転手は大人しく指示されるままに曹瑛にカギを手渡した。運転手は倉庫の外に走って逃げて行く。


「クソ、ふざけやがって」

 パンチパーマが毒づく。

「まあ、いい。こういうときに呼んでるんだろうが、用心棒をよ」

 ブルゾンはニヤニヤと余裕の笑みを浮かべる。赤シャツとパンチパーマもそれを聞いて、顔を見合わせて下品な笑い声を上げる。

「おい、頼むぜ。こいつらボコボコにしてくれや」

 ブルゾンが背後に向かって声を上げる。箱を背に佇んでいた男がこちらへ向かってゆっくりと歩いてくる。


 黒いレザーの上着に、白シャツ、レザーパンツに身を包み、アッシュゴールドの髪を逆立てた長身の男だ。サングラスを掛け、唇を引き結んでいる。郭皓淳はその顔を見て、アヒル口をぽかんと開いた。曹瑛はただ何も言わず、じっと黒いレザーの男を見つめている。

「驚いたか、この男は無茶苦茶腕の立つ用心棒だ。お前ら覚悟しやがれ」

 ブルゾンと赤シャツ、パンチパーマは笑いながらレザーの男の後ろに引き下がる。自分たちの手は汚さずに、高見の見物を決め込もうというのだ。

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