第4話

「店の地下がこんなふうになっていたとは」

 コンクリート打ちっぱなしの階段を降りてきた郭皓淳は、地下に広がる部屋を見回して感心している。烏鵲堂1階書店のある書棚を押せば、地下への階段が現われる仕組みになっていた。瀟洒なシャンデリアの下には、中華アンティークのテーブルと椅子が置かれている。地下にはいくつかの部屋があり、ここはいわば応接室といったところだ。


 インチキ健康食品“康帝”のセミナーを明日に控え、烏鵲堂の地下には曹瑛、榊と高谷が顔を揃えていた。テーブルでは曹瑛が茶席を用意しており、武夷岩茶のコクのある香りが鼻をくすぐる。曹瑛は流れるような動きで器に茶を注ぎ、郭皓淳の前に置く。地下の隠し部屋、ダウンライトのシャンデリアの下で作戦会議が行われようとしていた。


「いつも思うんだけど、漫画やアニメでは完全に悪の組織だよね俺たち」

 高谷がしみじみぼやく。隣にいたシャドウストライプのスーツに縁なし眼鏡をかけた榊は目を細める。現在は個人実業家として活躍する榊だが、身に纏う剣呑な雰囲気はカタギには見えない。曹瑛は黒い長袍に身を包み、カフェではそれなりに作り笑顔を見せているが、薄暗い部屋で感情の読めない端正な顔は空恐ろしくある。

 郭皓淳もその雰囲気に合わせて神妙な顔をしていた。


 階段をバタバタと駆け下りる音がする。

「ごめん、“だるま”に寄ったらお客さんがめちゃくちゃ並んでて」

 息を切らせながら姿を見せたのは伊織だった。帆布のバッグを肩に掛け、ブルーのストライプのシャツに白いカットソー、ジーンズにスニーカー姿で手には紙袋を持っている。”だるま”は神保町にある老舗和菓子店だ。

「俺の前に並んでたおばさんが50個も買うって、品切れになるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」

 紙袋から神保町のだるまでテイクアウトしたかりんとうまんじゅうをテーブルに広げる。


「これ粒あんと、芋あんと、黒ごまあんがあって」

 伊織の登場で場の空気が一気に和んだ。曹瑛がひとつつまんでひょいと口に放り込む。

「これは芋だな、濃厚な風味が良い」

 真顔でもぐもぐと食べている。榊と高谷も手を出した。

「あんたら、本当にくいしんぼうだな」

 そう言いながら郭皓淳もかりんとうまんじゅうに手を伸ばす。お茶にちょうど良いしっとりとした甘さだ。小腹を満たしたところで、全員が真面目に向き合った。


「“康帝”のセミナー会場に潜入するんだよね」

 伊織が真剣な表情で全員の顔を見回す。

「会場で“康帝”の毒性と、インチキ商法を訴える必要があるな」

 腕組をした榊が高谷の顔を見る。

「効果的にね」

 高谷はUSBメモリーをポケットから取り出し、にっこり笑う。何か仕掛けを準備しているようだ。


「同時に“康帝”の在庫も叩いておきたい。ブツがあればまたどこかで商売ができるからな」

 郭皓淳が曹瑛に目配せする。曹瑛はあからさまに嫌そうな顔になる。

「俺はこの間、目立っちまったし、さらに根暗でデカいのが会場にいたら悪目立ちするだろ」

「何だと」

 曹瑛は殺気を漲らせ、胸元から赤い柄巻の愛用のナイフ、バヨネットを取り出す。

「瑛さん、落ち着いて」

 伊織が曹瑛をフォローしながら、反論の余地は無いと内心思った。曹瑛は不満げな表情で足を組み直す。


「“康帝”の在庫を積んでいる倉庫の場所は掴んだ。俺と曹瑛は倉庫に行く」

 郭皓淳がスマホで地図を示した。大井埠頭の倉庫街だ。

「結紀と伊織は俺とセミナー会場だな」

 榊の言葉に伊織と高谷が頷く。

「あ、でも俺もこの間、郭皓淳さんとセミナー会場でもめ事を起こしたから、もしかしたらマークされてるかも」

 伊織が心配そうな顔で呟く。

「どうせ暴れたのはこの男だけだろう」

 曹瑛は郭皓淳に冷ややかな視線を送る。

「伊織は一般客に紛れて会場入りしてもらいたいが、確かに奴らも警戒しているかもしれないな」

 榊は伊織を心配している。


「俺はその可能性を予想していたぜ」

 郭皓淳が得意げに足元に置いていた紙袋を持ち上げた。皆がそれに注目する。

「伊織、ちょっとこれ着てみろよ」

 笑顔の郭皓淳に、伊織は青ざめる。春の宝探しでド派手な柄シャツを着るよう仕向けられ、とんだ笑いものになったのだ。もうその轍は踏みたくない。

「郭皓淳さん、せっかくですけど、俺はもうあんな派手な柄シャツはゴメンです」

 郭皓淳を真っ直ぐに見据える伊織の意思は堅い。


「伊織がそう言うと思ってな。大丈夫だ、柄シャツじゃない。ちょっとその奥で着てこいよ」

 郭皓淳が紙袋を無理矢理伊織に押しつけた。伊織は不満げな顔で何度も振り返りながら奥の部屋に入り、後ろ手に扉を閉めた。ギリシアの神々の顔の並ぶド派手なシャツを着た伊織の姿を思い出したのか、榊が口元を押さえて下を向いている。思い出し笑いは榊の悪い癖だ。高谷は気の毒な表情で肩を震わせる兄を見つめる。


 曹瑛がお茶のお代わりを淹れ始めた。ドアが開く音がして、皆が注目する。伊織がドアの隙間から顔だけ覗かせている。

「あのう、暗くてよく見えなかったんだけど、どうかな」

 ドアが開き、伊織が姿を現わした。榊は目を見開く。高谷は思わず目頭を押さえた。郭皓淳は顎髭を撫でながら、我が意を得たとばかりに頷いている。


「ぶふっ」

 我慢しきれず、榊が吹き出した。肩を震わせながら必死で耐えていたようだが、堰を切ったように笑い出す。それに釣られて高谷も笑い始めた。伊織は眉根を寄せる。明るい場所で初めて自分のコーディネートを確認し、目を見開いた。

「こ、こんな派手なシャツ、ありえない。一体どこで着るんですか!ていうか、どこで買ったんですかこれ」

「それな、地元の夜市で一目惚れして買ったんだよ」

 嬉しそうに郭皓淳が答える。

「あーっ、そうじゃなくて」

 不毛なやりとりが続く。


 伊織が身につけているのは、真っ赤なスパンコールの煌めきも眩しいドレスシャツに、シルバーのラメが入ったブーツカットパンツだ。パンツは長身の郭皓淳のサイズなので、伊織は腰まで上げることになる。そのド派手な姿はまるでディナーショーの舞台に立つマジシャンのようだった。


「なかなかいいぞ、かなり目を引く」

 郭皓淳は満足そうだ。榊は恐る恐る顔を上げる。呆然とした表情の伊織と目が合い、また笑いを堪えきれず身悶えている。

「その赤はやや派手だが、なかなか似合う」

 それまで沈黙を守っていた曹瑛の言葉に、今度は高谷が吹き出した。曹瑛はオーダーメイドのスーツを隙無く着こなし、私服のセンスも悪くない。それはショップの店員にチョイスをすべて任せているからだ。曹瑛が自分で気に入って購入したというキャラクターものの部屋着は正直、ダサい。


 曹瑛が気を遣っているのではなく、本気でそう思っていることを伊織は知っている。伊織も目頭が熱くなり、思わず天井を見上げた。

「明かりのスイッチはどこだ」

 郭皓淳が部屋の入り口に向かい、シャンデリアのスイッチを探す。ドアの側にあったツマミを捻ると、シャンデリアが明るくなった。伊織の赤シャツのスパンコールが輝きを増す。漸く笑いが収まっていた榊がテーブルに頭から突っ伏した。


「榊の様子を見れば、効果は抜群だな」

 郭皓淳がしたり顔で頷く。伊織は郭皓淳の顔を怪訝な表情で見つめる。

「こんな格好をさせて、一体どんな役周りなんですか」

「それはこれから話し合おう」

 伊織は深いため息をつく。榊と高谷を見れば、二人とも笑いすぎて憔悴しきっている。曹瑛は榊と高谷がなぜそんなにも笑っているのか、本気で分かっていないようだった。

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