第24話 良き友
夜も更けて、部屋飲みはまだ続いている。千弥は美肌のためと日が変わる前に自室に引き上げていった。酒が飲めない曹瑛は縁側のソファに脚を組んで座り、夜の森を眺めながら静かにマルボロを吹かしている。
皆から大いにいじられてヘロヘロになった伊織が、隣のソファにぐったりと腰掛けた。
「郭皓淳さんが今度はどんなシャツにするかって盛り上がって、もう勘弁して欲しいよ」
郭皓淳が伊織に貸し与えたヴェルサーチの派手な柄シャツが皆を笑いの渦に巻き込んだ。伊織にはそれが不本意で、唇を尖らせてため息をつく。
「よく似合っていたぞ」
曹瑛は煙を吐き出す。庇ってくれていると思えば嬉しいが、おべっかなど使えない彼は本気で似合っていると思っているのだ。それはそれで複雑な気分だった。
スーツや私服はショップの店員任せなので露呈していないが、曹瑛が自分で選んでくる部屋着のセンスは正直ダサい。
「傷はどう」
伊織は気を取り直して訊ねる。浴衣の裾から覗く腕から傷口保護シートが覗いている。もっとたくさんの傷を負っているはずだ。毒龍に刺された脚は5針縫ったと聞いた。
「痛いに決まっている」
曹瑛は憮然とした表情で答える。
「栄養ドリンク、売店で買ってこようか」
伊織の提案は、怪訝な顔をした曹瑛に却下された。
「俺、やっぱりカッコ悪いよ」
伊織は意気消沈している。曹瑛はタバコを咥えて窓の外を眺めたまま沈黙している。
「瑛さんを助けようと必死に飛び出したけど、結局逃げ回って戻ってきて毒龍に首を絞められて逆に助けられるし、湖に落ちた瑛さんを助けようと飛び込んだら、拾ってきたのは毒龍だし、何やってもダメだ」
伊織は頭を抱える。曹瑛が長くなったタバコの灰を指で弾いて灰皿に落とす。そしてまた口に咥えた。しばらく紫煙をくゆらせる。
「伊織には助けられた」
思わぬ答えに、俯いていた伊織は曹瑛を見つめる。
「毒龍がお前に気を取られていたから、その隙に郭皓淳が俺に鍼を打てた。僅かだが神経毒の効果が弱まり、動くことができた」
初耳だった。伊織は毒龍から必死に逃げ回っており、全く気が付かなかった。
「それに、お前が毒龍を救ったことで、俺は奴を殺さずに済んだ」
曹瑛は短くなったタバコを揉み消した。
「そうか、俺も少しは役に立ったんだね」
伊織は嬉しそうに微笑む。
「自惚れるなよ」
曹瑛は伊織にデコピンを飛ばした。ケンカの経験などろくにないだろうに、物怖じせず毒龍に立ち向かう伊織の姿には思わず奮い立たされた。あのとき伊織が毒龍に対峙しなければ、力を失って倒れていたかもしれない。
「瑛さんは毒龍から皆を守ろうとして、必死で戦ってくれた。ありがとう」
伊織の素直な感謝の言葉に、曹瑛は押し黙る。礼を言わなければならないのは自分だと、心の底では分かっていた。
「奴が心底気に入らなかっただけだ」
曹瑛は大きく伸びをした。傷が痛んだのか、小さく舌打ちをする。
伊織が郭皓淳に呼ばれて席を立った。次のコーディネートの話で盛り上がっているようだ。入れ替わりにやってきた劉玲が、ソファを大股で跨ぎ腰を下ろした。
「怪我の具合はどうや」
脚を組んで曹瑛の顔を覗き込む。
「ただのカスリ傷だ」
曹瑛は面白く無さそうに答えて天井を仰ぐ。
「毒龍の言っていた龍神の件、調べさせたんや」
毒龍は銀行強盗が隠した金を元手に龍神を仕入れようとしていた。曹瑛の眼差しが鋭くなる。
「あいつが扱おうとしとったのはパチモンやった」
人間の凶暴性を極限まで引き出す狂気のドラッグ、龍神を復活させようとした悪党共と秘伝の製法は、ハルビンで闇に葬ったはずだ。しかし、時折都市伝説のように龍神の噂を耳にする。今回も偽物だった。曹瑛は小さくため息をついた。
「せや、今日伊織くんめちゃくちゃおもろかったんやで」
劉玲が突然肩を揺らして笑い出す。
「お前を助けに湖に飛び込んだと思ったら、毒龍拾ってきてん」
劉玲はそのときのことを思い出したのか、額に手を当てて笑っている。伊織はそれを気にしていたが、外野にとっては笑い話のようだ。
「でもな、お前を助けるために暗い湖に一番に飛び込んだんや」
劉玲が穏やかな表情を向ける。
「伊織くんが毒龍を持って帰ってきたから、すぐに榊はんが飛び込んでくれた。お前はええ友達を持ったな。大事にしいや」
曹瑛は目を閉じ、静かに頷いた。
振り返れば、皆黙々とふとんの準備を始めていた。
寝る場所は自然と昨日の通りになった。曹瑛は獅子堂の顔をじっと見つめる。
「なんだ」
獅子堂が真顔で首を傾げる。曹瑛は何も言わず横になった。本人は早朝に突然民謡を歌い出すことなど知らないようだ。アルコールがずいぶん入っているので、今夜も孫景のいびきと劉玲の歯ぎしりは相当うるさいだろうが、ほどほどに疲労しているためよく眠れそうだった。
榊を見れば、いそいそと両耳に耳栓を突っ込んでいるところだった。
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障子窓が白く光り始める。小鳥の囀る声が朝を告げていた。獅子堂の沖縄民謡はまだ始まっていない。曹瑛はゆっくりと目を開けた。身体を起こせば、ナイフ傷以外にも打撃の跡が少し痛んだ。
曹瑛は縁側の窓を半分開け、マルボロに火を点けた。朝露に濡れる森の香りとひんやりと澄んだ空気が心地良い。束の間の一人きりの時間を静かに過ごした。
その後、楽しい夢を見ていたらしいライアンの寝言で皆が目を覚ました。甘い声音で名前を呼ばれた榊がエスカレートする恥ずかしい寝言を止めるため、ライアンを叩き起こそうとする。
しかし、睦言が止まらない寝ぼけたままのライアンに抱きつかれ、榊は思わず鳩尾に拳を放つ。ライアンはまた夢心地で眠りについた。
「本物のタフガイだ・・・」
一部始終を見ていた高谷が思わず呆れて呟きを漏らした。
「あんたら激しいな、いつもこうなんか」
劉玲が寝ぼけ眼で頭をかきながら呆れている。
「断じて違う」
榊は全力で否定する。高谷は気の毒そうな表情で兄を見つめている。とんでもない男に惚れられたものだ。しかし、その男は自分のライバルでもある。
曹瑛はその様子を面白そうに眺めながらマルボロを吹かしていた。獅子堂の沖縄民謡は三番に差し掛かっていた。
「お宝のヒント、手に入れたで」
朝食後、獅子堂とハーレーで出掛けていた劉玲が戻ってきた。手には赤い紐で封印された長細い桐箱を持っている。
「資料館の鍵をおっちゃんに返したときにな、掛け軸の本物がどこかにないか訊いてみたんや」
劉玲の話によれば、管理人の兄が掛け軸を持っていると聞いて案内してもらい、掛け軸を借りてきたのだという。
「すごい、繋がってきたね」
伊織が興奮している。劉玲が組紐を解いて掛け軸を取り出した。古いもののようで、埃っぽい、饐えた匂いが鼻を突く。掛け軸をテーブルの上に慎重に広げていく。
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