第23話 湯の癒し

「大丈夫、ライアン」

 曹瑛の左ストレートにぶっ飛ばされたライアンを千弥が労う。ライアンは千弥の勤務するグローバルフォース社のCEOだ。本来ならニューヨーク本社にいるライアンは雲の上の存在だ。それが今、曹瑛に両方の頬を殴られて呆然と座り込んでいる。

「ああ、いい拳だった」

 ライアンは何故か嬉しそうで、千弥は首を傾げる。ダメージが無さそうなので、そっとしておこうと思った。


 曹瑛がずぶ濡れの伊織を見つけた。

「お前が助けてくれたのか」

「あ、いや、それが」

 伊織は困り顔で頭をかく。最初に勢いよく飛び込んだはいいが、伊織が持って上がってきたのは毒龍だった。

「お前を助けたのは榊はんやで」

 劉玲が曹瑛に手を差し伸べる。曹瑛は一度躊躇う素振りを見せたが、脚の痛みにその手を取った。


 曹瑛は水に濡れた榊を横目で見る。

「そのザマじゃ、お前のタバコもダメだな」

 曹瑛の言葉に、榊はフンと笑う。

「そうだよ、お陰様でな」

 孫景が胸元からラッキーストライクを取り出し、自分も1本咥えて2人に差し出す。榊はポケットを探り、ミッドナイトブルーのデュポンを取り出し火をつけた。

「こいつは無事のようだ」

 曹瑛にも火を貸してやる。曹瑛は煙を肺に吸い込み、うまそうに吐き出した。夜空に紫煙が立ち上る。


「助かった」

 曹瑛がぼそりと呟く。

「フン、それは火のことか」

 榊の言葉に、曹瑛は唇をへの字に曲げている。2人ともどこまでも素直じゃない。高谷が脇で苦笑した。

「タバコは身体に悪い。しかしまあなんや、こういうときの1本は美味いもんや」

 曹瑛は劉玲に肩を借りて歩き出す。刺された大腿に痛みが走り、顔を歪める。


「お、そうや。お前の部下、もう来ぉへんで」

 劉玲が毒龍に人差し指を向ける。毒龍は歯茎が見えるほど唇を歪め、劉玲を睨み付ける。

「ハッタリを抜かすな」

「お前の部下を出発前に掴まえた。まだ東京から出てもおらん。お前は国へ強制送還や」

 毒龍は驚愕する。部下を待機させていたのは新宿だ。なぜそれを知っているのか。デッキの向こうに黒い長袍の男たち六人、背筋を伸ばし、拱手の礼をして並んでいる。

「お疲れ様です、劉老師」


「あの男や、頼むで」

 劉玲は後ろ手に毒龍捕縛を指示して、曹瑛を担いでベンツへ向かう。

「こ、こんな真似ができるとは、もしや」

 自分を連行しに来た屈強な男たちの襟元のバッジには、九龍の紋章が刻まれていた。毒龍はがっくりと項垂れる。

「まさか、九龍会が絡んでいたとは」

 ここで抵抗したら頭を撃ち抜かれて湖に沈められかねない。毒龍は抵抗の意思を無くし、辟邪と天禄とともに大人しく九龍会のバンに乗せられていった。


 宿に戻り、湖で冷えた身体を温めたいと榊はすぐさま着替えを持って温泉に向かった。曹瑛はナイフによる裂傷が何カ所もあるため、共同浴場の利用はやむなく控えることにした。

 曹瑛が不憫だと、別室に宿泊している千弥が部屋に備え付けの露天風呂を使うよう勧めた。

「ありがとう」

 このときばかりは嬉しかったらしく、曹瑛は千弥に素直に礼を言った。


 この旅で初めてゆったりと広い露天風呂につかることができて、榊は至福の表情を浮かべている。

「良い湯だ。触れるだけで肌に艶がでる。高めの温度も良い、疲労が溶けてゆくようだ」

 今日は濃密な一日だった。金属バットや日本刀を振り回し、ヤクザ者と格闘した。冷たい湖にも飛び込んだ。

「英臣、やはり君は曹瑛を愛しているんだな。伊織に続いてすぐに湖に飛び込んだ」

 ライアンがおもむろに呟く。


「もしそうだと言ったら、お前は俺を諦めるのか」

 榊が真顔でライアンを見据える。その鋭い眼差しにライアンは呼吸が止まる。榊の態度に高谷は息を呑み、二人のやりとりを黙って見守っている。


「そんなことは関係ない、私は二人もろとも相手を・・・」

 講釈を垂れ始めるライアンに、やはり無駄だったかと榊は辟易する。熱弁を振るうライアンの肩を劉玲がつつく。

「これから盛り上がるところなのだが」

 やや不満げなライアンに、劉玲はにっこりと笑みを返す。

「男なら胸毛あった方がええやろ」

「は?」

 ライアンがきょとんとしている。劉玲と郭皓淳、孫景で胸毛のあり方について意見が割れており、ライアンは論争に巻き込まれたようだ。


「伊織が別の奴を拾ってこなけりゃ、俺は飛び込んでない」

 ライアンが劉玲に連れて行かれて、穏やかな表情の榊が夜空を見上げて呟く。ネオンの無い山奥で、無数の星が瞬いている。

「そうだね、でも伊織さんすごく勇気あるよ」

 高谷は頷く。

「ああ、俺もそう思う。フライパンを持たせたら敵無しだしな」

 榊が笑う。その後、柄シャツ姿の伊織を思い出したのか、しばらく思い出し笑いを続けていた。普段クールな兄だが、突然の思い出し笑いに高谷はときどき驚くことがある。


 曹瑛も部屋に備え付けの露天風呂をゆっくり満喫できたらしく、穏やかな表情をして縁側でタバコを吹かしていた。傷は保護シートを貼って処置した。

 大腿の傷は、首を絞められた毒龍の苦し紛れの攻撃だったために、思ったより深くは無かったようだ。


「これは縫っといた方がいいぞ」

 郭皓淳の勧めで、傷の治りを良くするために縫うことにした。

「お前がやるのか」

「安心しろ。俺はモグリだが、闇医者の経験もある」

 憮然とする曹瑛に、郭皓淳は説得力が全く無いセリフを自信満々に言ってのける。しかし、本業の鍼による麻酔の腕も確かで、縫合も丁寧かつスピーディだった。

「こいつは貸しとくぜ、曹瑛」

 郭皓淳は処置道具を慣れた手つきで収納した。


 遅めの部屋食が運ばれてきた。最初からすごい勢いでビール瓶が空になっていく。

「ええ運動した後は喉が渇くし。それに宝発見の前祝いやな」

 劉玲がジョッキを上げて乾杯を叫ぶ。これで5度目だ。


「榊さんたちがすごいヒントを見つけたんだよね」

 伊織も小さなコップに1杯だけビールを飲んでいる。

「ああ、おそらく隣の赤木山が目的の山だ」

 榊はビールから日本酒に切り替えている。ずいぶん飲んでいるはずだが、全く顔に出ていない。

「そう言えば、銀行強盗で奪われた金はどうしたの」

 高谷が顔を覗かせる。毒龍が持ち去ろうとした金を孫景と獅子堂が回収したはずだ。


―2時間前、廃木工所内

 劉玲は壁にもたれて座り込んでいる地元暴走族ポイズンゴッドのヘッド、尾上の前に立つ。

「なんだよ、あんたか」

 尾上は気怠そうに顔を上げる。周辺には怪我をした仲間たちが集まっていた。皆辟邪と天禄に打ちのめされ、ボロボロの状態だ。

 劉玲は銀色のジュラルミンケースを3つ、尾上の前に置いた。


「これ、お前さんの仲間が見つけたモンや。返しとくわ」

 劉玲の言葉に、尾上は驚いて目を見張る。三億もの金を無条件に返すというのか。それに、あの恐ろしいプロ集団からどうやってこれを奪い取ったのか。

「あんた、一体何者なんだよ」

 尾上は困惑した表情で劉玲を見上げる。

「俺たちは金を探しに来たんやない。夢を掘りに来たんや」

 劉玲は胸を張って答える。いよいよ意味がわからない。


「せや、金をどうするかは、よう考えや。あんたの仲間はそれを掘り当てて横取りしようとして病院送りになった、そして今あんたらもこのザマや」

 劉玲が去り際に振り向く。ケースに手を伸ばしかけた尾上は動きを止めた。

「悖入悖出」

 その中国語を一言残して、劉玲はバラックの倉庫を出て行った。後ろに付き従っていた獅子堂と孫景も劉玲の後を追う。獅子堂が振り向いた。

「悖りて入れば悖りて出ず・・・不当な行いで得た財は不当な行いによりまた出て行く。道理を外せば罰があるという意味だ」

 尾上と仲間たちは呆然としている。

「日本では悪銭身につかず、って言うんだろ」

 孫景がじゃあな、と手を振って三人の影は倉庫から消えていった。尾上はケースから手を放し、俯く。そして、笑い出した。

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