第16話 狂気の鉤爪

「隣の建て屋が騒がしいな」

 劉玲が小声で囁く。廃木工所の作業場には錆び付いた大型機械がいくつも放置されたままだ。作業場は吹き抜けになっており、2階事務所に劉玲と郭皓淳は身を潜めて様子を伺っていた。孫景から毒龍のチームは辟邪と天祿、武闘派の部下30人と情報が入っている。

 作業場には黒い長羽織に深い臙脂色の長袍を着込んだ男が古びたソファに腰掛けている。長い髪を後ろに括り上げており、口髭を生やしている。


「あいつが毒龍か」

「そのようだな」

 郭皓淳が頷く。毒龍の近くには銀色のジュラルミンケースが3つ揃えて置いてある。自分の近くに置くということは、中にはきっちり金が入っているのだろう。劉玲が郭皓淳を肘でつついた。

「金見て目の色変わっとるがな」

 劉玲がニヤリと笑う。郭皓淳は図星を突かれて頭をかいた。隣の木材保管庫で男たちの怒号が響いていたが、いつの間にか静かになった。


「そう言えば、側近の辟邪と天祿の姿が見えんな」

 郭皓淳が顎髭を揉みながら首をかしげる。

「隣の騒ぎ、気になるな」

 劉玲と郭皓淳は階段を駆け下り、木材保管庫へ向かう。明かり取りの天窓から漏れる光に埃が舞うのがよく見えた。劉玲は目の前の光景に目を顰める。

 そこには派手なジャンパーの男たちが呻き声を上げながら転がっていた。総勢30人はいるだろうか、天楯遺跡で宝探しをした若者たちの顔もあった。


「くそ、お前ら絶対に許さねえ・・・」

 細目の男が無慈悲な視線を向けるのは、固いコンクリートの床に伏したヘッドの尾上だった。その足は尾上の首を押さえつけている。尾上の顔は充血し、呼吸を求めて血に塗れた口をパクパクさせている。


「その辺にしとき」

 劉玲が細目を制止する。細目の男は劉玲を一瞥してニヤリと笑い、足に力を込める。見かねた郭皓淳がジャケットの胸ポケットから針を取り出し、細目に向かって飛ばした。細目は上半身の動きだけでそれをかわし、無表情でこちらに向き直る。


「郭皓淳、裏切るのか」

 細目がさらに目を細めて郭皓淳を睨み付ける。

「あんたらのやることに付き合いきれん」

 郭皓淳は周囲に倒れているポイズンゴッドのメンバーを見回す。皆立ち上がれないほど打ちのめされている。素人相手にここまでやる必要は無かったはずだ。中には10代の若者もいる。


「どうする辟邪」

 三白眼が辟邪の横に並ぶ。

「こいつは最初から気に入らなかった。裏切り者には制裁が必要だ。少しは腕が立ちそうだ。お前はどっちにする、天祿」

 長髪の細目が辟邪、短髪の三白眼が天祿のようだ。

「どっちでもええ、まとめてかかって来い」

 劉玲が首を鳴らす。

「お前たちも暇を持て余しているだろう」

 辟邪が背後に控える詰襟の男たちに声をかける。男たちが特殊警棒やナイフを手に劉玲と郭皓淳の前に立ちはだかる。


「その余裕がいつまで続くか楽しみだな」

 天祿が口角を上げて笑う。両の手に長さ20センチ程の鉤爪をつけて構えを取る。辟邪は先端に鉄の塊のついた長さ40センチはある棍棒を手にした。柄には龍の装飾がついている。振り回せば不気味な風切り音が響き渡る。

「ほう双錘か、エグい武器持ち出しよって」

 劉玲が目を見開く。これで相手を打ちのめせば易々と骨をも砕くだろう。ここに転がっている男たちはものの2,3発で立ち上がれなくなったに違いない。


「あんた、武器は無いのか」

 郭皓淳は峨嵋刺を取り出し、構える。劉玲は素手だ。

「一応ナイフは持って来たけどな、あいつらとは相性悪い。現地調達しよ」

 劉玲はあっけらかんと笑う。

「俺は郭皓淳をもらう」

 天祿が鉤爪で郭皓淳を指さす。

「では俺はその無精髭だ」

 辟邪は棍棒を構えた。背後の男たちも殺気を漲らせてじりじりと近づいてくる。


「何がどうなってる、こりゃひでえな」

 孫景と伊織、千弥が走り込んできた。目の前に無惨に転がった男たちを見て、伊織と千弥は息を呑む。続く獅子堂もその惨状を前に、唇をへの字に歪めている。

「そいつらが辟邪と天祿か、いかにも悪そうな顔してるぜ」

 孫景が2人を見やる。


「孫景はん残念やな、こいつらはもう予約済や」

 劉玲が拳を鳴らす。

「俺は譲ってもいいぜ」

 郭皓淳は軽口を叩きながらあひる口でヘラヘラ笑っているが、眼差しは真剣そのものだった。力の差は歴然のところ、ここまで相手をいたぶったことに怒りを感じているようだ。


「俺たちはこの詰襟だな」

 獅子堂が孫景に目配せする。孫景は仕方ない、と言いながら頷いた。

「私も・・・」

「伊織は千弥を守ってくれ」

 孫景がファイティングポーズをする千弥を制した。

「うん、わかった」

 伊織は力強く頷いた。


「始まっているようだな」

 BMWを降りた榊は木材保管庫へ目を向ける。中から男たちの怒声が聞こえてくる。高谷とライアンも車を降り立つ。

 木材保管庫に足を踏み入れると、派手な乱闘騒ぎが繰り広げられていた。孫景と獅子堂が詰襟チャイナ服の武闘集団相手に力一杯暴れている。劉玲と郭皓淳は黒い長袍の男とそれぞれ対峙していた。


「あっ、伊織さんも頑張ってる」

 高谷が指さす方向を見れば、千弥を背に伊織がフライパンを手にして奮闘していた。

「俺たちも加勢するか」

「君と共に戦えるなんて嬉しいよ」

 ライアンが嬉しそうに微笑む。榊はそれを見なかったことにして、襲いかかってきた詰襟にカウンターで拳を食らわせた。


「貴様は気に食わない、切り刻んでやる」

 天禄は鉤爪についた血を長い舌で舐め取る。三白眼を細めて郭皓淳をじっと見つめる。郭皓淳のジャケットの左上腕部分には三条の鋭く切り裂かれた跡がついており、血がにじんでいた。

「くそ、痛えじゃねえか」

 郭皓淳は腕を押さえて眉を顰める。天禄は右手で鉤爪を薙ぎ払う。郭皓淳がバックステップで避けるが、鋭利な爪は腹を掠め、シャツを切り裂いた。

「これ、お気に入りだったのによ」

 裂けたシャツを見て、郭皓淳はアヒル口を突き出す。呑気な様子に腹を立てた天禄はさらに攻撃を仕掛ける。


 郭皓淳は手につけた峨嵋刺をくるりと回転させ、指の間に固定した。鉤爪の攻撃をギリギリのところで避けながら、天禄の隙を狙う。

「すばしこい奴だ」

苛立った天禄が大きく振りかぶった。郭皓淳はそれをひらりとかわし、天禄の右肘の上部に峨嵋刺を突き刺す。

「ぐっ」

 天禄は脳天を突く痛みに目を見開いた。腕の感覚が無い。峨嵋刺で突かれた右の腕がだらりと横に落ちている。


「貴様、何をした」

 先ほどまで余裕だった天禄の表情に焦りが滲んでいる。

「腕の神経を貫いた。しばらくその腕は使えない」

 郭皓淳は口角を上げて笑う。天禄が残る腕で郭皓淳に襲いかかる。利き腕ではないためか、その動きは鈍かった。郭皓淳は天禄の左腕を峨嵋刺で突いた。一度抜き、腰にも深々と突き刺す。

「ぎゃっ」

 情けない声を上げて天禄は跪いた。両腕の力を奪われ、腰も麻痺している。郭皓淳がゆっくりと近づいてくる。その表情にはいつものヘラヘラした笑みは浮かんでいなかった。


「お前らは抵抗できない人間を平気で足蹴にした」

 郭皓淳は天禄を見下ろす。

「どんな気持ちだ」

「た、助けてくれ」

 天禄は郭皓淳を見上げる。

「俺は身体中の痛点を知り尽くしている。どこまで持つか試してやってもいいぞ」

 郭皓淳があひる口を歪めて笑う。恐怖に天禄の目が見開かれる。郭皓淳はその顔を殴り飛ばして気絶させた。

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