第15話 殴り込み
ド派手な柄シャツにジーンズ姿の伊織と、淡いラベンダーのチュニックに白のイージーパンツ、ベージュのパンプスを履いた千弥が廃木工所の入り口へやってきた。伊織の真面目な横顔に千弥は小さく吹き出してしまう。
「千弥さん、いい加減もう慣れようよ」
伊織は不満そうだ。その顔が派手な柄シャツのギリシャの神々の顔と相まって、また笑いを誘う。
「ごめんね、伊織さん。真面目にやるわ」
口元を押さえて上品にクスクスと笑う千弥は可愛らしい。生物学的には男性だということを忘れてしまいそうだ。
廃木工所の背後には天城山がそびえ立ち、蔦が建物を覆っている。鉄骨部分だけが残るトタン屋根の倉庫はシャッターが開け放たれ、枯れ葉が舞い込んでいく。
伊織と千弥は倉庫に足を踏み入れる。そっと周囲を見渡すが、人の気配は無い。割れたガラス窓から気怠げな午後の日差しが射し込んでいた。倉庫内はガランとして何もない。隣に大きな作業場がある。やつらはそちらにいるのかもしれない。
「奴らの気を引きましょう」
千弥が伊織に囁く。こちらに敵を惹きつけているうちに劉玲たちが敵地の様子を探ることになっている。
「でも、どうやって」
伊織は戸惑う。気を引くといっても何も考えていなかった。
「もう、ダメよ、こんなところで」
千弥が突然、甘ったるい声を上げる。
「えっ」
伊織は目を丸くして固まる。
「誰か見てるかもしれないじゃない、いや」
「ち、千弥さん」
千弥が伊織の首に手を回す。これは演技だ。伊織もおずおずと千弥の腰に手を回す。肩にかかる髪が揺れてふわりと香水が香った。
「い、いいじゃん別に、誰も見てないって」
伊織も声を張り上げた。棒読みすぎて千弥は吹き出しそうになる。
「もう、バカぁ」
千弥が伊織の頬を軽く叩いた。
「い、痛い」
クスクス笑う千弥に、伊織は涙目になる。この役割、孫景の方が良かったんじゃないか、伊織は後悔していた。不意に千弥の表情が険しくなる。振り向けば、3人の黒い詰襟のチャイナ服の男がニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。
「楽しそうじゃないか」
「俺たちの相手もしてくれよ」
男たちは近づいてくる。伊織は千弥を庇い、前に出た。3人とも伊織より背が高く、ガタイがいい。ゆったりしたチャイナ服の上からでも鍛えているのが分かった。伊織は息を呑む。
「ち、近づくな」
伊織は男たちを睨み付ける。
「お前、勇気あるな。彼女の前で格好つけたいのか」
男の一人が伊織のシャツに目を留める。そのド派手なデザインに我慢できずに吹き出した。残りの2人も伊織のシャツをのぞき込み、腹を抱えて笑い出す。
「こ、こりゃひでえ」
「どれが本物の顔がわからねえ」
3人は涙目で笑い転げている。伊織は複雑な表情を浮かべるが、はっと我に返る。隙をついて千弥の手を掴んで出口へ走り出した。
「あっ、柄シャツが逃げたぞ」
俺は柄シャツじゃ無い。伊織は唇を噛んだ。追いついた男が千弥の腕を掴む。
「こんなダサい彼氏なんか見捨てて俺たちと楽しもうぜ」
ニヤけた男の顔を睨みつける千弥の目が光る。千弥は男の手首の関節を極め、くるりと腕を回した。男の身体は易々と吹っ飛んだ。合気道をベースにした千弥の護身術だ。
「何だ、この女」
追いついてきた別の男が千弥に掴みかかろうとする。伊織がそれを体当たりで防ぐ。
「この野郎」
もう一人が千弥に迫る。しかし、背後から伸びた腕に強引に引き倒され、地面に転がった。
「孫さん」「孫景さん」
伊織と千弥が同時に叫んだ。チャイナ服の男たちは、孫景にものの10秒でノックアウトされてしまった。
「無理をさせたな」
孫景が千弥に申し訳なさそうな顔を向ける。そもそもこの囮作戦には気乗りしなかったのだ。
「ううん、大丈夫。伊織さんが守ってくれたし」
千弥は孫景に笑顔を向ける。孫景と千弥は立ち尽くす伊織の方を向いて、また吹き出した。
伊織と孫景で3人の男を縛り上げ、ホースで水をかける。
「ぶわっ、お前らグルか」「タチが悪いぞ」
3人の意識が戻り、口々に文句を言い始める。
「お前ら、毒龍の手下だろ。仲間は何人いるんだ」
孫景が男たちを見下ろす。男たちは青ざめて口を噤んだ。余計なことを話せば命に関わるのだろう。
「そうか、喋りたくないのか」
孫景は仕方なさそうに肩を竦めた。千弥が一人の腕を取り、無言で関節を極める。
「疼!」
男は思わず中国語で叫ぶ。千弥はそのまま極めた手首に角度をつけていく。
「ぎゃああああ」
男は足をジタバタさせて泣きわめく。
「ち、千弥さん・・・」
「女をバカにする男は許せないのよね」
見かねて止めようとした伊織は、その手を引っ込めた。孫景も冷や汗タラタラだ。結局、痛みに負けた男の口から毒龍を筆頭に、辟邪、天祿、その他に武闘派の男たち30人が周辺に潜んでいるということが分かった。孫景は別行動をしている劉玲と曹瑛に微信でそれを伝えた。
廃木工所前の県道に爆音が鳴り響く。続々と改造バイクが通り過ぎていく。
「あれは尾上か」
先頭を走るのはヘッドの尾上、男たちのジャンパーの背中にはポイズンゴッドとロゴがついていた。その先の砂利を敷き詰めた空き地にバイクを止め、木材保管倉庫へ続々と入っていく。すぐに怒声が聞こえ始めた。
「どうしてここに」
伊織が不安げな表情で孫景を見上げる。
「おそらく、仲間を病院送りにした奴がここにいると聞きつけたのだろう」
―木材保管倉庫
尾上は仲間を引き連れて木材保管庫へ乗り込んだ。中はうち捨てられた廃材が詰まれている他は何もない。天井からぶら下がる錆びたクレーンが風に揺れて軋んでいる。
「ここに居るんだろう、出て来いや」
尾上は大声で叫ぶ。バイクに乗ったままの男たちが空ぶかしの爆音で威嚇する。奥の扉が開いて黒い詰襟の男たちがぞろぞろ姿を現わした。総勢30人弱、尾上の集めたメンバーと同じくらいの人数だ。
「お前らが俺たちの仲間をやったのか」
詰襟の男たちは沈黙を守っている。背後から2人の黒い長袍の男が歩み出た。短い前髪を逆立て、細い眉に切れ上がった目尻、冷ややかな三白眼の瞳の男と、もう一人は長い前髪を流した細目で唇の薄い男だ。詰襟たちが恭しく道を空ける。
「弱すぎて暇つぶしにもならなかった」
三白眼の男がつまらなそうに呟く。尾上は怒りにこめかみを引き攣らせて唇を歪める。
「これ以上ふざけた口がきけねえようにしてやる」
尾上はジャンパーの胸ポケットからナイフを取り出した。族の仲間たちもチェーンにメリケンサック、鉄パイプと物騒な武器を手にしている。
「お前たちは手を出すな」
細目の男が詰襟を制した。三白眼とともに殺気漲る暴走族集団に対峙する。2人とも全く怯える様子はなく、口の端には余裕の笑みを浮かべている。
尾上はその表情に寒気を覚えた。ナイフを握る手が汗ばんでいる。しかし、ここで引いては面子を潰されたままだ。仲間を病院送りにした仇を取る。そう思い直し、雄叫びを上げ、走り出した。
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