第14話 辟邪と天禄
「北山と清水がやられただと」
世田谷区の組事務所で報告を受けた橋本組若頭の江口は、耳に当てたスマホを握りつぶさんばかりの勢いだ。眉間に深い皺が刻まれ、こめかみがピクピクと痙攣している。
「お前らは一体何をしていたんだ」
江口の怒号が響き、応接セットで花札をしていた組員が驚いて手を止めた。
「それが」
組員の片岡が説明するには、同業者と海外マフィアが銃で襲ってきたという。その説明に、江口は銀行強盗で奪われた金の噂が真実と確信した。裏社会の面々が本気で狙っているということは、金は本当にあるということだ。
「わかった。俺自らそちらに向かう」
「カシラ、そこまでしなくても俺たちで…」
北山と清水を軽々と倒した奴らが相手では、金があったとしても手に入れることはできないだろう。
そもそも、見つけたところで組に取り上げられるなら真面目にやる気などさらさら失せていた。片岡も太田も、軽井沢でのんびり釣りでもして帰ろうと思っていたところに若頭がやってくるという。面倒極まりない。
「バカが、お前らに任せておけねえから俺が行くんだ」
江口は一方的に通話を終了し、組の者に声をかけた。腕に覚えのある猛者を連れてすぐに出発する手筈を整えた。
「久々に血が騒ぐぜ」
江口は組事務所1階の駐車場のロッカーから日本刀を取り出した。昔はよく敵対する組にこれを持ってカチコミをしたものだ。血が騒ぐ。北山と清水は狂犬だが、腕は確かだった。奴らを倒した男に会ってみたい。金は二の次だ。
江口は用意された黒いベンツに乗り込んだ。運転手のいかつい坊主頭がナビを軽井沢にセットする。ベンツは駐車場を出て北へ向けて走り出した。
-森のレストランにて
デザートにはアフォガードが出てきた。香り高いエスプレッソを濃厚なバニラソフトにかける。溶けたバニラアイスの甘味とエスプレッソの苦みが混じり合い、絶妙な味わいがある。
「毒龍は廃木工所を根城にしている。辟邪に天祿、こいつらほどではないが、武術に自信のある男たちを何人か引き連れている」
郭皓淳に千弥がタブレットを見せる。郭皓淳はタブレットに表示された地図で、廃木工所の位置を示した。
「諏訪湖の近くね」
廃木工所は天城山の麓にある小さな湖、諏訪湖に面していることが分かった。
「金を手に入れて、すぐに引き上げないのかな」
伊織がアフォガードを掬いながら尋ねる。
「土から掘り出したのはジュラルミンケース3つだった。施錠されていたから、こじ開けて中を確認するつもりだろう。ついでにマネーロンダリングもここで済ませるのかもしれない」
マネーロンダリングは資金洗浄だ。盗まれた金を使うと足がつく。出所が分からない金に換えるのだ。
「もうしばらく奴らはそこにいるということか」
孫景の言葉に、郭皓淳は頷く。
「ほな、そこへ乗り込むか」
劉玲が軽い調子で言う。
「俺はこっちに来て、辟邪と天祿の顔しか見ていない。毒龍は用心深い男だという。どのくらい仲間を引き連れているかわからんな」
郭皓淳は腕組をしたまま顎ひげを弄んでいる。
「敵の全貌がわからない、廃木工所に探りを入れるか」
曹瑛が冷静に意見する。
「せやな、金がまだそこにあるかもわからんしな」
「じゃあ俺、行こうかな」
声のした方を皆が振り向く。伊織がおずおずと手を上げている。
「お、伊織くんやる気やな」
意外な立候補に劉玲は目を見開く。曹瑛は腕組をしたままそれを見守っている。
「道に迷ったふりをして様子を伺ってみるよ」
「じゃあ、私も協力する」
千弥も手を上げた。
「千弥、相手は危険な奴らだぞ」
孫景が心配して千弥を止めようとする。千弥は孫景を見上げる。
「伊織さんが勇気を出して頑張ろうとしているんだから、私も何かしたいのよ」
その目には強い光があった。孫景は小さなため息をついた。
森のレストランを出て、作戦会議のために郭皓淳の宿泊しているコテージに立ち寄った。キャンプ場に併設されたコテージは、家族連れやカップルで賑わっている。バーベキューの煙に巻かれながらコテージに入った。
「これが俺の一張羅だ、貸してやるよ」
郭皓淳がトランクからシャツを引っ張り出し、伊織に手渡す。
「ず、ずいぶん派手な色合いだね」
伊織はシャツを手にして目を丸める。
「軽井沢に遊びにきた金持ちバカップル作戦だろ。このシャツの方がそれらしい」
伊織は自分の着ている無難なブルーのストライプのシャツを見つめる。一時的に敵の目を引く程度の作戦で、別に着替える必要は無いのでは、と思ったが郭皓淳がやたら押すので仕方なくシャツに腕を通す。
「千弥さんか、あんたはそのまま清楚系の小綺麗な格好でいけそうだ」
郭皓淳が千弥を上から下まで値踏みする。アヒル口がにやけているのに気が付いて、千弥はふいと顔を背ける。
「なんでこんな美女がゴツムサい孫景に惚れてるのか、わかんねえなあ」
「おい、お前ぶっとばすぞ」
肩を竦める郭皓淳に、孫景は人差し指を突き出す。
「あなた失礼ね、孫さんはとてもクールだわ」
千弥の言葉に孫景は顔を赤らめた。
着替え終えた伊織がバスルームから顔を出す。
「伊織くんはどんな格好になったんや」
劉玲がニコニコと笑っている。伊織が戸惑いながら全身を現わしたところで、その場の時が止まった。
劉玲は笑顔のまま硬直している。孫景と千弥は目を見開いて伊織を凝視している。獅子堂は唇を引き結んでいるが、サングラスに隠れた目が絶対に笑っていた。郭皓淳は我慢できずに吹き出した。
「いやあ、こいつは傑作だな」
郭皓淳につられて皆も笑い出す。伊織が着ているのは、イタリアのファッションブランド、ヴェルサーチのシャツブラウスだ。黒地に金色の唐草模様だけでもド派手なのに、ギリシャ彫刻の神々の顔が中央のボタンの脇に左右対称に5つずつ並んでいる大胆なデザインだ。
「みんな、ひどい」
伊織がシャツを広げてみせる。伊織の存在感がド派手なシャツに全部持って行かれている。劉玲は笑いすぎて咳き込み始めた。
「似合っているぞ、伊織」
その場でただ一人だけ真顔の曹瑛に、伊織は渋い顔を向けた。曹瑛は仕事用のスーツやコートは一流品を持っているし、私服もショップ店員にすべてを任せて買っているので気付かれにくいが、基本的に服のセンスは微妙だ。
曹瑛が自分で選んで買った部屋着を思い出す。目を見開いたタラコ口の、ペンギンに似た生き物のプリントTシャツ、しかも黄色。本人はあれを可愛いペンギンと思って着ている。
伊織は思わず目頭が熱くなった。
「金持ちが着そうな場違いなシャツで気を引く作戦、ということでいこう」
笑いすぎて声が掠れている郭皓淳がフォローを入れた。顔立ちが平凡な伊織にはあまりにも似合わない大胆かつ華美なデザインのシャツだが、郭皓淳なら着こなせるのだろう。
「この服の伊織さんと一緒に歩くのね」
一瞬真顔に戻った千弥が、振り向いた伊織を見てまた吹き出した。伊織の動きに合わせて、多彩な表情のギリシャの神々もこっちを向くのだ。我慢できるはずはなかった。
「千弥さん、作戦中に笑わないでね」
伊織が切ない顔をするので、千弥は思わず目を逸らした。
劉玲のスマホに榊から電話が入った。榊は手短に赤木山の話を伝えた。
「さすが榊はんや、ええ情報を仕入れてくれた」
廃木工所の件を伝え、榊もそこへ向かうということになった。話を聞いた劉玲は上機嫌だ。早く終わらせて赤木山に宝探しに行きたくてうずうずしている。
「無理はするなよ、伊織」
曹瑛が伊織の肩を叩く。
「うん、俺にできそうなのはこのくらいだから」
「お前にこれをやる」
「え、これ・・・」
「困ったら使え」
「ありがとう、瑛さん」
伊織は力強く頷く。曹瑛と伊織は軽く拳をぶつけた。
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