第10話 とんだ濡れ衣
早朝、鳥の声と共に突如聞こえてくる民謡に曹瑛は目を覚ました。反射的に飛び起きると、横で眠っている獅子堂が目を閉じたまま歌っている。遠い故郷の島歌なのだろうか、寝言で歌う人間は初めてだ。
深夜まで寝付きが悪かった。深酒をした男たちのいびきや歯ぎしりのせいだ。曹瑛が寝起きの不機嫌な表情で頭をガシガシかいていると、縦並びに眠っていた榊が起き上がって伸びをしている。その爽やかな表情に、曹瑛はなぜか苛立った。
「良い朝だ、この歌は獅子堂か、面白い寝言だな」
榊は耳栓を外した。ぬかりのない男だ。
伊織は壁に張り付くように眠っている。獅子堂の横に寝ていたはずだが、転がりながら劉玲を乗り越えていったようだ。時計を見れば、朝6時。曹瑛は目をこすりながら、窓際のソファでマルボロを吹かし始めた。
榊は音を立てずにバスタオルを用意し、大浴場へ向かう。ライアンがその気配に気付いて起き上がろうとしたところ、寝ぼけ眼の高谷がその腰にしがみついて離さない。
「結紀、私は英臣とバスタイムを楽しもうとしているだけだ」
「下心見え見えなんだよ。行かせないぞ、榊さんは俺が守る」
寝ぼけたままでも兄を守ろうとする高谷の執念に根負けし、ライアンは大人しくふとんにもどった。
豪華な和膳の朝食を堪能し、調査に出発する。今日も快晴で、新緑が眩しく輝いている。
「俺は博物館をあたってみる。この辺りの郷土史にヒントがあるかもしれない」
榊は市街地にある博物館へ行くという。
「では私も英臣と」
高谷とライアンも榊に同行することにした。
「ほな、天城山の資料館へ行こか」
劉玲は獅子堂のハーレーの後ろに跨がった。獅子堂はヤクザとの契約は解除したらしい。孫景と千弥、曹瑛と伊織はベンツに乗り込む。
天城山の資料館に到着し、劉玲が地元のおっちゃんに借りた鍵で扉を開ける。かび臭い室内は完全に物置と化していた。一応資料館だった名残で、ガラスケースに遺跡で出土した土器のかけらや鏃などが展示されている。板張りの床が歩くたびにミシミシと軋む。
「これは思った以上やな」
劉玲も当てが外れたようだ。
「ここに大事なものなんてあるのかしら」
千弥がバッグからハンカチを取り出し、口元に当てる。窓から射し込む日差しに埃が舞うのが良く見えた。盗まれてもいいようなガラクタが並んでいるだけだ。
入り口脇の背の高いガラスケースの前で曹瑛が足を止めた。掛け軸が展示してある。
「これ何だろう」
伊織もケースを覗き込む。
「風景画のようだな」
それは古びた山水画だった。険しい山と、その中程には城跡、麓には川が流れている。
「この城跡、天楯城址かな」
劉玲も掛け軸のケースを覗き込む。山城の周辺を注視している。
「城跡の辺りが気になるんやけどな、この絵はずいぶん不鮮明やな」
「これ、複製画って書いてあるよ」
伊織の指さす先に、掛け軸は江戸時代の作品で、複製画と説明パネルが掲示してあった。
「ここはガラクタ置き場や。もしかしたら本物の掛け軸を持っている人間が近くにおるかもな」
劉玲は無精髭を指先でしごく。
「鍵返すついでにおっちゃんに訊ねてみよ」
埃臭い資料館を出て、鍵をかける。田舎道を爆音が迫ってくる。昨日の暴走族連中のようだ。資料館の前でバイク集団は停止する。ポイズンゴッドと悪趣味なロゴが入った紫色のジャンパーを着た尾上がこちらを睨み付けている。
「あんたたちがあんなひでぇことをするとは思ってなかった、見損なったぜ」
尾上は憎悪に顔を歪めて地面に唾を吐く。
「何の話だ」
孫景が訊ねる。尾上はそれに答えない。まるで抗議でもするように、改造バイク集団は一気にエンジンを吹かした。耳をつんざく爆音が野山に響き渡る。遠くで腰を折って農作業をしていた老人が驚いて顔を上げた。
尾上はそのまま天城山への道を駆け上がる。集団もそれを追った。
「なぜあんなに怒っているのかしら」
千弥が首をかしげる。
「兄貴、相手にする必要はない」
曹瑛は身に覚えのない言いがかりは放っておけばいいと言う。
「お宝に関係があるかもしれんな、話聞いてみよか」
獅子堂はハーレーのエンジンをかける。劉玲は後部座席に跨がり、山道を上がっていく。仕方なく孫景たちもベンツで後を追った。
ポイズンゴッドの改造バイクたちは、天楯城址の駐車場に集まっていた。獅子堂のハーレーが現れると、アクセルを空ぶかしして爆音で威嚇する。
尾上が手を上げると、一気に静まりかえった。
「何があったんや」
劉玲が一人前に歩み出る。
「とぼけんじゃねえ、俺たちの仲間2人をボコボコにしやがって。可哀想に、今頃病院のベッドの上だぜ。俺たちを手なずけておいてあんな真似しやがるとは、お前らは卑怯者だ」
尾上が怒鳴る。
「身に覚えがないな、言いがかりはよせ」
孫景が肩を竦める。その仕草に尾上は唇を歪めて怒りを露わにしている。カラフルなジャンパーたちの間を割り、長身でガタイの良い男が姿を現わした。孫景と同じか、それよりもやや高い。角刈りのツーブロック、黒いスウェットの上下に、虎柄のアニマルプリントのシャツ、首には金のネックレスを下げている。
「俺たちの先輩で、プロの用心棒だ。組事務所に殴り込みをかけて、壊滅させた伝説を持っている。お前らも病院送りにしてやるぜ」
ポイズンゴッドの連中が盛り上がっている。
「お願いします、岩城さん」
尾上が巨漢に頭を下げる。岩城と呼ばれた男は余裕の笑みを浮かべている。
「お前ら全員でかかってきてもいいんだぜ」
岩城の挑発に、曹瑛がコートの胸元に手を入れようとする。伊織がそれを慌てて止めた。
「瑛さん、大人げないよ」
曹瑛はチッと舌打ちをして腕組をした。
「プロの用心棒か、俺が相手になろう」
獅子堂が進み出て岩城と対峙する。岩城は獅子堂を値踏みする。
「お前一人か、命知らずだな」
岩城は腕をゴキゴキと鳴らし、重心を落として構えを取る。大口を叩くだけのことはあり、ファイティングポーズは様になっている。獅子堂も構えた。間合いを取りながら互いを牽制している。
岩城が下から抉るような右アッパーを繰り出す。獅子堂はそれを腕でブロックする。同時に、隙のできた脇腹に左フックを打ち込んだ。獅子堂はぐ、と呻いてバックステップで距離を取る。岩城の攻撃がヒットしたことで、外野が派手に囃し立てる。
「さすが岩城さんだ」
「あいつ、怯えて早くも逃げの体勢だぞ」
岩城はボクシングスタイルで素早いジャブを繰り出す。巨漢の割りに動きが速い。獅子堂はそれをガードするだけで攻撃に転じることができない。
岩城の鋭い右ストレートが獅子堂の頬を掠った。皮膚が裂け、血が一筋流れ出す。獅子堂はそれを拭い取り、舌で舐め取った。切れ長の瞳で岩城をじっと見据えている。
「お前もプロの用心棒らしいな、目つきだけは一人前だ」
岩城は近距離の細かいフックで獅子堂のボディにダメージを与えていく。獅子堂が反撃で拳を打ち出すも、それを軽々とかわす。岩城のカウンターパンチが獅子堂の脇腹を抉る。間髪入れずに左フックで獅子堂の顔面を殴り飛ばした。
「ぐふっ」
獅子堂はよろめくが、踏みとどまった。アスファルトに血の混じった唾を吐き出す。
「獅子堂さん」
伊織が思わず駆け寄ろうとするが、曹瑛が襟首を掴んで止めた。
「あいつは大丈夫だ。兄貴を手こずらせたほどの男だ。お前は邪魔をするな」
劉玲と孫景も腕組をして、手を出すつもりはないようだ。その表情は楽しんでいるようにも見えた。千弥が心配そうな顔で唇を噛んでいる。
「曹瑛の言う通りだ、あいつは相手の力を辛抱強く測っている」
千弥は孫景の顔を見上げる。孫景は獅子堂を信頼しているのだ。その涼しげな表情を見て、千弥は落ち着きを取り戻した。
獅子堂は防戦一方だ。岩城は攻撃の手を緩めない。どう見ても岩城が有利な状況に見える。しかし、岩城の表情には焦りがあった。いくら攻撃がヒットしようとも手応えが薄いのだ。
獅子堂が岩城の拳を弾き飛ばし、ガラ空きになった脇腹に右フックを見舞った。
「ぐあっ」
強烈な衝撃に岩城はよろめく。この痛みは肋骨が折れているか、そうでなくともヒビが入っている。獅子堂はさらに鳩尾に拳をめり込ませる。岩城は息ができずに口をパクパクさせ、目を見開いている。
「クソッ」
なんとか持ち直した岩城は、叫びながら獅子堂に殴りかかる。獅子堂は岩城の拳が届く前に回し蹴りをこめかみに食らわせた。長いリーチに体重を乗せた蹴りがクリーンヒットし、岩城はアスファルトに転がった。
「お前はボクサー崩れか。単調な動きを読むのに時間はかからなかった」
獅子堂が岩城を見下ろす。岩城は屈辱と怒りに身を任せ、立ち上がった。
「やめておけ、お前は平衡感覚を失っている」
獅子堂の言葉通り、岩城は足元が覚束ない。しかし、まだ闘志を剥き出しにしている。チラと背後を見れば、バイクに乗った男に鎖を持つ者がいる。岩城はそれを奪い取り、獅子堂に向かい勢いよく腕を振る。鎖は獅子堂の首にがっちり巻き付き、首を締め上げる。
「ぐっ」
獅子堂が呻く。岩城は鎖を持つ腕をさらに引き絞った。獅子堂の首に鎖がめり込んでいく。
「卑怯だわ」
千弥が口元を手で押さえる。
「卑怯もクソもあるか、素手だけの勝負と誰が決めた」
岩城は下品な声で嘲笑う。獅子堂は鎖を握りしめ、顔を歪めている。
「負けを認めるなら放してやろう」
「思い上がるな」
獅子堂が足を踏み縛り、鎖を思い切り引く。鎖に引っ張られ、岩城が前のめりになったところに、獅子堂の重みのあるアッパーが入った。
岩城のチェーンを持つ手は力を失い、獅子堂の拘束は解かれた。岩城は白目を剥いてゆっくりと膝をつき、その場に突っ伏した。
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