第9話 抜け駆け

 和室に料理が運ばれてきた。豪華な山の幸の会席料理だ。四角い焼き物の皿に色とりどりに盛り付けされた春らしい前菜、鯛に帆立、ぼたん海老のお造り、のどぐろの塩焼き、黒毛和牛のローストビーフ。

 まずはビールで乾杯した。曹瑛は烏龍茶をちびちび飲んでいる。

「榊さん、家族湯は良かった?」

 悪気など全くない伊織の言葉に、榊は渋い顔で目頭を押さえている。ライアンを避けてこっそり家族湯に行ったことが完全に裏目に出てしまい、ガタイのでかい男4人がひしめく狭苦しい風呂を思い出し、切なさがこみ上げた。


「大浴場も良かったよ、立派な岩風呂もあったし、後から行ってみたら」

 榊の苦悩を見た伊織が慌ててフォローを入れる。

「策に溺れたな」

 ローストビースをつまみながら曹瑛がほくそ笑む。

「貴様、笑っていられるのも今のうちだぞ」

 榊は曹瑛を睨みつけ、奥歯をギリと噛んだ。

「曹瑛に英臣、ケンカでもしたのか。私のために争うのはやめてくれ」

 ちゃっかり榊の隣に座るライアンが悲しそうな顔を向ける。曹瑛は思わず視線をずらす。

「ある意味、お前のせいだな」

 榊は呆れながらぼやいた。高谷もライアンの前向きなずうずうしさに苦笑いを漏らす。


 茶碗蒸しに釜飯、味噌汁、最後にいちごシャーベットが出てきた。

「とても豪華だったわ、お腹いっぱい」

 千弥が満足そうに温かいお茶を啜る。長い髪をかるく結い上げており、浴衣の襟からきれいなうなじが覗く。酒で頬をほんのり赤く染める千弥の横顔に一瞬みとれていたことに気が付き、孫景は目線を逸らした。 

 食事が引き上げられた後、劉玲が売店で仕入れてきた地酒とつまみでまた盛り上がり始める。


「明日は資料館に行ってみよ」

 劉玲はコップに酒を注ぐ。ずいぶん飲んでいるはずなのに、ほとんど顔に出ていない。酒が飲めない弟の曹瑛とは真逆だ。

「何か手がかりがありそうなんですか」

「管理人のおっちゃんに資料館の鍵を借りたんや」

「明日は楽しみですね」

 あの古びた資料館に手がかりがあるとは思えないが、楽しそうな劉玲の顔を見ていると何か起きるのではないか、と伊織は思う。


「そう言えば、獅子堂はタトゥーを入れてるんだってな。見せてくれよ」

 酒が入った孫景が獅子堂に絡んでいる。黙々と飲んでいた獅子堂は無言で帯を解き始めた。はだけた浴衣の下には滑らかな褐色の肌。脇腹から腰骨にかけてトライバルタトゥーが入っている。

「おお、カッコいいな」

 皆が獅子堂に注目する。

「俺の育った沖縄の宮古島では、タトゥーは呪術的な意味を持っていた。特に女性の刺青を“ハジチ”と言い、儀礼として指や手の甲、ひじにかけて施した。この風習は明治時代になり政府から規制がかけられてしまったが、昭和初期まで密かに行われていた」

 獅子堂もかろうじて子供のころにハジチを施した老女を見たことがあるという。


「タトゥーってファッションかと思ってた」

 伊織が驚く。街にたむろする若い子がファッションで施しているイメージが強い。

「トライバルタトゥーは部族ごとに異なる文様を使う。この文様も古くから島に伝わるものだ。魔除けの意味がある」

 獅子堂の意外にミステリアスな一面に皆目からウロコだった。


「じゃあ、私は部屋に戻るわ」

 千弥が部屋を出て行った。用意した酒はすべて無くなり、男8人、雑魚寝の準備をする。曹瑛がふとんの並びを前に腕組をしながら眉根を寄せている。

「孫景はいびき、兄貴は歯ぎしりか」

 曹瑛は伊織の顔を見る。

「お前は寝相が悪い」

「なんだよ、瑛さんも寝言がうるさ・・・」

 曹瑛は伊織にデコピンを食らわせた。榊はさっさと壁際に陣取って高谷はその横を確保する。

「私は結紀の隣にしよう」

 ライアンがおもむろに浴衣を脱ぎ始めた。

「えっ、何してんのライアン」

 高谷が青ざめる。

「私は普段こうやって寝ている」

 本当は下着もつけないというライアンに、せめてパンツは履いてくれと高谷はげんなりしながら頼んだ。


 鬱蒼とした森を十六夜の月が照らしている。夜行性の鳥の鳴き声が時折静寂を破って聞こえてくる。男が2人、雑木林の獣道を抜け、天楯城址へ向かっていた。肩にはスコップを担いでいる。

 先ほどまで地元の店で焼き肉をしこたま食べていたが、飲んだくれる仲間を置いてこっそりと抜け出してきたのだった。

「おい、やばくねえか」

 ポイズンゴッドと悪趣味なロゴが入った赤色のスカジャンの男が不安げな声を出す。

「何言ってんだ、吉岡。3億だぞ。見つけたところで東京のヤクザに持って行かれて終わりじゃねえか」

 同じロゴが入った黒いスカジャンの男、高木が、赤いスカジャンの吉岡を叱りつける。


 懐中電灯が照らす足下は覚束ない。木の枝に足を取られて転びそうになりながら、2人は月夜に照らされる天楯城址にたどり着いた。誰もいない森の中は不気味だ。昼間掘り返した土の匂いが鼻をつく。

「この辺りだったな」

 高木が埋め戻された土をスコップで掘り返し始める。やや気が進まない吉岡も、スコップを土に突き立てた。

「俺はみつけたんだよ、ここに」

 高木は必死で掘り進める。額から汗が流れ始め、スカジャンを脱いで放り投げた。


「あった・・・!」

 高木が興奮して叫ぶ。吉岡と顔を見合わせて土を避けていく。そこには銀色に光るジュラルミンケースが埋っていた。

「マジかよ」

 土にまみれたジュラルミンケースを掘り出す。全部で3つ。ロックがかかっており、中身は確認できないが、重量感はある。東京のヤクザの話によれば、この中に札束が詰まっているはずだ。

 昼間、みんなでここの周辺を掘り返していたとき、高木はケースが埋っているのを見つけた。仲間には言わず、すぐにこっそり埋め戻したのだった。

「やったぜ、俺たちのもんだ」

「これ、どうするんだ」

「持って逃げるんだよ」

 こんな田舎とはおさらばだ。何も楽しいことがなく、高校時代に入った暴走族から抜けられず惰性で8年。3億もあれば、都会でマンションを買って女や酒、好きなバイクも手に入る。高木は金を手にした自分の姿に酔いしれる。


 そのとき、不意に視界が暗くなった。顔を上げれば、すぐ脇の石垣の上に黒い長袍の男が立っている。短い前髪を逆立て、細い眉に切れ上がった目尻、冷ややかな三白眼の瞳の男と、もう一人は長い前髪を流した細目で唇の薄い男だ。

 冷たい視線で高木と吉岡を見下ろしている。その異様な姿に2人はヒッと叫んでジュラルミンケースを掴んで逃げだそうとする。

 長袍の男たちは石垣を蹴り、2人の前に降り立った。

「な、なんだよお前ら」

 震える声で高木が叫ぶ。


「それをこちらへ」

 棒読みの日本語は違和感があった。外国人のようだ。

「嫌だ、誰がてめえらにくれてやるか」

 吉岡はジュラルミンケースを掻き抱く。長袍の男は2人にじりじりと歩み寄っていく。吉岡は脇腹に強い衝撃を感じた。ぐっと呻いて、地面に膝をつく。露わになった頚部にまた衝撃が加わる。ここでやっと黒い長袍の男に殴られたのだと気が付いた。

「おい、何しやがる」

 高木がジュラルミンケースを投げ捨て、ポケットからナイフを取り出し構える。もう一人の長袍の男は口元を歪めて笑っている。


 気が付けば、地面に倒れていた。顔を殴られたのか、瞼が腫れ上がって視界が狭い。頬にに触れる冷たい土の感触。肋骨も折れているだろう、ズキンズキンと疼く痛みに涙が零れた。目の前に同じように地面に転がされた吉岡が見えた。首を足で押さえつけられてもがいている。

「や、やめろ・・・」

 叫ぼうにも、掠れて声が出ない。容赦ない暴力だった。暴走族同士の抗争にも何度か参加したことがあったが、こんなに力の差を感じたことは無かった。

-息ができない。殺される。


「おいおい、やりすぎじゃねえのか」

 声が聞こえた。やはり異国の言葉だ。

「お前は黙っていろ」

 黒い長袍の男が答える。

「何も殺すこたあねえだろうよ」

 黒いジャケットに派手な柄シャツの長身の男が、長袍の男の腕を掴む。くせ毛に垂れ下がった目尻、口髭を生やしている。

「邪魔をするな、郭皓淳」

 長袍の男は郭皓淳を睨み付ける。

「おお、怖いぜ。ほれ、金は手に入っただろ、行こうぜ」

 郭皓淳はジュラルミンケースを拾い上げる。チッと舌打ちをして、黒い長袍の男たちもひとつずつケースを取り上げる。高木と吉岡を置いて、3人の男たちは天楯城址を立ち去っていった。

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