第2話
ツーブロックの指にはゴツいシルバーリングが光っている。獅子堂は口の中の血を吐き捨てた。ツーブロックはボクシングの構えを取る。腕に自信があるようだ。体格から見るに言うなればヘヴィ級だ。
再び獅子堂の顔面に右ストレートを繰り出す。獅子堂は上体を反らし、拳をかわす。渾身のストレートがやすやすとかわされたことでツーブロックは頭に血が昇ったらしく、凄まじい勢いで次々と拳を繰り出す。脇腹、鳩尾、当たってはいるが、手応えを感じない。獅子堂は唇をゆがめて笑っている。獅子堂の鍛え上げられた肉体にツーブロックは驚愕する。
「元米軍の拳、そんなものか」
獅子堂はツーブロックの顔面に左ストレートを見舞った。きれいにヒットし、ツーブロックは白目を剥く。そのまま肘で追撃を食らわせる。脳天に衝撃を加えられ、ツーブロックはよろめいた。獅子堂はその腹に膝蹴りを食い込ませた。
「ぐふっ」
ツーブロックは呻いて胃液を吐き出し、膝を折り地面に倒れた。その間ものの数十秒、伊織は獅子堂の仁王のような姿に目を見張ったまま動けない。
「この野郎」
パンチパーマが獅子堂に殴りかかる。獅子堂は腕で顔を防御した。パンチパーマがニヤリと笑う。顔をかばった獅子堂の手首から血が流れ落ちた。見れば、パンチパーマはジャックナイフを持っている。それをくるくると弄ぶ。
「切り刻んでやる、命乞いは聞こえねえぞ」
パンチパーマの挑発に、獅子堂は動じることなく手首の傷をなめ上げる。
そして空手の構えを取る。パンチパーマは重心を落とし、腕のリーチを行かしたナイフ捌きを見せる。獅子堂はそれをかわしながら後ずさる。先ほどまで意識を失って倒れていたツーブロックがよろよろと立ち上がり、駆け出して獅子堂の背後に回り込んだ。
大きく横になぎ払われたナイフを避けた獅子堂の身体を、ツーブロックが背後から羽交い締めにする。
「ははははは!油断しやがったな。殺れ、ジェフ」
ツーブロックは哄笑する。ジェフと呼ばれたパンチパーマはナイフを握り直し、構えた。
伊織は咄嗟にバッグからお土産店のビニール袋を取り出した。中身を道路にぶちまけたが気にも留めず袋に空気を入れて膨らませ、口をキュッと強く結んだ。空気も漏らさぬよう口を絞ったまま、袋を思い切り叩いた。
パァンと破裂音が響く。その音に、2人のアメリカ人は一瞬気を奪われた。ツーブロックの拘束が緩んだ隙をつき、獅子堂は鋭い肘をその横腹に食らわせる。ゴリッと鈍い音がした。肋骨は無事ではないだろう。
間髪入れず裏拳を食らわせると、ツーブロックは鼻血を吹き出しながら背後に受け身も取らず吹っ飛んだ。
銃撃戦が日常に起こりうるアメリカではこの小さな破裂音にも過剰反応する。伊織がハリウッド映画で観たアメリカの風景を思い出して咄嗟の機転を利かせたのだった。
パンチパーマは仲間がやられたことに怒り狂い、ナイフを振り上げて叫びながら獅子堂に襲いかかる。伊織は路地の入り口に立てかけてあった廃タイヤを勢いよく蹴った。タイヤは転がり、パンチパーマの足元にぶつかった。パンチパーマは前につんのめる。目の前には獅子堂の拳が迫っていた。そして目の前が真っ暗になった。
地面に転がる2人のアメリカ人はもう起き上がってくる気配は無かった。しばらくノビているだろう。獅子堂は無言で路地から出てくる。
「伊織か」
獅子堂はサングラスを外し、驚いた顔をしている。伊織は緊張が解けて、路地の壁に手をついた。今頃動悸が速くなって背中に汗がたらたらと流れ出すのを感じた。
「良かった、あんな大きな人と2対1でどうなるかと思ったよ・・・余計なことしたかな」
「いや、助かった。礼を言う」
あの2人に勝つ自信はあった。しかし、伊織の機転が無ければもっと傷は増えていただろう。獅子堂はアスファルトに散らばった土産物を拾い上げる。
「駄目になってしまったな」
申し訳なさそうに伊織に手渡す。
「大丈夫だよ。お菓子だから。ちょっと粉々になってるかもね」
伊織は苦笑いする。自宅用に買ってお茶うけに食べようと思っていたものだ、気にはしない。
「それより、怪我してる」
獅子堂の手首が血で濡れている。ナイフによる切り傷だ、見るからに痛そうで伊織は眉を顰めた。
「カスリ傷だ。血は止まっている」
獅子堂は平気そうだが、放ってはおけない。曹瑛が戦ったときに使っていた傷口を保護するテープと消毒液を途中のドラッグストアで買った。赤レンガ倉庫の人の少ないベンチに座って伊織は獅子堂の傷の応急処置をした。消毒液が冷たい、と獅子堂はぼやく。
「世話になった。どこか行く途中だったんじゃないのか。時間はいいのか」
獅子堂は申し訳なさそうな顔を向ける。強面のこの男は朴訥としているが、それなりに気を遣っているようだ。
「夜景でも見ようかと思ってぶらぶらしてたところだから、全然いいよ。結果的に夜景も楽しめてるし」
伊織は冷たい海風に首を縮めた。ここは風の通り道らしい。獅子堂はのそりと立ち上がり、コーヒーショップに歩いて行く。温かいカフェラテを2つ持って帰ってきた。伊織に一つ差し出す。
「ありがとう」
伊織は両手で容器を包み込み、暖を取る。カフェラテを一口含めば身体がぽかぽかと温まってきた。
「獅子堂さん、あんな怖そうな人たちと何でケンカしてたの」
伊織が気になっていたことを尋ねる。
「用心棒のバイトだ。あの店で無銭飲食を繰り返し働く米兵崩れがいると依頼を受けた」
「用心棒・・・」
伊織は目を丸くする。そんな職業が日本にあるのか、個人事業主ならなんでもありなのか、市民税や社会保険は支払っているのか、どうでもいい疑問が飛来する。
「俺の出身は沖縄の小さな島だ。島の窮屈な暮らしに嫌気が差して本土に飛び出した。都会を点々としながら拳で渡り歩いてきた」
まるで傭兵だ。そんな修羅の世界に生きてきたのか。伊織は押し黙る。
「この街にも滞在したことがある、今回の依頼はそのよしみだ」
獅子堂は夜景を映す海を見つめている。海の匂いに故郷を懐かしんでいるのだろうか。
「故郷の沖縄には帰ることがあるの」
「気が向いたらな。島にはかあちゃんがいて、今は民宿をやっている。料理は大味だが美味いぞ」
この間、烏鵲堂でのハロウィンパーティに獅子堂はお手製のラフテーを持って来てくれた。母の味だと言っており、泡盛でよく煮込んだ豚肉はとても美味しかった。
「俺、沖縄行ったことないんだよ。高校の修学旅行で予定されてたけど、台風がきちゃって飛行機が飛ばなくて。一度行ってみたいな」
「俺の故郷の島は小さくて何もない、だが海はどこより綺麗だ」
獅子堂は冷めかけたカフェラテを飲み干す。
「それに、お母さんの美味しい料理もあるね」
伊織の言葉に獅子堂はフッと笑う。母の顔が思い浮かんだのだろう、優しい笑みだ。
「獅子堂さんはハーフなんだよね」
「そうだ、かあちゃんは島の人間、親父は当時本島に駐留していた米兵だった」
「お父さんは一緒に民宿を?」
「いや、俺が幼い頃にアメリカへ帰った」
よくある話だ、と獅子堂は笑う。
赤レンガ倉庫のイルミネーションはクリスマスカラーに染まっている。店舗から流れるBGMもクリスマスソング一色だ。
「アメリカに帰ってからも親父はクリスマスにはカードを送ってくれた。だが、かあちゃんを捨てた親父を憎んでいた俺はそのカードを見もせずにゴミ箱へ捨てた」
毎年カードは届き続けているそうだが、獅子堂はもう見ることはないという。
「かあちゃんはお互いの人生を尊重して決めたことだと言っていた。俺も島では生きられない。かあちゃんを置いて島を出た。親父と同じかもしれないな」
獅子堂は自嘲する。
「そんなことない、お母さんはきっと2人の幸せを願ってるよ」
「家まで送ろう」
獅子堂の言葉に伊織は俯いていた顔を上げた。獅子堂は榊と同じ年と聞いた。榊と伊織は同級生だ。榊の人生も苛烈だが、獅子堂もまた自分の想像もつかない生き方をしている。
獅子堂は返事も聞かず、のしのしと歩き出す。倉庫街の駐車場にやってきた。大型のハーレーが停まっている。
「バイクで」
「そうだ」
「俺、バイクの2人乗りしたことなくて」
振り落とされないか心配だ。
「こいつは大型で安定しているから乗りやすい。体重移動ならすぐ慣れる。心配なら括り付けておいてやろうか」
獅子堂は真顔だ、冗談か本気か分かりにくい。苦笑いしている伊織にサイドにつけたバッグからヘルメットを取りだして手渡した。
「劉兄がこっちに来た時に時々乗せることがある」
獅子堂は一度拳を合わせた劉玲を慕っているようだ。伊織は後部座席に跨がる。獅子堂がエンジンをかけた。重厚な排気音が腹に響いてくる。原付とは全く違うパワーに圧倒される。伊織は獅子堂の背にしっかりとしがみついた。
首都高速を東京方面へ。風は冷たいが、エンジンの熱と獅子堂の体温で暖を取ることができた。街の光が飛ぶように流れていく。
伊織は振り落とされないようにと必死でしがみついていたが、獅子堂の安定した走りで気がつけば恐怖感は無くなっていた。
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