横浜ファイトクラブ

第1話

 新宿から京浜東北線で横浜駅へ、それから市営地下鉄を乗り継いで関内駅で電車を降りる。スタジアムの脇を抜けてたどり着いたのは冬の活気溢れる横浜中華街だ。伊織は見上げるほど巨大な玄武門の下に立つ。今日は横浜中華街の隠れた名店を探す、という雑誌の企画でやってきた。


 通りのあちこちで蒸籠から湯気が立ち上り、目移りしてしまう。食べ歩きだけでもお腹がいっぱいになりそうだ。大きな肉まんに惹かれたが、自制する。これを食べると何も食べられなくなってしまうだろう。


 雑誌の記事で一番華やぐのはやはりグルメ特集だ。中華街の大通りでは食べ放題の店が軒を連ねているが、少し外れると地方独自の料理が食べられる店もある。せっかくなのでそういったマニアックな店を紹介したい。


 ちょうど昼時で、平日ながら観光客で賑わっていた。団体ツアー客が食べ放題の大きなレストランに入っていく。伊織は大通りから外れてみた。四川料理に北京料理、広東料理、いろいろな地方の看板が目に入る。中国は国土が広く、地方によって食文化も異なる。記事を書くには最初に地方の特色を書いてもいいかもしれない。


 小さな店構えの中国東北料理の店を見つけた。中国東北地方といえば、戦争の負の遺産、狂気のドラッグ、龍神の壊滅に乗り込んだ黒竜江省ハルビンを思い出す。ハルビンは曹瑛の故郷だ。曹瑛はよく東北地方の家庭料理を作ってくれる。その親しみもあってこの店でお昼を食べることにした。

 店内は独特のスパイスの香りが漂っている。本場中国のレストランと同じ匂いになんだか懐かしさを覚えた。2人以上なら火鍋も良さそうだが、今日は一人だ。冷菜のタタキキュウリのニンニクしょうゆにメインは羊のスペアリブとトウモロコシ炒め、白飯を注文する。


 昼間からやや気が引けるが、ニンニクが入った料理は美味しい。シンプルなキュウリもこうして食べるとパンチが効いた味になる。羊のスペアリブはじっくりと煮込まれており、肉はほろほろで身離れが良い。独特の旨味と辛味のバランスが良く、濃い味なので白米が進む。


「ごちそうさまでした」

 良い店だった。品数も豊富で、中国では定番だが日本では珍しい料理も多い。ハルビン出身の店主が腕を振るっているので本場にごく近い味付けになっている。お客さんも中国人が多かった。知る人ぞ知る名店なのだろう。今度は曹瑛も誘ってみよう。榊と高谷で4人いれば大皿料理をたくさん頼める。


 関帝廟にやってきた。横浜の関帝廟は綺麗で立派だ。龍が踊る赤い門をくぐり、お参りをした。曹瑛と出会って、中国文化に触れて興味を持った。仕事の合間に中国語教室へ通っている。なかなか上達せず曹瑛には笑われているが、継続して頑張ります、と伊織は関羽像に向けて決意を堅くした。


 横浜にもブックカフェがあるというので立ち寄ってみる。こじんまりした店だが、棚一杯に中国関連書籍が並んでいるのは恐れ入った。漫画や小説、評論に写真集などジャンルも豊富だ。メニューは本日の中国茶2種類とお茶菓子のセット。今日は小さな胡桃入りの月餅だった。

 中国旅行好きな店長と話が弾んだ。40代で脱サラして趣味が高じて始めた店で、三国志や水滸伝などのサブカルチャーから中国旅行や文化が好きな人が集う場となっている。ミニ演奏会や読書会などイベントも開催しており、ぜひ紹介させてもらいたいと話をつけてきた。

 曹瑛は面倒くさがるかもしれないが、烏鵲堂でも中国茶の講習会や茶会などイベントをしてみてもいいかも、とアイデアが湧いてきた。


 中国雑貨の店や屋台も覗いてネタをたくさん仕入れることができた。また取材の名目でみんなを誘っていろんな店に行ってみよう。空は夕闇が迫り始めている。街がだんだんとライトアップされて別の顔になっていく。確か、ここから赤レンガ倉庫が近かった。せっかくここまで来たことだし、伊織は夜景を眺めて帰ることにした。

 中華街を抜けるとバーや喫茶店などが立ち並び、港町横浜に似合う景色に変化していく。海が見えてきた。赤レンガ倉庫のライトアップも始まって幻想的な風景が目の前に広がっている。


 目の前のバーから突然大柄な男がぬっと出てきて、驚いた伊織は足を止める。男は黒いレザージャケットにアッシュゴールドの髪を逆立てている。オレンジのサングラスで顔が隠れているが、口元のほくろで獅子堂だとすぐに分かった。

「獅子堂さん・・・」

 声をかけようとすると、大柄な男2人が獅子堂に続いて店から出てきた。フライトジャケットにジーンズ、随分とガタイがいい。彫りが深いその顔は欧米人、地域柄からおそらくアメリカ人だろう。獅子堂の方がやや背が高いが、2人も大柄なので見劣りしていない。

 獅子堂もアメリカ人とのハーフだ。友人なのだろうか、それにしてはピリピリした雰囲気が漂っている。


 獅子堂はポケットに手を突っ込んだまま、無言で路地を曲がっていく。2人のアメリカ人もそれに続く。ハードな剃り込みのブロンドのツーブロックと天然パンチパーマの男だ。2人は酒に酔っているらしく、足元はしっかりしているものの、ヘラヘラと笑いながら大声を上げて見るからに態度が悪い。

 嫌な予感がして伊織は暗い路地を覗き込む。獅子堂がこちらを向き直り、2人の不良米人と対峙している。これは友達なわけはない。今まさにケンカを始めようとしている。


「あの店でいつも代金を踏み倒しているな」

 獅子堂が英語で話している。ツーブロックとパンチパーマは何がおかしいのかまた笑っている。

「それがどうした、俺たちは日本を守るためにここに来たんだぜ」

「その俺たちが贔屓にしているんだ、ねぎらってもらっていいところだ」

 2人は基地の米兵なのだろうか。再びアメリカンコメディのような笑い声を上げる。


「お前、混血か。気に入らねえな。俺は日本人よりお前のような奴が嫌いだ」

 嫌悪を隠さずにツーブロックは吐き捨てる。獅子堂はそれに動揺することなく、ただ2人を見据えている。ツーブロックが獅子堂の襟を掴んだ。そして突然殴りかかる。獅子堂はそれを甘んじて受けた。唇から一筋、赤い血が流れ出す。


「お前らから先に手を出した」

 獅子堂は唇の血を手の甲で拭う。口元には静かな笑みが浮かんでいる。全く動揺していない獅子堂の様子に、ツーブロックとパンチパーマの顔からは余裕の笑みが消えた。

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