第3話

―3日後。

「横浜に晩飯食べにいかないか」

 閉店後の烏鵲堂にやってきた榊に誘われ、曹瑛と伊織、高谷は横浜にやってきた。書店の営業は夕方6時までだが、曹瑛の一存で早めに店じまいをした。榊のBMWで首都高を西へ向かう。リニューアルをプロデュースした洋食屋に招待されたということだ。

 車をコインパーキングへ停め、小さな洋食屋へ。煉瓦造りの可愛らしい外壁に蔦が絡みつき、洋風の街灯が木の看板を照らす風情のある店構えだ。


「お、結構流行ってるな」

 狭い店内はお客さんで一杯だ。外にも何組が待ち行列ができていた。榊は予約扱いでテーブルを準備されていた。店内の壁は煉瓦と木を組み合わせた温もりのある雰囲気で、落ち着きのあるアンティークランプの光やインテリアにこだわりを感じる。

「榊さん、よく来てくれましたね。お陰様でリニューアルオープンは大成功です」

 店長が榊に頭を下げる。榊の仕事ぶりがよく分かる。今日は好きなものを注文してください、とメニューを手渡してくれた。ドライバーなのでワインが飲めないのが残念だと榊はぼやいている。

「オムライスが名物なんだね」

「この手作りハンバーグも美味しそう」

 伊織と高谷はあれこれ話ながらメニューを覗き込んでいる。曹瑛は沈黙しているが、真剣に悩んでいるようだ。結局、名物のオムライスとハンバーグも単品で注文することにした。


 前菜にカルパッチョは大きな鉢に山盛りの新鮮なサラダとサーモンや鯛の切り身が乗っている。ドレッシングは店長のお手製だ。オニオンスープに、ふわとろたまごのオムライス。ソースはじっくり煮込んだデミグラス。ハンバーグはあつあつの鉄板焼き、ナイフを入れると肉汁がこぼれ落ちた。

 デザートにはブラウニーのバニラアイス添え。濃厚なブラウニーがバニラとよく合う。店長の父親の代から続く老舗店で、ここ最近は近所にできた競合店にお客さんを取られ気味だったが、リニューアルしてからは行列するほどの人気店になったらしい。


 帰り際に榊が代金を払おうとするが、店長はまた来てくれたらいいとそれを断った。

「美味しかった、ありがとう榊さん」

 伊織は榊に礼を言う。曹瑛もメニューをチェックしているのでこの店を気に入ったようだ。

「この先に赤レンガ倉庫がある、夜景がなかなかいい。腹ごなしに散歩に行くか」

 榊に誘われ、4人でぞろぞろと海を目指す。クリスマスのイルミネーションが鮮やかに目に飛び込んでくる。雰囲気のある赤レンガ倉庫周辺は若者やカップルで賑わっていた。


「あれ、獅子堂さん」

 伊織の目線の先に獅子堂の姿があった。黒いレザージャケットに逆立てたアッシュゴールドの髪。あの目を引く姿は見間違いようがない。獅子堂の前には大柄の男たちが歩いている。この間のツーブロックとパンチパーマだ。

「友達か」

 事情を知らない榊が尋ねる。

「いや、この間ケンカしてた奴らだ。嫌な予感がする」

伊織は青ざめた。あの後、友情を深めようとはどう転んでもならないだろう。考えられるのは報復だ。


 伊織は走り出した。観光地の倉庫街を抜けて、3人は廃倉庫の方へ歩いて行く。点滅する暗い街灯の下で3人は足を止めた。

「この間の借りを返すぜ」

 ツーブロックは頭に包帯を巻き、パンチパーマは鼻にガーゼがついている。

「懲りない奴らだな」

 獅子堂はサングラスを外し、構える。ツーブロックは腕に鉄製のナックルを装着した。パンチパーマはナイフを取り出す。


 様子を覗き込んだ伊織は青ざめた。奴らは本気だ。不意に目映いヘッドライトが獅子堂を照らす。廃倉庫が並ぶ通りにシボレーが乗り入れていた。ハロゲンライトのハイビームに獅子堂は目を細める。その後からバイクの排気音が近づいてきた。荒々しいエグゾーストが夜の闇に響き渡る。

「ジェイク、こいつか」

「そうだ、生意気にもアメリカの血が入ってやがる」

「確かに気にくわねえ顔だな」

 バイクを降り、ぞろぞろと2人の仲間が集まってきた。いかついごろつきばかりだが、シボレーからは迷彩服の男たちが降りてくる。おそらくここに駐屯している米軍だ。獅子堂は12人からのアメリカ人に囲まれた。


「獅子堂さんがあぶない」

 伊織はスマホで緊急番号をプッシュしようとする。曹瑛の腕が伸びてきてそれを制した。

「お上がどうこうできる問題ではない」

 曹瑛は軒並み大柄のヤンキー集団と対峙する獅子堂に目を向ける。怯える素振りはない。肝が据わった男だ。

「警察は注意をするだけで終わりだ。しかも米軍のワルまで関わっているとなれば、事件が起きるまで何もしないだろう」

 榊もこの状況に怒りを感じているようだ。


「腹ごなしにちょうどいい」

 榊がニヤリと笑う。曹瑛も口角が上がっている。

「ちょっと、瑛さん、榊さんまさか」

 伊織が止めようとする。

「お前たちはここで待っていろ」

 やんちゃな兄を止めることを高谷は諦めているようだ。ごろつきたちが獅子堂への包囲を狭めていく。一人が獅子堂に掴みかかろうとしたとき、シボレーのライトが消えた。バンパーの付近にライトの部品が散らばっている。


「何だ、誰かいるのか」

 ごろつきたちは騒然となる。何者かがライトを破壊したのだ。闇に2人の長身の人影が立っている。一人は片手で鈍色に光るスローイングナイフを弄んでいた。

「誰だ」

「ヤツの連れだ」

 榊が英語で答える。

「仲間を呼びやがったのか、だがたった二人増えたところで俺たちに勝てるか」

 数にものを言わせたツーブロックは余裕たっぷりに顔を歪めて笑う。

「俺たち3人でちょうど良い」

 榊の言葉に汚いスラングが飛ぶ。現役軍人も交えて12人、それに平然と対抗するつもりなのだ。獅子堂は曹瑛と榊を見てニヤリと笑う。

「イカれてやがる」

 獅子堂の言葉に、曹瑛と榊も口元に笑みを浮かべた。

 

 乱闘が始まった。曹瑛に榊、獅子堂はそれぞれの背中を合わせ、死角をカバーする。榊に豪腕の右ストレートが飛んできた。榊はその勢いを逆手に取ったカウンターパンチで一発ノックアウトする。

金髪ピアスが大型のサバイバルナイフで曹瑛に襲いかかる。曹瑛は背中から赤い柄巻きのバヨネットを抜く。軍仕込みのナイフ捌きは見事だが、人を殺傷する実戦の経験は曹瑛が上だ。激しい打ち合いに金髪ピアスはみるみる押され、厚手のジャンパーがどんどん切り裂かれていく。

「クソッ」

 曹瑛がナイフを金髪ピアスの首筋に宛がう。動けば殺される。金髪ピアスは両腕を上げて戦意喪失を伝えた。

「お、俺の負けだ」

 曹瑛が無言でナイフを離せば、金髪ピアスは手にしたナイフを上から振り下ろす。曹瑛はバヨネットでそれを弾き飛ばし、金髪ピアスの顎を拳で砕いた。金髪ピアスは白目を剥いて背後に倒れた。


獅子堂は2メートルを超える大柄の迷彩服と対峙している。獅子堂の重い拳も鍛えられた迷彩服に効いていない。迷彩服が獅子堂の腕を掴み、捻り上げる。大柄で動きは鈍いが恐ろしい腕力だ。

「ぐ・・・」

「このままへし折ってやる」

 迷彩服は腕に力を込める。獅子堂は自分から腕を捻り、迷彩服の膝に拳をめり込ませた。叫び声を上げて迷彩服はガクンと膝を折った。ガラ空きになった顎に渾身のアッパーを入れる。平衡感覚を失った迷彩服はゆらりとバランスを崩した。獅子堂はその背後に周り、首を締め上げる。ぐふっとくぐもった声を上げて迷彩服はコンクリートの地面に崩れ落ちた。


 榊と曹瑛の足元にヤンキー6人が転がっている。獅子堂は力に自信のある現役軍人を倒してしまった。ツーブロックとパンチパーマは青ざめる。このままではこの3人に負ける。パンチパーマがシボレーのところに走ってきた。ダッシュボードから銃を取り出そうとしている。それに気付いた伊織は車のドアを思い切り押した。ドアに挟まれてパンチパーマはぐえっと声を上げる。

「何だ、お前」

 激昂したパンチパーマは怒号を上げた。次の瞬間、身体に電流が走るのを感じるや否や白目を剥いて気絶した。そばに立つ高谷の手にはペン型のスタンガンが握られている。

「出力を上げたんだ。気がついてもしばらくは動けないよ」

 高谷はにっこりと笑う。伊織はその顔を見て苦笑いした。高谷は地味に敵に回したくない。


 廃倉庫通りを新しいヘッドライトが照らす。容赦のないハイビームに曹瑛と榊、獅子堂は顔をしかめ、腕で光を遮る。

「援軍か」

 見れば、米軍のジープだ。軍の特殊ナンバーがついている。曹瑛はチッと小さく舌打ちをする。

「ちょうどいい、身体がやっと温まってきたところだぜ」

 榊は余裕を見せているが、訓練を受けた屈強な兵士相手に勝てるのか、背中に冷や汗が一筋流れるのを感じた。獅子堂も押し黙ってジープを凝視している。

 ジープのドアが開く。大柄な男が車から降りてきた。日に焼けているが、白人でサングラスをかけており、表情は分からない。短く刈った髪はブロンドだ。迷彩服の上からその肉体が鍛え込まれているのが分かった。


 男は大股で近づいてくる。獅子堂は拳を握り、臨戦態勢を取っている。迷彩服の一人が男を見て目を見張った。

「オスカー大佐・・・!」

 慌てて足を揃えて敬礼をする。オスカーと呼ばれた男は迷彩服を睨み付ける。

「おい、ダニエル何を怯えてやがる。こいつを痛い目に遭わせる約束だろ。上官なんてクソくらえ・・・」

 髭面のごろつきが言い終わらぬうちに、オスカーは無言で鉄拳を放つ。髭面は軽々と吹っ飛び、錆びたシャッターに激突して気絶した。


「お前が獅子堂和真か」

 オスカーは獅子堂の前に立つ。190㎝を越える獅子堂よりもさらに目線が高い。獅子堂は無言でオスカーを睨み付けている。オスカーも口をへの字に曲げたまま黒いサングラスの奥から獅子堂の顔をじっと見据えている。そして、ふっと口元を緩めた。

「大きくなったな」

 そう言ってサングラスを外した。獅子堂はその顔を見て驚いている。オスカーは獅子堂にハグをした。獅子堂は戸惑いを隠せない。

「あんたは・・・まさか」

「ああ、そうだ。お前と、お前の母を捨てた男だ」

 オスカーは獅子堂の背を強く抱いた。

「少しでいい、このまま・・・逞しくなったな」

 獅子堂は無言でぎこちなくオスカーの背を抱いた。


 ごろつき共と不良米兵はオスカーの部下が速やかに回収していった。オスカーと獅子堂は冷たい海を眺めている。

「夜間訓練中に基地を抜け出した者がいてな、捕まえて問いただせば日本人をリンチする計画だという。それで追ってきたのだ」

「そうか」

「まさかお前に会えるとはな、まさに運命だよ」

 獅子堂は無言だ。長い間憎んでいた男が突然父親顔して現れたのだ。どう対応していいのか困惑していた。


「許してくれとは言わない。互いに決めた道だった。お前との時間はこれから取り戻すことができるだろうか」

「さあ、わからない」

 獅子堂は等間隔に並ぶ街灯の明かりを眺めている。

「今年もクリスマスカードを送ったよ」

 父親からのクリスマスカードはいつもゴミ箱に捨てていた。それも10代の頃までの話だ。獅子堂は20歳になる前に島を飛び出した。

「いつか釣りをしよう、沖縄の海は好きだ」

 オスカーは目を細めて微笑む。獅子堂の頭を撫で、ジープに乗り込んで去っていった。


「勝手なヤツだ」

 獅子堂はポケットからセブンスターを取り出し、口にくわえる。横からデュポンの涼やかな音が聞こえた。煙が夜空に立ち上る。

「あれがお前のオヤジさんか」

 榊が獅子堂の横に立ち、寒そうにコートのポケットに手を突っ込んだままフィリップモリスを吹かしている。

「ああ、そうらしい」

 獅子堂は海を見つめて煙をゆっくりと吐き出す。もしオヤジと顔を合わせた時には、ぶん殴ってやろうと思っていた。いざというときにそれができないものだ。

「獅子堂さん、お父さんと会えて良かったね」

「ろくでなしのクソオヤジだ」

 自分を見上げる伊織の言葉に獅子堂はふっと笑った。今度、島に帰ることがあればカードを見せてくれとかあちゃんに頼んでみよう、獅子堂はそんなことを考えて冷たい夜空を見上げた。

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