第3話

「どうした?」

 孫景の声に男は我に返った。今にも泣き出しそうに取り乱している。

「俺の連れが掴まった・・・」

「誰に?」

 千弥が尋ねる。男はへなへなと崩れ落ちた。

「分からない・・・俺たちが盗った品の中にヤバいものが混じっていたらしい。俺の連れ、拓也がその持ち主に掴まっている。1時間以内に返さないと・・・殺すって・・・」

 男の声は消え入りそうだ。孫景と千弥はため息をついた。


「自業自得だな。可哀想と思えないぜ」

「まったく」

 孫景の言葉に千弥も同意のようだ。しかし、殺されるという脅しを放っておくことはできない。やむなくそのブツを取りに行くことになった。孫景のバンに乗り込み、男が道案内する。男は顔を紅潮させて涙ぐんでいる。


「俺は修二といいます・・・俺と拓也は2人で路上でひったくりをして、それぞれの戦利品を比べてどちらが高額なものを盗ったか、そのう、ゲームをしていました」

 エリアと時間帯を決めて2手に別れてのゲームだったという。

「瑛さんの推理通りだ、犯人は2人組か」

 伊織が感心している。


「強盗が本業じゃないでしょう」

 千弥が修二を鋭い視線で射貫く。修二は頷いた。

「都内の企業で営業を・・・鬱憤が溜まって何か刺激的なことをしようって。こんなことになるなんて、やりすぎでした・・・」

 首を垂れる修二に千弥はたたみ掛ける。

「もしこんなことが起きなければ、あなたたちはそのままひったくりを続けていたでしょうね。どれだけの人が悲しみとショックで泣き寝入りしているか」

「本当にすみません・・・」

 友人が捕まって命の危険に晒され、初めて気がついたのだろう。修二は反省して嗚咽を漏らしている。


 修二の案内したレンタル倉庫に到着した。2階建てのコンテナが並んでいる。そのうちの一つに盗品を隠していた。鍵を開けると、女性もののバッグが雑然と積まれている。

「このバカ」

 千弥が修二の尻を蹴り上げた。修二はひっと叫んで抵抗する気力もないようだ。それ以上手や足が出ないよう、伊織と高谷が千弥を宥める。


「こいつも殺されそうだ」

 高谷の冗談を笑う者はいなかった。倉庫の中から千弥のポーチが出てきた。汚れてはいるが、中身は無事らしい。

「そんなに大事なものなのか、何が入っているんだ」

「秘密よ」

 孫景の問いに千弥は薄く笑うのみだった。


「ヴィトンのバッグ、これだ」

 修二が返せと言われたバッグを掘り出した。ヴィトンの手提げバッグだ。中を開けてみれば、小分けにされた白い粉と小型の拳銃が入っている。

「ひっ・・・」

 修二はその恐ろしさに腰を抜かした。千弥も青ざめている。伊織と高谷は顔を見合わせた。

「千弥ちゃんの目的は果たせただろう、この先は俺が処理する」

 千弥は孫景を見上げた。茶色の目には恐怖の色が浮かんでいる。

「いいえ、あなたを巻き込んでしまったのは私、責任を取るわ」

「無理するなって、駅まで送ろう」

「私も行く」

 再び顔を上げたときには迷いは無かった。孫景はため息をつく。いくら彼女が豪気とはいえ、さすがに相手が悪い。だが、絶対に譲らないだろう。


「わかった、連れていく。だが、君は隠れていろ」

 孫景は地面にへたりこんでいた修二の首根っこを掴んで立たせる。半ば引きずりながら車に押し込んだ。

「俺たちも手伝うよ」

 伊織と高谷もここで帰れと言っても聞かないだろう。

「ああ、まったく大変な子守をする羽目になっちまった」

 孫景は肩をすくめた。


 拓也からのショートメッセージに書かれた湾岸の倉庫街へ向かう。

「こんなところに呼び出すとは、殺して海に捨てる以外に考えられないな」

 孫景はラッキーストライクを吹かしながら笑っている。修二は孫景の極めて荒い運転に酔ってしまったようだ。高谷も久々の中国式運転の洗礼にげんなりしている。だが、時間制限もあるし、ここで文句は言えない。

「千弥さんは大丈夫?」

 伊織が気遣って声をかける。

「ええ、平気。彼運転上手いじゃない」

 千弥はけろっとしていた。さすがだ、と伊織は苦笑いした。


「こいつと行ってくるから、君たちは車で待っていてくれ」

 不満げな千弥を制して孫景は修二を連れて指定の倉庫へ向かう。ヴィトンのバッグは車に置いたままだ。

「千弥さんはここで待っててください」

 伊織はそう言って車を降りる。高谷も後に続く。スライドドアを閉めようとすると、千弥がそれを阻止した。

「私も行く」

「えっ、危ないからダメですよ」

 高谷が車に戻るよう促すも、千弥は言うことを聞かない。伊織も説得するが、押し切られてしまった。


 3人で身を屈め、割れた窓ガラスから倉庫の中を覗き込んだ。港の灯が入り込む薄暗く埃っぽい廃倉庫の中で孫景と修二、その正面に捕らわれた拓也と3人の男たちが対峙している。3人は黒いスーツを着ており、完全に裏社会の人間のようだ。

「お前らは運び屋の女から荷物を奪った、返してもらおう」

「今ここにはない」

 孫景は即答する。男たちは怒りにかられ、騒ぎ始める。

「なんだと、持ってくる約束だろう。こいつを殺すぞ」

 後ろ手にロープで縛られた拓也に一人が銃を向ける。拓也と修二は情けない声で怯えながら半泣きになっている。まさか自分達のゲームがこんなことに発展するとは。


「殺せばブツの場所は分からなくなるぞ」

 孫景の言葉に男たちは舌打ちをする。バッグを奴らに見せないのは2人を守るためだったのだ。

「ほら、こいつに聞け」

 孫景は修二を突き出した。男たちが怯んだ瞬間、胸元からベレッタを取り出し、黒スーツの銃を持つ手を狙い、引き金を引いた。男の手から銃が弾き飛ばされた。

「え・・・」

 千弥が驚いて目を見開いている。孫景が銃を撃った、それを見てショックを受けたようだ。もう一人の男が孫景に銃口を向けた。瞬間、上方から飛んで来た小型のナイフが閃き、その手を貫いた。孫景は上を見上げて手を振る。


「これだ」

 高谷が側にあった表示灯の電源を入れた。赤いランプが光り始める。大音量でタブレットからパトカーのサイレン音を再生した。窓に映る赤い光に男たちは慌てふためく。

「サツか、クソッ」

 3人の黒スーツ姿の男たちは奥の出口へ向かい、走り出した。出口にさしかかり、3人一気にコケた。その様子は遠くから見ていた孫景にはまるでコメディドラマのようだった。

「うおっ、何だ?」

 男たちは地上20センチほどに張られたロープに躓いたのだ。伊織と高谷が走り出し、男たちをロープでぐるぐる巻きにする。一人が抵抗して胸元の銃を取り出そうとした。千弥が男の銃を蹴り飛ばす。伊織のロープワークで男たちは一切身動きが取れなくなった。


「本物の警察も呼んだよ」

 サイレンが近づいてくる。高谷も仕事が早い。

「お前らもお縄だからな、こいつら見張ってろ」

 孫景はそう言って涙で顔がぐちゃぐちゃの修二と拓也を側のポールに括り付けた。ヴィトンのバッグは指紋を拭き取ってその場に置いた。

「帰るぞ」

 暗闇に声をかけると曹瑛が姿を現した。関わらないつもりだったが結局気を揉んで、孫景に行き先を聞いて密かに追ってきたのだ。タクシーで来たらしく、車に黙って乗り込んだ。

「あなたは一体」

 千弥が困惑している。

「俺はただの運送屋だよ、さあもう遅い。送ろう」


 後日、千弥からお礼をしたいと誘いのメッセージが入った。烏鵲堂で雑談をしていた孫景はそれを見て頭を抱えた。

「千弥さん、真っ直ぐで素敵な女性じゃないですか」

 伊織の言葉に孫景は不服そうだ。

「苦手なんだよ、気が強い女は。なんだか妹を見ているみたいだよ」

「へえ、孫景さん、妹がいるんですね。俺のところも気が強くて」

 伊織の妹の美織も強い。

「おい、ライアンに聞いたんだが・・・」

 榊が会話に割って入る。孫景にスマホの画面を見せる。孫景は驚いた表情を浮かべ、頭をかいた。

「余計やりにくいな」

 孫景は独りごちた。


 金曜日の夕方6時、東京ベイプリンスホテルのロビーで千弥は孫景を待っていた。シルバーのパーティドレスにミュール、髪は軽くまとめてアップにした。

「お、待ったか?」

 フランクな物言いに振り向けば、スーツ姿の孫景が立っていた。千弥は驚いて上から下まで目線を走らせる。

「なんだ、似合わないと笑いたいのか」

「いや、そうじゃなくてちゃんとしたスーツ、持ってるんだって」

「どういう意味だ?」

 そう言って孫景は笑う。初めて会ったとき、この間のひったくり犯捕獲作戦でもフライトジャケットにTシャツ、ジーンズという格好だった。今目の前には屈強なガタイに合わせたオーダースーツを着こなした孫景が立っている。身体のラインがすっきり見えるダークグレーのスーツは上質な仕立てだ。ブルーグレーのシャツにブラウンのやや光沢のあるタイが落ち着いたアクセントになっている。


 ホテルの高層階でのディナー。お礼と言いながら場違いな雰囲気の場所に呼びつけることで驚かせてやろうという意地悪な気持ちもあった。しかし、千弥の方が鼻を明かされてしまったようだ。エレベーターに乗れば、上品でフローラルな香りが鼻をくすぐる。

「いい香りね」

「おう、そうか。このスーツ買ったときに無理矢理買わされてな、普段は使わないんだが」

 孫景は照れて頭をかいている。

「てっきり、いつもの格好で来るのかと」

「女性に恥をかかせるのは格好悪いだろ」

 エレベーターのドアが空いた。最上階のレストランは東京の夜景が一望できる。色を変えるレインボーブリッジ、海を行き交う船の明かりがガラスの向こうで煌めいている。


 料理は創作フレンチのコースだ。ワインを注文し、乾杯する。

「仕事は何を?」

「外資系企業で広報を担当しているわ。デザインもできるのよ」

「グローバルフォース社だったよな、ライアンにも会うのか?」

「ええ、まあ。上の人だからほとんどそんな機会はないけど」

 千弥はこのようなかしこまった席での会食はそれなりに機会があり、慣れている。孫景があたふたするのではないかと思いきや、基本的なテーブルマナーはきちんと学んでいるようだ。

「あなたは何者なの」

「しがない運送屋だよ、たまに危険なものも運ぶがな」

「そう、彼らも仲間なの?」

「いや、友人だ。伊織は雑誌社で働いていて、高谷は大学生、あの根暗そうな背の高いのはブックカフェの店長だ」

 千弥はおかしそうに笑う。


 食事が終わり、ホテル前のテラスから2人並んで海を眺めている。

「ライアンのこと、知ってるってことは私のことも調べたわね」

 千弥は海を見つめている。

「ああ、まあな」

 孫景は困ったそぶりで頭をかいている。

「知った上で付き合ってくれたの・・・優しいのね」

 千弥が弱々しく微笑む。

「本気で好きになっちゃうじゃない」

 千弥の目に涙が光っていた。海を渡る冷たい風が頬を撫でていく。孫景は千弥にスーツの上着をかけてやる。


「俺には君に似た気の強い妹がいてな、どうもあいつと被ってしまう。それに、俺は裏社会で生きる身だ。特定の人間と付き合うには危険すぎる。君は素敵な女性だよ。だが・・・すまない」

 孫景は頭を下げた。波の音が夜の闇に響いている。

「いつか私に惚れさせてやるから」

 千弥は笑顔で涙を拭った。


「ええっ、千弥さん男だったの」

 烏鵲堂の店内。伊織が驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになる。孫景は頬杖をついて天井を見上げている。

「あんな美女に迫られたの初めてだよ」

「俺は気が付いてたけどね」

 高谷はそのような世界の友人が多い。どうしても隠しようがない骨格や筋肉の付き方ですぐに分かったという。

「そういえば、大事なポーチの中身、教えてくれなかったよ」

 危険を冒してまで取り返したかったポーチの中身は謎のままだ。しかし、もう会うこともないだろう。


「ここが溜まり場なのね、ライアンに聞いたわ」

 聞き覚えのある気の強そうな声。振り向けば千弥が立っている。孫景は青ざめて頭を抱えた。

「私、諦めが悪いのよ」

 そう言いながら孫景の前に座ってにっこりと微笑んだ。

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