第2話

 営業を終えた烏鵲堂のカフェスペースで孫景はノートPCと睨み合いをしている。眉根に刻まれたシワは深い。

「随分悩んでますね」

 仕事帰りの伊織もやってきた。ショルダーバックを置き、孫景の正面に座る。孫景は先ほどから獣のようなうなり声を上げている。

「ひったくり犯を捕まえたいが、手がかりが無い」

 高谷が書店の片付けを終えて2階へ上がってきた。


「ひったくり犯の手がかりですか」

 高谷の言葉に孫景は顔を上げる。

「榊さんに手伝うよう言われてて」

「それはありがとな、気持ちだけ受け取っておくよ」

 手伝うと言っても高谷に何ができるのだろう、榊の気遣いはありがたいが。孫景はため息をついた。

「ひったくり犯の被害状況を手に入れてる?」

「あ、ああ」

 高谷は孫景にそれを送るよう言った。高谷はタブレットを操作して画面を出して見せる。ひったくりが発生した場所が地図上に示されていた。時間帯は別にまとめてリスト化されている。


「被害地点を地図に示しました。これで見えてくるものはないかな」

 孫景は高谷の顔をまじまじと見つめた。

「す、すごいなお前」

「これでも一応システム工学を学んでいますからね、データ分析は得意ですよ」

 高谷の示した地図を顔を付き合わせて眺める。曹瑛も気になっているのか片付けの傍ら遠巻きに見つめている。

「そう広くないエリアで集中して起きているね」

 高谷が地図を指さす。犯行現場は彼女が被害に遭った新橋を中心に、2~3駅ほどの分布になっている。


「例外もあるけど、一晩に2件ずつ、9時から11時くらいの間で起きてるよ」

 伊織が犯行時間に着目した。

「犯行現場はそれぞれ離れた場所、しかも時刻が重なっているときもある」

 高谷の言葉に閃きを求めて孫景と伊織がその顔を覗き込む。

「・・・いや、そんなに簡単に分からないよ」

 高谷が頭を抱えている。


「犯行は水曜日と金曜日、2人組、もしかしたら会社勤めかもしれないな」

 曹瑛がグラスに温かい緑茶を運んできた。

「そうか、2人組か。確かに同じ手口の犯行は2件セットで起きているな」

 手がかりが狭められ、孫景の表情が明るくなる。

「このエリアが空白地帯になっているね、同じエリアで犯行は繰り返していないみたいだから、もしかして次はこの辺りが狙い目かもしれない」

 伊織が指さす地図の部分には犯行地点を表わすポイントがついていない。

「じゃあ、水曜日にこの辺で張っておけば、犯人を捕まえることができる可能性が高いってことか」

 孫景は週末には中国へ帰らなければならない。千弥はそれまでに犯人を捕まえるよう依頼してきた。曜日と場所は絞り込めた。あとは犯人を見つけるのみ。


「犯人は女性ばかりを狙っているね」

 被害者のリストを眺めながら伊織が呟く。

「卑劣な奴らだ」

 孫景は面倒事が自分に降りかかってきたこともあり、犯人に対して憤慨している。

「どうやって捕まえる」

 曹瑛の言葉に孫景は腕組をしたまま首をかしげている。次の瞬間、高谷の顔を見た。

「え、俺?」

「女の格好をして油断しながら夜道を歩けば釣られて現れるかもしれない」

「なんで俺が、女装でもしろってこと?」

 高谷は唇を尖らせて不満そうだ。

「お前が一番小柄だ。伊織は意外と上背があるからな、さすがにバレるだろう」

 孫景のアイデアに高谷は頬を膨らませている。


 孫景のスマホに着信があった。千弥からだ。孫景はひったくり犯を捕まえる作戦を考えたと話をしている。

「水曜と、もしダメなら金曜が狙い目だ。・・・何だと、それは危ないだろう、おい、聞けよ」

 一方的に電話が切れたようだ。

「彼女が囮になるってよ」

 孫景は頭を抱えている。高谷は女装を免れてホッとしたようだ。しかし、本物の女性が囮になるのは危険すぎる。

「やっぱり俺やるよ」

「あの女、全く話を聞かねえんだ。集合場所を必ず教えろと念押しのメッセージが入った」

 孫景は困り果てている。大きな身体を丸めてうなだれる姿が哀れだ。

「俺も手伝うよ。弱い女性を狙うなんて許せない」

 伊織は義憤に燃えている。腕組をしながら顛末を見守っていた曹瑛は呆れてため息をついた。


 水曜日の夜、孫景と伊織、高谷は地下鉄駅前に集合した。千弥にも待ち合わせの場所は伝えてある。

「高谷くん、いけるよ」

 伊織が驚いている。孫景も高谷の姿にほう、と思わず声が出た。身長168センチ、ぱっちりした目に、厚みのある唇、小顔とアイドル顔負けの高谷はベースが良いので化粧をすれば充分女性に化けることができた。なかなかの美人だ。

「あまりじろじろ見ないでくれる」

 本人は不服そうだが、おかまバーの知り合いから無難な女物の服を借りたようだ。白いセーターに紺色のパンツ、ヒールのないパンプス、厚手のカーディガンで身体の線をごまかしている。いかにも取ってくださいといわんばかりのトートバッグを用意した。


「こんばんは、あらお友達も一緒なのね」

 千弥がやってきた。ファー付きのコートにシャンパンベージュのセーター、黒い巻きスカートにショートブーツを履いている。おそらくブーツが無くても高谷よりも背が高い。

「こいつは男なんだよ、今回の作戦を手伝ってくれる」

 孫景の言葉に千弥は高谷を一瞥する。

「囮は私で充分よ、この子を危ない目に遭わせたくない」

 千弥の意思は堅かった。

「一体何しにきたんだよ俺」

 高谷はしょんぼりしている。

「人手は多い方がいいから」

 伊織がどうしようもないフォローを入れる。高谷には気休めにもならない。


「しかし、なんでまた危険を冒してまでひったくりを捕まえたいんだ?」

 孫景と千弥は並んで歩く。

「大事なものを盗られたからよ・・・それに、非力な女を狙うなんで許せない。きっと泣き寝入りしている子も多いはず」

 駅から5分ほど歩いて人通りの少ない通りへ出た。オフィスビルが並んでいるが、すでに明かりが落ちて人の気配がない。この辺りを適当に歩いて犯人をおびき寄せようということになった。伊織と高谷、孫景と千弥で二手に分かれる。

「お前達も無理せずに見つけたら俺を呼べよ」

 孫景は念を押した。伊織と高谷に何かあったら元暗殺者と元ヤクザからどやされてしまう。


 千弥に歩いてもらい、背後をつけていく。

「はあ、何だか俺がストーカーみたいだな」

「ぼやかないで、真面目にやってよ」

 ため息をつく孫景に、千弥が文句を言う。時刻は夜の9時、奴らが活動を始める時間だ。千弥はトートバッグをわざと車道側に持ちゆっくりと歩いて行く。薄暗い街灯の下、靴音が響く。


 伊織と高谷も別の通りで作戦を実行していた。

「綺麗な女性だね。それに犯人を捕まえようなんて勇気がある」

 伊織の言葉に高谷が考え込んでいる。

「そう、なんだけど」

 何か違和感がある。考えながらぼうっと歩いていると、ビルの一角でタバコを吸いながらたむろする男2人がこちらをじっと見ている。高谷は足早に男の前を通り過ぎようとした。

「おい、待てよ。こんな夜道を一人じゃ危ないぜ」

「俺たちが送ってやるよ」

 下心が見え透いている。ニヤニヤと笑いながら白いジャケットの男が高谷の腕を掴んだ。


「触るな」

 高谷は叫ぶ。その声に目の前の美女が女ではないと知った男たちは驚き、次にその感情が怒りに変わる。

「気持ち悪いな、オカマかよ」

 白ジャケットが高谷を突き飛ばす。高谷はよろめくが、白ジャケットの股間に渾身の蹴りを入れた。情けない呻き声を上げて白ジャケットは股間を押さえて蹲る。

「てめえ、このオカマ野郎」

 メッシュ金髪が高谷に殴りかかる。猛ダッシュで走ってきた伊織が体当たりをした。メッシュ金髪はよろめいて倒れた。

「逃げよう」

 伊織は高谷の手を引いて走る。


 千弥と孫景は暗い路地を抜けて大通りに出た。夜10時、車通りも少ない。広い歩道を歩いていると、背後でエンジンを吹かす音が聞こえた。タイヤを鳴かせてスクーターが背後から迫る。追い抜き様に千弥のトートバッグを掴んだ。

 千弥はトートを離さず、力一杯引き戻した。思わぬ力にスクーターの男はトートを掴んだまま転倒した。スクーターは街路樹にぶつかって止まった。


「あんたね、ひったくり犯は」

 立ち上がって殴りかかろうとした男の手を千弥が掴んだ。孫景が物陰から走ってくる。追いつく間もなく千弥は男の腕を捻り上げ、地面に叩きつけた。合気道か、見たことがある。相手の攻撃を崩し、固めて投げる。千弥が男の胸をブーツで踏みつける。


「盗んだものを返しなさい」

「ぐ・・・誰が返すか・・・!」

 千弥はさらに足に体重をかける。男は呻き声を上げてもがいている。

「わ、わかった。返す、返すから・・・げほっ」

 千弥は足を避けた。立ち上がろうとする男を締め上げる。孫景は出番なしだ。ただ唖然として千弥のシバキを眺めている。

「どこにある」

 千弥が低い声で尋ねる。ヘルメットを取った男は泣きそうな顔をしている。ごく普通の、どこにでもいる若者だった。

「レンタル倉庫に隠してある・・・そこに案内する」


 伊織と高谷も戻ってきた。

「捕まえたんだね」

「おう、俺は出番なしだ」

 孫景は頭をかいている。男のポケットのスマホが振動している。しばらく鳴り続け、切れる気配はない。千弥は男が電話に出ることを許した。

「ああ、お前か。どうした・・・え、マジか、嘘だろ・・・」

 男の顔がどんどん青ざめていく。通話は切れた。画面を見つめたまま男は立ち尽くす。

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