お見合い壊滅作戦

第1話

「原稿は順調か」

 小型ノートPCに向かって神妙な顔をしている伊織に曹瑛が声をかける。

「うん、次の特集が庭園なんだけど、なかなか奥が深くて調べものが大変だよ」

 伊織は企画案に煮詰まったときには、閉店後の烏鵲堂に書き物をしにやってくる。


 曹瑛が淹れた黄山毛峰を飲んでいると、階段を上がる足音が聞こえてきた。特徴的な力強い足音は榊だ。

 彼は元極道で、龍神という名のドラッグが日本に流通することを阻止し、ハルビンでその生産拠点を共に壊滅させた。その後はヤクザ時代の店舗経営を引き継ぎ、またコンサルタントとしても活躍する個人実業家だ。

 カタギとは言うが、その鋭い目線と身に纏う剣呑な雰囲気は本業のヤクザ顔負けの男だ。


「よう、伊織も来てたのか」

 榊は伊織のテーブルについた。今日も仕立ての良いオーダーメイドのシャドウストライプのダブルスーツを隙無く着こなしている。

「お疲れ様、仕事帰りだね」

 伊織と榊は同じ年だ。タイプは全く違うが、互いに認め合える気の置けない友人だ。


「ああ、今日は早くに片付いてな」

 曹瑛がテーブルに黄山毛峰を置く。

「お、すまんな。ところで、今週末の土曜日空いてないか」

 榊は曹瑛と伊織を見比べる。

「店がある」

 曹瑛は短く答える。烏鵲堂は木曜定休だ。もっとも、用事があるなら曹瑛の気分次第ですぐに休業の看板をかけるのだが。

「日本庭園で茶席が催される。来ないか」


「日本庭園でお茶か、それはいいね。今ちょうど記事で庭園を特集することになってて、俺行きたい」

 伊織は二つ返事で快諾する。榊は茶会のチラシを伊織に渡す。伊織と榊が盛り上がっているうちに、曹瑛は臨時休業の張り紙を書き始めていた。伊織に渡したチラシを覗き見て、一度は断ったものの興味をそそられたらしい。榊はニヤリとほくそ笑む。


「よし、じゃあ2人ともOKだな。場所は大浜離宮公園。土曜日の10時に開始だから少し前に園内の茶屋に来てくれ」

 榊は用件を伝え、茶を飲み干して立ち上がる。

「お茶席って初めてなんだけど、服装はどんな格好がいいのかな」

「一般人に向けた気楽な席だ、ラフな服装でも構わん」

 和装なんて言われると面倒だと思ったが、そういうことなら良かった。

「わかった、楽しみだな。ありがとう榊さん」


 土曜日は快晴で、澄んだ青空がどこまでも広がっている。気持ちの良いひんやりとした空気はこれから訪れる冬の気配を感じさせた。伊織と曹瑛は地下鉄大江戸線で汐留駅にやってきた。駅から徒歩5分で公園の入り口に到着する。園内入り口の脇にある地図を確認する。


「四代将軍家綱の弟、松平綱重が造った江戸時代の日本庭園か。茶屋は潮入の池の側に建ってるね」

 伊織が茶屋の位置を確認する。曹瑛も地図を見つめて園の見取り図を頭に入れたようだ。

「ここの池の水は海水なのか、面白い」

 海辺の庭園ならではの趣向で、海水の満ち引きで池の様相が変化するそうだ。曹瑛は先日伊織の実家について行ったときに後楽園を見学して以来、日本庭園が気に入っているようだった。


 茶屋へ到着すると、榊がダブルのスーツ姿で待っていた。高谷も一緒だ。

「おう、来たな」

 ラフな格好でも、と聞いていたがジーンズでなくて良かった、と伊織はホッとした。曹瑛は黒のスーツに臙脂色のタイを締めている。

「じゃあ行くか。作法はその場で説明があるから気楽にしていい。曹瑛は正座できるか」

「当然だ」

 榊の問いに曹瑛はこれでもかとばかりに胸を張る。

「上等だ」


 茶屋では庭園が見渡せる和室に通された。緑の芝生が広がり、立派な松の木が茂る庭の向こうには高層ビルが建ち並ぶ。都会と切り離された不思議な空間だ。

 伊織たちの他に和装の女性が5人、初老の男性が1人参加していた。特別に招待された者だけが参加できる会のようだ。

 目の前に茶菓子が運ばれてきた。

「それではいただきましょう」

 和装の女性講師が上品な笑顔で呼びかける。黒い盆に秋を感じさせる小さな和菓子が6つ載っている。京都の老舗和菓子店から取り寄せた品だと説明があった。


 紅葉の形の細工を閉じ込めたゼリーに秋色のグラデーションのおまんじゅう、金箔が散りばめられた練り菓子と目を楽しませてくれる。食べてしまうのがもったいない、ずっと眺めていたくなる見事さがある。甘すぎず上品な味だ。

「美しいな」

 曹瑛も感動している。一つ一つ丁寧に味わって食べる。


 茶菓子を食べ終わる頃にお茶が運ばれてきた。抹茶の上品な香りがふわりと香る。軽く一礼をして口をつける。ほのかな苦みと深い香りが鼻に抜ける。それが不思議と上品な甘みと旨味に変化する。

「この茶碗は備前焼です」

 参加者の質問に講師が答えている。曹瑛は手にした茶碗をじっと見つめている。土の色を生かした茶褐色の器は素朴な存在感がある。

「備前焼は俺の故郷の県の焼き物なんだよ」

「なかなかいい、店でも使いたい」

 曹瑛は備前焼が気に入った様子で、器も楽しみながらお茶を味わっていた。


「ありがとう、貴重な体験ができたよ」

 茶屋を出て、伊織は榊に礼を言う。

「お前はいつも面倒事を持ち込むが、今回は礼を言う」

 素直ではないが、曹瑛も榊に感謝している。

「楽しんでもらえて良かった、だがもう少し付き合え」

 榊の縁なし眼鏡の奥の目が怪しく光る。不穏な気配を瞬時に感じ取り、曹瑛は即座に踵を返そうとする。

「待て、話を聞け。お前にも大いに関係がある。今後の未来を左右することだ」

 榊の言葉に曹瑛は立ち止まる。


「嫌な予感しかしない。帰る」

 曹瑛はかたくなに拒否する。伊織は榊と曹瑛を交互に見つめ、困惑する。榊がここまで言うのだから、大事な話に違いない。

「瑛さん、話だけ聞こう。決めるのはそれからでもいいんじゃない」

 伊織に促されて曹瑛は嫌々榊に対峙する。

「ここにライアンがやってくる」

 榊の言葉に曹瑛の表情が変わる。その目は殺気に満ちている。唇を歪ませ、榊を睨みつける。


「貴様、やはりそういうことか」

「こうでもしなければお前はここに来なかっただろう」

 曹瑛の射貫くような眼差しに、榊は平然と答える。

「当然だ、奴の面倒を見るのはご免だからな」

「これは俺だけの問題ではない。ライアンがこれからここで見合いをする」

 榊に告げられた衝撃の事実に、曹瑛は目を見開く。伊織も地味に驚いている。あのライアンが見合いとは。

「日本で高級料亭を営む叔母の頼みで、断れなかったらしい」

 ライアンにも弱いものはあるようだ。


「そこで、俺に連絡を寄越してきた。見合いを潰してくれと」

 曹瑛は沈黙を守っている。

「奴はゲイだ。女性と結婚する気はない。それで、見合いを破談にするよう仕組んでくれと頼まれた」

「その役目はお前一人で充分だろう」

 曹瑛は協力する気は微塵も無いようだ。自分を面倒に巻き込むなと苛立ちを露わにしている。


「いいか、考えてもみろ」

 榊が人差し指を曹瑛の目の前に突きつける。曹瑛はその勢いに顔をしかめる。

「ここで見合いが成功し、ライアンが結婚すれば俺たちは解放される」

 曹瑛の眉がピクリと動く。ライアンの悪気の無いセクハラにはほとほと嫌気がさしていた。正直、ライアンに惚れられている榊のとばっちりではあるが。

「奴の見合いを成功させるよう協力しろ」


「断る」

 一陣の風が庭園を吹き抜ける。榊は曹瑛を睨み付ける。

「俺がこれほど頭を下げているのに、お前という奴は義理も人情もないのか」

「お前は一ミリも俺に頭を下げていないだろう、それにお前に対する義理人情などは持ち合わせていない」

 榊と曹瑛は睨み合う。鋭い眼光が絡み合い、殺気が漲っている。


「またかよ・・・」

 少し離れた場所で見守る高谷が呆れて深いため息をついている。榊は敬愛する兄で、普段は沈着冷静だが、ことライアンが絡むと思考回路が一気にダウンするようだ。

 榊がコートとスーツの上着を脱ぎ、高谷に投げる。

「俺が勝てば、俺の言うとおりにしてもらおう」


「瑛さん、穏便に話し合いをしよう。折り合いがどこかで」

 伊織が曹瑛を止めようと近づくと、曹瑛もコートとスーツの上着を伊織に投げた。

「貴様のその思い上がり、後悔させてやる」

 曹瑛は榊に対して構える。伊織も頭を抱えた。曹瑛も榊に輪をかけて大人げない。

「高谷くん、どうしよう」

「こうなったらもう誰も止められないよ」

 高谷は諦めているようだ。高谷は近くのベンチに腰を下ろした。伊織も仕方なくその横に座った。

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