第3話

 夕方、閉店後の烏鵲堂に茶葉を買いにやって来た伊織は、窓際の席でげんなりと項垂れている曹瑛を見つけた。


「そうかあ、ライアンて随分凝り性なんだね」

 昨夜のライアンプレゼンツハロウィンナイトの概要をかいつまんで話した曹瑛は、伊織の呑気な反応に目を細めた。

「違う、そこじゃない」

 曹瑛は不機嫌に眉根を寄せる。

「怪文書で人を呼びつけて、奇抜な衣装に着替えさせて、一体何がしたかったんだ」

「ハロウィンのアメリカでの楽しみ方は分からないけど、ライアンなりのもてなしだったんじゃないのかな」

「甚だ迷惑だ」

 曹瑛はふいと顔を背ける。

「瑛さんたちはライアンが捕らわれていると思って助けにいった。ライアンは仮装パーティーに招待した。お互いに行き違いがあったんだよ」

 伊織の的を得たフォローにも、曹瑛は頬杖をついて無言のままだ。


「仲直りしなよ」

「する必要などない」

 態度こそ取り付く島もないが、伊織は曹瑛がライアンのことを気にしていることに勘づいた。そうでなければ悪夢のような出来事をわざわざ蒸し返すような話はしないだろう。


 烏鵲堂を後にして、伊織は仕事帰りに榊にも様子を聞いてみようと思い立ち、バーGOLD-HEARTへ向かった。榊がここにいる確約はないが、今日立ち寄るかどうかマスターに聞くことはできるだろう。

 見れば、店の前に艶やかなブロンドにグレーのスーツを着こなした長身の男が立っている。伊織の姿を認めて、扉を開けようとした手を止めた。

「やあ、伊織」

「こんばんは、ライアン」

 意外な人物の姿に伊織は驚く。

「入らないんですか」

 ライアンは少し考え込む素振りを見せ、伊織を誘い、3件向こうの赤提灯の店へ入った。


 伊織とライアンは並んでカウンター席に腰掛けた。大衆居酒屋にブロンドのスマートな欧米系ビジネスマンとパーカーにジーンズ姿の伊織、奇妙な組み合わせだ。

「少し冷える」

「それなら、温かい飲み物がいいね」

 伊織はメニューを広げてみせる。

「何があるのかな」

「定番なのは熱燗ですかね、あ、日本酒飲めますか」

「いいね、そうしよう」

「じゃあ俺も同じものを」

「熱燗2つ、それに串の盛り合わせ」


「あのう、どうしてゴールドハートの前に居たんですか」

 伊織はライアンの杯に酒を注ぐ。ライアンからも返杯があった。日本の風習は一通り知っているようだ。

「英臣に会おうと思って訪ねたんだが、ちょっと気恥ずかしくなってね」

 酒のせいか、ライアンの頬がほのかに赤い。

「昨夜のことですか」

「ジョークが過ぎたのかもしれないね。そうだ、曹瑛は怒っているかな」

 ライアンも彼なりに気にしていたらしい。

「そうですね、でも口ではそう言いながら気に掛けていると思います。多分、榊さんも」

 ライアンはそれを聞いて安堵の表情を浮かべた。


 串の盛り合わせが出てきた。炭火焼きの香ばしい匂いが香る。ももに皮、すなぎも、はつ、レバー、つくね、ねぎまと肉厚でボリュームのある串だ。

「日本酒に焼き鳥か、いいね」

 ライアンはねぎまにかじりつく。熱燗をちびちびやりながら焼き鳥を食べる姿がこんなに似合わない男もいない。伊織はプッと笑ってしまった。

「ライアンはいつまで日本にいるの」

「明日いっぱいは。週明けの朝にはアメリカへ帰るよ」

「ハロウィンパーティのやり直しをしませんか」

 伊織の提案にライアンは一瞬驚き、そして晴れやかな笑顔を向けた。

「それはいいアイデアだね」

「うん、みんなで晩ごはんを食べよう」


「君の心遣いに感謝するよ」

 赤提灯を出て、二人店の前に立つ。

「ありがとう」

 ライアンが伊織に握手を求める。

「また連絡しますね」

「待っている」

 ライアンは手を振りながら爽やかな笑顔で去って行った。伊織はGOLD-HEARTへ向かう。不意に、裏路地から曹瑛が姿を現した。


「あいつと何を話していた」

 曹瑛は険しい顔で伊織に詰め寄る。その背後から榊も登場する。二人ともライアンから身を隠していたようだ。

「店で話をするか」

 榊について伊織と曹瑛もGOLD HEARTに入った。いつものボックス席に座り、曹瑛はあれこれ料理を注文している。飲み物は烏龍茶だ。榊はブランデーを注文し、フィリップモリスに火をつけた。


「ハロウィンパーティだと」

 その響きに悪夢の思い出が蘇る2人は同時に叫んだ。

「あ、いや仮装はナシだよ。みんなで食事でもどうかなって」

 普段なら瞬時に断りを入れそうな曹瑛は黙ったままだ。タバコを咥えたまま榊の方をちらりと見る。

「あいつを呼ぶのか」

「そう、ライアンもジョークが過ぎたって気にしていたんだよ。パーティをやり直して仲直りしたらいいよ」

「仲直りだと、そもそも奴とは友達でも何でもない」

 曹瑛が腕組をしたまま煙を天井に向けて吐き出す。どこまでも素直じゃない、伊織は苦笑いする。


「普通に飯を食うなら付き合ってもいい、そうだ獅子堂も呼ぼう」

 榊はまだものわかりがいい。意外と繊細なこの男は、ライアンに多少なりとも罪悪感を覚えているのだろう。獅子堂を呼ぶのはライアンに動じない逸材だからというのが理由らしい。

「夜ならカフェスペースを解放してもいい」

 曹瑛の意外な言葉に伊織はその顔を二度見した。曹瑛はフイと顔を逸らす。

「烏鵲堂でハロウィンパーティ、それいいね。ありがとう瑛さん」

 曹瑛は運ばれてきた肉をもくもくと食べ始めた。


 翌日、午後6時。神保町にある烏鵲堂は早めにカフェを閉店して、ハロウィンパーティの準備に取りかかっていた。各自仕込みをしておいた食材を持ち寄り、厨房で仕上げをする。伊織に榊、高谷もやってきた。

「ハロウィンて、やっぱりよくわからないな」

 伊織は仕込みをしてきたかぼちゃを使った料理を並べている。かぼちゃの煮物、かぼちゃスープ、かぼちゃグラタン。


「伊織さんの料理美味しそう」

 高谷が皿を覗き込んでいる。

「凝ったものはできないけど、作るのは好きなんだ」

 曹瑛と出会った頃、日本の家庭料理が食べたいというので限りあるレパートリーから適当に作ってやった。その見事な食べっぷりに作り甲斐を感じたのがきっかけかもしれない。


 榊は厨房のオーブンを借りてピザを焼いている。その次はかぼちゃパイの番だ。

「業務用はいいな」

 両手を腰に当てて焼き加減に満足している。かぼちゃの料理が揃うだろうからと、ピザはシンプルにマルゲリータにした。バジルの風味が香る。

 高谷はかぼちゃプリンとジャック・オー・ランタンの形に抜いたクッキーを焼いてきた。

 曹瑛は大きな鍋に水餃子を茹でている。その間にナイフを取り出して器用な手さばきでカボチャをくりぬいてランタンを作っている。愛嬌のあるカボチャランタンができあがり、火を灯した。


 遅れてやってきた獅子堂は差し入れにラフテーを持ってきた。沖縄の郷土料理だ。

「黒砂糖、醤油、泡盛を使って豚肉を煮込む。これは俺のおふくろ仕込みだ」

 獅子堂のお手製らしい。タッパーを開けると香ばしく、甘い匂いが漂う。酒盛り用の泡盛も忘れない。

「ほう、美味そうだ」

「美味いぞ」

 榊の言葉に獅子堂はニヤリと笑う。

 テーブルを3つ合わせて赤色のテーブルクロスをかける。できあがった料理は和・洋・中とバラエティ豊かだ。ランタンを置けばハロウィンの雰囲気が演出できた。


 時刻通り、ライアンがやってきた。グレーのコートに白いブラウス、黒のニットを重ね着してベージュのパンツ姿、前髪はラフに下ろしている。差し入れにとワインを持ってきた。

「今日はお誘いありがとう」

 華やかな笑顔で微笑む。

「あー、その、先日は勘違いもあって、ちょっとやり過ぎた・・・悪かったな」

 曹瑛と榊がライアンの前に立つ。

「しかしライアン、お前が悪いがな」

 腕組をしたまま高圧的な態度を崩さない曹瑛の、その脇腹に榊は肘を入れた。


「私も反省したよ、まさか私が捕らわれたと心配してくれているとはね。ちゃんと迎えを寄越せば良かった」

 ライアンが肩をすくめる。

「そこじゃない」

 榊が眉根を寄せる。曹瑛は頭を抱えてため息をつく。

「私がプロデュースしたオーダーメイドの衣装はよく似合っていたよ。来年もまた新しいデザインを・・・」

「やめろ」

 榊と曹瑛が同時に叫んだ。


 ライアンが慣れた手つきで皆のグラスにワインを注ぐ。

「この間、伊織と行った居酒屋で飲んだ日本酒が美味しくてね」

 これもある、と獺祭を取り出した。曹瑛も隣の中華料理店百花繚乱で仕入れた貴州茅台酒をテーブルに置く。獅子堂の泡盛も含め、酒も出そろった。


「いただきます」

 ハロウィンの遊び心たっぷりのバラエティ豊かな料理にライアンも喜んでいる。

 水餃子はハルビン出身の曹瑛の十八番だ。黒酢ベースのたれに刻んだパクチーとねぎを入れる。手作りの皮はもちもち、肉汁たっぷりのあんでいくつでも食べられる。


 榊の焼いたピザは薄皮仕上げでサクサク、たっぷりのチーズにフレッシュトマト、バジルが乗っている。濃厚なチーズはワインに良く合う。

 獅子堂のラフテーはじっくり煮込んだ甘口で、肉はほろほろに崩れ、口の中で蕩けるような感触を味わえる。伊織が丁寧にうらごしした濃厚なかぼちゃスープも好評だった。


「とても温かいパーティだ」

 ライアンは日本滞在中は仕事柄、高級料亭に呼ばれることも多く、宿泊先のホテルのレストランで夕食と、美味しいものは食べ慣れていたが、どこか味気なさを感じていた。今、テーブルに並ぶ大味な男料理の素朴な味に感動している。

「伊織、ありがとう。君が声をかけてくれなければ寂しい夜を過ごしていたよ」

「良かった、瑛さんと榊さんも内心嬉しいと思いますよ」

 伊織が曹瑛をチラッと見やると、曹瑛は目を逸らして高谷の焼いたクッキーをかじっている。


 持ち込んだ料理と酒はすべて平らげてしまった。

 曹瑛が烏鵲堂のシャッターを下ろした。ライアンの迎えの白いベンツが表通りで待機している。

「楽しい時間をありがとう、君たちの手料理、本当に美味しかったよ」

 ライアンは感激してハグを求める。曹瑛と榊は獅子堂を前面に押し出した。ライアンは獅子堂と熱い抱擁を交わす。動じない獅子堂に2人はある種尊敬の眼差しを向けている。

 伊織と高谷はライアンと握手を交わした。榊と曹瑛には投げキッスをして、ライアンはベンツに乗り込んで去っていった。


***


 数日後、榊がげんなりした表情で烏鵲堂に訪ねてきた。

「見たか、これ・・・」

 榊が革張りのスリムなアルバムを手にしている。表紙にはハッピーハロウィンと金文字が刻まれている。昨日、アメリカからの航空便で届いたものだ。差出人はライアン・ハンター。


「やめろ、見ていない」

 曹瑛は顔を逸らした。それは中身を知るものの反応だ。烏鵲堂にも同じものが届いていた。中にはスチル写真が挟み込まれていた。

 曹瑛と榊が並んで通路を歩く姿、ライアンを踏む曹瑛、鞭を振るう榊。3人の立ち姿は見事なアングルで、そこにライアンの直筆サインと“濃密な思い出の夜に”とメッセージが入っていた。

「全然懲りてないな、あいつ」

 ただ、ライアンは純粋に楽しんでいるだけで悪気など無いのだろう、その浮世離れした無邪気さはどこか憎めない気もする。いや、流されてはいけないと榊は頭を振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る