第3話
漁港からタクシーを拾い、不動院に到着した。タクシーを降りれば駐車場に目立つ背格好の男の姿を見つけた。アッシュゴールドの髪を逆立てて遮光サングラスをかけた獅子堂だ。レザーのジャケットにパンツ、ハーレーに跨がる姿は周囲の視線を集めている。
「獅子堂さん」
伊織が声をかける。獅子堂はサングラスを胸ポケットにしまい、にこりと笑う。
「お前たちも来たのか」
「菊を見に来た」
本当は榊の父親を気に掛けているが、素直になれない曹瑛の答えに伊織は思わず吹き出した。2人乗りのシルバーのバイクが参道から近づいてきた。駐車スペースでエンジンを切る。榊と高谷だ。
「獅子堂、今日はよろしく頼む。お、曹瑛に伊織も来てたのか」
榊は思わぬ珍客に驚いている。
「飯を食べに来たついでだ」
曹瑛の言い訳はどうしようもないことになっている。獅子堂と伊織は顔を見合わせて苦笑いした。
見上げんばかりの大門をくぐると、門の左右には見事な木彫りの仁王像が来訪者を出迎える。
「榊原は奥の駐車場に到着するんだな」
獅子堂が榊に訊ねる。榊の話では、榊原が現れるのは昼前だろうということだった。獅子堂は榊原と高谷と共にVIP用の駐車場の方へ向かった。
不動院は多くの観光客で賑わっていた。菊祭は年に一度の人気イベントだ。寺の大門の先には左右に鐘楼と鼓楼、正面には本堂が建っている。過去に火災で焼失したというが、江戸時代に復元され、以降重要文化財として守られている。
寺の敷地内は大輪の菊の花で彩られていた。どこを向いても美しい菊を楽しむことができるが、メイン会場は本堂の南東の広場で開催されている品評会だ。
本堂の東には大伽藍が立つ。中へ入れば巨大な不動明王が鎮座していた。高さ約50メートルの建物だ。巨大な像に圧倒される。伊織はお賽銭を入れ、焼香をした。見れば、曹瑛も伊織に倣っていた。その姿に仏教は中国と日本を繋いでいると感じられる。
不動明王像の周囲を一周することができた。天井の緻密な装飾や色鮮やかな極楽浄土を表わした壁画を眺めながら歩いていく。像の背後にある2階部分へ上がる階段はロープが張られ、一般参拝客は立ち入り禁止になっている。急な傾斜の階段を登れば、大伽藍のバルコニーに繋がっているようだ。
大伽藍の外に出て、曹瑛は建物の位置関係を確認している。その眼差しはプロの目だ。
「だんご屋だ」
曹瑛と伊織は池のほとりにある茶店に向かう。抹茶と草餅を注文し、木の椅子に腰掛けた。天気が良い。美しい菊の花に囲まれて飲む茶は贅沢だ。池には立派な錦鯉が遊んでいる。だんごを食べ終え、曹瑛はおもむろに立ち上がった。
「一服しに行く」
計画が頭の中で整理できたのだろう。曹瑛は榊原を守るつもりだ。伊織は置き去りにされることが分かったが、ここで揉めても仕方が無い。
曹瑛はサングラスをかけ、足早に大伽藍へ向かっていった。
***
黒塗りのベンツが3台連なってやってきた。車から降り立ったのは組長の榊原昭臣。豊かな白い髪を撫でつけ、上品な和装で背筋を伸ばす姿は威厳があった。
ガードと見られるスーツの男が2人、脇を固めている。いかにも極道といった雰囲気は隠しようもないが、お忍びの訪問とあって護衛はその2名だけのようだ。若頭の大塚がその後を離れてついていく。
獅子堂は静かに榊原の姿を追う。獅子堂の長身と金髪はどうあっても目立つ。下手をすれば刺客と間違えられかねない。大塚に密かに話を通してあった。
榊原は本堂と大伽藍で参拝をした後、菊の品評会へ足を運んだ。菊の花を前に佇んでいる。近くに羽島の姿は見当たらない。
曹瑛は大伽藍の階段を駆け上り、2階のバルコニーへ出た。2階からは菊祭りの会場が見渡せた。見れば、南向きの扉の影に男の足が見えた。西の扉から屋内へ滑り込んだ。男はスナイパーライフルを手に、ターゲットを探している。
気配を消して忍び寄り、男の背中を踏み抜いた。地面に突っ伏した男が顔をひねれば見知らぬ長身の男が立っている。
「何だてめえは」
曹瑛はさらに男を踏む足に力を込める。肺を押さえつけられて男は呻き声を上げる。
「榊原を狙っているのか」
「誰が教えるか・・・ヒッ」
赤い柄巻のバヨネットが首筋に突きつけられている。自分を踏みつける男のサングラス越しの瞳は冷酷な光を湛えている。
「そ、そうだ、榊原を殺せば金をやると言われた」
男は情けない声で答える。
「仲間がいるだろう」
「し、知らない」
男がチラリと正面に立つ鼓楼を見たのを曹瑛は見逃さなかった。スナイパーはもう一人いる。別方向から榊原を狙っている。男を縫い付けていた足を緩めた。男は身体を反転させ、ライフルで曹瑛を狙う。曹瑛は男が引き金を引く前にライフルを奪い取り、銃把で男の側頭部を殴り気絶させた。
バルコニーの欄干に足をかけ、正面の鼓楼にいる男に狙いをつけた。男は榊原を狙っていたが、大伽藍のバルコニーいる曹瑛に気付き、慌てて狙いを変える。それよりも早く曹瑛の撃った弾は男の肩口に命中した。
それでもライフルを落とそうとしない男の手にもう1発、太ももにさらに一発。男はその場に倒れた。
雑踏の中でライフルの銃撃に気がつくものは居なかった。しかし、獅子堂は曹瑛の姿を捉えた。目で合図し、地上の敵を探し始める。
人ゴミを割り、榊原に近づく男がいた。フードを目深にかぶり、長袖の中に何か隠し持っている。銃撃に失敗したことで直接アプローチに切り替えたようだ。血走った目の男に気が付くものはいない。男が光るものを突き出した。
「この人、危ない」
伊織がいち早くそれを見つけて大声で叫んだ。榊原のガードが遅れて気づき、怒号を上げる。会場は騒然となった。
「死ね!」
榊原に向けて凶刃が翻る。獅子堂は鮮やかなフットワークで混乱を極める人の波を避けて男の腕を掴んだ。榊原は怯えることなく獅子堂の姿をじっと見つめている。獅子堂は男の腕を捻り上げる。男は暴れて抵抗したが、獅子堂の腕力には叶わない。
腕がみしみしと軋む。
「くそ・・・もう少しだったのに、畜生」
獅子堂は男の手からナイフをもぎ取った。怒りに任せて殴りかかってきた男の顔面に強烈なストレートを食らわせた。男は鼻血を吹いて吹っ飛び、地面に転がってそのまま動かなくなった。
「なかなかやりおる」
榊原が獅子堂に笑いかける。極道を束ねるだけあって肝が据わっている。
「友人の頼みだ」
獅子堂は口角を上げて静かに笑う。騒ぎが大きくなり、警察のサイレンの音が近づいてきた。
「恩に着る」
そう言って、まだ大事な用があると榊原は本堂の奥へと歩いて行く。獅子堂はフードを捲り、男の顔を見た。羽原ではない。まだどこかに潜んでいるはずだ。
榊原が向かったのは、不動院に併設されている霊園だった。苔むす墓石の中を奥へ進んで行く。一角にある榊原家の墓石の前に立つ。護衛は静かに背後に控えている。
「すまんな、花を用意できなかった」
榊原は墓石を前に手を合わせた。菊祭の会場で真剣に花を眺めていたのは、墓に供える花を選ぶためだったのだ。目を開ければ、美しい菊があった。
「これを」
榊原は花を差し出す男の目を見た。鋭い眼光はどう見てもカタギには見えない。しかし、厚めの唇には柔らかい笑みが浮かんでいる。
「すまんな」
榊原は菊を手にとり、墓前に供えた。
「男前になったな、英臣。それに結紀も、いい面構えをしておる」
榊原は目の前に立つ榊と高谷をまっすぐ見つめた。
「あんたは老けたな」
歯に衣着せぬ榊の言葉に榊原はクックッと笑う。そしてそうだな、と呟いた。玉砂利を踏む音が聞こえた。振り向けば、羽原が榊原を狙い自動小銃を構えている。
「榊原、ここは墓場だ、死に場所にちょうどいい」
羽原が顔を歪めて笑う。目を見開き、撃鉄を下ろした。引き金に指をかけたとき、墓石を縫って飛んだスローイングナイフが銃を握る手を貫いた。血を迸らせ、羽原は叫び声を上げる。
羽原は往生際悪く落とした銃を拾い上げようとしたが、高谷が銃を蹴り飛ばす。
「クソッ」
悪態をつく羽原の鳩尾を榊が渾身の力で蹴り上げた。胃液を吐いて羽原はその場に倒れた。
「これはまさか」
羽原の手に刺さるナイフを見て、榊原は目を見張る。銀色に光る小ぶりのナイフは特徴的で、見たことがある。
「曹瑛か」
榊が声をかけると曹瑛が姿を現した。細身の長身を黒いハーフコートに包んだその姿はハルビンで出会った青年だった。
「おお、こんなところで会えるとは。英臣の知り合いなのか」
榊原は目を見開いて驚いている。榊と高谷も彼らが知り合いというのは初耳だった。
「ええ、そんなところです…あのときはお世話になりました」
曹瑛は榊原に深々と頭を下げた。
「英臣、結紀。お前たちはよい友を持ったな」
榊原はしみじみと呟き、離縁した息子たちと曹瑛と獅子堂の顔を見比べた。曹瑛の背後にはあの雑踏の中で勇気を出して声を上げた青年、伊織が佇んでいる。
「いつでも戻ってきてもいいんだぞ」
榊原の言葉に榊と高谷は顔を見合わせる。
「俺たちは自分の人生を自分の手で掴みたい、・・・来年またここで会いましょう」
榊はそれだけ言って踵を返した。高谷も深く頭を下げて榊についていく。榊原は2人の背を黙って見送った。
今日は若くして亡くなった榊の母の命日だった。命を狙われていると知りながら榊原はこの日を大事に不動院にやってきたのだった。
「榊さん、今日はありがとう、ここに来られてよかった。榊さんのお母さんのお墓参りもさせてもらえて嬉しかったよ」
榊と高谷は腹違いだ。高谷には複雑な思いをさせてしまったかもしれない。榊は高谷に心を覗かれたような気がした。
「キーを貸してくれ。帰りは俺は運転する」
「ホントに、何だか昔みたいだ」
高谷は在りし日の少年の笑みを浮かべた。
殺人未遂で4人の男が警察に連行されていった。事情聴取から逃げ出した曹瑛と伊織はバイクを押す獅子堂と海沿いの道を歩いている。
「腹が減ったな」
曹瑛がぼやく。気が付けばもう夕暮れだ。海は黄昏の太陽を受けて黄金色に染まっている。
「この近くに浜焼きの店がある」
「それいいね」
獅子堂の提案に伊織は乗り気だ。
「悪くない」
曹瑛は夕陽に目を細めながら、ひとつ伸びをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます