榊の頼み事

第1話

 新宿にあるバーGOLD HEART。喧噪渦巻く繁華街の中にあるが客層が良く、静かに飲めるためマイノリティも多く集う店だ。

 黄昏時、ドアから入ってきた1人の男に注目が集まる。190㎝を越える身長、アッシュゴールドの髪に切れ上がった眦、レザーのジャケットにパンツ。ブルーのダウンライトが照らす落ち着いた店内で男の姿は異彩を放っていた。

 待ち合わせをしているのか店内を見渡す。ボックス席に座るスーツの男を見つけ、大股で歩き出した。


「悪いな、呼びつけて」

 足を組んでソファに掛けた榊は獅子堂に座るよう促す。

「別にいい。時間はある」

 獅子堂は艶やかなベルベットの椅子に腰を下ろす。首からさげた派手なシルバーのアクセサリが揺れる。榊はドリンクメニューを手渡す。

「ブラックルシアン」

 コーヒーリキュールとウォッカで作るアルコール度数の高いカクテルだ。

「空きっ腹にはキツいんじゃないか?まあいい」


 榊はデュポンでタバコに火を点ける。ウエイターが深い琥珀色のブラックルシアンと榊の2杯目のブランデーを運んできた。ブラックルシアンはアルコール度数30%のカクテルだが、獅子堂は軽く半分を飲み干した。

「ある男のガードを頼みたい」

 榊が話を切り出す。

「ほう」

「神奈川西部を拠点とする榊原組の組長だ」

「ヤクザ者だな、訳ありか」

「・・・ああ」

 榊はタバコを揉み消した。獅子堂はそれ以上詮索する気はないようだ。


 また1人、客が入ってきた。パーカーにジーンズ、スニーカー、ショルダーバッグをかけた姿は一見大学生にも見える。しかしこれでも32歳、仕事帰りの伊織だ。店内をきょろきょろ見渡し、探し人が居なかったのかカウンター席に腰掛けた。顔見知りになったマスターが伊織に声をかける。

「チャイナブルーをお願いします」

 GOLD HEARTに来たら頼んでしまう定番カクテルだった。涼やかな青色のカクテルにはいろんな思い出が詰まっている。

 榊は伊織に声をかけようとしたが、思いとどまった。獅子堂との話は内輪のことになる。


「伊織!こんなところで会えるとは」

 よく響くその声に、榊が背筋が一瞬で凍りつく。獅子堂に向けて飲みかけのブランデーを吹くところを気合いで踏みとどまった。ドアから入ってきたのは艶やかなブロンドに黒のオーダースーツを見事に着こなしたライアン・ハンターだ。その洗練された華やかな雰囲気に店内の視線が集まる。

 北米のコンサルタント企業グローバルフォース社のCEOで、最近立ち上げた日本支社の視察のためか、このところよく来日している。爽やかな笑顔の裏にはアメリカンマフィアの二代目という別の顔を持つ。

 

 ゲイであることを包み隠さず、思うままオープンに接してくるため、榊や曹瑛はかなり辟易していた。彼のアイデンティティを否定はしない。しかし、熱烈な親愛の情をこちらの空気は一切読まず、純粋にぶつけてくるライアンはどうも苦手なのだった。

「ライアン、こちらに来てたんですね」

 ライアンの勢いに気圧されて引き気味だが、伊織は握手に応じる。

「そうなんだ、おかげさまで日本支社は順調でね。今回は幹部候補を連れて視察に来たんだよ」

「お忙しいですね」

「まあね、でも日本に来るときは時間を作って君たちには会いたいと思っているよ」


「獅子堂、もうちょっと右に寄ってくれないか」

 そのやりとりをヒヤヒヤして覗きながら榊は身を屈めている。

「なんだ」

「お、そうだ、そこでいい」

 榊の意味の分からない依頼に獅子堂は首をかしげている。榊は胸ポケットからおもむろにサングラスを取り出してかけた。ブラウンのグラデーションで目元を隠している。


「絶対に会いたくないやつが来ている」

 獅子堂が背後を振り向こうとするのを榊が慌てて止める。

「頼むからじっとしてくれ、お前は目立つ」

「そんなにヤバい奴か」

 事情を知らない獅子堂は半ば呆れている。冷静な榊がこうも動揺するのは珍しい。獅子堂の体でライアンからの死角を作り、榊は息を潜めている。


「マスター、ここのオーナーは来ているかな」

 ライアンがロングアイランドアイスティーを傾けながら尋ねる。マスターは榊が獅子堂の身体に隠れているのをチラリと見て、今日は居ないと答えた。ベテランマスターはオーナーを売ることはしない。

「そうか、残念だ」

「榊さんはときどき来てるから、きっとまた会えますよ」

 気を落とすライアンを何も知らない伊織がフォローする。


「何でお前がここにいる」

 不機嫌を隠そうとしない声音にライアンが振り向くと、背後に曹瑛が立っていた。

「おお、曹瑛」

 ライアンが嬉しそうに叫ぶ。曹瑛は笑顔のライアンに対して苦々しい表情を浮かべている。セクハラのトラウマがあまりに強烈で、苦手意識が消えないのだ。


「仕込みに手間取って遅くなった」

 以前、この店で食べたグリル肉の盛り合わせが美味かったと話したら、伊織がぜひ食べたいというので待ち合わせをしていたのだ。

「君の顔を見られて嬉しいよ。物憂げな表情もエキゾチックで美しい」

 恐れを知らぬライアンは余裕たっぷりに口元に笑みを浮かべて目を細める。物憂げなのだ誰のせいだと曹瑛は口をへの字に曲げる。


「お前の目当てはあそこだ」

 曹瑛が指さした先、ボックス席にアッシュゴールドの髪の大柄な男がいた。ライアンが覗き込めば、男の正面にサングラスをかけ、落ち着かない様子で俯くスーツの男が座っているのが見えた。ダウンライトの店内でサングラスはどう考えても異様だ。


「英臣、いるじゃないか」

 ライアンが榊を見つけて駆け寄り、輝く笑顔を向ける。

「曹瑛、また俺を売りやがったな」

 榊はサングラスを外して立ち上がる。ライアンが両手を広げてハグを求めている。榊は獅子堂の背後に周りそれを回避した。


「知り合いか」

 獅子堂がライアンと榊を見比べる。

「・・・仕事上の付き合いだ」

 榊が嫌そうに答える。

「そう、彼とはビジネスパートナーだよ。そのうちライフパートナーになるけどね。私はライアン・ハンター」

「獅子堂和真」

 ライアンは獅子堂にもハグを求める。獅子堂は物怖じせずにそれに応えた。沖縄育ちのためか、欧米の風習に抵抗がないようだ。


「素晴らしい肉体だ、よく鍛えている」

「そうだろう」

 ライアンの賞賛に獅子堂はにんまり笑う。その先は流暢な英語でやりとりをしている。そしてまた肩を叩き合ったところでライアンのスマホが鳴った。

「英臣、また会おう」

 ライアンは榊に投げキッスを送った。曹瑛と伊織にも手を振る。榊はげんなりしてソファに倒れ込む。

「愉快な奴だ」

 口の端を上げて笑う獅子堂に、榊は深いため息をつく。

「まあ、悪い奴じゃない、苦手なだけだ」


 結局、伊織と曹瑛も交えてテーブルを囲むことになった。榊は曹瑛を恨みがましい目で睨んでいる。

「獅子堂を盾に隠れるとは、姑息な真似を」

 曹瑛が榊をあざ笑う。

「黙れ、この状況ならお前も同じ事をしたはずだ」

 榊は鋭い視線を向ける。

「2人とも、もういいじゃん。料理美味しそうだ食べようよ」

 伊織が2人をなだめる。テーブルに山盛りのグリル肉の盛り合わせが運ばれてきた。岩塩をかけて食べる赤身のレア肉は炭火の風味も香ばしく、噛めば肉汁の旨味が溶け出す。新鮮なスライストマトに海老のアヒージョ、海鮮パエリアが並ぶ。


「さっきの続きだが・・・羽島武則はしまたけのり、お前も知っているだろう」

 やむなく榊が獅子堂に話を振る。

「確か、素行が悪くどこぞの組を破門になり、報復にダンプで組事務所に突っ込んだ奴か」

 獅子堂はかつて日本の極道組織と契約を結び、幹部のガードを務めていたことがある。極道世界にもネットワークがあり、派手な立ち回りをした者の情報はすぐに全国を駆け巡る。

 羽島は組に所属しない半端者を集めて薬物売買や特殊詐欺などで小銭を稼いでいたが、組を破門され逆恨みで行動を起こした。


「羽島を破門したのは榊原だ。そして奴は7年の刑期を終えて今月出所する」

「羽島から榊原の組長を守れというのか」

「そうだ」

 獅子堂の問いに榊は短く答えた。曹瑛は榊原の名を聞いて押し黙る。レア肉を頬張りながら何やら考え事をしている。

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