第3話
懐中電灯を片手に夜の山に分け入る。昼間にアカマツの木が密集している場所を見つけていた。湿った落ち葉に足を取られながら進んでいく。斜面に群生するアカマツの根元を軍手をはめた手でそっとかき分ける。落ち葉に隠れるように、大きな茸が生えていた。
「これ、松茸だよ」
「へえ、あるもんですね」
不意に、木々の間で黒い影が動いた。松茸を見つけて喜んでいた伊織と高谷は息を呑む。静かに立ち上がり、気配がした方を凝視する。懐中電灯を照らせば、そこには人の大きさほどもある巨大な熊が立ちはだかっている。
「う、うそ!」
「く、熊だ!逃げよう」
伊織と高谷は斜面を駆け下りる。木の根に足を取られ、転びそうになりながら走る。振り返れば、熊は両手を挙げてこちらを威嚇している。今にも追いかけてきそうな勢いだ。それ以上は振り向かずに走る。
2人の男が全力で逃げていく様子を眺めていた熊が身体を揺すって笑い出す。木の影からジャージ姿の男が3人、姿を現した。
「馬鹿な奴らだ。これに懲りてこの山には入らないだろう」
「松茸は俺たちのもんだ」
「しかし、いい気味だな。本気で怖がってたぜ」
男たちと熊の下品な笑いが山にこだました。
「じゃあ、俺たちはゆっくりと松茸狩りをするか」
「面倒くさいけどボロい商売だな」
「今年は気温が高くて不作らしい、それにこの山の松茸は上質だからな。良い値で捌けるぜ」
熊からもくぐもった声が聞こえる。男たちは笑いながらアカマツの根元にしゃがみこんで収穫を始めた。
「珍妙やな、人間の言葉を喋る熊がおるで」
不意に声が聞こえ、男たちは立ち上がる。声のした方を見上げれば、斜面に人影があった。
「天然記念物だな、ふん縛って動物園に連れて行くか」
鋭い目つきの男だ。口元を歪めて笑う表情はカタギには見えない。
「熊狩りか、面白い」
木の陰から熊を狙う長身で細身の男の手には、銀色に光るナイフが握られている。
「なんだ、貴様ら」
「グオオオ」
男たちと熊が吠える。
「今更熊のフリをしても遅いぜ」
孫景が斜面を駆け下り、巨体の熊に殴りかかる。熊は重いボディーブローを食らって派手に転び、斜面を滑り落ちていった。
「この野郎!」
仲間(熊)がやられたことに腹を立てた男たちはナイフを取り出した。
「おお、物騒やな。茸狩りにそないなナイフは必要ないやろ」
劉玲が面白そうに笑う。金ラインのジャージがナイフを繰り出す。足場が悪いため、踏ん張りが利かない。劉玲は軽々とナイフを交わす。金ラインはムキになりナイフを振り回す。劉玲はナイフを持つ手を捻り上げる。痛みに悲鳴を上げ、金ラインはたまらずナイフを落とした。劉玲は金ラインの腹に蹴りを見舞った。金ラインは斜面を勢いよく転がり落ちていく。
榊の目の前にドスを持った黒シャツ男が立ちはだかる。
「極道舐めるなよ」
「熊のぬいぐるみ連れて何が極道だ」
鼻で笑う榊に怒り狂った黒シャツはドスを突き出す。刃物の使い方は手慣れた様子だ。ためらいも無く抉り込むように斬りかかってくる。榊は後ずさっていく。木の幹に背中がぶつかった。
「終わりだ」
黒シャツが両手でドスを構え、突進してきた。榊の目が鋭い光を放つ。ギリギリで刃先を避け、カウンターで顔面にストレートパンチを見舞った。
「ギャッ」
黒シャツは無様に吹っ飛び、枯れ葉の中に転がった。鼻骨は折れているだろう。
「お前のどこが極道だ、人様の山で松茸泥棒なんてチンピラ以下だ」
刈上げが木の間を縫って走る。木の幹を背に、追ってくる男の姿を伺う。顔のすぐ横にスローイングナイフが刺さった。
「ひぃっ!」
刈上げは情けない悲鳴を上げる。背の高い木立が枝を伸ばし、辺りは暗闇だ。相手の男の位置が分からない。こちらは見えないが、相手はこちらの位置を正確に掴んでいる。追い詰められる恐怖に刈上げは呼吸が浅くなっていく。額から脂汗が流れ落ちる。
「た、助けてくれ!頼む」
刈上げの悲痛な叫びに木の陰から長身の男が姿を現した。刈上げをじっと見据える瞳には冷酷な色が浮かんでいる。
「ここで取った松茸は全部お前にやるよ」
刈上げは下手に出るフリをする。曹瑛はその様子をただ黙って見ている。チャンスと思ったのか、刈上げは隠し持っていたナイフで曹瑛に襲いかかる。曹瑛は蹴りでナイフを弾き飛ばし、掌底で刈上げの身体をついた。足場の悪い斜面で刈上げはよろめき、木にぶつかりながら転げ落ちていった。
山のふもとでは伊織と孫景が落ちてくる男たちを縄で縛り上げている。お仕置きを終えた劉玲に曹瑛、榊も下りてきた。
「伊織君に高谷はん、迫真の演技やったわ」
劉玲が伊織と高谷の肩をばしばし叩く。縛り上げたのは熊一頭にチンピラ3人。熊の頭を取れば、坊主頭のチンピラがのびていた。
「熊を使って人を寄せ付けないようにしていたのか、姑息な真似を」
孫景があきれている。
「明日、ここの親父に泥棒を捕まえたと教えてやろう。もう熊が出ることはないだろう」
榊はニヤリと笑う。不意にどさっと音がして、男たちが落ちてきた山の斜面が崩れた。ちょうど昼間に宝探しと言いながら掘り返していた場所だ。
「あ、あれ見て」
伊織が指さす先に土に埋もれた石のようなものが見えた。
「まさか」
皆は顔を見合わせる。劉玲は今から掘る気満々だったが、それを全員で止めた。夜も遅いので明日の朝来てみようということになった。
小鳥の囀りで目を覚ました。眩しい朝日がカーテンから射し込んでいる。伊織は身体を起こし、そっとベッドから出た。顔を洗い、服を着替える。曹瑛もむくりと起き出した。
「早いな、どこへ行く」
「森を散歩してくるよ」
曹瑛も無言で支度を始めた。皆はまだ眠っているようだ。コテージを出て白樺の遊歩道を歩く。少し冷たい、澄んだ空気が心地良い。朝露が朝日にキラキラと輝いている。落ち葉を踏めば、パリンと砕けてふわりと森の匂いがした。
「あ、鹿がいる」
遊歩道の真ん中に鹿が歩いている。こちらに気が付いて、じっと目があう。周囲を見回して鹿は森の中へ消えていった。
「野生の鹿なんて初めて見た。早起きして得した気分だ」
目を輝かせる伊織の顔を見れば、鹿のつぶらな瞳と重なって、曹瑛はおかしくなって吹き出した。
コテージに戻ると、ポーチのテーブルに朝食が並んでいる。フレッシュサラダにたっぷりな卵とハムのホットサンド。ホットサンドはカリカリに焼けて香ばしい。かぶりつけばとろとろの卵が口の中へ溶けていく。
「しっかり食ってくれ。こっちはチーズ入りだ」
朝食も榊が準備したらしい。高谷がドリップしたコーヒーを持ってきてくれた。タバコ組がまったりと一服し終わるのを待って、おじさんの畑へ向かった。
「マジかよ・・・」
孫景が思わず声を上げる。石を掘り出してみれば、石棺になっており、ふたを開けると中から古代の鏡や剣など青銅器、陶器、ガラス製品が出てきた。保存状態は極めて良い。
「この鏡見てみ、鳥さんが八羽描いてあるんやで。これは三国時代の品やな」
劉玲が銅鏡を手に取って説明してくれた。向かい合う鳳凰が八羽描いてある。美術品に目が効く劉玲の見立てでは本物だろう、ということだった。中文学者の岡崎氏が自宅にため込んた収集品をここに隠したのだ。
「まさか、あの地図が本物とはな」
榊も驚いている。石棺いっぱいの遺物は100点は下らないだろう。
「俺はきっと見つかると思てた」
劉玲は満足そうに笑っていた。
山の端に日が落ちていく。黒のアルファードは高速道路を東京へ向けて走る。発見した岡崎氏の収集品は家族や土地の所有者のおじさんとも合意して、地元の歴史博物館に寄贈されることになった。おじさんは松茸泥棒を捕まえたことに驚いて、何度もお礼を言ってまたたくさんのぶどうや松茸を持たせてくれた。
「どや、楽しい週末やったやろ」
「山を掘って宝探しに、熊退治か。確かに楽しい週末だった」
孫景の言葉に皆笑っている。
「安曇野か、いい湯だった」
榊は森の中の温泉が気に入ったようだ。帰りにもう一度入りたかったとぼやいている。
「楽しかったよ、劉玲さんありがとう」
朝日の中で見た鹿を思い出して伊織は穏やかな笑みを浮かべた。伊織君は男のロマンを分かってくれるよな、と劉玲は涙する。
「曹瑛も楽しかったやろ」
劉玲はニコニコ顔で曹瑛に呼びかける。
「鴨南蛮に、とろろ蕎麦か」
曹瑛は土産で買った信州そばの食べ方を真剣に考えていた。ハンドルを握る榊と助手席の高谷が同時に吹き出した。
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