第3話

 安延組の一行は組長の安本を筆頭に温泉街を練り歩く。先ほど、宴会会場でビン底メガネをかけた若い男性の給仕が盆に載せた封書を持ってきた。

 封を開ければ、この近くにある極秘の賭場の案内だ。差出人は親に当たる麒麟会二次団体の組長。安本は無類のバクチ好きだった。

 早速、酔いに任せて組員を伴って向かっている。地図によればこの辺りのはずだ。


 示された場所は閉店したビリヤード場だ。築年数の経過したコンクリ造りの平屋で、壁はところどころひびが入っている。入り口のガラス扉は曇って中も見えない。

「おかしいの、ここのはずなんだが」

 安本がぼやく。すると、長身で細身の男が一人、建物に入っていった。違法賭博場というのは端から見て分かりにくい場所にあるものだ。特に古くからある温泉地なら目の前の建物はそうに違いない。確信した安本は組員を引き連れて揚々と中に入る。


 埃っぽい建物内にはうち捨てられたビリヤード台が並んでいる。蛍光灯の明かりが灯っているが、薄暗く人の気配はない。昭和のまま時間が止まったような場所だ。

「おやっさん、本当にここで開帳しておるんですか」

 背後のチンピラが訝しんで呟く。安本は男の頭をはたいた。

「闇賭博てなこういうところでやっているもんだ」

 そういは言ったものの、疑心暗鬼になってきた。すると、闇の奥から男が歩み出てきた。


「よくいらっしゃいました、歓迎します」

 黒い長袍を身に纏い、丸いサングラスをかけている。長袍には肩口から胸にかけて金糸で見事な龍の刺繍が施してある。

 天井の蛍光灯がバチッと音を立てて、安延組の強面の男たちはビクッと身を震わせた。もう一人、揃いの黒い長袍を着た長身の男が立っている。肩口には金糸で虎の文様が刺繍されていた。やはりサングラスをかけており、表情が読めない。


「お、おお。みてみろ、ちゃんと営業しておるぞ」

 二人の異様な威圧感のある雰囲気はどう見てもカタギではない。賭場の管理人に間違いない。

「案内してもらおうか」

 不気味に思いながら、安本は組員たちの前で弱みを見せるわけにもいかず、前へ進み出た。床に積もった埃が舞う。


 二人の長袍の男は無言で裸電球が濃い影を落とす地下への階段を降りて行く。地下もただの廃墟だ。どこかで水漏れの音が響いている。

 組員たちの中にもおっかねえなと声が上がる。重い鉄のドアを開け、中に案内された。


「なんだここは、暗くて何も見えねえ」

「おい、騙したのか」

「ふざけるな」

 酔いが覚めた男たちは、大声でわめき始めた。入り口のドアが音を立てて閉まり、男たちは恐怖の怒号を上げる。突如、蛍光灯の明かりがつき、振り返ると入り口を塞ぐように龍虎の黒い長袍の男が並び立つ。

 サングラスを外したその顔は、先ほど大宴会場で文句を言ってきた男だ。無精髭を生やし、ニコニコと目を細めて不敵な笑みを浮かべている。


「お前、どういうつもりだ。騙しやがって」

 チンピラの一人が虚勢を張る。

「騙してへん、ここは賭場や」

 劉玲は肩をすくめた。隣に立つ曹瑛は静謐な夜の湖のような冷たい瞳で男たちを見つめている。


「賭けるのはお前らの命」

 曹瑛が静かに呟く。劉玲が目を見開いた。それまでの人当たりの良い笑顔は消え、鋭い眼光が組筋の男たちを射る。その迫力に男たちは思わず後ずさった。

「俺たちに勝てばここから無事に逃がしたろ。勝てへん時は、それ相応の代償を払ってもらう」


 男たちは恐怖に呑まれて騒ぎ始めた。組長の安本も怯えている。しかし、こんな若造に舐められてなるものか、最後の意地だった。

「お前らに勝てばいいんだな」

 連れの組の者は十人はいる。二人対十人、どう考えてもこちらが有利だ。


「せや、そこにある武器もつこうてええで」

 指差す先を見れば、壁際にビリヤード場に設置されていたのだろうバーチェアやビリヤードのキュー、ブリッジなどの備品が転がっている。

 男たちはそれぞれに武器を手にした。壁際に佇む二人にじりじりと歩み寄る。一人がキューを床に叩きつけてへし折ると、先端が尖った槍に変わる。


「なめやがって、ガキどもが」

 怒号を上げて男たちが劉玲と曹瑛に襲いかかる。二人は背中合わせになり、突進を交わした。勢いづいた男の背中に劉玲が踵を振り下ろす。呻き声を上げて男は派手に床に叩きつけられた。


 金髪が曹瑛に向かって鋭利な凶器と化したキューを突き出す。曹瑛は攻撃をかわし、眉なしの凶器を持つ手首をひねり上げた。骨の軋む音、眉なしが悲鳴を上げる。

 そのまま蹴りを入れて突き飛ばせば、巻き込み事故で金髪もろとも壁に激突し、崩れ落ちる。劉玲と曹瑛の隙の無い動きに、男たちは本能的な恐怖を感じ始めた。


「ほな、こっちから行くで」

 ゆらりと歩みよる劉玲に、男の一人が半狂乱でキューを振り回す。劉玲は先端を掴み、ぐるりと捻った。

 あまりのスピードに男はしっかりと握り込んだ手を放すのを忘れ、腕を頭上に上げる姿勢になる。がら空きになった脇に劉玲の膝蹴りがクリーンヒットした。


 派手な牡丹の刺青の男が浴衣の胸元からドスを取り出し、曹瑛めがけて襲いかかってきた。多少はケンカ慣れしているようだ。もう一人の鼻ピアスが同時にキューを振りかざし、殴りかかってくる。曹瑛は流れるような動きで男たちをかわす。

 二人がかりの攻撃が全く当たらず、男たちの顔に焦りが滲んでいる。


 ドスで斬りかかる刺青男の腕を曹瑛が掴んだ。伸びきった腕の関節に掌底を食らわせると、おかしな方向に腕が曲がり、刺青男は悲鳴を上げてドスを床に放り出した。

 間髪入れず鼻ピアスのキューの突きが曹瑛の横腹を狙う。曹瑛は悲鳴を上げる刺青男の顎に肘鉄を入れると同時にキューをつかみ、鳩尾を狙ってそれを押し返した。

 急所をピンポイントで強かに突かれ、鼻ピアスはぐえっと呻いて床に倒れ、胃液を吐き出した。


 腕に覚えがあるのか、三人が劉玲に素手で殴りかかってきた。そこそこスピードのある拳だ。劉玲はそれを弾きながらじりじりと壁に追い詰められていく。

「にいちゃん、さっきまでの余裕はどうした」

 ニヤニヤしながら指を鳴らす筋肉ダルマ。劉玲は口元に笑みを浮かべている。

「怖くて頭おかしくなったんか」

 男たちが同時に劉玲に襲いかかった。


 劉玲は身を低くして二人の足元に蹴りを入れる。不意を突かれた二人が床に転がった。すぐに立ち上がり、筋肉ダルマの頭を壁にぶつける。脳震盪を起こした筋肉ダルマは白目を剥き、壁に顔を擦りながら倒れた。

 蹴りに倒れた一人の顎を蹴る。血の泡に混じって歯が床に転がった。よろめきながら立ち上がりかけた一人を回し蹴りで壁に激突させた。


 バーチェアを振り上げて最後の一人、巨漢が襲いかかってきた。曹瑛と劉玲は両側から挟み込むかたちで同時に脳天と顎にハイキックを決めた。白目を剥いた巨漢は振り上げたバーチェアを持つ手を放した。

 とどめとばかりに頭上にバーチェアが落下し、そのまま受け身も取れずに背後にぶっ倒れた。


「ひえええ、お前ら一体何者だ」

 腰を抜かした安本が壁に後ずさりながら、ビリヤードのボールを投げつける。曹瑛はそれを二投目まで避けていたが、面倒になったのかキャッチして投げ返した。

 ボールは安本の鼻面に当たり、鼻が明後日の方向に曲がっている。遅れて流れ出す鼻血に安本は悲鳴を上げている。


「こっちも終わった」

 伊織と高谷が倒れた男たちを縛り上げた。

「さて」

 床に転がされ、縛り上げられた男たちは長袍の二人を見上げて怯えきっている。


「お前らは負けたというわけや」

 再びサングラスをかけた劉玲がニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべている。

「何が目的だ」

 安本が怯えた声で呻く。

「お前ら自慢の刺青、綺麗に剥ぎ取って高く売ったろ」

 劉玲の横に佇む曹瑛が、これ見よがしにバヨネットを弄んでいる。蛍光灯の光を反射して鈍く光るナイフに男たちは悲鳴を上げる。


「か、金ならやる、許してくれ」

「どないしよかなあ」

 劉玲がもったいつけて考えるそぶりを見せると、男たちは口々に命乞いをする。

「しゃあない。そのお絵かきでは温泉に入れんのは分かってるな。宿に帰って、部屋風呂にでもつかって歯磨きして、大人しく寝ることや」

「わ、わかった」

 安本は大きなため息をついて、がっくりとうなだれた。


「あ~ええ湯やった」

 宿に戻り、榊と孫景と合流して二度目の温泉を楽しんだ。夜の露天風呂は湯けむりが立ち上る幻想的な情景で、皆湯あたり寸前までじっくり湯につかっていた。

 劉玲と曹瑛の話に、暴れ足りなかった榊と孫景は口惜しそうだった。


 部屋に酒とつまみを持ち込んで、飲み直し会が行われていた。空のビール缶がテーブルに並んでいく。

「しかし、曹瑛は酒が全くダメとはな」

 烏龍茶をちびちび飲んでいた曹瑛は横目で兄を見る。

「いつか一緒に飲めたらええなあ」

 劉玲がビール缶を煽る。

「あ、瑛さん」

 伊織が止める間もなく曹瑛はビール缶を掴むや、一気に飲み干してしまった。


「酒が飲めないと誰が言った」

 曹瑛が唇をへの字に曲げている。

「いけるじゃないか曹瑛、もっと飲むか」

 榊が日本酒を差し出すと、半分眠りこけた曹瑛はテーブルに突っ伏した。

「寝るの早すぎだろ」

 榊も驚いている。


「よっしゃ、曹瑛は俺が連れて行こ」

 劉玲は曹瑛を背負った。曹瑛はそれでも眠りこけたまま、早口の中国語を呟き続けている。

「大丈夫や、お前を置いていかへんよ」

 耳元でそれを聞いていた劉玲が誰にともなく呟いた。曹瑛は安心したのか、静かな寝息を立て始めた。


「瑛さんが何言ってるか分かるんですか」

「まあな、たった一人の弟やからな」

 気恥ずかしそうに鼻の下を指でこする劉玲の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。曹瑛の身体をふとんに横たえる。

 高谷はずいぶん前にダウンして、ふとんに丸まって寝息を立てている。酒を飲み干した榊と孫景も満足したのか、ふとんに潜り込んだ。伊織も横になった途端気絶するように眠りに落ちた。


 ガラス張りの窓の外には満月が浮かんでいる。青い海を優しい光が照らす。劉玲は窓際のリクライニングチェアに腰掛け、月を眺めている。

「夢を見ていた」

 いつの間に起きたのか、曹瑛が隣に座った。


 果てしなく続く麦畑を兄の背を追って走っていた。夕暮れの空が切ない茜色に染まり、兄の背中を見失う。小さな曹瑛は寂しくて、走り疲れて泣いていた。

 気がつけば、兄に背負われていた。温かい、広い背中の感触を今も覚えている。

「お月さまや」

 兄が指差す空を見上げれば、金色の月が輝いていた。


「どんな夢や」

「遠い、昔の夢だ」

 曹瑛は空に浮かぶ月を見つめている。いつか兄と見上げた月は、きっとこんな色だった。

「いい月夜だ」

 曹瑛は遥か遠い記憶に思いを馳せながら、目を閉じる。せやな、と劉玲も静かに頷く。潮騒の音が近く、遠く聴こえていた。

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