第3話

 BMWを地下駐車場へ停める。榊の部屋は品川のタワーマンションの八階だ。チャイムを鳴らすと扉が開き、高谷が顔を出した。こういうときのために合鍵を渡している。

「おかえり、榊さん・・・え??これどういうこと?」

 高谷は水を滴らせ、ふて腐れた顔で玄関先に立つ榊と曹瑛を見比べる。もともとぱっちりとした目がさらに丸く見開かれている。

「こいつと水遊びをしてな、バスタオルを頼む」

 榊が垂れ下がる前髪をうっとおしげにかき上げた。隣に立つ曹瑛は不機嫌そのもので、口をへの字に曲げている。


 高谷は慌ててバスタオルを二人に渡した。榊はその場でシャツを脱ぐ。

「こんな夜中に曹瑛さんまで、一体何してたんですか」

 高谷は二人が無傷と分かり安心したのか、半ば呆れている。

「海で泳いだ」

 曹瑛の言葉でますます意味が分からない高谷は、困惑の表情を浮かべる。スーツのまま泳ぐなんて、事件に巻き込まれたとしか思えない。

 榊は曹瑛に先にシャワーを浴びるよう促した。曹瑛は玄関で水気を拭き取り、高谷の案内でバスルームへ向かう。


「買ってきた新しい下着、ここに置いておきますね。榊さんのですけど着替えも用意あるから」

 榊が事前に連絡していたのだろう。高谷は白いTシャツと黒のカーゴパンツ、バスタオルを用意してラックに置く。

「悪いな」

 曹瑛が濡れたシャツを脱ぐ。細身だが、しなやかな筋肉質の身体だ。洗濯物はここに、と高谷がカゴを出した。

「怪我はないですか」

「ああ、安心しろ。お前の兄貴も無傷だ」

 曹瑛の言葉に緊張していた高谷の表情がほころんだ。


 榊は上半身裸でベランダにもたれ、タバコを吹かしている。

「榊さん、何があったの」

 高谷がベランダに顔を出す。榊は目を閉じて美味そうに煙を吹き出した。

「・・・ちょっと下手こいた。追っていたブツが囮で、コンテナ船ごと爆破された」

「えっ!?」

 高谷は耳を疑った。端的に言えば榊の説明通りなのだが、理解が追いつかない。曹瑛がタオルで頭をガシガシ拭きながらバスルームから出てきた。榊はリビングの灰皿でタバコを揉み消し、高谷の肩を軽く叩く。

「心配するな、この件はきっちりカタをつける。面倒をかけたな」

 そう言ってバスルームに消えていった。入れ替わりに曹瑛がリビングのソファに座り、足を組んだ。榊の置いていったタバコを一本取り、火を点ける。


「コーヒーどうぞ」

 高谷はドリップコーヒーを曹瑛に差し出す。砂糖を皿に添えることも忘れない。

「助かる」

 気温の高い夏場とは言え、ずっと濡れたままの身体は冷えていたらしく温かいコーヒーが染み渡る。高谷が曹瑛の横に間をあけて座った。

「榊さん、昔はずいぶん暴れていて、時々こうして夜中に呼び出しの電話が来るんです」

 高谷がぽつぽつと語り始めた。


「だいたい怪我をして、スーツを血に染めて獣のようにギラギラした目をして立ってる。これは返り血だって。筋者ご用達の闇医者を呼んで、よく傷口を縫ってもらってた」

 曹瑛は高谷の言葉を黙って聞いている。

「今日もそんな予感がして、でも、声が穏やかだったからどこか安心してた。そしたら曹瑛さんも一緒で」

 高谷は半ば呆れてふっと笑いを漏らす。


「二人は良い相棒だね。曹瑛さんと一緒なら安心だよ。これからも兄さんをよろしく」

 高谷は曹瑛にぺこりと頭を下げた。

「俺は誰とも組まない」

 つっけんどんな言い方だが、曹瑛の声に厳しさは無かった。榊がTシャツに黒のジャージ姿でバスルームから出てきた。高谷はコーヒーを淹れ始めた。


「劉玲から連絡はない。少し眠るか」

 曹瑛はソファで横になればいいという。高谷が寝室からタオルケットを持ってきた。高谷も自分のアパートに戻るという。

「結紀、ありがとな」

 玄関口で榊は高谷に礼を言う。また美味いものでも食べに行こう、という言葉に高谷は嬉しそうにはにかんでいる。

「榊さん、気をつけて」

「ああ、心配かけてすまない」

 健気な弟を見送って、榊はベッドに身を投げた。


***


 スマホの着信アラームが鳴り、榊は目を覚ます。時刻は朝六時。三時間ほどの睡眠だが、意外と頭はスッキリしていた。メッセージは劉玲からで朝10時、羽田空港の小型機駐機場へ、とある。顔を洗いリビングへ行けば、曹瑛は昇る朝日を眺めながら、ベランダでタバコを吹かしていた。

 ここから羽田空港まで30分だ。榊は買い置きのホテル食パンで卵とハム、野菜を挟んだ簡単なサンドイッチを作った。コーヒーをドリップで淹れる。

「朝飯、食べるだろう」

「ああ」

 ダイニングテーブルに曹瑛と向かい合わせに座る。おかしな縁だ、と榊は思う。劉玲から連絡があったことを曹瑛に伝えた。


「本物は空輸か」

 考えを巡らせながらサンドイッチを一口かじった曹瑛が動きを止めた。

「美味いだろ、ディジョンマスタード、白ワインビネガーを使っている」

 榊の自家製で、作り置きしているという。からしと白ワインの甘いぶどうの香り、ビネガーのマイルドな酸味が組み合わさり、深い風味がある。皿に盛られたサンドイッチはあっという間に無くなってしまった。


 榊は黒のスーツに黒シャツ、紺色のネクタイを締め、前髪を軽く後ろに流した。曹瑛は高谷が気を利かせて夜のうちに洗濯したスーツを着込んだ。夏場の日差しにすっかり乾いていたのは幸いだった。榊の運転で羽田空港へ向かう。


 小型機発着場はプライベートジェットを飛ばす滑走路がある。出発前の航空機は格納庫にあるはずだ。BMWを駐車場に停め、指定された格納庫を目指す。周辺に黒服の男たちがたむろしていた。倉庫裏に孫景が待っていた。

「よう、そっちは大変だったみたいだな」

 大井埠頭のコンテナ船爆破事件はニュースになっているようだ。スーツのまま海で水泳をしたことは他言無用と、榊と曹瑛の暗黙の了解だった。

「ここに盗まれた浮世絵があるのか」

「ああ、そのはずだ」

 榊の言葉に孫景が頷く。

「そういえば、劉玲はどうした」

 曹瑛が周囲を見渡す。兄の姿はない。

「考えがあるんだと」

 孫景はニヤリと笑う。


「じゃあ行くか」

 孫景が裏口のドアを開ける。格納庫の中には小型のプライベートジェットが待機している。周辺には警備の男たち。コンテナ船に数を割いていない分、こちらには見える位置だけで見張りが10人以上はいる。

 曹瑛が走る。壁際にいた男の延髄に鋭い手刀の衝撃を与えた。男はゆっくりとコンクリ―トの床に沈んだ。

「曹瑛のやつ、やたらやる気だな」

 孫景が榊の顔を見た。榊も殺気立ち、口元をつり上げて笑みを浮かべている。航空機の車輪の近くにいた迷彩服の男に蹴りを食らわせた。怯んだ男の顎を拳で打ち上げる。男は叫び声を上げる間も無く地面に倒れた。

「あいつら何かあったのか」


 曹瑛と榊が暴れ始めたので、黒服の男たちは応援を呼び、乱闘が始まった。銃を手にした者には曹瑛は容赦せず、赤い柄巻のバヨネットで応戦する。引き金を引く前に間合いに滑り込み、腕を切り裂く。

 ドスを出した刺青男に、榊は整備箱にあった30センチのレンチを手に対峙する。

「切り刻んでやる」

 刺青男が叫びながらドスを振り回す。めちゃくちゃなだけにその太刀筋は読み辛い。榊は後退りながら隙を覗う。刺青男が振りかぶったドスをレンチで受け、跳ね上げた。驚く刺青男の顔にレンチで一撃食らわせると、その身体は派手に吹っ飛んだ。床には折れた歯が転がっていた。


「けっこう使える」

 榊はレンチを持ちなおして、次に向かってくる男を殴り倒す。孫景は銃を向ける男の頭を鷲づかみにした。男はひっと叫んで震える手で引き金を引こうとする。

「お前、銃を撃ったことがないのか」

 安全装置が解除されていなかった。孫景は男から自動小銃を取り上げ、その身体を壁に向かって軽々投げ飛ばした。


「喂!」

 一際大きな声が格納庫に響く。男たちは語気に押されて声のする方を振り向いた。そこには黒い長袍に身を包んだ無精髭の男が立っている。質の良い滑らかな布地の肩口から胸元にかけて、見事な龍の刺繍が施してある。丸いサングラスをかけた無精髭の男は後ろに手を組み、堂々と佇んでいた。曹瑛と榊、孫景も動きを止めた。


 背後から黒いスーツにグレーのタイの男が側近を連れて出てきた。年の頃50代だろうか、その凶悪な目つきは裏社会に生きるもののそれだ。

「お前ら、よくも邪魔してくれたのう。覚悟しとけや」

 周囲のチンピラたちは男に一礼する。男は彼らの親分なのだ。

「藤木さん、品物を検めさせてください」

 長袍の男の傍らに控えていたビン底眼鏡の日本人が通訳をしている。曹瑛は一瞬目を見開いた。


「おお、ええですよ」

 藤木は手下に指示をして、コンテナの中身を開けさせた。その中には桐箱がいくつも詰め込まれている。長袍の男はその一つを手に取り、紐を解いて中身を取り出した。骨董店で盗まれた浮世絵だ。

「たしかに」

 眼鏡の通訳が長袍の男の言葉を恭しく伝える。


「では、約束の金の支払ってもらおう」

 藤木は長袍の男に言う。通訳が耳元で通訳する。

「金は払いません」

 通訳の返事に、藤木は憤慨した。チンピラたちも騒然としている。

「なんだと!?ふざけるな!それなら取引は破談だ」

 黒い長袍の男はサングラスを外した。鋭い眼光がその下にあった。


「俺の大事な取引予定の絵を盗んだんや、お前は」

 中国語しか喋れないと思っていた男が日本語、しかも関西弁のイントネーションで流暢に話すことに藤木は唖然とする。

「他にもぎょうさん迷惑かけてるんやで、これは全部返してもらう」

「クソ、高額で買い取るというのは嘘か、お前らこいつらを片付けろ」

 藤木が振り向けば、仲間のチンピラは全員コンクリートの床に寝転がっていた。藤木は顔面蒼白になる。

「お前はお縄や」

 劉玲はニヤリと笑った。 


 囮に使った骨董店の絵、劉玲の取引予定だった品、榊の画廊の絵を取り出し、残りはコンテナに残した。警察が介入すれば手元に戻るまで時間がかかってしまう。伊織と孫景は藤木とチンピラを紐でぐるぐる巻きにする。

 主犯は藤木組、盗んだ浮世絵は海外の組織に売り飛ばす予定だった。劉玲が上海九龍会ダミー企業の名を使い、より高額で購入すると偽の取引を持ちかけた。それに騙された藤木らはまんまと罠にはまったのだ。美術館などから盗んだ絵とともに警察に発見され、しかるべき処分が待っている。


***

 

 閉店後の烏鵲堂に仲間たちが集っている。

「竹本さんも絵が無事に戻って喜んでる、良かった」

 浮世絵は大野記念美術館に戻った。対応に追われるが早めに原稿は書きたいと竹本学芸員から連絡があった。伊織は安堵の表情を浮かべる。

「しかし、まさか囮のコンテナを爆破するとはな」

 孫景の呟きに伊織が怪訝な顔を向ける。

「爆破って、どういうこと」

 曹瑛が大股開きで座る孫景の足を踏み抜いた。孫景がうぐ、と低い声で呻く。説明が面倒なので余計なことを言うなと睨みを利かせている。


「浮世絵て、なかなかええな。帰国する前に見学していこ」

 劉玲は飄々と笑う。長袍に身を包んだ強面の上海マフィアとはまるで別人のようだ。迷惑をかけたからと、神保町の骨董店で派手に買い物をして上海に送るいう。

「うちの画廊も展示期間を終えた。盗まれた絵が無事戻ったと話題になってそれから盛況だったらしい。次の企画展もぜひうちでやりたいそうだ」

 榊の画廊でも災いを転じて福となったようだ。


「一件落着、打ち上げにみんなで飯行くか」

 孫景の言葉に皆頷き、隣の中華料理店百花繚乱へなだれ込んだ。杯になみなみと酒が注がれ、劉玲が乾杯の音頭を取る。曹瑛が手にするのは烏龍茶だ。

「お前には驚かされる」

「だって、こんなの許せないだろう。それに俺だって、役に立ちたいよ」

 伊織は鼻息を荒げた。神保町駅で曹瑛と別れたあと、どうしても気になって連絡をするも繋がらず、劉玲に連絡をしたところ計画を知ったという。義憤を覚えたのは曹瑛だけではなかったようだ。

 胸を張る伊織の額に、曹瑛は生意気だと鼻で笑いながらデコピンを飛ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る