ゴールドハート囮作戦

第1話

 神保町古書店街にあるブックカフェ烏鵲堂は1階に中国書籍専門書店、2階にカフェスペースを併設している。

 書店では輸入書の取り寄せも行っており、研究者や好事家などマニアックな客も多い。カフェは本格的な中国茶や手作り点心を手頃な価格で楽しめる。お茶を飲みながら読める中国の風景写真や歴史書、小説など、書籍が充実しているのも好評だ。


 店主を務める曹瑛が茶葉の種類や美味しい飲み方を説明しながら、1杯目を淹れてくれる。シックな黒い長袍に身を包み、細身の長身でモデルのような整った顔立ちの彼を目当てに訪れる女性客も多い。中国人だが日本語はペラペラで、前職は中国東北地方を拠点とする組織「八虎連」に雇われていたプロの暗殺者だ。


 烏鵲堂のカフェ営業は17時まで、書店は19時で閉める。ただし、曹瑛の気まぐれで時間が切り上がることもままある。書店のバイトに入っていた高谷が片付けを終えて、カフェへの階段を上がってきた。一日の売り上げをまとめて曹瑛に手渡す。

「いつも助かる」

 曹瑛に礼を言われて高谷ははにかんでいる。高谷は都内の情報系の大学に通っており、システム全般に強い。中国書籍の取り寄せをシステム化し、スピーディに顧客の要望に応えることができている。先日は書籍の通販サイトを立ち上げたところだ。アクセス数は徐々に増えており、書店の売上げに貢献している。


 高谷は周囲に誰もいないことを確認し、あのう、と遠慮がちに曹瑛に切り出した。

「最近、新宿界隈の店で不穏なことがあって」

 曹瑛は腕組みをしたまま黙って耳を傾ける。高谷はそれを確認して続ける。

「バーにいるバイの子を狙って酒にクスリを盛るんです、それで意識朦朧としたところを連れ出して、あとは」

 よくある話だが、これは特に男を狙う手口で被害に遭っても警察に言いにくく、泣き寝入りするケースが多いという。男が被害者になることが世間では白い目で見られるのが悔しい、と高谷は唇を噛んだ。

「知ってる子が動画を撮影されて、ネットに上げると脅されているんだ。許せない」


「なぜそれを俺に話す」

「俺、そいつらを捕まえたい。手伝って欲しいんです」

 曹瑛は唇を引き結んで高谷を見つめている。

「男だって、そんな目に遭ったら辛い。それに行きつけの店でこの間連れて行かれそうになった奴がいて。大事な場所をそんな奴らに荒らされたくない」

 その店は新宿のバーGOLD-HEARTなのだろう。経営者は高谷の異母兄、榊だ。店の名前に傷をつけたくない、という思いも強いようだった。


「榊に頼めばいいだろう」

「榊さんは、きっと熱くなってしまうから」

 図星を突かれて、高谷は視線を落とす。榊は道理を弁えない輩に対して、極道ばりの制裁を加えかねないと心配している。

「わかった、お前には世話になっているからな」

 考えた末、曹瑛は頷いた。

「ありがとう、曹瑛さん、じゃあ今日店に来てもらえますか」


「瑛さん、在庫ここに出しておくね」

 三階倉庫から伊織が本を抱えて降りてきた。事情を知らぬ呑気なその声に、二人の深刻な雰囲気が解かれる。

「高谷くんもバイト上がりだよね、晩ご飯一緒に行こう」

「どうしようかな」

 高谷は小首を傾げて悩む。この件は曹瑛と秘密裏に解決したい。

「新宿に美味しいエスニックのお店があるんだよ」

 GOLD-HEARTも新宿だ。曹瑛の顔を見やるとエスニックと聞いて興味を惹かれている。高谷はやむなく伊織の提案に乗ることにした。


 伊織が二人を連れてきたのは、新宿駅東口の老舗のベトナム料理店だった。雑居ビル二階の狭い店内はお客さんで満席だ。独特のスパイシーな香辛料の香りが鼻をくすぐる。

「夏は無性にエスニックが食べたくなるよね」

 メインにベトナムのライスヌードル、鶏肉のフォー、サイドメニューをいくつか注文してシェアすることにした。パパイヤのサラダ、キュウリと香菜を甘酢で炒めたヌクマム、空心菜の炒め物、プリプリのエビが入った生春巻き、皮がパリパリのローストダックがテーブルに並ぶ。


「駅前にはチェーン店が多いけど、ここは本場のベトナム人がやってる老舗で、味つけも本格的なんだよ」

 パパイヤサラダの刻んだ唐辛子に当たり、額から汗を流しながら伊織は慌てて水を飲む。皿に盛られた具材は新鮮で、酸味と辛味の味付けの妙味がある。

「酸味が効いていい」

 曹瑛は辛味に強いようで、青唐辛子を顔色を変えずに黙々と食べている。

「この店いいね、こんな場所にあるの知らなかったな」

 高谷も気に入ったようだった。デザートにベトナムプリンを注文した。濃厚なカスタードにカラメルがたっぷりかけてある。甘いデザートに濃いめのコーヒーが合う。


 店を出て解散かと思えば、曹瑛と高谷はバーGOLD-HEARTへ行くという。

「瑛さん、飲めないのに」

「高谷の依頼で野暮用だ」

 曹瑛の言葉に、伊織が高谷の顔を見る。珍しい話に興味津々のようだ。高谷は仕方無く、事情を説明する。

「そんな奴がいるんだ、許せない」

 自分も協力したい、と伊織は息巻く。

「そうだ、榊さん呼ばないの」

 部活動のノリで盛り上がる伊織を高谷が落ち着かせる。榊には黙っていたいことをやんわり伝えた。

「あいつが来ると面倒だ」

 曹瑛も伊織のテンションに半ば呆れていた。


 結局、三人で店にやってきた。高谷と初めて出会ったのは、このハートに蔦が絡まる看板の店だった。ブルー系のダウンライトが照らす落ち着いた雰囲気の店内には、カップルや一人飲みの男女が思い思いのカクテルを楽しんでいる。同性カップルも心地良く雰囲気が特徴で、マイノリティたちに人気の店でもある。


「ゴメン、伊織さんを巻き込んじゃった」

 店のバックヤードで高谷が曹瑛を拝みながら頭を下げている。スタッフから渡されたクリーニング済みのウエイターの制服を手に、曹瑛がため息をつく。

「カウンターにでも座らせておけばいい。邪魔にはならないだろう」

 白いブラウスにワインレッドのタイ、黒のベストに巻きエプロンを着ける。ウエイターの制服にもオーナーである榊のこだわりが見える。


「わ、曹瑛さん似合うよ」

 着替え終えた曹瑛の姿に、高谷は思わず感嘆の叫びを上げた。曹瑛は不機嫌全開の顔で高谷の頭を鷲づかみにする。

「今日でカタをつけるぞ」

「は、はい」

 曹瑛は面倒は一日で済ませたいらしい。態度こそは気怠そうではあるが、その目には鋭い光が宿っていた。

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