第2話

「えっ」

 閉店間際の烏鵲堂カフェスペースでメールを確認していた伊織が声を上げた。テーブルに置いたタブレットの前で固まっている。

「どうした」

 眉根に皺を寄せて険しい顔をしている伊織に曹瑛が声をかける。

「この間、一緒に行った大野記念美術館、盗難被害に遭ったんだって」

 原稿依頼をしていた竹本学芸員からのメールでそれを知ったらしい。対応にてんやわんやで、原稿がいつになるか分からないということだった。

「原稿は仕方ないけど、盗難なんて大変だよ」

 ネットのニュースでも取り上げられていた。美人画や風景画、企画展示の歌川国佳の武者絵を含めて十点が盗難に遭ったと書かれている。


「妙だな」

 伊織の背後で腕組みをしたまま曹瑛が呟く。

「盗難に遭った作品の趣向がまるでバラバラだ」

「確かに、そういえば」

 作者も年代も、モチーフもバラバラ。適当に奪ったのではなく、意思を持って選択しているように思えた。


「その通りや」

 階段から顔を出したのは劉玲だった。その背後に孫景もいる。

「劉玲さん、日本に来ていたんですか」

「伊織くん、久しぶりやな!ってまだ一月も経ってないか。曹瑛の店はどんな感じや」

 劉玲は開店翌週には上海に戻ると言っていたが、また仕事で来日したのだろう。フットワークの軽い男だ。


「まあまあだ」

 まあまあどころか、連日盛況だ。曹瑛は忙殺されるよりも、本を読みながらのんびり店番でもしている方がいいとぼやいている。書店の売上げをまとめた高谷と、仕事帰りの榊もやってきた。

「で、浮世絵の話や」

 劉玲は真剣な表情になる。

「組織の仕事で絵の売買に噛んでてな、もちろん正規ルートやで。その契約済みの絵が倉庫から盗まれたんや。好事家からええ値段で提示があったものやった」

 劉玲は椅子に腰を下ろした。榊も同じテーブルにつく。曹瑛はグラスに水出しの茉莉花茶を持ってきた。


「俺は銀座に小さな画廊を持っている。貸しスペースで先月から浮世絵展をやっているが、その中の一点が盗まれた」

 榊が新宿でバーを経営していることは知っていたが、銀座に画廊とは。仕事の手腕といい、その落ち着いた佇まいといい、榊が自分と同じ年齢だというころが伊織は未だに信じられない。

「貸しスペースで盗難とあっては俺の信用にも傷が付く。犯人を捜しているんだが、同じような盗みが起きていると聞いてな。何か知ってるんじゃないかと思って来てみたんだが繋がったようだな」


「これ、見てみ」

 劉玲がタブレットを取り出した。画面にはリストが表示される。タイトル、年代、作者、そして値段、それぞれにハンドルネームが書いてある。

「これは闇取引リストや」

 劉玲の不穏な言葉に伊織は息を呑んだ。

「噂には聞いたことがある」

 榊がリストを見つめながら腕を組む。

「世界中の金持ちが金に糸目をつけずに美術品を買い漁ってる。中には非合法に入手しなければならないものも多いんや。それをここにリストしておけば、代理業者を通して連絡が入るというわけや」

 劉玲がリストをソートした。そこには見覚えのある作品名が並ぶ。

「あっこれ、美術館から盗まれた作品」

 伊織が目を見開く。榊の経営する画廊の作品もあるという。


「どこかの組織が荒稼ぎしてるみたいやな」

「しかし、これだけ売れば数十億単位か。やってられんな。俺も美術品ブローカーに転職するか」

 孫景がぼやく。武器ブローカーを趣味でやっているような男だが、最近は平和であまり仕事がないらしい。

「俺は網を張った。この近くの骨董屋や。おそらくすぐに餌に食いつくで」

 劉玲が目を見開いて笑っている。その顔には妙な迫力がある。今日のところはこれで解散や、と劉玲と孫景は去っていった。榊と高谷も帰っていく。


「瑛さんはどうするの」

 伊織が曹瑛を見上げる。劉玲と孫景は窃盗団を捕まえる気だ。曹瑛も手を貸すのだろうか。

「どうもしない」

 曹瑛はまるで興味が無さそうだ。伊織は拍子抜けした。

「あいつらに付き合っていられない。もう閉めるぞ、腹が減った」

 店の裏口を出て、曹瑛が行きたいというカレー店”ボンディ”に向かう。


 見た目はシンプルだが、じっくり煮込んだ秘蔵のスパイスの効いたルーはこくのある深い味わいだ。付け合わせのほくほくじゃがいもをバターと一緒に頬張る。

「じゃがいもが別っていうのが面白いよ」

「本来は違うのか」

 家のカレーはじゃがいもはルーに入っているものだと曹瑛に教える。

「じゃがいもが別皿なのは前菜の意味と、ここが学生街ということもあってお腹いっぱいになってもらいたいっていう想いがあるんだって」

 この夏、曹瑛はカレーにハマっているらしく神保町のカレー店をハシゴする気のようだ。


 伊織と神保町駅で別れ、曹瑛は烏鵲堂に戻った。三階の部屋で灯りもつけずに壁にもたれて座り込む。美術館には素晴らしい作品が並んでいた。あの時の感動を今も覚えている。それが心ない者の手によって盗まれた。

 曹瑛は立ち上がり、クローゼットを開けた。黒の開襟シャツにオーダーメイドの黒いツーピースのスーツ。今年の夏用に仕立てたものだ。クローゼットの奥から手になじんだ赤い柄巻の愛用のナイフ、バヨネットを取り出し背中に差し込んだ。


 時計を見れば、日付が変わろうとしていた。劉玲の言う店は見当がついていた。烏鵲堂の二本向こうの通りの骨董店だ。この辺りで浮世絵を飾っている店はあそこしかない。曹瑛は静かに部屋を出た。

 骨董店へ向かう路地に人影があった。暗闇にぽうと火が灯る。タバコの火が照らす顔は榊だ。


「やっぱりお前も来たか」

 紫煙をくゆらせる榊は曹瑛の顔を見てニヤリと笑う。曹瑛はそれに答えない。

「一本くれ」

 曹瑛はフィリップモリスを口にくわえる。榊がデュポンで火を点けてやる。榊はピンストライプのダークグレーのスーツに白シャツといういで立ちで、俺は季節感を重視していると謎の自慢をしていた。


 店の正面が見渡せる路地に、劉玲と孫景の姿が見えた。劉玲がこちらに手を振っている。

「本屋と人気のカフェだけじゃ物足りないようだな」

 榊がからかうように問う。

「そういうことではない」

「じゃあなんでここにいる」

「気に入らないからだ」

 榊はフッと笑う。

 骨董店の前に小型トラックが横付けされた。そこから三人の黒服の男たちが降りてくる。防犯装置を切って正面の扉の鍵を手早く破壊し、店内に押し入った。トラックのせいで大通りからは死角になっている。


「手慣れているな」

 曹瑛の言葉に榊も頷く。劉玲も路地から一部始終を観察している。ものの三分程度で男たちが桐箱を持ってトラックに乗り込んだ。狙いの浮世絵が手に入ったのだろう。そのまま通りを走り去って行く。

「よし、GPSを取り付けたぜ」

 孫景のスマホにトラックの位置が表示されている。南下しているようだ。

「これで追跡できる、行こう」

 孫景の指さす先には白い軽四があった。榊はBMWで追うという。曹瑛は榊と同乗することにした。

「じゃあ、現地でな」

 孫景と劉玲は軽四に乗り込んだ。


「いけすかない匂いだ」

 曹瑛が助手席に乗り込んだ途端、顔をしかめて呟く。榊のつけているブルガリソワールだ。

「文句を言うならあっちに乗れ」

「いや、我慢してやる。孫景の運転はヤバい」

 スイッチを入れるとエンジンは静かに始動する。曹瑛は革張りのシートに身を預けた。劉玲と曹瑛で連絡を取りながら車を走らせる。目的地は蒲田にある貸倉庫のようだ。船便で海外へ運び出すつもりか。近くの空き地に車を停め、劉玲たちと合流した。


 裏口の階段を昇り、倉庫の二階に忍び込む。見下ろせば、黒服の男たちが何やら話をしていた。話はついたらしく、小さなコンテナをトラックに積み込んだ。シャッターが開き、トラックは出て行く。男たちはまだ倉庫に五人残っている。

「あのコンテナを追う」

 榊と曹瑛は倉庫を出た。劉玲と孫景は倉庫に残り、監視を続けるという。榊のBMWでトラックを追跡する。

「大井埠頭へ向かっているな」

「船便か」

「小型コンテナの積み下ろしヤードがある」

 男たちが二手に分かれたのは気になるが、倉庫は劉玲と孫景に任せておけばいい。


 小型トラックは埠頭へ入っていく。深夜で人気は無い。BMWを倉庫裏に停め、曹瑛と榊はトラックを追う。小型のコンテナ船が横付けされており、自走クレーンがトラックからの積み荷を乗せた。

「船が出る前に止めるぞ」

 曹瑛が走る。クレーンの脇でタバコを吹かす黒シャツ男の背後に近づく。男の頭を掴み、鉄柱にぶつけて気絶させた。闇に紛れ、俊敏な動きで敵を倒す曹瑛の姿に、鈍りは微塵も感じられない。


「てめえ、誰だ・・・」

 榊は倉庫のシャッター前に立つ男が大声を上げる前に拳をくれてやった。顎に強烈な一撃を食らい、男はシャッターにぶつかりそのまま崩れ落ちた。異変に気付いたスキンヘッドが銃を手にトラックから降りてきた。

 曹瑛がゆらりと目の前に立ちはだかる。スキンヘッドは曹瑛に銃を向ける。引き金を引く前に曹瑛の放ったスローイングナイフがスキンヘッドの手を貫いた。スキンヘッドは痛みに銃を落とす。曹瑛は銃を海に蹴り飛ばした。怒りに任せて襲いかかるスキンヘッドの腹に蹴りを入れる。背後のトラックにぶつかり、スキンヘッドは気を失った。


「これだけか」

「いやに警備が少ない」

 曹瑛と榊は周囲を見渡す。気絶させた男たちの他に人影はない。警戒しながらコンテナ船に乗り込んだ。狭い船上にも人の気配は無い。榊は船首に向かう。曹瑛は船尾を調べ、先ほどトラックから積み込みをしたコンテナを開ける。その瞬間、コンテナの奥で時計が音を刻み始めた。

「これは・・・」

 そして中身は空だ。

「しまった!」

 曹瑛は船首に走った。


「榊、飛び込むぞ」

「な、何!?」

 無表情のまま猛ダッシュで迫ってくる曹瑛に驚く榊。そのまま腕を掴まれ、背中向きで海面にダイブした。激しい水しぶき、そして身体が水底へ沈んでゆく。その三秒後に爆音が響き、水面が眩しく輝いた。

 体勢を整え、曹瑛とともに沖へ泳いでいく。海面から顔を出せば爆発の余波で熱風が吹き付けた。周囲には船の破片が散乱し、海中に沈んでいく。

「やられた、こっちはダミーか」

 榊は悔しげに呟いた。曹瑛は無言で燃え上がる船を見つめている。


 なんとか岸に這い上がり、倉庫脇の通路にあった水道のホースで海水を洗い流した。榊は泳ぐのに邪魔になった上着は途中、海に脱ぎ捨てた。白いシャツ姿で水を頭から浴びる。びしょ濡れのシャツが肌に張り付いて気持ちが悪い。

 曹瑛はスーツのままで上がってきた。着衣のまま泳ぐのは相当な体力だ、一体どういう鍛え方をしているのかと思う。

 榊は曹瑛の頭から水をかけてやる。不機嫌そうに棒立ちしているが、ベタベタの海水が洗い流されてスッキリしただろう。


「お上が来る前に退散するか」

 榊は濡れた前髪をかき上げ、頭を振った。それでもまだ水が滴ってくる。曹瑛もずぶ濡れの上着を脱いで絞っている。

「タバコが駄目になった」

 曹瑛は不満そうに水を吸ったタバコをその場に捨てた。


 幸い、ズボンのポケットに入れていたBMWのキーは無事だった。トランクを開け、タオルを取り出す。もう一枚を曹瑛に投げてよこした。タオル一枚で拭いたくらいでは気休めだが仕方が無い。そのまま車に乗り込む。

 榊は車に残していたスマホで劉玲に状況を伝えた。劉玲と孫景の方は動きはないらしく、そのまま待機しているようだ。その後高谷に電話をかけている。


「結紀か、悪いな遅くに」

 BMWの時計を見れば深夜二時をまわっていた。

「いや、まだ起きてたから。どうしたのこんな時間に」

「今から俺のマンションに来てくれないか」

「わかった」

 事情を察したのか詳しい訳を聞かず、高谷は電話を切った。榊のマンションは品川にある。

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