第22話 告別








「終わったよ」

 破壊された痕跡がいまだ残るヒロサキで一人の女が男に声をかけた。

「そうか」

 と、男は振り向きもせずに頷く。

「世話かけたな、ロエ2」

「それはこちらのセリフだ。異常となった典災に対する対処の協力感謝する」

 偽典、カホルとヤゼル。災厄とでも呼ぶべき彼らは典災としても異常だったというのはアリアからすでに聞いていた。その成長はとどまらず、ついには事象の書き換えや世界の停止にまで行きつき、ついには滅びた。元より器の影響を受けている彼らだがことさらに影響を受けた個体は今のところあの二体だけだったらしい。その二つは固まり、驕り、消えた。

 アリア。

 ブルーノは視線を落とす。その先には、何の目印も、血痕も無い。

 だがそこは、春の欠片が命を落とした場所だった。カホルは、記憶を喰うことなく噛み砕いた。そうしなければ春の記憶に打ちまけていたからだ。それほどまでに規格外な、春という女。

 春。アリア。プリマヴェーラ。

 規格外の因子を持ちながら、才天としては成立していない。

 あのとき、アイズを喰ったあのとき。

 見えたあれは、おそらく。

「…………」

 考えても仕方のないことだ。

「これからどうするつもりだ」

「とりあえず離職クエストでも受けようかと思ってね」

 ああ、とブルーノはロエ2のサブを思い出す。吸血鬼。一時期はやっていたらしいあれだ。今ではデメリットの方が多く、ロールや物好きしかしていない。

「君は?」

「俺は……変わらないさ。やるべきことをやる」

 そうかとロエ2はブルーノと同じ場所を見た。

 もういない。どこにもだ。不思議な感覚がすると、ロエ2は自らを俯瞰する。味わえなかったもの、見たことのないもの。

 何か足りないような気がする。これがそうなのだろうか。

「正直に言って君の望みは愚かとしか言いようがない。私には理解できないよ」

「お前らの事情からしてみれば、そうだろうな。生きるのに必死なんだから。これが生じてるのは単に、成長し、溢れ、おぞましい数となり、枝が増え続けたからだろ」

 そう、増えすぎた。人間は、無駄なことを追い求め始めた。

 そんなことは必要なかったのに。

 ここまで育たなければ、生まれなかったのに。

「不具合だらけだなぁ」

「今すぐ消え失せればいいのにな」

「それは、どうだろう。私にはまだわからない」

 わかるまで考えようと思うと女は言う。

「好きにすればいい、今のところお前の命はお前のものだ」

 少なくともこれは好きにしたと爪先で示すと、彼女は頷いた。

「与えられた役割は彼女の分まで果たすとしよう」

「そういうやつだったのか、お前」

「薄情な人間だと思われていたのか?」

「元が腹黒だろ」

「どうにも嫌われているらしいなぁ、彼は……ふむ、なんだかわかりにくいか?」

「俺は分かるからいいんじゃないか」

「ふうむ……他人と呼ぶには近しく、親というにはあまりにも……」

 考え込み始めたロエ2を、ブルーノはようやく振り向いてみた。

 面影はある。そこら中に。

 それだけで少し嫌な気分になる。

「そんなに嫌そうな顔をしないでほしいな。私とて悲しくなる」

「悪い。俺はまあ、その人がうらやましくもあるよ。憎くもある」

 俺には成し得ない。俺にはその糸口すらないから。

「捩れているね」

「嬉しそうに言うなよ」

「すまないね、なんだか楽しくて」

 さてと、と復興が進んでいく街を見ながら、ロエ2は手を差し出す。

「私の名前はロエ2だ、友よ」

「……俺の名前はいらないな」

「もう貰っているからね」

 差し出された手を掴み、上下にゆるく振る。いわゆる握手という奴だ。

「さようなら、ブルーノ」

「ああ、さようなら、ロエ2」

 月の渚で出会った唯一の友よ。

 もう二度と会うことはないだろう。






















 アキバへと帰ってきたのは、年が明けてからだった。

 見慣れた街並みにほっとしたように白銀はいつもよりもうるささを増していく。

 クリスマスも元旦も逃したから合同で打ち上げも兼ねてやろうと騒ぎ始めたのはいつもと変わらずセンジとL2だ。阿保と馬鹿のせいで近所の建物が爆発するなどあったが何とかばれずに修復することができた。

 偽典と称される彼らは消滅した。偽物も、もう現れることはない。明日を望む才天も滅び失せ、残るは三つの願い。

 死。

 恐怖。

 存在。

 そして、否定。

 終わらせるべきだ。

 終わらせなければならない。

 殺した数だけが増えていく。この数字のカウントを止めなければ。

 意味がない。

 ブルーノは階下の声を遠くに聞きながら、一人で買ってきたご飯を食べていた。

 味がしないし、もうどうでもよかった。最初の湿った段ボールみたいだ。

 神様が考えた新しい最高の拷問だと誰かが言ったらしい。まったくその通りだと思う。食という人間にとって、いや日本人にとって最大ともいえる欲求を奪われるのはことさら嫌なものだろう。加えて、睡眠の頻度の低下。三大欲求のうち二つが欠けている。

 何かが消えていくのだろうか。

 もう消えているのだろうか。

 わからないなとピザみたいな形なのにまるでそんな味がしない物を口に放り込む。

 噛んで潰して擦って、飲み込んだ。口の中でへばりつく不快感がして、水道水のような味さえしない液体で流し込む。

 誰にもこれを止めることを許しはしない。

 誰にもこれを止めることなどありえない。

 自殺は、俺だけのものだ。

 俺が死ぬだけのものだ。

 俺が終わるだけだ。

 それだけで、世界はまるで全く変わりなどしない。

 どれくらい食べればいいんだっけとふと手を止めた。胃の中の状態がわからない。

 どれだけ食べたのかわからなくなっていた。

 あやふやにとけていく。

 そうか、とブルーノは思った。

 欠けた魂が存在している、それこそ奇跡だ。

 そしてそれを維持するものは一つしかない。

 自分しかない。使って、消えないように滑り落ちていく砂のようにかき集める。指の隙間から零れて堕ちていくのに。

 時間はない。

 虹を使えば消えていく。

 存在するだけで消えていく。

 消費を抑えて、あれらが死ぬまで踏ん張ればと思ったことはあるが、おそらく直前にヘレルは成し遂げるだろう。

 森羅変転を。

 一度目は六傾姫により。

 二度目は種により。

 三度目は行方を知れず。

 四度に近い極小規模なものはここに。

 正しく四度目を、成す。

 巻き起こるのは変転などという生易しいものではない。

 二つの世界が激突し、落下し、ひかれあう。

 何十億の人が死に、何万という新生物が現れ、何千という新しい魔法が芽生え、何百という法則が組み替えられ、何十という大地が変わり、

 たった一人の人間が、生きる。

 ありとあらゆるものは混ざる。

 人間も、大地人も、冒険者も、亜人も、モンスターも、世界、月、宇宙も、何もかもが交わる。

 人間未満の欠片の願いで、行動のせいで。

 可能性が生まれて死に生まれる。

 永いサイクルで見れば当然のことなのかもしれない。現実世界の地球はいずれセルデシアとなるのだろう。それとも逆なのだろうか。

 でも、ただ一人。それのせいでそれが起こるのだけは止めなければ。

 早く、死ななければ。

 静かな執務室。

 月明かりだけに照らされる部屋に扉の軋む音が響いた。

 センジたちじゃない。彼らはもっと騒がしい。

 部屋に入ってきたのは、影みたいに黒い男。

「や、ブルーノ。話をしよう」

 魔人、ヴィルヘルムはそんなことを言って、扉を後ろ手に閉めた。

 ゾーンが孤立し、部屋の所有権を保持しているブルーノの前に出入り禁止にしたというシステムメニューが出た。

 見れば扉や窓に影が張り付いている。

 ゾーンへのシステム的な介入。世界を構成する魔術契約を侵す影。

「話なんかすることあるか?」

 背もたれへと深く腰を掛け直しながら問うと、返答はない。何だろうとみてみると不思議そうな顔をしながらこちらを見ていた。

「……なんだよ」

「今日はいきなり吼えたりしないんだなと思ってね」

「ああ……」

 そういうことかと納得する。

「そんな気分じゃない」

「ははっ、気分じゃないだろう。君は不安定になってるのさ」

 ソファに腰を掛け、ヴィルヘルムが愉快そうに笑う。

「オレたちは出自が出自故にこの世界でさえ存在維持にエネルギーを消費する。これは生物全てに言えることだが、食事やエネルギー摂取じゃあ解決しない。共感子でさえ、オレたちの存在を維持できることはできない」

 必要なのは世界自体の革命。

「消耗しているんだ。身体はボロボロになり現行の記憶さえ不確かになる」

「ならお前らはどうだ」

「平気そうに見えるか?」

 そう言ってヴィルヘルムが卓上にあるクッキーへと手を伸ばす。

「どうでもいい」

「だろうね」

 共に時間は少ない。それだけはわかりきっていることだ。

「このクッキーおいしいなぁ。誰が焼いた?」

「俺」

「ああ、俺はこれも上手だったのか……こっちには誰も料理スキルがなくて毎日湿った段ボール飯だ」

 スキルがあってもサブ職のレベルがなくては意味がないだろう。それにこいつらは食事などするのかと考え、そういえばアイズが以前きたときにしきりに何か食べていたことを思い出した。

「よかったな」

「お前ね……」

「それよりなんだよ話って」

 文句を続けようと身を乗り出したヴィルヘルムを遮る。早く帰ってほしい。

「明日は槍でも振るかな」

「なんもないならさっさと帰れゴキブリ」

 その名前を出すと言った本人のブルーノもヴィルヘルムも露骨に顔を顰める。

「君が一番嫌そうなのをやめろよ」

「嫌いなんだよ」

 セルデシアに来てから見かけたことは少ない、がそれよりもなんだかめちゃくちゃ気持ち悪いよくわからん虫モンスターはいるし戦ったし汁をぶちまけたので印象がもう最悪だ。

「アイズの最期はどうだった」

 不意に転がった一言は不思議なまでに静かに、執務室へと転がった。

 とても冷たくて、快も不快もなにもなくなる。沈んだ時みたいだ。

「俺をかばって死んだよ」

「ああ」

「和人のことが好きだと最期に言った」

「ああ」

 それで。

「喰ったのか」

 黒い瞳が向けられる。その目は、どこまでも橋場和人の瞳を思わせる。

 暗くて、なにもいいことないと言いたげな目だ。

「ああ」

 頷くと、そうかとヴィルヘルムはソファに身を沈めた。

 沈黙が降りた。

 ぽりぽりとクッキーを頬張る音だけが響く。階下から聞こえる白銀の声はしない。空間的に断絶されているからだろう。窓から差し込むはずの明かりはない、影のせいだ。

 殺せるだろうかと、そんな思いが現れた。心ではなく、技術や戦闘的な意味で。

 一人いなくなったが、ブルーノが殺したわけじゃない。

 殺せるか。

 あと三人。消耗を度外視すれば確実に一人は消せる。

 今は、どうだろう。

 自分を殺す。

 浮かぶのはアイズがいなくなった時の、

「――――」

 どうしようもない虚ろ。痛みと喪失。

 いや。

 こんなものでは止められない。止まれない。

 何も問題ない。

 殺せる。

 何を下らないことを考えているのだろう。

 死にたくないみたいじゃないか。

 一切を打ち切り、ブルーノは息を吐く。ずっと息を吐いている気がした。

 もう吐き切りたい。吸うことなんてせずに。

「君も感じたんだろう、あの、痛みを」

「……ああ」

 それがどうした。

「そう睨むなよ。どうしようもしないし、なにもしないさ。ただの確認だ」

「なんの」

「オレたちが確かにつながっている、きょうだいだということさ」

 突然、窓からの月明かりが光量を増した。扉の隙間から明かりが漏れて、遠くに白銀の声がする。

「さようなら、ブルーノ」

 ヴィルヘルムがのっぺりとした黒になり、音もなく足元の影に吸い込まれて消えていった。ホラー映画のワンシーンみたいだ。

 ゾーンの入退出制限はもう以前のものに戻っている。ここに彼が来たという証拠は塵一つとして残っていない。









 翌日、買いだしのために歩いていると混雑した道を見つけた。

 迂回しようかと思ったが目当ての肉屋はここを通らなければいけない。

 仕方ないと歩き出すと、混雑の中心から逃げるように出てきた女とぶつかった。

「あ、す、すみませ」

 レーナだ。慌てたような彼女はファンにでも囲まれたのだろう。機を見て脱してきたところにぶつかったらしい。

 彼女は不思議そうな目をしてこちらを見つめてくる。

「えと、あの……」

 ああ、と遅れてブルーノは自分が道をふさいでいることに気が付いて退いたが、視線は外れない。

「はじめ、まして……ですよね……?」

「…………ええ、そうです」

 じゃあ、と周囲の視線を無視しながら、人混みの中に滑り込んでいく。

 アキバの街は騒がしい。

 時刻は正午前。お昼ご飯のために買いだしにくる大地人や昼を前倒しにきた冒険者たちであふれだす時間帯。

 うるさいくらいだ。喧騒に包まれる。

 そのはずだが、一人歩くブルーノの耳にはどれも届かず、音なんて、自分の弱々しい心音しかしなかった。

 自分から消えているだけじゃない。

 世界からも、記憶が消えていっている。

 一度消えたブルーノという記録。

 それがまた消えているだけということ。

 我知らず上機嫌のまま、男は街を歩いていく。

 季節は冬。

 暖かい日差しは見えない。

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