第21話 白い虹







「あー! あー!! あああああああああああああ!!!」

 叫びとともに打撃が叩き込まれる。

 無数の拳が飛び、肉が裂けていく。

「おもしれえ! おもしれえじゃねえか!! なぁ! クソ猫!! ここで! てめえを! ぶち殺せるなんてよ!!」

 言葉が途切れるごとに攻撃が激しくなり、銀次郎は弾き、防ぐが押される。

 ドレイクの体はおかしかった。目も相対した戦場のどれもより異常な光彩を放っている。欠けた虹みたいだ。

 歪に盛り上がり、ときどき意味不明な叫び声をあげながらドレイクを死を振りまく。

 一撃一撃が異様なダメージを叩きだしている。体が耐え切れず、避ける音がする。

「生意気なくそ野郎の誘いには乗るもんだ! なあ!! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す!!」

 センジよりも荒々しい攻撃を捌き続けながらも銀次郎はカウンターでダメージをたたき出していく。

 相手は攻撃力が高いといえど体力の削れ方はただの冒険者だ。

 もっと異常な奴はいる。ドレイクは叫び、狂い、相手を威圧するだけだ。場の雰囲気をつかむというのが戦況を動かすというのは何度もミサキ達が話しているのを聞いた。飲まれるという奴だ。威圧で相手を驚かせ、ミスを誘い、隙を突く。ドレイクにそのような計算はないが結果としてはそうなっている。

 対する銀次郎は冷静に対応した。やることは変わらない。いつでもだ。冷静に。火事が起こる、連絡を受け即座に用意し出動する。身体にしみこませた動作のように刀を振るう。

 何度も見ている、何度もやった。ゲームで見ていた時よりも鮮明に、より正確に銀次郎は動いている。

 同職のセンジと馬鹿みたいにやり合った。クリスとも何度も攻防を繰り返した。

 ドレイクのような暴れ馬、なんてことはない。

 こっちは何度でも理不尽を叩きつけられ、何度でも立ち上がったのだ。

 殺す。

 猫と殺人鬼の殺意が噛みあい、攻撃が交差した。

 膨らんだ腕が突きこまれ、真っすぐな刀が振り上げられる。

 ぐらりとよろめいたのは殺人鬼だ。体力バーがゼロになり、巨体が倒れ伏す。

 終わりだ。また神殿で目を覚ますだろうが、今回は銀次郎の勝ちだ。

 汗をぬぐい、その場を後にしようとして、背後で、雪を踏みしめる音がした。

「……待てよ、まだ終わってねえ」

 振り向くと同時、銀次郎の体が浮く。壁に叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。

「……マジか」

 死んだはず。体力がゼロになった。だが、死体は消えていない。

 動いているから死んでない。喋ってる。

「死ぬわけねえだろ! 俺が! いや死ぬ! 死ぬが俺は死なねえ!! お前は死ぬ!!」

 元の面影はない。もうただ壊れたスピーカーみたいだ。

 刀を構え、血を吐き捨てる。

「一回じゃ死なないか」

 名前が明滅している。ブルーノのようなものではないと直感がつげる。

 典災だ。彼らが歪めた。

「何度でも殺す」

「ああ、いいぜ! やってみろよ!! クソ猫!!」

 雪を踏み、銀次郎は前に出た。戦闘音があちこちで響くヒロサキの街。

 一つの戦いの音が追加され、雪に消されていく。








「……しつこいな」

 足を絶った。腕を落とした。頭を斬った。

 そのたびに、新しいドレイクの部品が現れ、動いた。

 部品としか言いようがない。瞬く間に切り替わった。

 見たことがないそれは妙にすかすかした手応えだ。相手をするのは得ではないと直感が告げているがこれを野放しのほうがまずい。

 かといって銀次郎がここを抑え続けても微妙だ。他にも援護に行くところがある。孤立した状態は脱したい。

 カイティングはとっても意味がないだろう。センジなら何とか切れそうな気がするがあれは別だ。

 そのセンジとも今連絡を取れる手段はない。

「いいさ」

 じゃあと銀次郎は刀を握りこむ。

 やることはかわらない。殺し尽す。

 できないがやるしかない。不死殺しのフレーバーを持つものはない。

 ドレイクが喚き、動く。下段に構えた刀でかちあげようとした直前、ドレイクが横に吹き飛んだ。

 光るものが飛び散った。血と、虹。

 意味するのはただ一つ。

「銀次郎、あとは任せろ」

「ギルマス……」

 双剣を携えた男は冷たく雪に塗れた殺人鬼の果てを見つめる。

「二重なる者か」

「きょうだい!! きょうだい!! なぁきょうだいそこのクソ猫がぁ!」

 興奮するドレイクに白けた目で答えるがあれはもうなにも見ていない。

「ギルマス、あれは」

「わかってる。あれなら殺せる。お前は他のところに行ってこい」

「……一人でやれるか」

「何回も一人で殺してたろ。一回くらい俺もやれるさ」

 ほら、しっしっと手で払われ、銀次郎が苦笑した。

「任せた」

 その場を離脱し、銀次郎は別の場所へと向かう。

 馬鹿の相手をさせるには惜しい。

 何事かを喚きながら、ドレイクが突進してきた。荒れ狂う嵐のような突撃はブルーノを紙きれのように破砕するだろう。

 当たればだ。

 軽い動きでブルーノが飛び避けた。ドレイクの背後へと落ちる。

 頭から。振り返ったドレイクと視線がかち合い、

「――――」

 視界が割れた。

「あ……?」

 殺人鬼の片目が赤く染まる。雪に何かが落ちて、ドレイクが倒れ伏す。

 体が重い。糸が切れたみたいに動かない。

 冷えた汗が出る。背筋を寒気が駆け抜けた。

「て、めえ、なにをし」

 そこまで口にして、はっとした。暴風雨のような思考の苛立ちが終わっている。身体の変化が収まっていた。

 カホル。あの怪物が唆してきた。それに触れて、おかしくなった。

「ドレイク。お前は何がしたい」

「あぁ? んなもん決まってるだろ」

 人殺しだよ。

 クソ猫を殺す。

 なんでもない人間を、

 なにかをする人間を、

 真っ赤にして、そのうえでご機嫌に踊ってやるのさ。

「理由なんかいらねえ。俺は殺したいから殺すんだよ、てめえだってそうだろ!」

 同じだ。ブルーノも、ドレイクも。人殺しを楽しんでる。

 ようやく見つけた同族だ。殺しても死なない、同族だ。唯一の理解者。

「兄弟、時間が惜しい。俺は殺しに行くんだよ」

 だからはやく。

「お前は死んでも銀次郎を狙い続けるか」

「たりめえだろ。あいつは、俺の邪魔をした。俺と、兄弟の邪魔だ! むかつくんだよなぁ、ああいう偽善ぶったちゃんとしてる野郎はよ。いいだろ、一回や二回死んでも。何度でも死ねるんだからよぉ」

 そうかという声が零れる。

 動けないドレイクを、ブルーノが見下ろす。

「じゃあお前はもう、いらない」

「あ?」

 何をたわけたことを言ってやがる。

 見上げた男は、今まで見たことがないくらいに研ぎ澄まされていた。

「お前はどこの世界からも消える」

「お、おい……ブルーノ、お前……」

 そこで、ドレイクはようやく本当の彼を見た。

 剣が断頭台の刃が如く振り上げられる。

「邪魔だ、お前はいらない」

 ただならぬ気配を感じ、ドレイクが抗議の声を上げようとし、

「やめ」

 虹を纏った刃が落ちた。

 動けもしなかった殺人鬼は絶望に染まった表情のまま、色を失い、崩れ去っていく。

 欠片にすら一瞥することはなく、ブルーノは即座に城門へと向かう。














「くそが!」

 ディーが次の矢を構えながら悪態をつく。来るのはイケメンだ。当然のようにして面がいいそいつはホストのような恰好をしてよくわからん機械を体につなげている。世界観がめちゃくちゃだが動力甲冑のような性能を有しているそれは侮ることができない。

 イエローパンサーを抜けてくる個体はどれも手ごわい。単独で突破できるほどの力がある。

 スーパーアーマーでもついてるかのようなそいつに射撃は少し分が悪い。怯まないというのはそれだけで圧になるのだ。

 懐の刃を手を伸ばすと同時、ホストに剣が突き刺さり、白い塵へと姿を変えた。

 直後に視界に移るのはブルーノだ。こちらに目もくれず城門方向へと走り抜けていく。

 元栓を閉めにいったようなものだ。湧き場所を潰しに行ったのだろうと判断し、ディーは他の場所の援護へと走る。おそらく同じようにブルーノは駆け抜け、道中の敵を白い塵へと変えていってるのだろう。

 外から進行してくるのは主に偽物と常蛾たち。偽物には発生の規制時間がある。しかし常蛾たちはおそらく無尽蔵に湧いてくる。元を締めない限りだ。

 今リソースを入れるべきは中の状況。暴れる典災を抑えつけ、偽物を淘汰するブルーノの援護をする。

「まあ、そう簡単にはいかねえよな」

 目の前に蠢くモンスターの群れにディーが弓を引き、同じような者たちが各所で戦闘を継続する。

 あのときのような地獄は広がっていない。無関係な人間が、訳も知らずに殺され続けるようなことは起こっていない。

 城門ではそんなことを知ったことではない彼らが奮戦を続けていた。

 迫りくるのは直接自分に対して何かを語りかけたことがない存在だ。癒されたり笑ったり元気をもらい続けたような存在が、偶像が、責めるように殺意をぶつけてくる。

 ただ器が同じだけだ。そこに魂はない。

 疲労がたまる。泥沼で戦ってるみたいに手足が重くなっていく。

 隣に立っていた仲間が倒れた。後ろで蘇生され、また戦いに身を投じる。声がないだけましだと誰かが叫ぶ。その通り。これで罵倒まで追加されたら心はとっくに折れていただろうとイェーガーは思った。

 九十余りの偽物たち。何体かは抜けていったが白銀が後方で戦っている。大地人たちは無事だろうか。わからない。

 戦うしかないのだと全身を迫るアイドルへとぶつけた。手ごたえが岩みたいでびくともしない。

 軋む体がよろめいた。崩れる、負ける。

 青いアイドルが拳を振りかぶった。

 死ぬ。

 鮮烈な死の気配を前にして、イェーガーは歯を食いしばり、

「うわあああああああああああ!!」

 それでも拳を握りこみ、殴りかかろうとした。

 瞬間、無数の斬撃が偽物たちへと叩き込まれる。

 目の前にいた偽物たちが傷口から白く消え失せていく。

「なんだ!?」

「ちっ……早いご登場で……」

 戦場を見ていたカホルが苛立たし気に舌をうち、感情を見せなかった偽物たちが明らかに動揺した姿を見せる。

「ブルーノ、さん!」

 イェーガーが名前を呼ぶなり、白い男目がけて残ったVが襲い掛かった。

 英雄と女騎士が剣を掲げ、悪しき敵を滅ぼすように渾身の一撃を浴びせる。

 響くのは快音。二振りの剣を受け止めた双剣が滑り、英雄へと切り返すと同時、ブルーノは女騎士へと蹴りを放つ。

 英雄が塩へと変わった、女騎士が負けじと踏み込むが遅い。振り向くと同時に右腕を切り落とされ、首を刎ねられた。

 続くのは袖がない男と農夫と悪魔染みた生物。三方向からの攻撃。後ろからはさらに偽物が続いた。ブルーノを一番の脅威とみなしてラッシュをかける。

「馬鹿共が! 退け!!」

 カホルが叫び声をあげ、

「エンド・オブ・アクト」

 短い言葉と剣音が大多数の偽物を切り裂いた。

 空間そのものを歪ませるようにいくつもの斬線が走り、ブルーノが中央で納刀をするとガラスが砕けるような音を立てて、白い灰が舞う。

 雪のように降り積もった偽物たちの残骸。その中心で、白い男は、カホルへと目を向ける。

「お前分身か」

「あぁ? なに全能ぶってんねん自分。まだ殺し切れてないやろが!!」

 カホルが走り出すと、残っていた偽物も動き出す。狙いは当然ブルーノ。

 Vの内、残ったのはほんの数体だが強力な個体たちだ。美大生が特に早くブルーノへと迫る。

 カホルとV。どれを優先で対処するか思考を巡らせるが、上から落ちてくるそれで思考が中断された。

「ああ! 追いつきましたわ、つれない人!! 待ちわびていましたわ!」

 ラスフィア。考えが鈍った。

 美大生が突然横に吹き飛ぶ。追いついてくるようなVも例外なくだ。

「ブルーノさん! 偽物は任せろ!!」

 イェーガーが叫び、美大生に切り返された。

「来いよ! てめえの相手は俺だ!!!!」

 死に物狂いで男が叫び、ぶつかる。

 ラスフィアがブルーノへと到達し、攻撃を行うが余裕ができたブルーノに切り払われ、そこへカホルが斬撃を放った。

「くそったれが!」

「喚くな、欺瞞」

 斬撃と斬撃がぶつかり合い、歪な音を立てる。

 カホルは分身体。感じからして四割程度。ラスフィアは五体満足だが偽物であり、各種スペックは劣っている。

 イエローパンサーたちの増援は期待できない。既に万全を尽くしてくれている。カホル本体がヒロサキに入り込み、何かを動かそうとしている。

 故に急ぐのは、二体の打倒。

「いっ!?」

 ブルーノの速度が上がり、カホルを追い詰める。変形する傍から、始点から攻撃を削ぎ落し、虹によるダメージを蓄積させていく。

 集中。

 研ぎ澄まし、刃を振るう。ラスフィアの横槍を掻い潜り、カホルを追い込む。ここでこれを逃せば即座に本体と合流するだろう。

 そんなことはさせない。

 昆虫のように這いまわる一撃が、死角からブルーノの剣を叩き落とした。意識を裂きすぎた。取り乱すことも無く、無手となった左からくる攻撃を前へと飛び込み躱した。

「お前ほんまは死にたくないんやろ」

 カホルの唇が動く。高速のやり取りはまだ続き、二方向から動き回る敵をブルーノはへばりつくようにして追い回す。

「僕らがいるから、才天がまだ生きてるから、殺さなきゃって、そうやって理由つけて、ああしてこうしてって先延ばしにする」

 嘲笑が死にたがりを見た。

「勇気がない、けったいなやつやのう。みーんなおもてんで、お前みたいなゴミクズって」

 なあ。

「誰も君のことなんか気にせんわ」

「誰も君に死んでほしくないとかおもてへんわ」

「誰も君のことなんか好きちゃうわ」

「お前みたいなゴミ、さっさと勝手に」

 一人で、

 誰にも迷惑かけんと、

「はよ死ねって思ってるだけや」

 なあ、

 なあ。

「死にたがり。さっさ死ねや」

 動きが止まる。そこへカホルが一撃入れようとして、弾かれた。

「それで?」

「あぁ?」

 新しくもう一本の剣を引き抜き、ブルーノは心底興味なさそうに言った。

「それで? まだなんか言いたいことはあるか?」

「はよ死ね」

「お前の言葉はもう聞かないよ。ラジオかなんかだ。だったら、電源を落とすだけだ」

 虹が咲いた。熱量を増した一撃がカホルへと迫り、届こうとするがラスフィアが軌道上に入る。

「ああ残念ですわね!」

 袖が盛り上がり、そこから大量の名前が排出された。

 溢れだすそれらは無数にいる。ラスフィア、偽物、ノール、ドラゴン。

 雑多な群を体を稼働させ、切り捨てていく。速度は緩めない、足はとめどなく、腕は躊躇いなく振るわれる。

「素敵ですわ! 残念ですわ! 生々流転を足蹴にするギフテッド、その隣に立つものがこんなにもイカれた男だったなど!」

「お前の方がイカれてるよ」

 名前の奔流を切り裂き、ブルーノがラスフィアを捕えた。

 刃が光る。

「ああ――貴方に、春は訪れない――」

 否定され、灰へと変わる典災は呪うかのように言葉を吐き出した。

 ブルーノは名の吐き出しで負った傷を治しながら、それはそうだろうと頷いた。

 カホルは逃がした。Vたちを撃滅し、自殺者は街の中心へと再度急ぐ。

















「なんだ……?」

 教授と呼ばれた男が、結界装置を前にして、鳴動を見上げた。

 結界は揺らいでいる。一時的に境界を曖昧にした技は長くは続かない。

 ヒロサキの街に入り込んだ軍勢はこの時間ならば十分と言えるほどだ。

 アルヴの技術。滅びた彼らが作り出した遺産はどれもが人知を越えている。現在に生きる大地人や、外側から来た我らでさえ満足に動かせぬほどだ。

 現実でもモデルがある? これを作り出した一族? 個人? 数十年先を行くような天才。

 ノイズが走る。何かに阻害されているような感覚。システム的な障害。まだ、外側に脱し切れていないのだ。

 囚われてる。不自由な世界を押し付けられている。

 境は曖昧になっている。どちらが現実か、どちらが虚構か。

 決めるのは。

「てめえか、結界いじったのは」

 下駄の音が響き、白装束を身にまとった武士が姿を現した。

「君は?」

「先にこっち答えろよ」

「……そうだ、私が」

「死ね」

 言葉の途中で、武士が消えた。

 風を切る音がして、教授へと刀が降り注ぐ。火が揺らめいて、間一髪のところで止めた。

「傲慢だな!」

「知らねえよ」

「そう言ったところもだ、本物!」

 魔術式が展開され、いくつもの魔力が折り重なり、コードのように走る。

「わけわかんねえな」

 だが、一太刀ですべてが切り裂かれた。

「本物だとか偽物だとか、俺には難しい話だ。そんな話なら大将にしろ……いま大将忙しいんだった……」

 そんなところに何か増やしたら晩飯抜きにされるぜ、危なかった……とセンジが一人でつぶやいていると、教授はゆっくりと後ずさろうとして、こけた。

「っ、な」

 足が切り落とされ。

「くっ!」

 腕で這うようにするが、それも斬られた。

「狙いがずれるな。なんかやったか」

 まあいいと、センジは切っ先を向けた。

「時間をかけてらんねえ」

「…………傲慢だ、本当に……君たちは……」

 仕方なさそうに頭をかき、センジは溜息を吐く。

「そういう話は俺じゃないやつにしてくれよ」

「それも選択のうちの一つだ」

 興味なさげに、センジは刀を振り下ろす。

 どうでもいい。覚える必要のない話だ。

 すぐに消えたもの。

 境を決めることなど無意味。

 現実など、現実とはと考えたときに現れる幻想だ。

















 背中から受け身も取らず、ビルへとアリアが突っ込んだ。

 頭の上に瓦礫が降り注ぎ、鈍い音がして視界がぐるぐる回る。

「っ……ほんと、きっついですね……」

 パプスを取り込んだヤゼルは再生能力を有し、かつレイドクラスとして比べ物にならないほどのフィジカルを振るい、引く力と弾く力を操っている。

 先読みのアイズと監査者二人でなんとか相手取ってはいるが、力不足もいいところだ。

 コンクリートの床に靴音がして、そちらを見るとアリアは驚きで固まった。

「どうして、あなたがここに……水雲さん……」

 そこには、隠れているはずの水雲透がいた。

 言ってから辺りに意識を集中すると、冒険者の気配がする。戦っている間に水雲をかくまっていたエリアまで移動していた。

「アリアさん、大丈夫で――」

「私のことはいいですから早く逃げなさい! あなたが見つかると――」

「ほう。偽物か」

 突然アリアの頭が掴まれ、床へと叩きつけられた。

「ヤゼル……!!」

 抵抗しようとすると投げられ、外へと放り出される。限界が近い。しかし、それでも体を動かす。

 ヤゼルが水雲へと手を伸ばし、障壁に阻まれた。わずかな隙に死霊騎士が現れ、ヤゼルを外へ追いやろうとするが明らかに力負けしている。砕けれたその内部から結晶が突き出した。

「ぬうっ!」

 至近からの不意打ち。たまらず外へと出たヤゼルに無数の刃が追い打ちに出る。

 水雲が走り出した。

 その先には全身鎧のクリスがいる。

 タンクだ。これで生存確率は上が――、

「え?」

 兜を取ると、その中から現れたのは、

「そない熱烈に走ってこられると照れるでなぁ、水雲ちゃん」

 カホルがいやらしい笑みを浮かべて、彼女へと腕を伸ばした。

「み、」

 アイズの未来視は、ヤゼルに割き過ぎていた。声をあげようとしたアリアが不意に動きを止める。

「アリア!」

 ロエ2を声をあげ、振り向くと。

「こんばんは」

 二人目のカホルが、笑っていた。

 分体。即座に理解したアリアは、突き刺さった腕を障壁でねじ切り、後退した。

 転がるように後ろに下がると、カホルに顔面を蹴り上げられる。

「右腕いったいわぁ……どうしてくれんの、これ」

 その腕を生やしながら、アリアをさらに蹴りつけた。

「おーい、返事せえ。監査者増やしよってからに、殺すの増えたやん、疲れるわぁ」

 二撃目から腹へと蹴りが集中する。抵抗しようとすると叩き伏せられた。

 意識が飛ぶ。傷口を蹴りつけられる。傷から何かが入った。切り落としたカホルの腕が体内に入り込み、翼のように羽ばたいて肉をミンチに変えていく。

 ロエ2とアイズはヤゼルの相手をしている。水雲は、どうなっているのか。

 無様に雪の上に転がる。ぼうっとした。

 汚れた指先が見える。ここにも、ネイルだとかというのはある。アリアはしてもらったのだ。それが割れている。

 誰のためにしたのかなど、もちろん自分のために決まってる。あの人は気付かないだろうと思ったが、気付いた。

 それだけだ。

 よく、わからない。

 監視、月、典災。大義名分だ。

 ここまで深入りして。メモリーに侵食されているのは分かっている。

 偽物だろうと思う。思っていた。

 でも、この気持ちはたぶん。

 漠然とした思いで、体を起こした。

 まだ。

 まだ。

「なんか最後にあるか?」

 カホルが月を背に、立ちふさがる。汚らわしいものを見るのが嫌で、顔を背けた。

 こちらに迫ってくる人が見えた。

 白い男だ。

「ごめんなさい、ブルーノさん。大好」

 ばくりと、頭が変形した腕にくわれる。

 後に残った体は無惨に食い荒らされていく。











「アリア」

 最期に自分の名前を呼んだ女が消えた。

 死んだ。

 死んだ。

 死んだ。

 殺された。

「遅かったな、ブルーノ」

 カホルに。

「あの子ほんまに胸でかいなぁ。もったいなことしたわ、でもまあ好きなだけ揉んで吸って挟んだやろ? 十分や」

 な、と下世話にカホルが笑う。

 ブルーノの心は、凪いでいた。過度なストレスで擦り切れたわけではない。

 自分でもよくわからないまま、自動的に剣を握り、ブルーノは走り出した。

「言葉はもういらない」

 ただひたすらに、お前を殺す。












 二人が相対し、距離がゼロになって重なる瞬間、響くはずの音は空振りに終わった。

「あら?」

 と、カホルが通り過ぎたブルーノを目で追い、行き先を確かめる。

 目もくれず行く先には水雲がいる。分身は彼女に気を取られ、ブルーノに気が付いていない。意思の共通を図ろうとするも、何かが邪魔している。先程までは問題がなかった。ならば原因はただ一つ。ブルーノだ。

「おいちょっ」

 背へと迫ろうとして、後ろを見ることすらせず投げつけられた双剣が体を縫い止めた。数秒、時間が稼がれる。

「透ちゃん、今までご苦労さん。君が白銀を呼んでくれたおかげで、一網打尽に――」

 言葉の途中で、分身体は行動を起こした。煽りをやめ、目の前で呆然としている水雲を捕食しようと動いたのだ。

「ひっ」

 真っ二つに開いた異形に悲鳴を押し殺した水雲は、覆い被さろうとする欺瞞の前に思考が飛んだ。

 呼んでくれた。プログラム。まさか。

 これはすべて、自分が抱いたものはすべて仕組まれて。

 ブルーノが速度を上げた。手を伸ばす。

 水雲が後ろからの物音に気付いたのか、それから目を背けたかったのかわからないが後ろを振り向いた。

 頬に一筋の涙が伝う。あと一歩というところでブルーノは後ろから激突された。

「ざんねぇん!!」

 笑い声と共に転がり、起き上がった時にはもう水雲の姿はない。

 代わりに、並び立つ二人のカホルの姿があるだけだ。

「なんもできんなぁ」

 にやにやと笑う分身体と本体。突き刺さった剣をへし折って、無手のブルーノを嘲る。

 構えた。武器はない。だがそんなことは何も問題ではないのだ。

 応じるようにカホルたちも構え、前に身を倒した。

 行く。

 と、見せかけ分身体をひっつかみ、勢い良く放り投げた。対応しようとするが直前で体が膨れ上がり、剣山のように無数の針が無差別に突き出す。

 端から殴り壊し、分身体を殴り飛ばすと奥から本体が飛び出してきた。

 一撃をよけ、カウンター気味に蹴りを放つとぐにゃりと妙な手ごたえがして足が内側に取り込まれる。身動きが取れなくなったそこに分身体が復帰。斬撃が走るがブルーノは呆気なく離れ、返す動きで分体の顔を蹴り飛ばした。

 避けられないはずの攻撃を交わした理由。それを見てカホルが顔をゆがめる。

「何や君」

 ブルーノは自らの脚を切り落としていた。離れた今、再生させながら足を軽く動かしている。

 力を分けていてはきついと判断し、カホルはようやく元へと戻った。

 睨みあい、動いたのはブルーノだ。

 拳を地面へとたたきつけ、雪を舞い上げた。

 目隠し。

 定石で言えば、

「後ろぉ!」

 ぐるりと身を回したカホルが腕を伸ばし薙ぐが、何一つ辺りはしない。

 風を切る音。上だ。

 踵落しを受け止めると腕がめきめきと嫌な音を立てる。ダメージがある。それだけでカホルには信じがたいことだ。

 ダメージを嘘とすることができるようになった今でも、ブルーノはこちらを傷つける。

 共感子を纏った攻撃? いや違う。彼は魂を否定する者。

 採取者は器に宿っている。それは監査者も同じこと。こちらにきた航界種はすべてそうだ。器が欠ければ、我々もまた消滅する。

 器と中身。どちらも無ければ存在できない。魂と魄だ。

 ブルーノはその両方を知覚し、傷をつけ、破壊し、否定する。

 化物だ。その発生プロセスからして異常そのもの。そして二十年という膨大な共感子。質さえも高いそれらを十全に扱う。己の消滅さえもいとわないその危うさ。

 フルレイドスペックにさえ到達したというそれを使わないのは消費が激しいからだ。

 ブルーノは無手。本来双剣を扱う彼にとっては不利。

 カホルは無手にして全身が武器たり得る。

 じゃこりと装填するような音がして、肘から棘が突き出した。不意を打たれたブルーノはたたらを踏み、そこへカホルはラッシュをかける。

 後ろへ下がるように捌くブルーノは四歩目で切り返しの蹴りを放った。身を屈め、両手を合わせる巨大な口を放つ。

 視界すべてに広がる醜悪な口をブルーノはそのまま受け止め、滑る。物陰からふと何かが現れてそちらに反応するが囮だ。口の中からカホルが渾身の一撃を振る舞うが少ない動作でブルーノは頭突きで相殺した。

 血が流れるより早く虹が這い修復する。同じような疑似的な不死が争う。

 四肢を折り、血をまき散らし、臓物を浴びせて、肉を打つ。

 眩暈は死と同義だ。そのたびにカホルが偽り、ブルーノは蘇る。

 カホルはもはや事象さえ欺くことができる。世界を欺くという最悪の欺瞞こそが彼の極点。

 その嘘は、やがて己をも騙す。

 血が伝う。ブルーノは確かに一撃をよけたはずだった。腕によるもの。しかしそれは既に剣へと変わっていた。

 緑の髪は白く澄み、いつものふざけたサンタ服は白を基調とした制服へと変わっている。

「レーナの擬態……いや」

 エドガーが言っていた、L2たちへの擬態。

 そうではないと気付いた。

「魂ごと取り込んだな、お前……!!」

「あ、ようやくこっちを見てくれた」

 レーナの声で、レーナの口調で、カホルが喜色に染まる。

 彼女が決して見せないであろう邪悪な顔を見せつける。

「ずっと考えてたの」

 女騎士。

「あなたを傷つける方法を」

 英雄。

「それで思いついたんすよね」

 狐。

「こうして、魂を踏みつけるっていう最っ高を!!」

 水雲透はそう叫んで、

「さあ、見せてください。あなたを!!」

 また変わる。

 今度は吸血鬼に。

 社長に。

 魔法少女。

 エルフ。

 オカマ。

 未来人。

 中二病。

 ギャル。

 サキュバス。

 霊能力者。

 姫。

 鬼。

 ピエロ。

 犬。

 錬金術師。

 ケルベロス。

 ハッカー。

 魔法使い。

 アイドル。

 美大生。

 探偵。

 怪盗。

 月。

 兎。

 呆れるほど色とりどりに。雨が上がった景色のように。

 変幻自在、千差万別。

 一秒ごとに一撃ごとに一瞬ごとに変わり行く。

 攻めの厚さ、手数の多さ。

 ブルーノは確かに追い込まれ、

「っ!!」

 捕えられた。








 一方で、ヤゼルに対する戦闘は続けられていた。

 アイズの片目が未来視の反動ではじけ飛ぶ。それでもまだ片目は残っていると力を籠めるなり小さな体が衝撃に浮いた。

 不可視の衝撃。

 引く力と弾く力。

 出会いと別れ。

 加えた当人のスペックにより凶悪となった典災。

 今まで未来視により拮抗していた状況がついに崩れた。

 どろりと流れる目玉の感触。赤く染まる視界。遅れてやってくる落下の衝撃。

 潰れる寸前に見た未来に抗おうとアイズは手を伸ばし、結晶を生成。見たのは落ちたアイズへと追い打ちをかけるヤゼルの姿だ。

 無慈悲に結晶が砕けれる音がした。間に合わないと判断するなりアイズの体を誰かが持ち上げて、移動した。

 攻撃が地面をえぐり、ヤゼルが感心したようにほうと息を吐く。

「平気かな」

 ロエ2の死霊剣士がアイズを隣へとそっと下ろした。

「どうして……」

「なに、共闘している仲だ。助け合いは当然だろう」

 それに、と彼女が言って、ヤゼルを見た。

 もう片方の眼球はまだ生きている。血を拭い、見るとそこにあった光景は。

「選手交代だ」

「よう、クソラブ変態」

 白い武者が金色の瞳をぎらつかせて笑う。

「遊んでやるよ」

「貴様一人でか? 過ぎた考えだな」

「誰も一人でやるつってねえだろ」

 面白くなさそうにセンジが言うと、その通りだと答える声がした。

「面白そうではないか、ヤゼル。三度目の正直だ。ケリをつけよう」

 エドガーがアイズたちの前へと現れた。

「たった二人、笑わせてくれる」

「なぜそう思う? それとも何か? 何度も倒されて、二人がかりでも殺せなかったから我々が恥じているとでも?」

 あからさまに見下したヤゼルの視線が二人に向けられるが、エドガーは鼻で笑い飛ばした。

「我々冒険者が今までどれほど死んだと思っている。攻略法もろくにわかっていないレイドに、戦闘に、ギミックに」

 雪が踏む音が増えた。

「何度挑んだか知る由もないだろう。その理由も、その意味も」

 足音がいくつも増える。そうして、ヤゼルを取り囲むのは。

「我々は、二度死んだ程度では諦めん。三度殺されても、四度無意味だといわれても、五度嘲笑われても」

 皆、白髪である。

「百度続けて、勝って笑えば、我々の小さな誇りだ」

 今ここにあるのは電脳でやり取りされるものか。

 画面で動く電気信号か。

 ピコピコ動くくだらない一と零か。

 いや。

 いいや。

 Vという偶像も、エルダーテイルという虚像も。

 変わりはしない。

 ありとあらゆる、趣味というものは。

「否定も、嘲笑も、好きにしたまえ」

 だが、

「我々は、貴様を潰す」

 センジが刀を構え、

 L2が杖をかざし、

 ミサキが魔術書を紐解き、

 ディーが矢を番え、

 ライザーが雷を羽ばたかせ、

 kyokaが拳を打ち鳴らし、

 銀次郎が吼え、

 紫苑が琴を構え、

 リシアが双剣をとり、

 カロスが筆を弄び、

 オブリーオが短剣を引き抜き、

 出雲が小刀を鳴らし、

 水連が杖を打ち鳴らし、

 SAEKOが拳を打ち付けて、

 クロ―ディアが細剣をきらめかせ、

 オルクスは意味深に笑い、

 もみじは護符を握りしめ、

 クリスは鎧を脱いだままで、

 アプリコーゼは杖を回して、

 アルファは杖を掲げて、

 シンゲンは息をつめ、

 ハツネは息を吐き、

 ロエ2が一人の姫を呼び出す。

 エドガーが、手を掲げた。

「失せよ、愛風情」

「跪け、愛の前に!」

 白髪の群れと、一つの怪物は決着へと向かう。













 腹部を貫くのは貫手。至近まで詰められた。対応できなかった。複数の魂を取り込み、無数の個性を発揮する欺瞞。

 ブルーノは徒手空拳。条件は同じだが、職業は盗剣士であり、武器攻撃職が意味するのは当然、武器を持たなければ本領を発揮できないということ。

 武闘家であれば違ったかもしれない。他の職業へと変質していれば違ったかもしれない。

 不死とは言え疑似的なもの。それは二十年という膨大な記憶の累積から賄われている。

 魂というものに傷が入った場合、いともたやすく壊れる。それを何より分かっているのはブルーノだ。それを壊し、傷付けているのは自分の得手とするものだから。

 だから、いま確実に、ブルーノは自らの魂にひびが入ったことを自覚した。忍び寄る濃密な死の気配を感じ取る。ただの死ではない。命ですらない者たちに待ち受ける終末。

 無だ。

 終わらせることを目指し歩いてきた。しかしここで目の前につきつけられる冷たい恐怖を前にしてブルーノは。

「――――」

 より深く、決意を固めた。

 殺す。

 浮かぶのは純粋な殺意。

 砕けるのは楽しい思い出。

 ブルーノが暗い歓喜に溺れた。

 いいじゃないか。

 良かったと思えるほどの記憶がなくなれば、それだけ抵抗はなくなる。

 空を飛ぶ飛行機は、海を行く船は、抵抗を減らし、前へと進む。

 カホルを掴む。変形するカホルに掴みからの組み立ては愚策。すぐに抜けられる。

 だから嘲りと共にカホルがするりと抜けようとし、

「!!」

 勢いよく飛び退いた。

「無理せんほうがいいで?」

 なんや、今のは。

 触れられた瞬間に、本能が叫んだ。こいつは危険だと。

 典災や監査者、航界種たち、この世界の異物共にとって致命的な否定。

 確実に魂の輪郭を捕えた一撃はブルーノの存在を不確かにするには充分。しかし、ここにいるそいつは。

「――――」

 存在感を増し、立っている。

 両者は構えた。

 待っているのは至極当然のこと。

 殺意が爆ぜた。

 同時に打ち出された拳は破裂音を響かせ、着弾する。

 鈍い感触が手に伝わった。それから衝撃。ブルーノの体が浮いた。カホルが踏みとどまる。

 モンスターと冒険者。その地力の差がここにきて出た。無尽蔵に湧きだす力と言ってもその力を出すための蛇口が狭ければなんてことはない。

 フルレイドクラスの器になっていればカタは一瞬でついた。しかしそうはできない。あれにはこの後もあるのだ。

 ここで終わりだというのに。ここで出し惜しみをして、負けるのはどんな気持ちなのだろう。

 もう少しで味わえる。

 君の魂はきっと、格別だ。

 次の一撃を繰り出し、飛び散ったのは血だ。

「は?」

 カホルの血だった。

 腕が切り落とされている。書き換えようとしたが、戻らない。

 いつの間にか、ブルーノの手に剣が握りこまれている。

「俺には心臓がない」

 その剣は、何の変哲もない、どこにでもある、剣。

 息が浅くなる。

 あれはだめだ。

 痛みが走っている。

 どこから現れた、

「だからこれがある。出し渋ってたけど、自分なんか、どうでもいいよな」

 なあ、と底から聞こえるような声がした。

 死を認識し、ブルーノはラスフィアのそれを思い出してはすぐに忘れた。死んだ名前だ。覚えている意味がない。

「このカス、が……!?」

 斬られた傷口が痛み、熱を発し、カホルの顔が明らかにブレた。

「あぁ!? くそっ、お前ら、なんで今暴れんねん!!?」

 どろりと解けるように複数の顔が浮きだす。

「意思なんかない、偽物共がぁ!!」

 虹の、否定の力によって目を覚ました彼ら。

 内側からあふれる無数の叫び声。

 無軌道に無作法にありとあらゆる方向に暴れていく魂は取り込んだ偽物たちだ。

「くそっ、くそっ! このゴミクズ共!! お前らは!」

 ブルーノが踏み込んだ。

「俺と同じ、偽物だろうが!!」

 振り下ろされた剣がカホルを体を斬る。

 覆っていた殻がさらに破けた。

 自我が溢れだす。無数に鳴り響く声が数を増し、魂の暴風雨が吹きすさぶ。

 望まれた偽物を、望まれない偽物を。

 画面上にしか存在しない。

 ただの電子信号。

 踏みつぶされ、記憶にも記録にも残らない。

 燃料にしかならない。

 偽物だ。

 いらないといわれる。この世に存在していないと。

 欺瞞は悪か。

 仮想に罰か。

 虚構は罪か。

 隠されたベールをなぜ人は解き明かそうとする。

 趣味の悪い糞共。どうせお前らも飾りを取り除けば、箱を開ければ、何もないくせに。

 ならば、ならば。

 すべてを嘘塗れにしてやろう。

「ボケが!!」

 個体を押さえつけ、カホルが吼えた。無数に変わり行く顔が安定し、カホルの顔が現れる。

 そしてすぐに内側から一つの顔を選んだ。

 否定の剣が迫る。

「ブルーノさん」

 水雲透の顔が現れ、動きがわずかに止まる。

 ことはなくそのまま殴り抜けられる。

「っ!? あぁ!? おまえ、なにを」

「どうでもいい。死ね」

 対話は無意味だ。中にまだ解けていない水雲の自我があるというのに無感動に剣を振るう。

 追い詰められる。ペースが乱された。魂が溢れる。

 変化し続ける体でなお、カホルはブルーノの攻撃に抗う。

 攻めきれないとブルーノは舌を打つ。変化のタイミングは自身すら把握していないランダム。予兆も無い。内側の無数の魂が漏れて勝手に動き回っているのだから当然だ。

 しかし、その中で、見覚えのない顔が現れる。否、顔だけじゃない。部位もある。

 エルダーテイルのボスキャラのような。大柄なパーツ。小柄な物。

 まずいと速度を上げる。

「あ、ああ……! ああ! 俺は! 俺は!! 僕は!!!」

 カホルの体が膨張した。

 剣に力が乗る。

 斬撃が走り、両断するも。

「ああ……これが、僕か……!」

 風船のように破裂した体の内側から現れたのは異形。

 無数の触手が絡みついた、顔のない怪物。

 張り付いた無垢の仮面は無数の貌の原型だ。

「ありがとう、ブルーノ。これはほんまや。君には感謝しても、しきれん」

 だから、

「殺したげよう。君の魂を食べてやろう」

「磯臭いな。どうせそれも一面で、お前は哀れな一側面に過ぎない」

 だが、とブルーノは心臓の剣を握りこんだ。

「欺瞞の典災、カホル」

 参る。








 一撃が、来る。

 カホルがかき消えた。

 一拍訪れて降り注ぐ衝撃にブルーノは意識が飛び、すぐに復帰する。

 がらがらと崩れ落ちる建物に足を挟まれ、ブルーノは一撃で吹き飛ばされたのを自覚した。

「ぱちもんが……」

 ぺっと血を吐き出し、いつの間にか接近したカホルから逃れる。遅れて追撃の蹴りで建物が完全に崩壊した。

 威力が格段に上がってる。先程までざわついていた魂たちが静まっている。カホルの出力に耐えきれずスリープしたのだろう。

 採取者が憑りつくのは典災というおそらく新パックによる追加モンスターたち。カホルはノーマルだと思っていたが、連作クエストによりボスへと昇華するタイプだったか。

 フルレイド。増援は見込めない。

 追うカホルに相対し、攻撃が交差した。

 重い。本当に段違いだ。返しで一撃を入れると、硬い。

「どこまでもパクリみてえな」

 言葉の途中でブルーノに裏拳がめり込む。インパクトに合わせて下がるが、かすれただけで脳が揺さぶられるような感覚がする。

 威力を殺してもこれだ。虹を纏うと反応が上がる。

 勝負。

 高速で交わされる連撃は今までのものよりも早い。武器は以前徒手空拳。剣を取り戻した今、それでも超えられない壁を見せつけてきた。

 響く多音は鳴りやまることなく続き、ドッグファイトのように駆けまわる。純粋には勝てない。だからこそ動きを利用して、背後に回る。

 ユニコーンジャンプで飛び上がり、追い打ちを空中の雪を足場として認識させクイックステップでずらした。足に負荷がかかる。これはもう使えない。

 背後に回った。虹が舞い、届きうる斬撃が走るが、ブルーノの体に触手が突き刺さった。

 体にまとわりつく人面が張り付いた触手。それも、武器。当然だ、彼は変形する。

 身を回したカホルが容赦なく打撃を叩き込んだ。地面に叩きつけられたブルーノはそれごと打ちぬかれ、沈む。

 ヒロサキの地下に広がっている非常用の通路さえ浮き彫りになり、その中心でブルーノは。

「……つっ……!」

 疑似的な不死性を持つにもかかわらず、起き上がれずにいた。

「やっぱりか。君は記憶を消費してなんやかんやする。けど、それも魂があってこそ。それが傷ついてはどうにもできん。どちらかというと僕らの在り方に近いな」

 さて、

「なんか言い残すことはある?」

 欺瞞の表記がわずかにぶれている。硬い? 違う。名前を肩代わりさせたのだと、遅く理解した。

 衝撃が、ダメージが、大きすぎる。回復に時間がかかる。すぐには動けない。

 終わりか?

 出し惜しみをしたから? いや。考えるのはよそう。

 自分が消えても、いいのかもしれない。

 生きようと足掻くあれらはなぜ、命を求めるのか。

 いずれ消えるのはどれもが同じなのに。

 そうだ結局最後にはなくなる。死ぬんだ。全部無意味。無駄。

 体が冷えていく。血も冷たい。急速に失われていく。

 否定が消える。だめだ、それだけは。でも。

 ああ、わからない。

 あいつらをころさなくちゃ。

 どうして。あいつは死にたがってた。

 なかったことにしてたまるか。

 手から力が抜ける。

 死が近い。

 無が近い。

 俺たちに与えられるのは何もない深淵の底。

「ないな」

 カホルが最期を与える。

 ヘレル。

 バートリー。

 ヴィルヘルム。

 アイズ。

 橋場和人が残した最後の欠片。

 消える。俺はただの搾りかすだ。

 殺さなきゃすべてを戻さなければと体が動こうとするが何一つ動かない。

 迫る拳。

 なぜか、よぎるのは。

 白銀の頂。

 ぴくりと手が動いた。何の意味も無いのに。

 死にたいのに。やるべきことがあるから、まだ息をしている。

 俺を殺さなければ。

 本当に、それだけだろうか。

 どんと突然突き飛ばされた。

「――――――ぇ?」

 そして、避けられない欺瞞の打撃は、ブルーノを押しのけたアイズへと。

「    」










 

 過去は用意される。

 この歪な世界で、それは当然のように嘘の脚本を与えられた。

「あなた」

 ぼろぼろな布切れにくるまってゴミのように路地裏にいた少年は無感動に瞳を動かした。

 その地味な色の目が、少女を映す。

 同じように、薄汚れた服を纏い、顔まで長衣ですっぽりと隠した少女。

「私も入れてくれる?」

 風が吹いて、布が少しだけ捲れた。

 そこから覗く、赤い瞳が、白い髪の一房が、少年の目を奪う。

「さむいよ」

「いいのよ、私は……そうね、逃げているの」

 ずいと強引に少女は少年の布切れに入る。体温が近くなり、少年はそれだけじゃない熱を得る。

「にげる? だれから?」

「さあ、そんなことはどうでもいいじゃない。あなた、名前は?」

 顔を近付けられる。少年は顔を赤くしながら、顔をそらそうとして、抑えつけられた。

「名前は?」

 鈴の音のような声が近くで響く。赤い二つの目がしっかりと見つめていた。

 きれいな、少女だ。

「ない……」

「そう……じゃあ、あなたは今日からブルーノよ」

 ブルーノ、と口の中で名前を転がす。

 つい数秒前に出会ったのに、初めて話をして、勝手に名前を付けられたというのに、少年はひどく大切に、それを受け入れていた。

「君は?」

「私? 私は、プリマヴェーラというの」

 舌をちろりと見せた少女は、純潔のアルヴであることを示していた。



 生きることを諦めていた少年は、それからプリマヴェーラに知識を与えられ、生き抜く術を獲得していった。

 彼女は決して外套を脱がず、髪をさらすことはない。春のように暖かい赤い目も、優しく穏やかな声も、ブルーノ以外に向けることはなかった。

 その理由は最初こそわからなかったが、文字や算術といったものを身に着け、働いているうちに察することができた。

 アルヴ。魔法技術を独占し、栄華を誇っていた種族。いまやアルヴは奴隷という立場にまで身を落としていた。

 世界は彼女たちを許さなかった。アルヴは犯され、飼われ、使い捨てられていく。

 けれど、そんなことを一時忘れてしまうくらい、彼女との生活は楽しかった。

 世界が輝いて見えた。あんなに灰色に、色あせていた世界はこんなにも色を持っている。

 路地裏にくるまる日々はない。暖かな部屋で、自分にだけ向けられる笑顔を待ち望む。

 ああ、幸せだった。

 それは、プリマヴェーラも同じこと。

 最初はただ利用しやすそうなのを見つけただけ。簡単に扱えるような駒を見繕っただけだ。物も知らない、なにもなしえない少年を育てる。

 知恵があるもの、力があるものは駄目だ。何かを得て、変わるような目をした者も駄目。

 彼は最適だった。

 それだけのはずなのに。どうして、こんなにも暖かくなるのか。

 あなたといるだけで、この世界がマシに見える。

 ずっと続いて行けばいいのにと思っていた。

 けれどまあ、終わりが来るのが、嫌味な脚本が待っているのが、この世界だ。

「男はいらない」

 燃えている。

 血がたまっている。

「ブルーノ」

 よんでも反応は帰ってこない。

「確かにこの女は王族だ。それに……」

 下卑た視線がプリマヴェーラの体をなぞるが、そんなことはどうでもよかった。

 アルヴ。

 女。

 白銀のように美しい髪が、さらけ出される。

 掴もうとした男の腕がふいに落ちた。

「あ……? な」

 声をあげようとした男は死んだ。結晶が、体の内側から生えて。

「もう、いい。この世界は、今はいらない」

 だから、とその女は。

 白銀の姫となり、世界を食い荒らしたという。

 犠牲は尽きることはなく、哀しみは癒えることはなく、殺されたという記録も残っていない。

 ただいつの間にか、姿を消し、残った香りだけで、人は疑心を宿し殺し合った。

 まだ終わっていない。どこかにいるのかもしれない。裏切者がいるのかもしれないと。

 魂も、魄も、既にこの時代にはないというのに。















「アイズ」

 真っ赤に染まった少女の名前を呆然とブルーノは呼んだ。

 なぜ。

 どうして。

 同じ赤い血が、白い髪を汚している。

 敵対していたはずだ。

 なのに。

「なんで」

 声は呆然と落ちて、雪に呑まれていく。

「私は、かずひとが好き」

 プリマヴェーラがほほ笑んだ。

「わたしは俺が大好き」

 アイズがそんなことを言う。

 小さな体が、大きな穴をあけたまま動く。

 瞼がへこんでいた。眼球がもうないのだ。

 手がブルーノの頬に触れる。

 暖かかった。

「だから、こうするのは当然のことなの」

 何も答えになっていない。

 個体の存続のため?

 そのために、自殺に走る可能性を引き上げるのか?

 狂っている。

 そんなのはおかしい。

 だが。

 だめだ、それは。

 違う。

 敵が減るから、これで。

 いいのか?

 ああ。

 考えが。

「ブルーノ」

 その呼びかける声が彼女に似ていた。

 アリアか、春か。

 わからない。

 魂の欠片、記憶の欠片を有する二つの存在。

「幸せになってね」

 死を望む男の前で、命が消える。

 無へと帰る。

 掌から零れ行く。

 それを。

 それを。

 それを、

 ブルーノは。

「――――」

 瞬間、生じたのはどうしようもない、喪失だ。

 生きているもの、動いているものにとって最大にして最後の変化。

 一つであった彼らに伝播する。

 最後の叫びである死は、ブルーノのみならず離れた才天たちにも強い喪失をもたらした。

 胸に大きな穴がぽっかりと開いたような衝撃。

 虚ろが流れ込む。

 重く冷たくて、どうしようもなくまとわりつくそれは。

 崩れて。

 流れ込んで。

 沈んだ。

 それに、剣を突き立てた。

 他ならぬアイズの体に剣が刺さる。

「なにを、しとるんや」

 カホルが動き出す。

 一切を壊すそれがたどり着く寸前、

 アイズの体に、剣先から結晶が走った。

 やがて全身を覆い尽くした結晶は勢いを止めることなく、ブルーノさえ飲み込んで、衰えることなく辺りを舐めつくすように展開される。

「なんや!?」

 カホルが飛び退り、結晶の範囲から逃れた。

 虹色に輝く結晶が煌めき。

 揺れて、砕けた。

 その中から現れるのは、たった一人の男。

 女の姿はない。

「お前……喰いよったな?」

 問いに応えはない。

 ブルーノは心臓の剣を手に取り、カホルを見た。

 ダメージがすべて回復している。気配も、一段と濃くなった。



「否定の才天、ブルーノ」



 宣誓と共に、新たに生み出した刀を抜いて見せた。

 白い刀。白い剣。

 不揃いな二刀流をもって、ブルーノが飛び出したカホルへと剣撃をぶつけた。

 拳とぶつかり、盛大に歪な音を轟かせ、二人は弾かれたように距離をとる。

 カホルは己の腕をちらりとみて、舌打ちをした。

 ダメージが通ってる。アイズを喰って成長したのか、それとも元のスペックに戻った?

 はっと無貌で笑い、構えた。

 通るなとブルーノは冷えた心で自分の剣を見た。

 速度も反応できる。追いついた。もう逃がしはしない。

 だから、一撃で仕留める。

 もう、これ以上はない。

「一年、使用」

 白い虹が溢れた。

 一年分の魂が削れる。

 泡となって砕けていくのは母が教えてくれたカレーのレシピであったり、教師の役に立たない金言だったり、春の笑顔。

 春。

 春。

 橋場春。

 我が怨敵、我が憎悪、我が最悪、我が災厄、

 私の絶望。

 俺の最愛。

 楽しい何かが消えていき、暗い水の中に落ちていく。

 これでいい。

 暗い魂こそに浸る。

 これでいい。

 楽しい思い出も何もかも失い、生きる一切の気力を削ぎ、魂もろともすべての情報を殺す。

 これが、いい。

 何も無ければ死ぬのは楽なんだから。すべてを捨て去る準備はできている。

 掴んだものはすべて意味がない。そも、掴んだものなどなかったのだ。

 ちくりと温かい棘が主張する。白い白い、自分勝手な野郎どもの記憶を無視して、ブルーノは。

 白い虹を見て、カホルは判断を下した。

 一撃。

 一瞬。

 それですべての決着をつける。

 虚構。

 仮想。

 欺瞞。

 人が信じるものすべてを嘘で下す。

 二人が交差する。

 剣と拳がかすり、相手へと届く寸前。

 カホルの中で、魂が喚いた。

 取り込んだ魂は未だ静まらず、機会をうかがっていた。

 最大の、反撃の機会を。

『悪趣味な脚本を俺は認めない』

 体に走る毒が体を蝕む。それは一瞬だ。

 ハッキングの酩酊感を始めとした、虹のような輝きの抗い。

 瞬き程度の時間で解毒し、魂をすべて噛み砕く。

 しかし、その一瞬こそが、偽物の遺骸共が生み出した隙。

 すべからく虹の魂は内側へと踏み込まれることを嫌う。カホルは土足で踏みにじり、解き明かしてはいけないベールの下を暴いた。

 ならば当然訪れるのは。

 否定の剣が、カホルを切り裂いた。

「がっ…………!!!??」

 否定は外にとどまらず、中にまで及ぶ。魂の核がひび割れ、あっと言う間に崩れていく。

 偽物たちの魂までも、才天の刃は否定する。

 これでいいと誰かが目を閉じる。終わったものなのだからと。これで、ようやく前を。

「んな、あほな……!!」

 無貌が壊れ、むき出しになるのは緑色の髪と以前のカホルの貌だ。結局、ただ覆い被さっていたに過ぎない。

 崩れ落ちていく体を呆然と見つめ、見下すブルーノに気が付いた。

「ふざ、けんな……!」

 魂がない。

「くそカスがぁ……!!」

 ばきりと音を立てて、塵と消え失せる。

 冷たい嘘と目障りな現実の終わり。

 仮想にだけは温かい闇と柔らかい嘘を望む。

 それがいつか終わるとしても。

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