第19話 冷たく脆く







 エッゾとイースタルの国境を睨むように存在しているのが桜の街ヒロサキだ。

 血桜城よりアオモリ港にかけて築かれた城下町には白い桜みたいに雪が降っていた。

 初めて見る街だ。記憶にはあるが、こうなって、自分の目で見るのは初めて。認識が厄介だなとブルーノはそんなことを思う。

 襲撃より生存した一行はさっさと結界があるヒロサキにたどり着き、ウィリアムに口利きしてもらった場所へと移動した。

 今頃しばらく滞在するために荷ほどきしたりと忙しいだろう。誰も使っていないビル跡はホームより狭いが、それでも十分な広さだ。いじった場所はそのままにしておいていいらしい。去った後にそのまま使う予定なんだろう。

 ブルーノはミサキ達にそこを預け、ヒロサキの街を歩いていた。一人ではない。腕を絡めているアリアがいて、もうすでに諦めた状態だ。

「それで、どこへ行かれるんですか?」

「知り合いのところ」

 街から少し離れると、試験的に作られた畑が見えた。まだ結界の中だ。今はあまり外に出たくない。

 畑の近くに作られた家の軒先に、一人の狼牙族がぼうっとベンチに腰掛け、作業の様子を眺めている。畑には数人の冒険者、大地人が混じっている。

 そこに近付いていくと、狼牙族の男はこちらに気が付いた。

「あんたがブルーノか」

「そうだ。よくわかったな」

 白髪だから、と男は笑い、ふと視線を滑らせる。

「そっちは」

「アリアと申します。ブルーノさんの妻です」

「ギルメンでもない。使えるしついてきても放置してる」

「突っ込みはなしですか!?」

 抗議の声にブルーノはうるさいなと顔を顰め、そのやり取りを見ていた男は苦笑いを浮かべる。

「なんかあんまり初めて会う気がしないな」

「手紙ではやり取りしてたからな……確認だが、合ってるよな」

「ああ。キャベツ佐々木だ。よろしく頼む、ギルマス」

 さて、とブルーノは畑を見た。

「情報に関しちゃ手紙に記したとおりだ。たぶん言ってたような奴らがここにいる」

「うん、到着前にそいつらとちょっと揉めたよ。確実だ。お前は戦わなくていい」

 助かるよと弱々しく佐々木は笑った。大災害前は猛威を振るっていた男らしいが、今はもう、怖くて武器も取れなくなっている。

 戦いに馴染めなかったのだ。目の前の恐怖に打ち勝てなかった。

 振るわれる攻撃がどれほど弱くても、怖くて震えて、駄目になった。

「お前はお前に出来ることをしてるよ、佐々木」

「そうだといいな……」

 これも、いやいややってることだと笑う。

「少なくとも俺やセンジ、L2にはできないさ」

「ま、それもそうか。畑が気になるか?」

 先ほどからブルーノは畑を見ていた。

「なんかとれるのか、冬だけど」

「じゃがいも」

「北のじゃがいもってだけでうまそうだな」

「どうかな。初だからなあの畑は」

 向こうの畑は違うけど、と指をさすが遠くてわからない。

「作業してるやつらは?」

「アキバからきた奴ら」

 アキバ、と口の中だけでつぶやき、よく見てみると確かに見覚えがあるものがいた。

 イェーガーだ。センジを拾いに来た時、レプリカ騒ぎの時にも見かけた男。

 それだけではない。グスタスやモシキなどもいる。終われはしなかった者たちだ。

 元ブリガンディアであった彼らは離れたのであろう。イエローパンサーという新しいギルドを結成していた。

「知ってる奴らだ」

「揉めたって聞いた」

 だろうなとブルーノは笑う。

「レプリカの時のですか?」

 アリアの問いに頷く。そういえばアリアはあの時防衛ラインの奥に引っ込んでいたのだ。

 派手に叩き潰したと聞いている。イェーガーなんかはセンジに二回も殺されたらしい。

 立ったのは時間か、意地か。どちらでもいいか。たしかレーナのファンだったはずだが、離れていて大丈夫なのだろうか。

 余計なことを考えていると、馬に乗ってきた冒険者がこちらに来ているのに遅れて気が付いた。

「て、てめえら!!」

「あ?」

 突然驚かれた声にそちらを見ると、馬上の冒険者は勢いよく降りて、アリアとブルーノを交互に指さした。

「お、おま、てめえ! てめえら!! よくも俺の前に現れやガッ!!」

 喚きたてようとしたそいつはイェーガーの距離をゼロにするワイヴァーンキックで吹っ飛ばされた。

「お前、何やってやがるタカツキ!!」

「おや」

 タカツキ。守護戦士の男だ。

 雪に刺さったタカツキは勢いよく己の体を引き起こし、イェーガーに吼える。

「邪魔すんじゃねえ! そいつらは!!」

「うるせえ! 負けただけだろうが!」

 わあわあやり始めた二人を見ながら、アリアはちょいちょいとブルーノの服の袖を引っ張り、耳元で囁いた。

「彼、誰です?」

「……お前一応ススキノにいなかったか?」

「一目惚れしてからどうにも記憶が怪しくて」

「病院いって」

「恋煩いです」

「タカツキはススキノから出るときに邪魔してきた奴の……なんかボスだよ」

 そういえばあのときタカツキの体に影がついてたなと思い出す。最初は北にいたのだろうか。

「おい聞こえてんぞ!!」

 大股でずんずんと近付いてくるタカツキの前に佐々木が出た。

「じゃがいも売れたか」

「そこどけよ、キャベツ」

「おいあんま馬鹿な真似は」

「はっ! 戦えねえびびりが――」

「呼ぶまでもない」

 ブルーノが剣の柄に手をかける。隣のアリアの手の内にはいつのまにか符が収まっていた。

 無意識にタカツキが己の耳に手を当てる。

「てめえ……!!」

 しかしすぐにタカツキは闘志をむき出しにした。ブルーノは我知らず笑みを浮かべたのを見て、なおのこと引けないことを確認したタカツキは冷や汗を流し、睨み付ける。

「タカツキ!」

 イェーガーの声で、一触即発の雰囲気は霧散した。

「お前ほんとに落ち着けよ」

「……うるせえ」

 舌打ちしてタカツキが大股で畑に歩いていく。あいつも農業に精を出しているらしい。

「悪かった、ブルーノさんとアリアさん。ススキノのことが随分と悔しかったみたいでな」

「気にしてない」

 柄から手を放し、残念だとブルーノは思った。

 残念? どうして?

 自分によぎった考えを振り払うように、イェーガーに推しが今どうしているかなどの話をして、二人はビル跡に戻っていった。


















 ビル跡には建材や家具などが持ち込まれ、既に過ごせるような体裁をなしていた。

 わずか数時間で暖炉を作り上げたL2は帰ってきたブルーノたちを見て、サムズアップをし、寝た。脳のスイッチが落ちたのだろう。見ればあちこちに彼女がいじったと思われる設備があり、ミサキも持ち込んだチョコを食べていた。

 適当に料理を作りながら、ブルーノはミサキに佐々木の様子を話す。念話を担当していたのはミサキだが、実際どうなのかは遠方ということもあり把握しづらかったらしい。イエローパンサーについても、初耳だったようだ。

 十人分程度作り、食べて、センジを窘めて皿を洗い、寝室なども少ないために大体の白銀は性別関係なく広間に雑魚寝だ。どうしても嫌な数名は個室に前もって支度をしていたらしい。

 個室でしか寝れないということはないため、ブルーノも雑魚寝だ。適当に持ち込んだ毛布か寝袋に何人も入り、部屋の隅でオブリーオが未練がましく個室に行ったリシアの方角を見ている。きもい。

 ディーとライザーは出入り口を固めているが外に対する警戒より内側から抜け駆けするやつがいないかどうかのもので、ヴィヴィアーノが弾丸を打ち込むとすぐに散る。

 センジがいくらかの毛布と布団を放り投げ、巣作りのように整える。雑なので手を入れると満足したように寝転び、

「大将はそこな」

 と隣を示した。

「やだよ。お前寝相悪いだろ」

「めっちゃ寝相いいぜ!」

「嘘つけ」

 ああだこうだと言いあいをしているとまだ眠たげなL2が起き出してきて、センジの陣地に寝転がった。自動的にミサキも寝ることになる。

「ギルマス、早くしろ」

 眠たげな声でL2は指示する。一応断っておくが、便宜上このそこで寝ろと言ってきた二人は女性という区分にあてはまる。だから遠慮してるというわけではない。センジの寝相が絶対悪いから嫌なのだ。

 他を見れば紫苑は適当なところで寝ようとしてエドガーがキングサイズのベッドを取り出そうとして邪魔だとクロ―ディアに撤去されており、銀次郎とクリスは秒で眠っているし、着々と睡眠に入っている。

 しょうがないと寝転がる。枕を出して、毛布を被ればすぐに寝れる。

 あちらでは睡眠が浅かった。よく眠れたのは春と一緒に寝る時だけだ。だから、中学の途中までは寝不足気味が続いていた。三年生になるころ、一緒に暮らすことを決め、それから二人で暮らしていた。

 ブルーノが目を閉じたのを合図にしてか、他数名も眠りだす。明かりを消したのはエドガーだ。

 あっという間に、眠りに落ちる。

 目が覚めたのは当然だっただろう。何時間寝ていたのか。眠れていたのかもわからないまま、とにかくブルーノは目を開けた。

 センジの足が投げ出されるようにして腹に乗っていたのをどかして、上体を起こす。気配はほとんどさせなかった。影のように、光のようにそこにあるというのを感じさせずに起き上がる。

 皆は寝ていた。連日の移動と片付けと搬入で疲れているのもあっただろう。誰にも気付かれず、抜け出すのは簡単だった。

 外は暗い。アキバなどよりずっとだ。あちらは明かりがあちこちにあり、うす暗いというような印象だが、ススキノは人口の絶対数が少ない。そのために必要な夜の明かりも少ないのは当然だろう。発展すればするほど、無駄というのが増えるのが人間なのだ。

 眠れないブルーノが学んだのはひたすら耐え凌ぐことだった。朝が来るまで祈るみたいに目を瞑っているか、それともあてもなく歩き続けるか。まるで子供のような抗いに、思わず笑ってしまう。いつまでも変わらないだろう。

 誰もが夜には勝てない。勝てると思うものがいるとすれば、夜は一人で耐えるものではないと考えている人間だけだ。

 夜はいつだって一人で戦わなければならない。他人なんていない。死ぬ時も一緒だ。

 ひどく寂しくなる。

 接触はすでに贅沢品だ。

 誰だって一人で、誰だって代えが利く。

 君でなければならない人間はもういない。

 そう思いこまなければ、ブルーノは立っていられなかった。

 ふと歩いていく足が止まる。

 ちらちらと降る雪が申し訳程度にある街灯で照らされていた。

 その下に、その女はいた。

 白く長い髪に、揺れる狐の尾、狐の耳。着物でも目立つ胸のふくらみ。

 そして、赤い目。

 何度でも繰り返し、お約束のように現れる。

 白髪と赤目。

 もう逃げられないことを、世界が教えてくれるようだった。

「こんばんは、ブルーノさん」

「何の用だ、アリア」

「ただ愛しい人を待っていただけです」

「嘘つきめ」

「本当の、ことですよ」

 弱々しく、アリアは微笑んだ。いつもの計算された、己を一番きれいに見せるようなものではない。しかしそれさえも自覚してできる女を、もう知っていた。

 その女が、欠片としてここにいることも。

「ブルーノさん」

 雪が降っている。

「魂魄はお分かりですね」

「ああ」

「私は今彼女の体を使ってここにいます」

「ああ」

「影響を受けています」

「ああ」

「でも、ここにいるのは私の意思です」

「それが?」

「器の記憶を受けても、貴方はあなたなんです、ブルーノ」

 他でもない、貴方だけ。

 あなただけの命。

 あなただけの意思。

 あなただけの、願い。

「彼の願いを聞かなくても、いいんです」

 ブルーノ。

 死なないで。

 女は、そういった。







 沈黙が場に沈んだ。

 しんしんと降る雪は音も吸収するらしい。何倍もの静けさが世界を襲う。

 アリアは彼をまっすぐ見つめ、

 ブルーノは彼女を真っすぐ見ていた。

 動かない。二人ともだ。そうしていたところで思いも何も変わらないのに。

 やがてブルーノははあと溜息を吐いて、視線を外す。

「お前、あれの望みを知ってるって?」

「ええ」

 当然かと、ブルーノは鼻を鳴らした。

「お前は月から来た。監査者、採集者。航界種は、体を持たない」

 産み落とされた被造物。

 この世界で活動するには不自由な構造。

「月でお前はその体に憑りついた」

 そして見たのだ。得たのだ。

 橋場春の使っていたアリアというアカウントを。

 春は開発に関わっていた。日本サーバーを維持していたフシミオンラインエンタテインメントのみならず、米アダルヴァ社にもだ。

 アリアは春がプライベート時に使っていたアカウントだ。日本サーバーにあったはずのアカウントは、動作確認などのために十四番目のサーバーに置かれていることがある。

 十四番目のサーバー。

 空に地球が見える静かな砂浜。

 光りが見えたあの場所。

 話しかけてきた女。

 月。

「お前はあいつの記憶を持ってる」

 器の記憶を、魂は閲覧できる。

「お前のその感情は紛い物だ」

 そう、アリアの気持ちはきっと規格外の魂によってできたものだ。いいや、そもそももうアリアに憑りついた存在はすでにないのかもしれない。その圧倒的な魂によって侵害され、破壊され、汚辱され、浄化され、新しく組み立てられたのだろう。

 橋場和人に属する人物へと好意を向ける、残骸に。

「始まりはきっとそうだったでしょう」

 偽物と言われても、女は笑った。

「でも私はあなたが好きです」

 バートリーでも、

 ヴィルヘルムでも、

 アイズでも、

 ヘレルでも、

 和人でもない。

「あなたが、大好きです」

 この気持ちだけは、どうしようもない。

 はじめは本当に、バグによって生じたものだと断定した。いや、今でもバグなのかとおもう。そもそも、こういう気持ちはきっと、バグなのだ。パソコンの中に入り込んだ蠅だ。

 利用できると思った。月にいてしばらく見て、そうしようと思ってた。でも遠く離れて見てから、もうだめだった。メモリはかなり圧迫されて、まともに動かなくなった。

 思いとは邪魔なものだ。遠くにいると思うと我慢できなくなった。だから、すぐに降りた。世界が気になっていたのも、同僚が下に興味ありだったのもあるだろう。

 そして一目見て駄目になった。たまらなかった。記憶は、すでにない意思が、ごくわずかな黒い絵の具が澄んだ水を汚していくようだ。

 でも、それだけで落ちることはないし、ガードを下げることはなかった。接近すれば、させれば都合がいいと思い、誘惑した。

 乗ってこなかった。

 むかついたのだ。

 それから、毎日、生きていく。

 小さな積み重ねで、本当にダメになった。

 助けられたとか、そういうことはない。

 おはようとか挨拶をして、何気なく話して、ご飯を食べたり。

 そんなくだらない毎日が、積み重なる。

 植え付けられた意思ではない。器の想いじゃない。

 ここにあるのは正真正銘、私のものだ。

 勇気を振り絞っていったその台詞。

 心臓がうるさい。どくどくと全身に血液を送り続ける。

 頬が、体が熱かった。

 でも、ためらいがちに彼の顔を見た瞬間、すべてが凍てついた。

 男の顔は何一つ変わってなかった。

「俺は、俺が嫌いだよ」

 否定の言葉が突き刺さる。

「アリア」

 神様に誓うかのような声で、ブルーノは宣誓する。

「これは俺の願いだ。器のせいなんかじゃない」

 器からの影響は確かにあるのだろう。

「選んだのは俺だ。俺が選んだんだ、お前と同じように」

 俺は、俺を終わらせる。

 俺達を終わらせる。

 あの日から続く苦しみを、

 あの赤い地獄を終わらせる。

 望んだ答えはそれなんだ。

「俺は死にたいんだよ」

 幼い子供に言い聞かせるように、男は言った。

「私は死んでほしくないです」

 零れるように言葉が呟かれる。

 もう顔を上げることはできなかった。うつむき、女は足元に落ちる雪を見ていた。

 空を舞う雪はあんなに綺麗なのに、地面に落ちればこんなにも醜い。一面の銀世界も、吹きつけるような吹雪も、全て人が作り出した幻想だ。

「センジさんも、L2さんも、ミサキさんも、白銀の皆さんも、あなたのために、あなたを死なせないために」

「どうして俺なんかに構う」

「あなたのことが好きだから……あなたに幸せになってほしいんです……」

「…………」

 そうか、と男は空を見た。

 曇空だ。

「俺はそれを疑うよ。ただのお世辞じゃないかって。お前たちは都合のいい言葉を並べて、俺を都合のいいように使い捨てるんじゃないか」

 分かってるさ。

「本当はそんなことを思ってないことは、あいつらがそんなことを思ってないことは知ってる」

 もう、すべてが敵に見えていた。

 疑ってしか見ることはできない。

「たくさん、本物だってわかってるのにな」

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