第16話 正体



「くそったれ……」

 踏まれた頭をさすりながら、ブルーノは起き上がる。

 影で飛ばされた。そのことを理解したブルーノがあたりを見渡し、捨てられたような廃墟の屋上にいることを理解した。

 ならば、ここは。

「……やっぱな」

 振り返った先に、天へと延びる巨大な電波塔が見えた。うっすらと光に包まれている塔は、鼓動しているかのように明滅している。

 そしてその根元に、それはいた。

 死体のような青白い肌。

 白く染まった長髪。

 血に濡れたような赤い瞳に、唇の隙間から覗く犬歯。

「バートリー……」

 死体卿は微笑む。

「話をしよう、ブルーノ」

「……つっ……」

 頭がじくじくと痛んだ。睡眠不足によるものか、よくわからない。

 虹を纏えば纏うほど、記憶が消えていく。それもあってか、使えるようになってからブルーノの体は悪化していた。

 一部の冒険者が、逸脱した力を見せるようになったのとは違う。力をつけるほどに、人から離れていく。

「話なんか、今更する意味あんのかよ……」

 剣を抜く。何かまずい。何かが。

「ないかもしれない。でも君はアイズと話したじゃないか」

「ああ、あの茶番女か……お笑い草だよな……餌を見るためにあの女はアキバに来た……」

 痛みが増す。

「その塔の光は、記憶だろ」

「…………」

 吸血鬼が口の端を上げる。

「話してくれたら教えよう」

「いま、話してるだろうが……」

 それもそうかとバートリーは手を振り、椅子を取り出した。魔法鞄だ。冒険者と同じ装備。二脚出した意味を、少しだけブルーノは理解できず呆然と見つめる。

「座りなよ」

 先に腰を掛けたバートリーに示されてから遅れて気が付いた。腰を掛けると、男は言葉を紡ぐ。

「まずは君の言う通りさ。塔に張り付いているひかりは記憶だ。クズノハの住人、そして殺した君たちの記憶をかすめ取った。本来ならば採集者が取り込むはずの共感子を僕らがかすめ取った。いや、違うね。あれはもともと我々のものだ」

 おっと、と人差し指を立てる。

「才天のものじゃないさ。この世界で生きとし生ける者たち、記憶を持つものたち、魂を持った者たちのことだよ」

 採集者。

 典災。

 監査者。

 合致。

 共感子。

「けれどまあ、結局俺が使うんだ。かすめ取ったで違いないな」

「……何をしようとしてる」

「いやなに、電波塔の起動だよ。壊れてたものを治してあげているのさ」

 といっても、

「僕にはてんでわからないけれどね。なんでも、エネルギー不足らしい」

「エネルギーの代用品が、共感子か……」

「ああ、そうそう。ヘレルがそう言っていた」

 クズノハに現れた、最後の才天。明星。もたらすものは夜か、夜明けか。

 いかなる先触れであろうと碌なことではないのは確かだ。

「起動した後は」

「おいおい、答えるとでも?」

 だろうなとブルーノが嘆息する。

「冗談さ。面白そうだから言うけれど、ネットワークを使うんだ」

「…………お前」

「でもその先は駄目だ。教えてもいいけれど、確かめなくちゃいけないことがある」

 確かめること? とブルーノが首を傾げると、突然視界が傾いた。ああ、違う。地面に叩きつけられただけだ。

「てめえ!」

 即座に立ち上がろうとするが地面から生えた死体の腕に抑えつけられた。

 睨みつけると、さぞ愉快そうにバートリーがうんうんと頷く。

「そう睨むのも無理はないよね。自分をもっと警戒しなくちゃ」

「今更何を確かめる!?」

「短い会話だけど、思ってたんだ。ずっとね、君は自分を知っているのか」

「は? んなこと知るわけねえだろ!」

 それに、とブルーノは叫んだ。

「そんなことはもうどうでもいい! 俺は、お前らを」

「そう、そこだ。君は自分を知らなくてもいいと思った。そこがおかしい。なぜかと僕は考えてみたんだ。僕らと君の差」

 それは、

「白銀の頂だ」

「……は?」

「君は出合ったんだ。虚ろな器を満たしてくれる、代替品に」

 頭が痛い。

「白銀が、代替品……?」

「君は彼らのせいで自分などどうでもいいと、いくらでも再定義できると知った。その胸の穴を、満たしてくれる存在に出会った」

「やめろ」

 否定した声は震えていた。

「気持ちよかっただろ、心地よかっただろ。君が君であれる場所は。僕らも同じさ。浸れる温い地獄がほしい」

「違う! あそこは――」

「そうさ、違う」

「……は?」

 混乱し、次にくる言葉でブルーノは。

「君がそう思って、感じてるだけだ」

 なぜわかる。お前みたいなのが。

 どうして、俺のことを。

「都合のいい場所を求めるのは昔から変わっちゃいない」

 生きたいと思ってるやつが。

「君はなにも昔から、果たせはしない。でもここなら、何かをなすことができる。たとえば、そう。仲間を見つけたり、死ぬことを決めたり」

 黙ってくれ。

 頭が痛い。割れるみたいだ。

「僕らも同じだ。それを賭けたんだ」

 なぜってそりゃあ、

「やめろ!!」

 僕らは。







「同じ魂から生まれたんだから」








 決定的な一言で、ブルーノの意識は暗闇へと引きずり込まれた。






































「なあ、そのぬいぐるみ。ずっと置いてあるな」

「当然じゃない」

 だって、と白い髪の女は茶色い熊のぬいぐるみを抱き上げた。小さなぬいぐるみだ。幼い時には両手で抱えるには充分だったが、今はもうそんなことはない。

「和人がくれたものだもの」

「……そのリボンももっといいの買えるだろ」

「これはあなたが初めてくれたものよ」

 嬉しそうに赤いリボンを撫でる。安物だ。だからというわけじゃないが、あげた当人からしてみれば酷く不釣り合いに見える。

「もっといいの買うから外してくれ」

「それは嬉しいけど外すのは嫌よ。この子もね」

 この子? と首を傾げる。

「ええ、この子」

 より深くぬいぐるみを抱きしめた。

「名前でも付けてるのか」

 その女は嬉しそうに言った。

「ブルーノというのよ」






























 死にたい。

 生き足りない。

 もう、何もかもが嫌だ。

 すべて投げ出して、逃げ出したい。

 足跡だらけの道が汚く思えた。

 すべてはただの数字の羅列に還元される。

 だから、橋場和人はそうした。

 己の魂を砕いたのだ。

 そこで終わるはずだった。この世界の基本は魂魄だ。

 魄があり、魂がそろい、意味をなす。

 魂は砕かれ、魄はすでに意味を失った。

 消えるはずだった、終わるはずだった。

 砕かれた欠片は意味を持った。

 死を、

 恐怖を、

 未来を、

 存在を。

 結末に抗い、肉体を捨て去り、新たな器を得た。

 残された空っぽの器。

 ただの冒険者の肉体は動くはずがなかった。

 生存を望むはずのない肉体。わずかにこびりついた魂の残滓。

 この体には何も残っていない。あれがそう望んだんだ。

 他でもない和人が。

 何も起きないまま、何もなせず、そのままようやく死ねるはずだった。

 すでに砕けた魂が自我を持つという奇跡が起きていた。

 二度目はない。

 けれど、けれども。

 まだ体は動いた。

 理由は知らない。残滓が何かをしたのか、何を見たのか、願ったのか。

 起こったのは世界を変える大規模な、くだらない、小さな魔法。

 起こり得ないはずの、誰も知らぬ世界変転。

 大災害とは全く異なるアナザー。

 それはこの世界におけるブルーノという記録をすべて奪い去った。

 記憶も、何もかも。そこにいたという事実も、その体に残っていた残滓すらも。

 奪った記憶という燃料。

 注ぎ込まれた先は、何もかもを失った、冒険者の肉体。











「ああ……だから、つまり俺は……」

 自分の掌を見た。

 ああ、お笑いじゃないか。

 渇いた笑みが出た。

 やがてそれは大きくなり、何がおかしいのかまったくおかしくも無いのに笑いだす。

 気が触れたように、大きく大きく、笑う。

「俺は……」

 ひぃひぃと喉の奥から空気が抜けていく。

「俺は……っ」

 何かが落ちて、伝う。

「俺はっ…………」

 泣いているのだと気付いた。

 誰が。

 手で自分の顔を覆う。

 水が手についた。

「俺は、和人ですらないのか……」

 声に出すと、とんでもない孤独と絶望が押し寄せてきた。

 冷たい風が吹き抜け、足場が消えて、ひどく深い谷へと落ちていく感覚。

 全部に見放されたような終末感。

 どうしようもない事実に、ブルーノは、いや、彼はうずくまる。

 死によって繋がった、他人の記憶を見て、それが自分だと勘違いした。

 俺はどうしようもなく、偽物で、紛い物で、







 虚ろな、













「ああああああああああああああああああああああああああああ、アァァァァっァァァァァァっァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」














 絶叫がほとばしる。

 のたうち回る体はどうしようもなくそこにある。

 気持ちが悪かった。

 生きているみたいで。









 俺は。






 おれは。







 おれは、げんじつにいない

































 後悔と死が押し寄せてくる。

 それは小さい時に感じたどうしようもない恐怖のようで、大きくなってからも怯えていた恐怖だ。

 だからL2は影の中からはい出た。

「ぷはぁっ!!」

 何度も咳込み、酸素を求めて肺が暴れ狂う。

「へえ、抜け出せた。無意味なことをするもんだ」

 ヴィルヘルムが暗剣を携え、接近する。こちらはもうMPが尽きている。

 あの剣が心臓が引き抜かれた時、辺り一帯が幼き憧憬という真っ暗なゾーンへと叩き落された。そしてMPをしこたま奪われ、記憶を嫌というほどに見せられた。死よりも深く見せられたそれに、L2は呼吸困難だったためあふれる涙なのかそれのためなのかはっきりとしない。

 戻ったエルダーテイルはあちこちに影がばらまかれ、陰気に支配されている。

「やはり、お前は、あいつか」

 ぴたりとヴィルヘルムが止まった。

「なんだって?」

「お前は、春の後ろにいた男か」

 あのとき、最初に会ったとき、妙に印象が薄い男がそこにいた。最初は関係がないと思ってた。そんなやつは記憶から失せていた。気に留めるほど、意味のある奴だと思えなかった。

「そうでなければ、プリマヴェーラが、あの女が味方をしている理由はない」

 お前は、

「お前達は、あの時の男だ」

 L2の視線を真っすぐに受け止め、影のような魔人は笑った。

「正解だ、榎本先輩」

 やはり、とL2は唇をかみしめる。そう呼ばれていたかもしれないという可能性だ。

「プリマはオレたちの味方だが、どうにも敵味方に甘い。それはアイズも同じだが……」

 まったく、と肩をすくめる。

「余計なことばかりだ」

 それで、

「気付いたことはそれだけかな? 違うだろう?」

 その通りだった。

「ギルマスは……ブルーノは、お前らと同じだな……?」

 その問いに、やはりヴィルヘルムは微笑んだ。





















 白熱した視界の中、ヤゼルが退いた。

「想定外だな」

「るせえ!」

 センジが吼え、突撃する。そこに引き寄せが来て、周囲のレンガごと吹き飛ばした。融合モンスターがエドガーの相手をし続けている今、これで状況が崩れる、

「どこ行く気だよ」

 武者が刀を振るう。間一髪で攻撃をよけ、ヤゼルは信じられないものを見るような目で、センジを見た。

 避けた? 確かに吹き飛ぶのを見た。ならばなぜ。

 切っ先を見せながら、センジはかすかに痛む右足を無視した。引き寄せは速度で引きちぎれる。弾くのは斬ればいい。

 あと問題なのは体力だが、斬ってればいい話だ。

 問題はない。

 身を沈め、行く。

 瞬きするほどの瞬間でセンジの姿が掻き消え、接近。鎚を振るい衝撃波をまき散らすと、それを見て怒鳴った。

「てめえどこ行きやがる!!」

 ヤゼルは高く後ろへと跳躍し、センジの射程外へと逃げだした。弓矢を構える暇はない。代わりに一本の槍を呼び出し、穂先を打ち出すが届かない。

 追おうとして、後ろの融合と守っているダンジョン入り口を思い出した。舌打ちし、エドガーの加勢に入る。すでに五割は削れている。

「ヤゼルはどうした!?」

「知らねえ! なんか逃げた! 俺の勝ち!!」

 そういう問題ではないと思うがとぼやきながらエドガーは迫る触手を切り裂く。

「ではさっさと片付けて中に入るぞ」

「いいのかよ」

「逃げたなら放置でいいだろう。後から来ても中にいるのは敵だけだ」

 そりゃそうだなと頷き、センジはアタッカー並みのダメージをタンクでありながら叩きだしていく。

 嫌な予感がする。

 大将は今どこにいる。






















 沈んでいく。意識の海へと沈んでいく。

 ブルーノの行動はすべて模倣だった。

 誰も覚えていないのも、単純なことだった。

 全部奪ったのだ。

 他でもない、自分が、すべて。

 和人はここにはいない。彼は選択を拒否した。

 砕かれた魂たちは己を叫ぶ。

 俺は。

 俺は、

 意味がない。

 すでに席は埋まっている。

 これ以上活動することは無意味だ。

 ただの残滓が、彼に影響することは越えている。

 だから、活動の停止を。





























 でも。





























「僕らは君を兄弟として迎えよう、ブルーノ」















 電源が落ちたようなブルーノに、バートリーが手を差し伸べた。














「僕らは自分で意味を得る」













 意味などない。















「現実と虚構が交わり、僕らはそこで命となる。君も来い、君もあの景色を見よう」













 あの合致の景色を。
















 幾千幾万幾億もの人間が死に、幾万の命が芽吹き、幾千もの争いが始まる。










 才天たちの願いが叶う。






 現実はひどく息苦しい。そのことだけ、はっきりわかっている。

 和人はだから諦めた、終えたのだ。

 選ぶことを放棄し、魂を砕いた。

 その現実と、虚構が交わり合う。

 ゲームのような世界。ファンタジーだ。

 剣と魔法の世界が現実になる。

 魔法も、剣も、モンスターも英雄も冒険者も。

 世界はすべて交わる。







 大勢の人間を犠牲にして。







 橋場和人の願いは無視される。








 分裂した魂は、正しく和人の魂だ。







 でも、








 でも。








 彼らは生存を叫ぶ。






 死を克服し






 恐怖を纏い






 明日を望む





 存在する











 そこに






 そこに、無視された願いの場所はない。

 和人の叫びはどうなる。

 あいつの、小さな願い。

 確かに生きることを望んだ。

 でも。

 それでも。

 それでも、

 あいつは言ったんだ。

 苦しんでいたんだ。










 ここは異世界。





 ここに彼女はいない。






 ここに生存を呪った女はいない。






 ここはエルダーテイル。





 ここに橋場春はいない。





 ここは、異世界。







 全く違う、異世界。





 故に。





 それでも、あいつは願ったんだ。

 それでも、あいつは望んだんだ。






 俺の存在こそが、その証明。






 自己の証明。






 俺が何者か、お前たちに教えてやる。








 死にたいと言った。




































 ならば俺が否定してやろう。




















 橋場和人の、命を



















 今度こそ





















 完全に






















 消し去ってやる































「全部、思い出したよ」

 動かなくなっていたのはどれくらいだろう。

 よくわからない。

 バートリー、と呼びかけると彼は手を差し伸べたままだ。たぶん、復帰するまでずっと待っているつもりだったのだろう。

 彼と同じ立場なら俺もそうするから、わかる。

 あいつは俺だ。

 俺はあいつだ。

「和人の記憶も、俺が何なのかも」

「どうする、君は」

 手を見る。自分に差し伸べられた手だ。






 あのとき。

 雨が降っていたあの時。

 何もない人間に、白髪だからと白い髪の狐尾族は手を伸ばしてきた。




 この二つに違いはない。

 この二つに価値の差はない。

 二つとも、ブルーノに差し出された救いの手だ。




 あのとき、俺は、彼女の手を








 振り払ったのだ。











 どすり、と肉の音がした。

 どくどくと溢れる鮮血に、バートリーの視線が吸い寄せられる。




「よく、あるだろ。漫画やアニメ、小説で、生まれたくなかったと、生きていたくないって、自死を求める人間」



 差し伸べられた手のひらには剣が生えていた。



 L2の手を振り払った。




 追いかけられて、死んで、随分と遠くまで来たような気もするが、スタートラインに今ようやく立ったところだ。




「そいつらは、仲間だ家族だ兄弟だなんだと絆を育み、生への納得を得る」







「そして、生きていく」










「君は……」

 バートリーの顔が苦痛に歪む。

 L2も目を丸くしたっけな。白髪だぞって。






「否定してやる。俺がその死をもって」

 何億の人間が死ぬのはどうでもいい。

 だが、

 だが。

「俺は絶対に認めない」



「生きていることは無駄だ」




「生きていることは間違いだ」






「生まれることを、」






 存在を、








「ぶっ殺してやる」

















 ぼたぼたと雨が落ちる音を聞く夢をよく見ていた。

 ようやくあれの意味が分かった。

 あれは雨なんかじゃない。

 雨は嫌いだ。あの日を思い出す。ろくに記憶してないが、思い出すのも嫌な重い煙がかかって、雨のせいか、おかげか、人の焼けた臭いが消えなくて。

 カーテンを払い、それを見た。

 無数にバチャバチャと溜まりに落ちていくのは赤い赤い、死骸。

 五歳くらいの少年から、二十歳の青年まで、まんべんなく何度も何度も人が落ちていっている。

 飛び降りた男と目が合う。

 彼は、橋場和人だった。

「ああ……だよな……」

 頭が痛い。

 何度も自殺しようとした。でもできなかったんだ。

 死ぬのが怖かった、痛いのが嫌だった、死に損なうのが嫌だった。

 何度も屋上に立つ。それでも死ぬことはできない。

 根性無し。

 臆病。

 怖いんだ。

 どうしようもなく、それしかないとわかっているのに。

 死ねない。

 死ねない。

 自分のことなんか大嫌いだ。

 最後の痛みを我慢できない自分なんか大嫌いだ。

 それで終わりになるのに、終われるのに。

 そんなこともできない。

 死ぬことができない。

 生きることも不得意で。

 どこにいけばいい。

 何もわからないんだ。

 春に乞えば教えてもらえるのかもしれない。

 でも、これは。

 もう、決めたことだから。

 俺は、

 死ぬんだ。

 死ぬんだ。

 死ぬんだ。

 死ななければ。

 無数に屋上に立ち続けた。

 この合致に巻き込まれて、チャンスはすぐにきたのに。

 橋場和人は選択を拒んだ。

 怖かったんだ。

 生きるのも死ぬのも。

 わかるよ。

 だから、俺が。

 俺が。








 今度こそ死ぬから。







 だから、許してください






















 光が昇る。

 電波塔とは違う、真っ白な銀の光だ。

 それは直上に打ち上がり、頂まで伸びていく。

 そして、電波塔の聳え立つ屋上で、光が爆ぜた。

 虹の光だ。

 人の記憶。

 共感子。

 それは電波塔を覆うものではない。白い髪の女が見えた。その輝きを遠くから見ていたL2は屋上を見上げる。

「ギルマス、君は……なんてことを……」

「……悲しいことだな、彼女を忘れるなんて」

 ヴィルヘルムの呟きは誰にも聞こえない。









 電波塔へと浴びせられた一撃を、バートリーが防ぎ、苦笑いを浮かべた。

「おいおい、こりゃすごいな……」

「そこを、どけぇぇぇぇぇぇえええええええ!!」

 白い虹を纏ったブルーノが迫る。それを真正面からぶつかったバートリーから余裕ぶった表情が消える。

 力が拮抗し、剣同士が摩擦で悲鳴を上げる。

 こっちはフルレイドランクモンスターだ。ブルーノはただの冒険者。文字通り器が違う。だが彼が纏っているのは虹。競り合うだけの力を引き出している。

「そんなに派手に使ったらさぁ! 半年なんてあっと言う間だぞ!」

 五月から十一月までの半年間。それがブルーノが生きた時間、彼が使える力の限定。たった半年だ。いくら騒がしいギルドと言えど、半年など高が知れている。

「半年? 舐めるなよ。二十年だ!」

「はぁ!? ぐっ!」

 続く斬撃にバートリーが吹き飛ばされる。

 二十年? 二十年だと。そんな記憶、どこから――。

 まさか。

「和人の記憶か!」

 答えと言わんばかりに極光が爆ぜた。

 夥しいほどの斬撃が交わされ、膨大なHPを通常では考えられないような速度で削られ、増えていく。

 ブルーノは斬り飛ばされるごとに手足が生え、傷がいえていく。その回復にさえ記憶は消費される。

 砕けていく記憶を選別している暇はない。

 ここでこいつを殺す。そうでなければ、意味がない。

 あいつが自分を砕いた意味がない。

「君、自分がやってることわかってるのかい!?」

 攻防の中、バートリーの声が響く。

「それはただの自殺だ」

 この手を握れば、世界は開けたという。何億も殺して、地球をついでに掃除できる。生きていけるというのに。

 だから、だからあの時と同じように手を振り払ったのだ。

「ああ、だから自殺の決心がついたんだよ。念願叶うんだ」

「イカレが……」

「元が同じだからだろうが!」

 舌打ち一つでバートリーが後退。追い打ちをかけるように前に出ると階下から巨大なハルバードが突き出し、ブルーノを打ちあげた。

「ルセアート!」

 九なる監獄のルセアート。九大監獄のボスの一体。レイドボスだ。

 バートリーはフルレイドですら、殺し、配下に出来る。

「邪魔だ、死ね……!!」

 強大な斧の一撃と極光の斬撃が激突する。開幕の範囲攻撃。対処を怠ればパーティーは余裕で半壊する。それを否定するように剣がぶつかる。

 受け止めた剣に亀裂が走る。新品の剣が一気に削れた。ブルーノに耐えられなかったからか、ルセアートのせいかはわからない。

 そのことで動揺した。

「しまっ」

 ずれた。致命的な失敗。直撃コース。振りかかる斧を覚悟したブルーノに目の前に障壁が展開され、勢いを殺した。

「ブルーノさん!」

 アリアだ。必死にもたせた障壁が一秒と持たずに破砕する。相当削いだ力をブルーノは何とか受け止め、地面へと叩きつけられた。

 屋上に座するはバートリーとルセアート。単純に考えてレギオンは必要だ。それだけでなく、思考するフルレイドモンスター。増援の死者もいるという最悪な状況。

 こちらは才天に航界種だけ。片方は一時的にフルレイドスペックへと届くが、

「――――」

 迫りくる攻撃を弾きながら、ブルーノは己の体に舌打ちした。

 じくじくと腕が痛む。勝手に血が噴き出していく。割れるような頭痛はひっきりなしに続いて、ゲロりそうだ。

 この器が耐えきれていないのだ。突如として湧き出した記憶と溢れる白の光に。

 まだだ。まだ終われない。

 今度こそ、完全に間違いなど一片の隙も無く、欠片が生まれることないように消滅させる。

 俺は、和人を終わらせる。

 それが救い。

 お前ができなかったことを成し遂げてやるよ。

 剣が加速し、ぶつかりあう。ルセアートの圧倒的な範囲と攻撃力とブルーノの一撃が交差する。

 撃ち上がったのは斧槍だ。一時的なブーストにより上回ったのではない。アリアによる障壁が多重に展開され、ルセアートの攻撃を減速。そこをブルーノがぶちあげた。

「死ね」

 すでに死んでいるアンデッドに死も何もないが、空いた胴体に白い線が走った。

 一撃。数パーセント、ゲーム時代叩きだせるはずもないダメージが生じ、削るが冒険者たちが数分で稼ぐダメージだ。異常と言えるが、ルセアートの体力をゼロにするにはやはり時間が足りない。

 バートリーはルセアートを盾にしながら死体を生み出し、電波塔の守りを固めようとした。

「……? なんだ?」

 しかし、攻撃を受けたルセアートが突然ぐらりと体を投げ出した。

 走った線が歪な亀裂を描く。

「まさか」

 思い当たるそれに吸血鬼が息をのんだ。

「否定……」

 アリアが彼の特性をつぶやくと同時、ルセアートが崩壊した。

 あの虹は綺麗などというものじゃない。

 瞬く度に、春がほほ笑んだ記憶が崩れていく。

 母にならったときの料理を忘れていく。

 祖父の書斎にある本のタイトルがひび割れていく。

 自身の記憶が、失われていく。

 喪失の力だ。

 否定の頂。

 膨大な塩と化したルセアートにも目もくれず、ブルーノが電波塔へと接近する。

「終われ!!」

 しかし、双剣がそれに届くことはなかった。

 限界を迎えた剣は振り切る前に砕け、ブルーノが二撃目を繰り出そうとしたところ、横殴りにバートリーが割り込んだ。

「邪魔ぁ!!」

「君がな!」

 武器がなくとも四肢はある。殴りつけようとするが剣と拳のリーチの差は致命だ。同時、頭痛が強く走る。

 腕が赤く染まる。

 限界時間。

 虹が喪われ、ブルーノが剣を受け、そのまま屋上から落下していった。

 舞台劇場の方へと。






















 突きこまれる剣をミサキはなんとか回避していく。

 相手はただ剣をもって、攻撃してくるだけだ。それが非常に強いというシンプルな嫌さに辟易する。

 センジのような猛進さはない。罠にはめるとかそういうこともない。なぜって圧倒的な実力差のせいだ。

 例えばレベル5の雑魚相手に90のカンスト冒険者が何か企むか。何もないだろう。ただひねりつぶすだけだ。

 雑魚がミサキで、カンストがヘレルというのを除けば、実にイージーな状況だ。

 幻獣憑依を利用した精霊下ろしは機動力も何もかもが上がる。でもそれだけで逃げれるわけじゃない。

 だからミサキは周囲に撒いた簡易契約式を書き加えた札をいくつも隠し持ち、投じていく。そうして使用するのは入れ替え転移だ。召喚獣と契約者を入れ替えるという単純な特技。それを簡易契約式という一度きりの使い切りにすることにより、他者と他者の入れ替え、自身と他者の入れ替えを可能としていた。召喚獣を介さない、入れ替え転移だ。

 それを繰り返し、ヘレルの攻撃をよけていく。反撃はできない、する暇がない。

 このまま時間を稼いで――、

「くだらん」

 突然、体勢を崩した。

 劇場の席へと勢いよく倒れ込み、体が叩きつけられる。

 何が、

 おき、

 た。

 起き上がろうとして、かっと熱くなる腹部を感じた。火掻き棒でも突きこまれたみたいだ。それを混ぜ合わされたみたい。

 ぬるりとする感触で、ミサキは察した。

 見るな。

 見るな。

 見るな見るな見るな。

 見るな見るな見るな見るな見るな気付くな気付くな自覚するな前だけ見てろ。

 斬られて。

 自覚した途端、痛みが走る。今まで経験したことのないような途方もない痛みに思わず吐いた。べしゃりと腹からも何かが零れる。

 なんだ、なんだよこれは。

 以前こういう怪我を負ったこともあるが冒険者の体はここまでひどくなかった。

 気が遠くなり、一瞬で痛みによって戻された。身体がひどく重くて痛くて暑くて訳が分からなくなる。

 まさか、これは、これが、実際の痛み。

 これが、

「君の……見てる、世界か……!」

 だったら、立たなきゃとがたがたに震える手足で踏ん張る。

 明滅する視界で、何度も立ち上がり損なって、席にもたれかかりながらもミサキは、這い上がる。

 影が不意に刺す。

 ヘレルが無感動にもミサキの前にたたずんでいた。

「くそったれ」

 剣がミサキの眼窩を貫く。

 気味の悪い硬質な感触が駆け抜けた。

 刃が抜かれ、ミサキが倒れる。

 あ、やばいなこれ。

 舞台劇場の天井が見えた。

 どんとどこか他人事みたいに衝撃が背中に来る。鈍いな。何もかもが鈍い。

 重くて熱くて、痛みはない。

 片方割れた視界のまま、見えたそれに手を伸ばした。

 ヘレル。フードが降りて、顔があらわになる。

 ……なんだよ。

 そういう、ことか。

 彼の顔は、ブルーノそっくりだった。

 だから、その、

 なんだっけ。

 L2、悪い。

 先に、

 い
















 前触れなく天井が砕けた。

 伸ばした手が落ちようとするのを必死に止める。

 ミサキの意識が急速に吹き返す。

 ぱらぱらと落ちる瓦礫。飛び退いたヘレルが、それを見る。

「……来たか」

 まったく同じ顔で、同じ魂は呟いた。

「なんで、そんな……タイミング良いんだよ君は」

「知るか」

 全身ボロボロの男は、それでもなお立ち続ける。

 自分で決めたことだから。













「知ったか」

「ああ」

「何をなす」

「否定を」

「ならば俺は、」

 剣をヘレルが構える。

「存在を」

 終わりたくない。その強い思いが、その魂の欠片を形つくった。すべての欠片の中で一番思いが強く醜く。

 ひどく、どうしようもなく、原初の想いだ。

「言葉は不要だ。来い」

「言われずとも」

 剣はない。量産品は振り切る前に砕けるために無意味だ。

 だから、ブルーノは己の胸に手を伸ばした。

 躊躇いなく手が皮膚を突き破り、内臓をかき乱し、心臓を取り出す。

「ブルーノ」

 ミサキの声に、ブルーノは振り向かず、心臓を握りつぶした。

 そうして、代わりに手のうちに剣が現れる。

 フルレイド相当の力はもう使えない。それでも、名もなき剣を握りしめ、ブルーノは構えた。

「ミサキ、下がってろ」

 なんとか動こうとしたのを声で制する。わずかな逡巡の後、ミサキがよろけ、僅かな簡易契約札を渡し、後ろに下がっていく。

 礼は言えない。

 気はそらせない。

 敵はいつも自分だと誰が言ったか。

 きっとそいつはこんなこと考えもしないだろう。

 自分と自分が殺し合う。

 命など無いくせに。





「存在の才天、ヘレル」

「否定の才天、ブルーノ」





「俺はお前を肯定しよう」

「俺はお前を否定してやる」






 不毛な戦いが幕を開ける。











 互いに、ランクは飾りだった。レベルも、何もかもがゲームを越えて、交わされる。

 ブルーノは左手に剣を持ち、ヘレルは右手に剣を持つ。

 鏡のように反対の二人は同じ顔を睨み付け合い、鍔迫り合いを繰り広げる。面白いまでに続く、演習のようなやり取りだ。

 剣技において同門、同流派に近い思想を持った者たち同士が斬り合うと演練のように噛みあうという。うてば響くようなこのやり取りがその証左だ。

 踏み込み、ブルーノが客席ごと切りつけた。ヘレルはそれを躱し、カウンターを叩き込むが屈んで避ける。宙に浮いたままの敵へと斬撃を放つがそれに応じた剣が交差し、二人の距離が大きく開いた。

 舞台上にヘレルが着地し、光を纏う装置のちらりと見た。視線を戻した時には目の前に客席が迫っており、切り落とすと開けた視界へブルーノが飛び込んでくる。躱すことなく弾く。後ろに装置だ。根源がある。

 ブルーノが攻めたてた。一瞬でも抜ければいいという考えで記憶をさらに捧げる。同時、堪えようのない吐き気が響く。それを無視し、十字に切るようなコンビネーションを行う。

 ヘレルはすべてを真っ向から弾いた。迫るブルーノに退くことなくむしろ追い詰めるように前へと出る。装置が空く。しかしそれでブルーノが千切れるほどヘレルは甘い相手ではない。

 回るような剣をバックステップ、続く二撃目を下から削ぐ。隙。剣を突きこむと、ヘレルの脚によって踏みつけられた。

 体制が崩された。致命的な隙をブルーノが晒し、斬撃が繰り出される。

 ブルーノの赤い血が飛ぶ、ことはなく、代わりに札が切れていた。

 ミサキの簡易契約札。その発動を彼が行ったかと思えば、ミサキでさえ呆然と客席に立ったブルーノを見ていた。

 虹に輝く手。そこに簡易契約札が握りこまれ、砕けていた。ミサキはもう限界だった。受け渡しても、発動できるほど集中力はないし、意識は朦朧としていて、はっきりと目の焦点もあっていない。

「無理やりか」

 なら誰が彼の口伝を発動させたか。単純だ。ブルーノが共感子を注ぎ込み、他人の口伝を無理に起動したのだ。他者入れ替えに必要なのは簡易契約式、それにミサキ自身の魔力だ。契約式は既にあり、足りないのは魔力だけ。であれば、ブルーノは模倣し起動するだけだ。

 めちゃくちゃではない。これは紫苑が行う、限定的な特技模倣からヒントを得たものだ。

 回数制限はある。手元にある簡易札は少ない。

 だからブルーノは出し惜しみなく使う。

 客席を根元からへし折り、ぶん投げた。舞台へと飛ぶそれは突然姿を消し、斜め方向からヘレルに向かって飛ぶ。ミサキの入れ替えは他者同士でも可能だ。しかしそれは人あるいは物体と、何もない空間では成立することはない。二つの契約札があっても何かがなければミサキの口伝は発動しないのだ。しかし、それはミサキのものである場合。既にこの劇場に散らばっている札は、ブルーノによって汚染されていた。ヴィルヘルムの影を想起するような汚染だ。

 それに眉一つ動かさずヘレルは対応する。飛来する椅子を防ぎ、二度目も砕いた。ブルーノが前に飛ぶと同時に消え失せ、身構えるが来ない。

 代わりに客席の方でいくつも光が起こった。星の瞬きのようなそれは入れ替えの並列同時起動だ。どこから来るのか何が来るのかわからない。

 コンマ数秒、ヘレルは予想したがすぐに破り捨てた。何があろうと壊す。

 出した結論を問うようにいくつもの何かが飛来する。

 無数の客席が飛び交う。親切にもヘレルはそれらをすべて壊していく。

 その中に一つ銀の閃きが混じった。同じように弾くと金属音が響く。

 剣だ。ブルーノの剣が宙を舞う。

 どこへ。視線を巡らせるヘレルの上からブルーノが落ちた。

 舞台の上。裏方しか目にかかれないそこにブルーノは転移していた。剣を宙で拾い、斬撃を叩きつけた。

 スポットライトをいくつも浴びせかけられたように、舞台上へ光が叩き込まれた。

 どちらの攻撃。おぼろげな意識でミサキが判断するよりも早く、客席へとブルーノが着地する。

「お前はそう言うタイプか」

 光が晴れ、舞台上でヘレルは立つ。その背にいくつもの魔法陣を展開しており、彼の名前が明滅した。

 モンスター、冒険者、古来種、航界種。

 刀剣術師。

 かのエリアス=ハックブレードが所有していた職業だ。レベル100の輝きは堂々としており、彼の特異さを際立てる。

「剣比べを先に止めたのはお前だ、ブルーノ」

「レベルで負けてるんだ、加減しろよ、糞兄貴」

 嘲笑と共に、ヘレルの突き出した掌から魔法が打ち出される。

 対するブルーノはブラッディ・ピアシングで撃ち落とす。

 特技の開陳。

 身を屈め、互いに疾走した。爆発かと思うスタートダッシュの直後、舞台前で二人がぶつかり合う。

 僅かな硬直、ヘレルの背後で光球が瞬きブルーノ目がけて打ち出された。ユニコーンジャンプで高く飛ぶと、追うように火球が飛ぶ。

 それを二連撃で切り裂くと無数の小さな球が爆ぜる。オーブ・オブ・ラーヴァ。空をクイックステップで抜けるとライトニングネビュラが爆ぜる。ダンスマカヴルで裂くと光の剣が立ち並び、ヘレルの背後で翼のように蟠った。

「次から次へと……」

 きんという高い音と共に狙いがブルーノへと向き、

「鬱陶しいんだよ!!」

 射出された。それらがブルーノの姿がぶれるとともに一斉に斬られた。エンド・オブ・アクト。大技の連発。

 ヘレルが距離を詰め、剣が光を纏った。ブルーノのような虹ではない。

 しかしそれは同等の力を有している。

 虹と光がぶつかり合い、劇場に光が満ちる。

 白い男が飛び出てきて、客席へと後退した。

 面倒くさい。刀剣術師という特性故か、ヘレルは妖術師の特技さえ扱い、その威力は本職を抜いている。それにあの光。

 あんなエフェクトは見たことがない。口伝に近いもの、いや口伝だ。ユニーククラスに口伝。

「どこのチート主人公だよ、死に腐れゴミクズ」

 悪態をつき、光が収まるのを待つ。ヘレルは以前、舞台上で待ち受けている。動く必要はないし、なんならそこから魔法うってりゃ楽勝だろう。

 そうしないのはあちらにもそれなりに消費するMPが馬鹿にならないということだ。こちらに尽きるということはない。再使用規制時間も、短縮できる。二十年は伊達ではない。

 しかし、使うごとに世界が色あせていくような感覚に陥る。

 楽しい思い出ばかりが封じられていく。好都合だ。身体は動く、自分が何者かは分かる。

 目的は達成されていない。

「殺してやる。死ね、死んじまえ、和人」

 記憶ごと消してやる。

 死ぬほど怨んでいた自分を殺す。

 生きたいと叫ぶ体を今度こそ、

 ぶっ殺す。

 自殺を。

 最もマシな手段を。

 ブルーノが構え、再度踏み込もうとした瞬間、

 ご、という音と共に電波塔が起動した。

「っ!?」

「ようやくか」

 予想よりも早い。なぜ、と思いブルーノがこの部屋でしたことを思い出した。

 砕けた記憶の欠片を、装置が吸った。

「チッ!!」

 飛び、攻撃を叩きつけようとするも無数の結晶がそれを阻んだ。

「アイズか!!」

 姿は見えないが確実にいる。どこにいる。視線を巡らせていると、ふっと影が揺らいだ。

 はっとして、迫る光剣に気が付いた。やばい、防ぐのが間に合わない。

 直撃コース。

 痛みを覚悟した直後に剣が雷撃に阻まれた。

「ギルマス! ようやく来れたぜ!!」

 劇場の扉をあけ放ち、そう叫んだのはいつも通りの非モテ二人だ。弓を引き絞り、掌に雷が集まり、攻撃が投射される。

 それをヘレルが難なく切り払い、返しに雷を放つ。倍返しのような威力のそれが入口にぶち当たり、からがら逃げ延びた二人がわあわあ叫んでいる。

「敵か!?」「敵だろ!!」

 攻撃した後に疑問するなよ。なんにせよヘイトが向いたと踏み込もうとすると魔法陣がこちらに展開された。

「だよな」

 二方向、いや三方向に魔法が放たれる。L2でさえ空蝉模倣では並列処理を行うゆえに方向を絞る。しかし彼はそれを無視して見もすらせずに打ち分ける。ディーとライザーに二、ブルーノに八という按配だ。

 近付くことすらできない状況。阿保二人に打開できるほど目はない。これが単純な射撃戦ならばあれらに任せるのが当然だが、相手はヘレルだ。

 反対方向に走りだそうとして、速度重視の魔法弾が来た。威力は軽いがぐちゃりと嫌なところに当たる。足がとられ、乱れる。

「ギルマス!」

 障壁がブルーノの前に展開され、弾けた。

 響いた声はあの二人じゃない。次いでくる攻撃も立ちふさがった二人の武者が切り落とした。

「悪い、遅くなった」

「のじゃ!」

 シンゲン、銀次郎。シンゲンの背中にハツネも張り付いているし、先の障壁は崩壊した劇場入口からきた出雲だ。ブルーノが即座にパーティーを組み上げるとがら空きの天井からナイトメアスフィアがヘレルにたたきつけられた。

 アルファだ。言葉も何もなく、声出ししながら参戦した五人を馬鹿にしたような目で見るがすぐに足場が破壊され、うおわっみたいな声を上げながら落ちた。

「ださいなー」

「うるさいな!!」

「はいはい、回復しますよ」

 続いてSAEKO、もみじ、最後に苦笑しながら紫苑も続く。

「ブルーノさん、囮に使ってください」

「あいつの攻撃クソ痛いぞ」

「どんくらい!?」

「実際に斬られたくらい」

「ふざけんな!!」「ていうかギルマスが二人いるんだがどっちだ!?」

「ボケないでこういうときくらいちゃんとしてください! だからモテないんですよ!」

「もみじてめえ今なんつった!?」

「お前らなんでここがわかったんだよ」

「あんだけ派手に暴れてりゃ誰だって集まるわ!!」

「いやまずなんなのじゃ、あの刀剣術師とかいうの。エリアスと同じなんじゃが」

「チートだ!」

「何あれ」「知らん」

「とりあえずギルマスの敵だ!」

「殺す!!」

 一気にうるさくなった。吟遊詩人と付与術師の支援が開始され、神祇官が三人障壁を貼り出した。武者二人は攻撃を引き付け始めるが、相手はヘイトで動くのではなく自立した思考を持っていて引きつけが悪い。故にディーとライザーへの遠距離攻撃がいまだあり、移動しながらの攻撃となるため命中率が悪い。

 ディーとライザーはそもそも固定砲台と揶揄されるような動かない射手ではないが、劇場内で碌な閉鎖物がないここでは少々きつい。銀次郎たちタンクと明らかにはなれ、分断され続けているのも原因の一つだ。三人目のタンク、SAEKOはレベルの問題でおいそれと絡むことはできない。

 人数が増えても各々少し負担が減った程度。ブルーノは射撃に絡めない。

 いや、と足に意識を向ける。それから剣。使い捨ての剣がまだある。メニューを開く数秒がほしいが、ここでは命取りになるのは分かり切っていた。

「ちょっと下がる、指揮を誰かとれ!」

 叫んだ瞬間、ブルーノが入れ替わった。負傷し、ずたぼろになったミサキとだ。

「ミサ――」

「僕がとる。さっさとしろ!」

 劇場の端へと転移したブルーノに容赦なく魔法が迫ってくるが銀次郎が位置から外れて防いだ。シンゲンの負担が増えるがハツネが加速する。

「あてろ非モテ!」

「いまやってる!」「っつの!」

 矢と雷が飛ぶ。正面から撃ち落とすように現れた魔法を前に矢たちはありえない軌道を見せた。明らかに曲がったのだ。消せなかった攻撃がヘレルへと到達し、彼が初めて視線を向けた。後退すると軌道が変化し、追いすがる。

 軌道操作。どこにいても追いかけてくるようなそれは非モテ二人が絶対殺すという意思の元発動させた口伝。だがそれも文字通り握りつぶされる。

「だったら――!!」

 出雲が手を掲げると、ヘレルの頭上に無数の障壁が組み上げられる。

「潰れてろ!!」

 檻のように組み上げられた多重障壁が落下し、押し潰した。

「うわ……」

「えげつね……」

「痛そうじゃな……」

「痛いで済むか?」

「お前ら引いてんじゃねえ!」

 叫ぶなり障壁の檻が爆散した跡形も無くはじけ飛ぶ。

「おいあれセンジ閉じ込めるのにも使えたよな」

「マジか」

 再開された魔法がミサキ目がけて飛ぶ。シンゲンが対応し損ねた。

「カバー!」

 と叫ぶも出雲は反動で動けない。ハツネは全体を持っているために余裕がなく、もみじは力が足りない。

 仕方ないとミサキは息を吐く。死ぬほど痛いだろうが、たぶん死ぬだけだ。底冷えするような感覚を前に、アルファの声が響く。

「それは当たらない」

 宣誓のような言葉で、攻撃がそれた。星詠みの力、やはり口伝だ。

 僅かな時間。ブルーノへと迫る数々の攻撃は銀次郎によって防がれていく。壁を這うような斬撃は切り落とされ、射撃はすべて防がれた。視覚外からの攻撃も対応するそれは加護のようでもある。燃えるような雄たけびを封じ、あくまで冷静に銀次郎は後ろのブルーノを守る。

 口伝、口伝、口伝。

 口伝ばかりだ。

 おいそれと至ることのできない域。世界を塗り替える意思。

 限界を超える力。

 それらがもともと何もない、ゲームばかりしているオタクたちを引きずり込んだのはやはり、

 ブルーノだ。

「それも当たらない!」

「いいえ、当たるわ」

 アルファの予知を女が否定する。シンゲンへとあたり、障壁が絹のように破けた。

「今のは……」

「僕よりも上か!?」

「アイズ……!!」

 空いた天井より戦場を見下ろすのは幼い少女。

 災厄の追加だ。弓と雷が魔法をよけたのに次々と結晶に阻まれていく。

「くそ!!」

 これはまずいとミサキが歯噛みした。後ろのブルーノへ意識を裂くと、ヘレルが前に出る。アイズにより余裕ができた、そのせいで来る。

「シンゲン!」

「無理だ!」

 結晶によって対応できない。決壊すると思った矢先、ヘレルの前に滑り込んだのは紫苑だ。

 吟遊詩人。一応の攻撃職。わずかながらに足止めできるのか考えを巡らすが、無理と計算をはじき出したとき、紫苑が赤い液体をまき散らした。

「紫苑」

 鮮烈な痛みが紫苑を駆け巡る。だが、それだけだ。あと何秒。二秒程度か。赤熱し、加速した思考の中、紫苑は己を砕き、解放した。

「護法……四恩……」

 呟くなり紫苑の唇から呪文が漏れた。限定的な特技模倣。見習い徒弟、師匠に当たる人物のサブ職業の特技を習得できるサブ職業だ。半分以下のレベルでなければ習得できず、見習い徒弟のレベル上限は50。25レベル以下の特技しか習得できないサブ職業。もちろん大災害以後、恩恵とでもいうものを受け、可能性が花開いた。

 紫苑のものも、その一つだ。

 発動中はメイン職の特技を一切発動できなくなる。また、特技を使用せずともMPを消費し、特技発動には元の特技よりも割増のMPを要求される。

 しかし、これにはサブ職業という指定はない。

 紫苑から放たれたのはフリージングライナー。氷の奔流がヘレルを飲み込んだ。

「ぎっ……」

 と同時、体が内側から裂けたような痛みが走った。斬られた痛みとそれが一斉にきて、気が遠くなるが自ら口をかみ切って持ちこたえた。

 ダメだまだ寝るな死ぬな。もう少し、じかんを。

 奔流が割れる。ヘレルがものともせず向かう。紫苑が眼中にすらない。武器を握れない、手の感覚がない。

 ついでのように光弾が迫る。

「当たらない」

 アルファの声が響く。

「当たる」

 すぐにアイズの予知が来て、紫苑の体が吹き飛んだ。

 バフを、デバフを回しながらアルファは己の中から魂がすり減っていくのを見ないふりをして、予測をし続ける。

 あれが真っ向から否定してくるのは実力差を示すためだ。

 お前は無理だと、諦めろと。

「っ……! 当たらない!」

「当たる」

 障壁が割れた。シンゲンが体勢を崩す。

「当たらない!」

「当たる」

「当たらない!」

「当たる」

 ふざけた一単語ごとに味方が負傷していく。

 くそ、くそくそくそくそくそ。ふざけんな。

「当たらない、当たらない、当たらない! 当たらない! 当たらない!!」

「当たる」

 いくつも重ねた言葉は一言により否定され、アルファの前に、フロストスピアがきた。

 位置取りに失敗、いや、先のことばかりに気を取られすぎて。

 味方が悪い、敵が強すぎる。くそったれ。そんなことはくそったれだ。

 オレが、弱いだけじゃないか。

「当たらない」

 そのとき、新しい宣誓が響いた。

 氷槍が砕け、虹色の光が舞う。

「アルファの予言通りだ、助かった」

 いくつもの安物の剣がブルーノの前に突き刺さって、そのどれもが虹色を宿している。

「後は任せろ」

 復帰したブルーノが一刀を投じた。迷うことなくヘレルへと着弾したそれをよけることなどできず、もはやミサイルがあたったように客席の一部ごと爆発した。

 衝撃が走る直前、結晶と剣が虹を弾いた。それでなおこれ。

 煙を払い、ヘレルがブルーノを睨んだ。

 二刀目。即座に来ると判断したヘレルが構えるが、剣が消える。ぱっと違う方向の客席から現れる。ミサキの入れ替え。契約札をまだ残していた。

 呼び出した雷撃が代わりにぶつかり、軌道をなんとかそらす。アイズは反応できていない。

 これなら、と思った矢先、舞台から死体が湧いた。

「はぁ!?」

 抗議の声を上げると共にSAEKOがシンゲンの負担を減らそうと前に出る。銀次郎が復帰し、戦線を支えるが、

「もう用はない」

 ヘレルがその場を後にしようとする。

「待てこら!!」

 目標達成、何の目標だ。ブルーノの中にはうっすらとあるが、それを深く考えている時間はない。

 こちらを潰す気はないのか、ヘレルたちは素直に退散しようとする。許すわけにもいかない。

「ミサキ! 最後だ!」

 ブルーノが呼びかけ、最後の力を二度に分けてミサキが振り絞る。

「人使いが荒いんだよ!」

 来ると身構え、未来を読んだアイズの視界にやってきたのは、

 暗闇。

 何が起きたかわからず停止したアイズは、ミサキの掌にと留まったフクロウに気が付くのに遅れた。

「無音の闇」

 言うなり、劇場内にいる人間すべての視界が暗闇に叩き落された。視界だけでなく、何も聞こえない。

 何も見えない。完全に切り離された状況に白銀は事前に教えられていた情報をもとに必死に耐えた。

 そんな中、動くのはヘレルとブルーノ、ミサキ。きん、と甲高い音がしてヘレルの斬撃によって闇が払われる。

 反動がミサキにやってきた。身をくの字に折り、必死に耐えた。

 誰も動いていないとヘレルは確認しようとするがブルーノはためらわず直進している。

「俺に攻撃!!」

 そのブルーノが叫び、瞬時に意図を了解したシンゲンと銀次郎が振りかぶった。

「何を」

 立ち直ったアイズがぴくりと反応する。

「一刀――」

「――両断!」

 重なる声と一撃がブルーノへと振り切られた瞬間、ぱんと入れ替わった。

「っ!」

 ヘレルとブルーノ。先程の暗闇で動いたのは三人。入れ替わった二人に加えたミサキだ。彼がブルーノに札を飛ばし、ブルーノがヘレルに札を投げつけた。

 同時、手元に残した剣をアイズにブルーノが投じる。

 結果は二つ起こった。

 まずヘレルが武者二人の攻撃を防ぎ切ったこと。もう一つは、アイズへと投じた剣がバートリーに握りつぶされたことだ。

「くそ!!」

 これでも届かない。

 武士がなおも食らいつこうと、妖術師も暗殺者も力を振り絞るが、

「終わりだ」

 ヘレルが刃を地面に突き刺し、発生させた衝撃波により皆が吹き飛ばされた。

「さあ帰ろうか、目標は達成した」

 屋上にいたバートリーがそのままあれを獲得した。

 現実の座標を。

「ああ」

 ちらりとヘレルが倒れ伏すブルーノを見る。

「待てよ……てめえら……殺してやる……」

 憐れむような視線を向け、殺せるはずのブルーノを前に、彼らは撤退を選んだ。

 目標達成、これ以上の戦闘継続は無意味。

「ばいばい、またね、ブルーノ」
















 くそが、と漏れた呟きに応じるように外ではヴィルヘルムが戦闘域を離脱していく。

 塔の光を見たL2が走り出した。まだだ、まだ終わってなどいない。






 戦闘は継続していると、センジは刀を抜き放つ。





 だから、二人は叫んだ。












「出雲!! 足場を組め!!」

 劇場に戦闘の余波で空いた穴にL2が叫ぶ。




「水連!! 位置教えろ!!!」

 屋上に響き渡る声でセンジが叫んだ。











 即座に組まれた足場を駆けあがり、L2は再度空蝉模倣を展開。この体にある何もかもを吐き出す。

 掌に魔力が集まり、宙に不完全な魔法陣がいくつも浮き上がった。




 抜き放った刀は草薙。

 遠隔斬撃を行える妖刀。乗せるのは一刀両断という武士最大の火力特技。






 一閃が、

 十の氷槍が、

 撤退するヘレルへと最大火力がぶちまけられる。







 だが、それさえ、砕かれ、届くことなく消えた。











 残るのは、やはり燻りと






 苦い敗北の味だった。

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