五章 休日は不在

第13話 日々という悪夢




 五か月。

 大災害の始まりから五か月がたった。

 たった五か月、されど五か月。他の冒険者よりも濃い時間を過ごしているという自負があるブルーノはお馴染みの溜息を吐いて、背もたれに沈んだ。

 疲れた。記憶がないのだから生後五か月と言ってもいい。言い過ぎた。

 特にこの三か月は自身のことを突き付けられ、考えさせられた。自己というのは向かい合わなければならないくせに、考え続けるとぶっ壊れてしまうのだから設計が間違っているのではないですか神様。

 典災、才天、航界種、魂、魄。

 他の人間が欲しがるような情報を持っていても、ブルーノは広める気にもなれない。世界が、アキバが、円卓が、大手ギルドが、大勢の人間がはみ出し者にしたことは少ない。多いのかもしれないが、そんなこと届いてないのだから知ったことじゃあない。持っているから、なんとかできるから力を出す義務があるみたいなのとか嫌いだし、そもそも円卓は苦手なので白銀一同から出すことはなく、お願いされても嫌だと跳ねのけるつもりだ。強制とか糾弾とかされたらアキバを焦土にしようなどというプランもある。L2作である。

 どいつもこいつも、好きにやって理不尽に死んでればいい。

 少しネガティブな方面に転がっていると自覚する。こういうときは睡眠をとればいいのだったか。よくわからない。

 眠気はない。もう三日は寝ていない。先月の、あの日から、何かが変わった。

 一か月立ったというのに睡眠は十回しかとっていない。前よりも疲れることは少なくなった。

 一人で、夜をやり過ごすことが多くなった。ほとんど眠らないアキバにおいても夜は孤独をご丁寧に知らしめてくれる。

 意識がある時間が増えたということはくべる記憶が多くなることも意味していた。しょうもない、取り残されただけの記憶など使い切るのが一番いいに決まっている。

 自己強化に使えるリソースが増えているというのは喜ばしいことだ。そう思うことにした。

 このことは誰にも話していない。話してそれでどうなる。何の意味も無い。

 さて毎月月刊連載であるかのごとく事件が起きているブルーノではあるが、今月こそは平和的に血を見ずに過ごしたいと思っている。

 十月。アキバの街では、天秤祭が行われる予定にある。アキバの街の中、結界の中で行われる平和的な祭。これで血を見ることはないだろうとブルーノは思った。思ったがすぐに無理だなと思い直した。なぜってまあ、そういうギルドだからだ。

 その天秤祭に向け、ブルーノは以前から書類に追われていた。理由は無論天秤祭に関するもので、露店だかなんだか、出し物に関する書類だ。

 白銀の数名が当然のように出し物をしたいという申し出をブルーノに回してきて、処理していたらなんだか数が多くなっていた。

 書類に忙殺されること数日、先ほどついに赤ペンなどで訂正要求された箇所も直し終えたブルーノはついに解放された。ここからまた通商会に行く手間があるが、ご飯のついでと思えばいい。

 食事、食事は多分とっている、はず。記憶がないのは虹のせいではなく、ただ自分の、性根とか癖だとか、そういうものだ、ろう。

 確信がない。自分を探しているのに自分が欠けていっている気がする。

 本末転倒だ。

 不安定なまま、戦い続けた先に待つのは決定的な、

「――――」

 目を閉じる。

 金貨を存分にかけたらしい執務室の椅子はどれだけ座っていても疲れない。だから、せめて寝たふりを。

 ミサキによれば目を閉じているほうが体にいいらしい。詳しくは忘れた。

 どうでもいい。

 数分か数十分、眠っていたふりをしていると執務室の扉が開かれた。

「ブルーノさん?」

 アリアだ。部屋に入ると、椅子に身を沈めてるブルーノを見て嘆息。

「もっとちゃんとしたところで寝ないと体を壊しますよ」

 平素は片付けてある部屋が散らかっている。床にまで本やなんらかの紙類が詰まれているのはブルーノにしては珍しい。巫女服のすそが引っかからないように注意しながら傍に立つ。

 目を開けようかどうしようか迷う。なんだか相手をするのも面倒だし寝たふりをしておこう。

「……ではバレないうちにキスの一つや二つ」

「していいわけねえだろ」

「もぎゃっ」

 近付こうとしてくる顔を押しのけ、座り直した。

「起きていらしたんですか。はっ、それとも愛の勘で目覚めを……?」

「お前今拒絶されたの分からなかった?」

「照れ隠しでは?」

 相手するだけ馬鹿になりそうだ、無視しよう。

「それで何しに来た」

「特に何も。しいて言うならばブルーノさんを見に来ました」

「帰れ」

「なんでですか!? こんなかわいくて綺麗でブルーノさんが好きそうな巨乳の女の子なのに!?」

 なんかほざいてら。

「好みだとかそうじゃないとかどうでもいい。用がないなら帰れ」

 面倒くさい、と包み隠さずいうとアリアはよよよと泣き真似をした。

「用がなければ好きな殿方にも拒絶されるのですね……なんと冷たい方……好き……」

 怖い。なぜそんなに思われているのかが分からないのが一番怖い。

「……俺お前になんかしたっけ……」

 好かれている理由がびた一文たりとも分からないんだがと正直に言うと、アリアは当然でしょうと答える。

「私の一目惚れです。きゃっ、言っちゃいました」

「あ、そう……」

「反応薄くないですか!?」

「どうでもいいし……」

 またもやアリアが泣き真似を始めた。ちらちらとこちらを見てくるが無視する。

 そういえば用がないのに近付いてくる人間はいなかったなと思い出す。センジはなんかかっこいい木の枝を見せに来るし、L2は発明品をぶっぱなしに来る、ミサキは読んだ小説を置いていくし、エドガーは飯に連れていくついでに紫苑の写真を自慢してくるがあれは通報した方がいいのだろうか。

「あの……」

 気が付けば静かになっていたアリアがおずおずと手を上げた。

「お邪魔でしたか?」

「年がら年中いつでも邪魔だよ」

「そんなに私のこと嫌いですか!?」

「誰でも平等に邪魔だよ」

「ブルーノさんって人嫌いですよね……」

 一体だれが人を好きになれるのか。何もわからないがそれを口にすると精神科を進められるのでやめた。つらいことがあったのとかおすすめのカウンセラーとか相談できる人がいるかどうか聞かれるの嫌だ。そうだよな滅ぼそうぜと即断即決で喧嘩売りに行ったL2とかも嫌だが。

「外に出たほうがいいですよ、日光的に」

「ここで太陽光は浴びてるよ」

「いえいえ、体を動かさなければ」

「それはマジで充分だよ……」

 息抜きに訓練場に顔を出したらエドガーと素手で殴り合った後、センジと斬り合いを五セットやらされたから事足りている。

「日常的に、ですよ。ちょうどいい機会でしょう?」

 アリアが後ろの窓に手をかけ、開いた。吹き込んでくる十月の風と陽光が忌々しいほどに生を感じさせてくる。

「もうすぐ天秤祭ですよ。そしてこちらはケーキバイキングのチラシでございます」

 差し出されたチラシを受け取ってみると、ダンステリア主催のケーキバイキングのことが記されていた。予選を勝ち抜けば栄光がなんたらかんたら。まあそこはおまけだろう。本筋は男女ペアでの参加。つまりリア充がこれ見よがしにいちゃこらを見せつけることができ、人前で存分にそう言う建前を振るえるというのがほとんどのペアにとっての目的だろう。

「ケーキか……」

「甘いもの、お好きでしたよね?」

 アリアは知っている。ブルーノは必ず飲み物を注文する際、コーヒーなどにいかずミルクティーを頼むことを。コーヒーを飲むにしてもカフェオレにし、砂糖を入れるということをストーカーして学んでいた。

 おやつも食べているし、これならブルーノも引っかかり、

『ブルーノさん、あーん』

『や、やめろよ恥ずかしい……ったく……』

 とか、

『あらあら、ほっぺにクリームがついていますよ?』

『え、どこ?』

『ふふふ、反対ですよ。私がとってあげます』

 とか起きるに違いない。

「ケーキはこの前作ったなぁ」

「え……初耳なんですが……」

「いなかったからな」

「ちなみに誰にどうして?」

「センジが食べたいつったから作った」

 この男、料理に関してなら何でもできる……アリアが惜敗を感じ、膝をついた。

 勝てない……勝とうとしてないが勝てない……強すぎる。

「そんなに食べたいなら作るけど……」

「そういうことではなく……いえ手作りは食べたいですが……!」

 ああもうともだえるアリアのことを不思議そうにブルーノが見る。

「……まあ、いいでしょう。男の人を掴むのは、そう、容姿です」

「あ、そう……」

 アリアが何かを話しているのを横目に適当に返事をしながらブルーノは提出する書類をかき集め始める。聞いていないことを知ったアリアは何か言いたそうにしたが、やがて執務室の掃除を手伝い始めた。

 片づけを終え、伸びをする。

「アリア、飯どうする」

「特に決まっていませんが……あ、作っていただけるんですか、ありがとうございます!!」

「なんもいってねえ……まあいいけどさ」

 書類を抱え、ブルーノは外に出る。

 今日は何を作ろう。

 後何度料理を作れるのだろうと、そんなことから目をそらしながら、ブルーノは献立を考え始める。































 夕焼け。

 下校時間。

 学校。

 帰り道。

 和人は俯きながら歩いていた。

 帰らなきゃ。

 もうこんなに暗いのだから。

 ランドセルを背負い、迷子のように通い慣れた道を歩いていく。

 通り行く人々は皆誰も自分のことで手一杯で、他人のことなどどうでもいい。

 血のつながった両親でも、両親よりも近しいきょうだいでも、ずっと仲良しとか言った友達も、添い遂げる恋人でも。

 だから、和人がふと道を外れ、廃ビルに入ったのに誰も気が付かなかった。

 フェンスに空いた穴から入り込んで、寂しい階段を昇っていく。

 二階、

 三階、

 四階。

 屋上。

 風が吹いている。いつもより強い風が、いつもと変わらないみたいに。

 屋上に張られているフェンスは、所々壊れたままだった。ずっと取り壊されていないビル。

 もう誰もいない。

 取り残されている。

 縁に足をかけた。

 小石が先に落ちていく。

 はみ出した爪先。

 くらくらする地面が見える。

 遠くて近い人たちが歩いているのが見えた。

 誰も気付きはしない。

 空を見上げると赤くて暗くて、向こう側から紫が押し寄せてきている。

 体重をかける位置を変える。

 ぐらっと前に倒れ、

「…………」

 やめた。

 一歩二歩、縁から下がって。

 帰ろう。

 踵を返すとそこに、

「どうして飛び降りない」

 ブルーノがいた。

「なんで死なないんだ」

 詰め寄ると、少年も一歩下がった。

「か、帰らなきゃ」

「どこに」

「家に……」

「お前に家はない」

「お父さんとお母さんが待ってる……」

「誰もお前を待ってない」

 ひゅ、と喉から空気が漏れる音がして、和人の顔は絶望に染まった。

「血も繋がってない子供を大切に思うか。血が繋がってても邪魔でうるさい子供に」

「でもっ」

「ここで、死ね」

「たすけ」

 逃げようとする和人の腕を強く握り、引き倒す。

 そして、拳を叩き込んだ。

 歯が飛ぶ。

「おどうさ、おがあざ」

 もう片方の手で首を絞めると言葉はより不鮮明になった。

 痛くて痛くて苦しくて四肢がじたばたともがく。

 どうしようもないのに。

 意味などないのに。

「はるぅ……」

 より強く叩きつける。

「せんじ、えるつ……」

「お前のことは誰も必要としてない」

 だから、

「死ね」

 死ね。

「死ね」

 死ね。

「死ね!!」

 殴って殴って殴って。

 血まみれの顔面と自分の拳。

 やがて剣を引き抜いて刺した。

 硬い骨の感覚が響いて、剣先が欠ける。

 そんなことをかまわず何度も何度も。

 無数に穴が開き、震える。

 振動で、刺して、抜いて、刺して、抜いて。

 その繰り返しで生きてるみたいに痙攣する。

 叫び。

 悲鳴。

 嗚咽。

 それらは二つの口から同じようにまろんでいた。

 肩で息をしながらブルーノは手を止めた。剣を投げ出し、馬乗りになっていた少年を見る。

 少年はいなかった。

 代わりにいたのは、

 ぐちゃぐちゃになって、ところどころ白い髪がまとわりついている自分だった。





























「ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」



 


























 ソファで眠っていたブルーノが悲鳴を上げながら飛び起きる。

 談話室にいた誰もが突然悲鳴を上げたブルーノを見やり、

「うっ」

 顔面が蒼白になったブルーノは吐いた。

 びちゃびちゃという水気を伴った半固形物の落下音が響き、もみじが小さく悲鳴を上げる。

 彼は呆然とした様子で、しかしすぐに再起動したように慌てて動こうとし、えずいた。

「ギルマス」

 冷静なL2が声をかけ、ブルーノの背をさする。ミサキがすぐに適当な袋を魔法鞄から取り出そうとするが、ない。仕方なく探しに行った。他の白銀も心配そうにしながらも、誰からともなく部屋から出ていきはするが何かあった時にすぐ駆けつけれるように近場で待機した。さすがにゲロった部屋で飯を食べれないという理由もある。

 さすってくれる手を払いのけ、ブルーノはどこかへ歩き出そうとするも不明瞭な足取りで転げた。センジが音によってすぐさま走り寄ってくる。

「ブルーノ、ここで吐いていい。我慢するな」

 言われるなり、ブルーノはもう一度えずく。

 吐けない。こみあげてくるものはある。唾液は酸っぱくて、とめどなく溢れてくる。ゲロ塗れの服で何をしてるんだ、こけたし、大勢に見られた。気を使われてる。

 吐け吐け吐け吐け。

 吐けない。なんとか座り込むが、すぐに腕をついた。

 その体勢が、視界が、

 馬乗りになっている。

 そこには橋場和人の死骸が。

「うぁっ……」

 大いにのけぞり、みっともなく尻もちをついた。

 幻覚だ。落ち着け、落ち着け。吐くんだ。呼吸。すって、はけ。

 ダメだ。

 息、息。

 視界が狭まっていく。

 息苦しい。吐いてばかり。

 息を吐いてばかり。

 吸うんだ、吐かなきゃ。唾液が絡まる。舌がうまく動かない。

 息息息息息息息息息生きしなきゃ。

 ひゅーと喉がなる。

「ギルマス」

 不意に頬を掴まれた。真正面からL2がこちらを見てくる。

 ぐいと抱き寄せられ、そして何か布を被らせられた。

 何かを引き金にして、ブルーノは吐き始める。L2にかかると離れようとしたが抑えられる。

 諦めて、吐き続けた。何度も。

 かはっ、と吐き尽したのにえずく。

 背中を撫でられ続ける。人の体温が、優しく、そしておぞましい。

 異物だ。

 結局、落ち着くまで三十分はかかった。








 前後不覚となったブルーノを寝室に運び込んでからさらに三十分。

 朦朧としていた意識をようやく取り戻したブルーノは反応鈍くも視線を動かした。

「大将、起きたか?」

「せんじ」

 かすれた声が出る。口の中がとんでもなく最悪な味がする。言葉にできないくらいひどい。気分は解熱した感じでふわふわしてる。体調は頭半分吹き飛んで眼球が飛び出たのを四分眺めていた時よりましだ。

「……あー……」

 何度か声を出す。四度目くらいで何とか元に戻った。喉を半日は休ませないとダメな症状も冒険者ならば、ということじゃない。回復能力が上がってる、冒険者よりも。

「L2は。あ、談話室の掃除……」

「エルはいま下でメカギルマスと掃除してる。あいつぁあんなことで軽蔑するような奴じゃないぜ」

 それに、

「大将が吐くのは珍しいからな」

「……いや意味わかんねえな……」

 息を吐いて、上体を起こそうとする。

「まだ寝てた方がいいんじゃねえのか」

「寝てても起きてても変わんねえよ」

 肘をついて、もがくように起き上がろうとしているとセンジが手伝ってくれた。

「平気か、大将」

「全然、大丈夫」

 魔法鞄をあさろうとし、服装が違うことに気が付いた。まあ、それはそうだ。派手にぶちまけたし。

「服はミサキの奴だ。運んで着替えさせたのはくじ引きで決まってクリス」

「くじで決めるなよ……」

「銀次郎とクリスだぜ。じゃんけんのがよかったな」

 人命に関して一家言ある二人だ。阿保一人の搬送と着替えなどわけなかっただろう。後で礼を言いに行こう。

 まだ歩けはしない。しばらく寝ていた方がいいか。いや、寝れはしないのだ。やめておこう。しかし起きていてもやることがない。

「……センジ、もう平気だから天秤祭行ってこいよ」

 結構前から楽しみにしてたセンジはなぜか寝室から出ていかずにうろちょろしていた。

「はぁ? 俺は居たいからここにいるんだが?」

「天秤祭は」

「あんなもんは来年ある」

 来年もここにいる気満々だなこいつ。

「まあいいけどさ……」

 なんだか体がつらくなってきた。眠気というより強制的に電源が落ちる感じ。ゆるゆると布団の中に潜り、ブルーノはそのまま寝た。






 静かに扉を開き、部屋を覗くとブルーノは眠っていた。センジもソファに寝ころびながらうとうとしている。

 L2は扉を閉じて胸をなでおろした。

 談話室の掃除もおえた。臭いもこの前作った消臭剤で消した。何より心配だったのがブルーノの容態だ。

 白銀に医者はいない。銀次郎やクリスは怪我などにある程度知識を有しているが応急処置と外傷が中心だ。内臓やら精神やらはカバーできない。

 それに加えて魂などという不可思議で不透明な物も彼の不調に関わっている。現時点での対抗策は思い出作りなどという実にふんわりとしたものだけだ。

「マスター」

 メカギルマスがわずかなモーター音を響かせて足元まで来た。

「なんだ」

「オリジナルハ?」

「寝てる」

「寝首ヲ……」

 蹴り飛ばした。わああ、と悲鳴を上げ、階段まで転がりこみ階段の凸でがたがたすり減りながら落ちていくと、下でもみじの悲鳴が上がる。

 よし、と小さく頷いてから窓の外を見た。

 天気は呆れるほど快晴。アキバの誰もが楽しそうに物珍し気に祭りを楽しんでいる。

 技術提供をしているロデ研の店へと顔を出して、今日はゆっくりホームにいようとL2は決めて歩き出した。





 ブルーノが倒れたのはあっという間に白銀内外問わずに共有された。なにせリア充を殺しに行った馬鹿と阿保が街中で叫んだからだ。

 ストッパーがよりにもよって天秤祭で機能しなくなったという事態にひそかに生産系ギルド連絡会は絶望しかけた。

 無秩序の白髪共が暴れる、これ以上ないまでに内部から食い破られるという最悪の事態に緊張が走るも、数時間たっても白銀は大人しいままだった。

 否、普段よりもずっと静かだった。

 身構えていた運営側の人間は訝しげに思いながらも肩の荷をなでおろす。と同時に、限られた者たちはかのギルドマスターの異変の意味を静かに考え始める。が、意味はなかった。どうせ彼らには関係のないことなのだから。

 天秤祭一日目、どこぞのギルドマスターがケーキバイキングで苦しめられているとき、ミサキは白銀ホームの屋上で一人、手に耳を当てていた。

『しっかし、君がここまで入れ込むなんて予想外だな』

「そうかもね。まあ、何もない所から構ってればそれくらいの情はわいちゃうでしょ」

 念話越しに男の笑い声が聞こえてくる。

『それもそうだなぁ。じゃ、面白い光景に立ち会えるように応援してやるよ』

「そっちもね」

 そう言って念話を切る。

 遠くから聞こえる祭の音が戻ってくる。強い風に吹かれ、ミサキはわざとらしく首をすくめた。

 同じ召喚術師。付き合いがある人間で、あることにおいては信用できる。念話でのやり取りはとりとめのない雑談だが、所々に入れてある単語を繋げると短い念話にふさわしい情報が浮かび上がる。

「納言ね……」

 円卓絡みだろうなとミサキは思う。白銀に関わることはおそらくない。ミナミに引き込まれることも可能性はずっと低い。

 集めた情報はブルーノにまとめて渡すのが通例だ。情報収集を始めたのは単なる興味からだった。各地に散らばっている白銀を使い、暇つぶし程度に始めたこと。それをまとめてブルーノに把握してもらうのも、特に意味はない。ギルマスだから少しは世間の情報に触れてほしい程度。

 そんな収集は時折でかいのを掴む。それをひけらかすことはないし、知るのはミサキ、L2、そしてブルーノ程度だ。三人とも、それでどうしようという気は起きない。ただ眺めるだけだ。面白いから。

 共有するのは早くとも明日だ。今はとにかく彼を休ませることを優先。

「面倒なギルマスだなぁ……」

 ぼやきながらミサキは屋上を後にした。






















「で、体は大丈夫なのかよ」

 古臭い鍛冶工房、行儀悪くも適当な机に腰かけながらディオファントスは鎚を振るう猫に訊ねた。

「平気だ。聞くの一か月遅ぇよ」

「後からってのもあるだろ」

 ほれ、とがさがさと袋を揺らしながら、ライザーは人数分の焼きそばを取り出し渡した。

 シノはようやく鎚を置き、休憩し始める。

「後からつーならあの後壊れまくった装備を押し付けて仕事増やしたことを気遣え」

 ったく、と悪態をついて焼きそばに手を付け始める。

「あれでも分散したんだぜ。でもここじゃないとつー馬鹿と阿保が多くて……」

 ディーの言い訳にシノが容赦なく舌打ちする。言うまでも無くシノの修理にこだわったのはディーもだった。

 センジは当然として、エドガーや大盾を二枚破損させたクリス、剣を完膚なきまでにへし折りにへし折られたブルーノなど阿保が多かった。特にひどいのがブルーノで、あれはもう戻せない。それなりの業物であったし自信作だったのだが相手が悪すぎた。

 いや、とシノは頭を振る。

 使い手は折れてなかった。ならば、あの剣を打った自分の責任だろう。

「もみじの方も体調に問題はないんだろ」

「ああ、元気に優等生してるよ」

 あの白銀で吼え続けるのも偉いものだとシノは思う。並みならすぐ折れる。よくても一週間だ。それが五か月だ。もみじも白銀だ。そういうと本人が一番いやがりそうだが。

 死体卿、バートリーにより殺され死後も遺体を操られた二人は復活した後も変わりはなかった。ただ復活のタイミングに関しては本人が死亡した時ではなく、死骸が破壊された時から蘇生が始まったらしい。もし死骸のまま連れ去られていたとしたらと思うとシノはぞっとする。優先的に壊したブルーノには感謝だ。

「ギルマス、倒れたんだって?」

「ああ、そうそう。朝からな」

「正確にはうたた寝してたら飛び起きてゲロ吐いて過呼吸起こしてまたゲロ吐いて前後不覚でL2に吐き散らかして昏倒した」

「平気かよ……」

 さぁなぁ、とライザーは言って、唐揚げのパックを開ける。シノが思い出したように窓を開けると風が入ってきた。

「今日は祭だし、とりあえず飯は全員外で食うかって感じ。ギルマス飯食えないのは残念だけど当然だよな」

「作ってる最中にゲロ吐かれても困るしな」

 はははは、と馬鹿と阿保は笑い、シノは食事中の話題を後悔した。

 横目で先ほどまで打っていた剣を見る。ブルーノのためにとうったものだが、足りない。やはり幻想級を切るしかない。

 からん、と鈴の音をたてて扉が開いた。

「よう、邪魔するぜ」

 粗暴な口振りでずかずかと入り込んできたのは黒剣騎士団のギルドマスター、アイザックだ。彼を見るなり、ライザーがげっと非常に嫌そうな顔をする。

「なんだ、ライザーじゃねえか。元気そうだなぁ、おい!」

「いってえ! 肩叩くな!」

「相変わらずよわっちぃな!」

 ばんばんと遠慮なくアイザックがライザーの肩を叩き、はははと笑う。ライザーの古巣は黒剣だ。どのような経緯で白銀に来たか、シノは知らない。というかほとんどのメンバーの入団理由は知るはずない。ブルーノは結構な人数を知っているらしいし、シノ自身も彼に話した。

 そんなことを考えながら、アイザックが修理に出していた鎧を出してくる。本来ギルド内部で完結できるようなことを外部に出してきたのはおそらく白銀というギルドへの円卓を忘れるなという意味合い、かもしれない。出したのはアイザック個人なので単にそうしたいだけかもしれない。黒剣の性質は白銀に似てる。白銀が黒剣に似てるのか、まあどちらでもいいことだ。

「そういや昔に頼まれてたことだがよ」

 清算しながらアイザックが何の気なしに言った。

「うちの連中に聞いてもブルーノなんて冒険者は誰も知らなかった」

「……それ四か月前くらいに頼んだ奴じゃねえか」

「忘れてたんだよ」

 てっきりそのまま闇に消えさるのではないかと思っていたライザーが伝えられた事実にやはりと嘆息した。

 先月、膨大な人数のせいか遅れていたD.D.D.に聞いていたディーからもブルーノという冒険者の報告は上がっていた。

 ミサキが一番最初に、大災害の混乱中とはいえ洗った結果と同じだ。

 ブルーノという冒険者の痕跡はこの世界のどこにもなかった。

「で、お前らのギルドマスター、何者だ?」

 アイザックはどこか楽しそうにそんなことを聞いてくる。何度も繰り返され続ける質問に、ディーもライザーもシノも口をそろえた。

「そんなもんはギルマスが一番知りたいっての」























 この世界に、ブルーノの記録はない。

 あり得ないことだ。

 誰か一人消える、いわゆる神隠しが起きていることは知っている。存在の消失はある。

 だが、一切の記録ごと消えるなどというのは、

「……わからないだけか」

 知覚できない、とミサキはうんざりしたように階段を下りる。

 周囲の記憶ごと個人が消えるなら誰もわからない、覚えている人間もいなくなるのだから。

 存在は消えず、記憶だけが世界から消え失せる。

 あり得ない、ともう一度思い、続けた。

 実際にあったのだ。ブルーノという実例が何よりも確かにある。彼の虚言ということはない。

 あの痛みは、あの思いは偽物などではない。

 世界が書き換わったみたいに、ブルーノの存在が消えている。

 世界の書き換え。

 変転。

 自身らの目的を才天は彼に語った。

 世界の落下、融合。

 虚構と現実。

 あの大災害よりもおぞましいもの。

 人為的に引き起こされる、世界変転。

 森羅変転。

 すでに発動した魔法。前例がある。

 もし、彼があれに巻き込まれたというのなら。

 一体、誰が、何の目的で、

 世界からブルーノの記録を奪った。

 わからないことだらけだなとミサキが談話室に降り切ると、そこではヴィヴィアーノが落ち着きなく歩き回っていた。

「……何してんの?」

「ミサキ、ブルーノはどうだった!?」

 ばっと勢いよく詰め寄ってきたので、思わず引いてしまう。

「僕は屋上から降りてきただけだよ……」

「そうか……」

 またヴィヴィはううんとか呻きながらそわそわしだす。なんなのだろうと彼女とは反対に落ち着き払ってソファで紅茶を飲んでいるクロ―ディアに視線を向けた。

「ギルマスが心配なのでしょう」

「あー……まあそりゃね……」

 珍しく談話室で寝ていたら突然倒れたのだ、ああいうのはこちらに来てから見るのは初めてだった。現実では酔った大学生がマーライオンになっていたりするのは見ていたが。

「だったら見に行けばいいのに」

「邪魔になるかもしれないじゃないか……」

 ブルーノはただでさえ眠りが浅い、とヴィヴィが付け加える。

 今は身体的に限界だから電源が切れているのでそういうことはないと思うのだが。

「落ち着きなさいな、ヴィヴィアーノ。我々が慌てても仕方がありません。死ぬときは死にます」

 縁起でもないことにミサキは愛想笑いで顔を引きつらせると、対面に座っていたエドガーもその通りだと頷いた。

「クロ―ディアの言う通りだ、ヴィヴィアーノ。紅茶でも飲むがいい」

「…………」

 二人に促され、ヴィヴィはようやくすごすごとソファに座る。どこからか出てきたアグリアが紅茶を淹れ、水蓮がクッキーなどを持ってくる。執事の真似事でもして遊んでいるのだろう。出雲はどこかと思えば厨房で茶葉の確認をしているアグリアと執事バトルし始めた。

「エドガー、あなたもですよ」

「………………」

 指摘されたエドガーは珍しく押し黙り、紅茶へと手を伸ばした。

 動揺している。白銀みんながだ。

「ほんと以前の典災が呼び出したVは解釈違いなんですけど!! シリアスは求めてるけどやられたら違うんですよ!! 解釈通りなの持ってきてくださいよ! 罪も何もない人たち殺すのなんてほんとなんもわかってない!!」

 なんかアルフォンスが自室から出てきて先月のことで今更苛立っているがあれは知らない。帰れ部屋に。





























 起きてすぐに感じたのは握られた手の感触だった。

 柔らかに月光がカーテンの隙間から入ってきている寝室。もう夜だ。

 何時間寝ていたのだろうか。確か朝に吐いたから……駄目だ。

 眠い。瞼が落ちてくる。

 ソファでセンジが猫みたいに丸まっているのが見えた。じゃあ誰が手を握っているんだろうと、見るとそこに。

 手を握ったまま、ベッドの上に上体を預け寝ているアリアの姿があった。

 眠りの中に落ちていく。

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