四章 土曜の喧騒

第10話 動き出す自我





「あの……」

「うん?」

 ベッドの上で、女が顔を赤く染めている。頬を撫でると更に顔は赤くなり、うっとりと恍惚に染まった。

「その、私、本当にあなたのことが……」

 言葉の続きを、男は言わせなかった。一瞬の沈黙が降り、二人の視線が絡み合う。

 もう言葉はいらない。

 ベッドがきしむ。二人分の体重が横たわる。

 男の顔が首筋へと近付いた。女が受け入れるように彼の背中を抱き寄せ、そして。

「え……?」

 女の首に、二つの牙が突き立った。

 柔肌を赤い液体が滑り落ちていく。対照的に女の肌はより白く、青くなっていった。

 命が消えていく。

 抵抗も何もできず、もがくことも何も、シーツの衣擦れの音だけが静かに響いた。

 ベッドの上で、一つになる。命亡きものだけになる。

 男は事を終えると、つまらなさそうにベッドから立ち上がる。

「んー、やっぱり美人じゃないとなぁ」

 そう思うだろ、と男は扉の前に立つ仏頂面の男に話しかけた。先程までいなかったそいつに、男は驚くまでもない。

「……何をしてる」

「そりゃ楽しいことだよ。僕、モテるんだよね。彼はあんまりだったから、なんだろう、その分まで、みたいな?」

 はは、と渇いた笑みを浮かべるが、対する黒い服を着た男は黙ったままだ。機嫌悪そう。そもそも彼がモテなかったのは、既に恋人がいると思われていたというのもある、単純に魅力なかったし。

「怒るなよ。今はやることも無いだろ? 自由時間だって言ってたじゃないか」

 それで、と上着を羽織る。

「何の用?」

「……特に用はない」

「へえ、じゃあなんできたのさ」

 それこそ珍しいと白い長髪をまとめた。

「あれはどうだった」

「それを聞くためか。念話でいいじゃないか……まあいいか」

 男は、その牙をのぞかせて笑う。

「元気そうだったよ、遠目に見ただけだけど」

 そうだ、ついでにとそちらに目をむけると、すでに男はいなくなっていた。

「……早いよなぁ」

 自分の用が終わるとすぐ帰る、僕もそうだけどと呟いて、その吸血鬼は身支度を終えた。

 白いスーツを着て、白い長髪をなびかせて、赤い目で、真白な肌で、硬い靴音を響かせる。

「じゃあ行こう」

 好きに生きるんだ。

 これから。

 バートリーは笑いながら、外へと出て行った。

 ベッドの上の死体はひとりでに動き出して、どこかへと、消えていく。


























「おお、レーナちゃんだ」

 昼食のために繁盛する飲食店の横で、非モテ三人はだらっとしていた。

 視線の先にはやはり白髪でこの間縁ができたレーナがいる。こちらに気が付いたレーナはファンに応対する傍ら、会釈をして戸惑い気味に微笑んだ。

「今俺に笑ってくれた」

「は? 俺だが??」

「いいや俺だね。間違いなく俺だね」

 いつもみたいに言い争うディーとライザーの横でオブリーオはそれらを聞き逃しながらレーナを見ている。

「なんでだよ??」

「俺は一緒のこたつで鍋をつついた仲だからな……!」

「それは俺もありますー!! そしてそれはお金で買えるからみんなしてますー!!」

「でも記憶は俺だけのものですー!!」

 童貞たちの醜い争いだとオブリーオは昨日すれ違い、挨拶されたことをかみしめるように思い出した。

 哀れである。

「うるさい、ワンチャン勘違いこじらせクソ童貞」

 すっごく不快そうな顔をしながらブルーノが荷物を抱えてやってきた。後ろにはセンジもいる。

「あ! あのとき助けたから自分だけは特別だと思ってる童貞だ!!」

「俺だけは他と違うから……みたいに思ってるやつだぜブリ」

「かわいそうにな……こじらせてるんだギルマスも。あとブリっていうな」

「俺たちは仲間だぜ……」

 なんか哀れみとか憐憫とか同情とかの視線を向けられ、ブルーノは見たことのないようなすさまじい顔をした。

「なんでもいいけどお前らレーナと話すなよ」

「え? なんで? 俺たちの仲を引き裂こうってことか……!?」

「俺との仲だが許せないな……!!」

(そんなものじゃ俺たちの仲は揺るぎはしない……)

「お前ら勝手に好きになって勝手に行けると思って告白しに行ってフラれて面倒くさくなるから」

「てめえ!!」

 かっとなって立ち上がったディーの首が飛んだ。ぼとりとライザーの膝に落ちる。

「うるせえ」

 センジがあくびしながら言うと、衛兵が現れた。往来では悲鳴が一瞬上がったが、白髪を見るとなんだいつものことかとひっこめた。

 てちてちと場所を移動し、裏路地に入るなり大人しくついて行った衛兵とセンジの戦いが始まった。

「まあ気を付けてくれ」

「え、何に? どれに? センジに???」

 嫌な汗が伝い始めたオブリーオの声を無視して、ブルーノは歩き始める。荷物持ちのセンジがいなくなったのでしょうがなく魔法鞄に入れる。最初からこうすればいいのだがセンジはついてくるのでしょうがなく肉を持たせているのだ。

 にぎやかな市場を歩いていく。いつしか戦闘音は聞こえてこず、センジがいつも通り負けたのだろう。ブルーノは最近衛兵に喧嘩を売っていなかった。久し振りにしようかなと考えながら、角を曲がる。

 人が溢れる。昼には当たり前の光景にようやく慣れてきた。最初は本当に人混みが苦手だった。二分といられず、三分のころには嘔吐してしまうほどだったのが、すいすいと人が怖いものでもあるかのように誰ともぶつからずすり抜けられるようにまで成長している。

 無駄に増えている大地人、エルダーテイルだと存在価値が出来たと勘違いしている冒険者たち。

 行きかう人混みの中、一人の少女が不意に見えた。小学校六年生くらいの背丈の少女。人混みを器用に避けて、両親の片割れさえ見当たらない。

 不自然なほど真っすぐ、少女は歩く。ぶつかると思えば、よろけた男が体勢を立て直し過ぎていく。あちらが避けているとでもいうような歩き方に、ブルーノは脳が痛んだ。

 あの女。白い女。

 その少女も、お約束のように白い髪をしていた。人目を惹く、その容姿。

 赤い瞳が、ブルーノを見上げる。

 まさか。

「初めまして。そして久し振り、」

 ブルーノ。

 と、少女は初対面の男の名を呼んだ。

「お、まえは……」

 幼いというのに大人びた雰囲気、人を圧倒する赤い目、魅了する声音、美しい白髪。それらはすべて、あの女を思い出させる。

「あなたの思っていること、四分の一程度は当たっています。ですから自己紹介を」

 私の名は、

「プリマヴェーラ。プリマで構いません。見てのとおりハーフアルヴで、人はこうも呼びます」

 六傾姫の一人、と。

 六傾姫。三百年前、復讐を遂げたアルヴの姫達。

 六つの国で飼われた女たちは世界に復讐をした。亜人間という、モンスターの発生。

 第一の森羅変転を引き起こした姫達だ。

 しかし、六傾姫という呼称は後世の者たちが名付けたものである。それを名乗るというのは、

「あり得なくない……」

 後から知ればいいだけだ。そして目の前にいるこのプリマヴェーラという女から感じるのは二つの魂。

 ただの虚言ではない。こいつは間違いなく。

「六傾姫と自称するのは恥ずかしいですね。当時はなかったものですから。ああ、私は今まで生きていたわけじゃないんですよ。生まれ変わりという奴です」

「……だろうな」

「当時は白銀の姫と。おかしいですね、私はただの奴隷だったというのに」

 ねえ、と小首を傾げて、女のように同意を求めた。その姿に、ブルーノはひどく乱れる。

 誘惑に揺らいでわけじゃない。その在り方は、計算された仕草、人に気に入られる動作。

 すべてがあれを想起させる。虫唾が走った。

「こんな女はお嫌いですか?」

「俺はロリコンじゃないんだよ」

「あら残念。では今日は私は去りましょう」

 そう言って、女は目を閉じた。気配が消える。そして現れるのはもう一つの魂。

「っ! お前……!!」

 この気配。間違えるはずもない。

 なぜならこれは。

「久し振り、ブルーノ。私の名前はアイズ」

 彼らと同じ、

「才天だよ」

 少女らしい気配を纏い、華やぐようにアイズは微笑んだ。

 一つの体に、二つの魂。

 二重の者。

 片や六傾姫、三百年も前にこの世界の人間たちに復讐を願った災い。

 片や才天、最も新しく月などではない場所からあふれ出た災い。

 どちらも現行の人間に対して、いい影響を与えるとは思えない者たちだ。それらが一つの体に納まっているという状況がどうしようもない現実というのが一番ブルーノを打ちのめす。

 厄介なのはそれだけじゃない。プリマヴェーラは不自然なほどに似ているのだ。あの女、天才に。

「何をしに来た」

「そう警戒しなくてもいいよ。私はただ見に来ただけだもん」

 くるりと回って、来た方向へ、市場へとプリマヴェーラ、いやアイズは歩を進めた。困惑したまま動けずにいたブルーノを彼女は振り返り、じっと見る。それからてててと駆け寄ってきて、手を取る。

「ほら、行こう。ね?」

「おいお前ふざけ」

 文句に意味はなかった。見た目は少女の手を無理やりはぎ取るにも公衆の面前ということもあり、ブルーノはそのまま引きずられていった。

「ねえこれは!?」

「すごいすごい!」

「これすごくかわいい!!」

 などという連呼により、ブルーノは散財させられた。

 出来上がったのは当初の上等そうな服から現代的な服装をした、まだまだ高いあんぱんやメロンパン、さくさくのラスクやバケットが詰め込まれた紙袋を抱え、空いた手でソフトクリームを舐めている少女である。

 どこからどう見て破滅とは縁遠そうな緩んだ笑顔をして、現世を満喫していらっしゃる。

「おいふぃーね、ぶうーの!」

「ソフトクリームとあんぱんを同時にくいながらしゃべらないでくれ……」

 横からハンカチを出すと、アイズは右手のソフトクリームを見て左手のあんぱんを見てからこちらを見た。

「拭いて?」

「…………」

 拭きながら、これではあのロリコン腹黒眼鏡と同じではないかと考えるが、どうにもこれとはそういうものではない感覚があるのはアイズだからだろうか。いや、考えないようにしよう。面倒くさい。

 目に見えるものすべてが新鮮で、面白くて仕方がないという風にアイズはアキバを見て回った。どんなにふざけたものでも楽しそうに見ていたし、お菓子を食べればこちらが恥ずかしいくらいに褒めちぎった。たぶん、どれも本心なのだろう。それが少女の姿のせいなのか、元の資質によるものか、やはりわからない。

 どうして彼女に付き合っているのだろうかとまた頬についたソフトクリームから目を背けながら考えるが、押しに負けたとかそういう馬鹿なことしか思いつかない。

「ねえブルーノ」

「なんだよ」

 初対面にしてはありえない態度だとブルーノは思う。雑な対応をすぐにするのは白銀以来だ。こうなのはきっと、近しいからだろう。

 才天。必ず、ブルーノと関わりがある存在。ブルーノ自身が知らない、和人を知っている。

「私ね、このアキバが好きよ。この世界のことも、大好き」

 目に映る冒険者たち、笑い合う大地人。吹き抜ける風に、揺らめく木々、突き抜けるような青空。

 この世界はひどく美しい。その裏側に潜む何もかもを知っているというのに、なお少女は夢でも見ているかのように言った。

 世界に復讐した女の魂が入っているというのに、よく言えたものだ。

「あなたはどう思う?」

 ブルーノ、と。不意に大人びた視線を向けられる。

「俺は」

 唾をのんだ。我知らず、声量は落ちる。

「このアキバが大嫌いだ」

 吐き出すのは今まで明かしたことのない本音だった。

「この世界のことも憎い。吐き気がするよ、どいつもこいつも」

 生きてる。

「そう……」

 アイズは、悲しそうに目を伏せた。年の離れた弟が、出来の悪いが故に何かやらかした時みたいに。

「何をしにきた。何が目的だ。お前は、なんなんだ」

 女は動じず、笑った。

「見に来たの、あなたとアキバを。楽しいことも面白いこともいっぱいなんだもの。外は綺麗で息はしやすいけれど、ここは暖かい。人がいるからでしょうね、私はやっぱりこの世界が好きよ」

 この世界は紛うことなく偽物だ。

 生きる大地人は、モンスターは、古来種は、皆架空だ。それを教えたとき、虚構の存在はいかなる反応を見せるのか。

 眠るのか、折れるのか、抗うのか。

 アイズはソフトクリームを食べ終え、指先で口についたクリームを拭った。

 椅子から飛び降り、外に一歩二歩向かい、くるりと振り向いた。買った茶色の熊のポーチが揺れる。

「私は私よ。プリマヴェーラがいるけれど、私。彼女は彼女」

 ブルーノ。

「あなたは何? あなたは誰?」

「こっちの質問に……」

「嫌よ。先に応えて」

「あなたは誰?」

「俺は……」

「何があなたをあなたにするの? 和人とはもう」

 違うのよ。

「違う。俺は」

 違うはずだ。だって、俺は。

 俺は。

「彼は彼になった。春がそうしたわけじゃない。彼が選んだの。じゃあ、あなたはどうするの」

 あなたはどこへいくの。

「俺は……全部、元に戻す……」

「うそつき」

「…………ちがう」

「ブルーノ、あなたはここにいるの?」

「わから、ない……」

 俺はどこにいるんだ。ここにいるのか。

 衛星に刻まれて飛んで言った言葉は今更のように、響いてくる。

 白銀の頂。ふと思い出して、ブルーノは。

「…………」

 何も言わなかった。

 それを見たアイズは目を閉じ、踵を返した。

「教えてあげない。きっと近いうちに知るもの」

 じゃあね、ばいばい。

 少女はそう言って、去っていく。

 後を追おうと立ち上がるが、すぐに人混みに飲まれて消えて行った。

 気配はしない。魂を切り替えることもできる、辿れない。あのとき砕けた何かを集めて、動き出した男は軋みを得ている。

 もう止められはしない。砕けたものはもう二度と戻れない。始まってしまった。

 項垂れるようにベンチに座りこんだブルーノの指先を何かが舐めている。どれくらいそうしていたのか。

「……オルクスの」

 気が付けばオルクスが育てている、正確には召喚獣のケルベロスがブルーノの指を舐めていた。慰めるように鼻を鳴らしながら、右の頭が顔色を窺っている。

「オルクスはどうした」

 撫でながら聞くと、向こうから飼い主はやって来た。

「ぎ、ギルマスごめん……急に走り出して……」

「いいよ、他の人に迷惑かけなくてよかった」

 オルクスがリードをもって、ケルベロスに何か叱っていた。もう一度鼻を鳴らし悲しいアピールをしているケルベロスを横目にブルーノがふと思いついた。

「オルクス、プリマヴェーラって意味わかるか」

「? たしか……」

 突拍子のない質問に、いつもの物言いも演技も忘れて、答えた。

「イタリア語で春って意味だ」




















 小さな歩幅でアイズは歩く。あんぱんを頬張りながらだが、表情はあまり浮いたものではない。

『意地悪』

 頭の中で声が響いた。プリマヴェーラだ。身体を共有している以上、意思疎通は念話のように可能だ。

『他の兄弟だったらもっと意地悪な物言いになったもの』

『ふーん……』

 不機嫌だなと思うも、こちらも同じだ。分かっているとはいえ、あたりたくなったのだろう。白銀の姫とは思えないほど、感情的な行動。

 その理由はただ一つ。

「うわっ!」

 ぴくりとプリマが反応したと同時、表に出てきてアイズが後ろに追いやられる。

『ちょっと! 代わるときはちゃんと言ってって……』

「いるわね」

『? 何が?』

 プリマが空を、いやある方角の屋上付近を見上げる。

「アリア」

 視線の先で狐耳を揺らした巫女がいた。物陰に隠れ、耳だけ向けていた胸元の主張の激しい女は目を細める。

「どーいう勘してんですかね、あの化け物女」

 へっとやさぐれた態度ですごすごと引き下がる。この器では勝てないし、なによりここは結界の中だ。始めてしまえばすぐさま衛兵が駆けつけてくる。

「ああ怖い怖い。帰ってブルーノさんを慰めて……」

「残念だがその役割は貴様に回ってこない」

 突然響いた声にアリアは身を固くする。符をとりだしたが、挟むように二人の男が現れる。

「あなたたちは……」

「久しいな、アリア。こんなふうにきちんと話したことはないが、なに、ブルーノに関することだ。腹を割って話し合おう」

 前方からエドガーが武器も持たずに現れるが、その瞳は鋭い。

「一か月ぶりだね、先月典災との戦いには君は現れなかったし、先々月レプリカとの件も君はいなかった」

 だから、とミサキが続けた。

「そろそろ教えてくれないか? お前は、なんだ?」

「なんだといわれましてもね、私は御覧の通りただの綺麗な冒険者ですよ」

「へえ。ただの冒険者は最初から障壁を動かすっていう口伝みたいなことができるのかい」

「ああ、あれは無我夢中ですよ。びっくりですね」

 互いに薄っぺらい笑みを張り付かせ、言葉を交わし合う。双方、細めた目は笑ってなどいないし、ミサキに至っては武器である書に手をかけている。

「君の素性を調べてみた」

「おや、そんなに私のことを……? すみません私にはブルーノさんという素晴らしき方が」

「君のことを知っている人間はいなかった」

 アリアのたわごとを無視して言い切ると、ふざけた雰囲気が鳴りを潜める。

「私もブルーノさんと同じかもしれませんよ。記憶喪失で、最初に優しくしてくれた彼に引かれた」

「それもありうる。もしくは才天、ブルーノのように何らかの不具合によって記憶がない。だがこの二つは可能性が低い」

「ほう」

 根拠とL2とは違う狐の笑みで先を促す。

「ブルーノが反応していない。口伝染みた技を使うのならば気配は大きくなる、らしいからね」

 勿論隠匿などの可能性はあるが、あえて切り捨て言い切る。

「あと可能性があるのならば一つ。エルダーテイルにいる、ありえない第三者、いや第四者。どちらでも構わないか」

 大地人。

 冒険者。

 才天。

「こうなっている可能性を持っている、典災しかない」

 改めて聞こう。

「君は、何者だ?」

 夏は終わった。熱さもマシになって、アリアは熱耐性の指輪をつけることも少なくなってきていた。自慢の尻尾をもふもふしてもらっても邪魔ではない時期と言えるだろう。

 接触を、過剰にした覚えはない。触れればこうなることは分かっていた。わかっていたが、止められはしなかった。

 月で見た記録。ただの欠片にアリアは侵された。彼がいると知り、かぐや姫など知ったことかと地上に降りた。

 後悔はない。彼に会えた。それだけでいい、などとは思わない。あわよくば一緒に過ごしたいし色んなことをしたい。

「ロエ2の懸念通りですね。ランク2ではない」

「なに?」

「此方の話です。いいでしょう、私はアリア。航界種、監視者と呼ばれる役割のものです」

「航界種……」

「説明はしませんよ。あなたたちは気になるでしょうが、ブルーノさんには関わりの無いこと。私が語るのは一点のみ」

 それは、

「私は彼の敵ではありません。味方ですよ、こればかりは正真正銘、どう覆せもしない」

 だって私は、

「ブルーノさんのことが大好きなんですから」









「良かったのか」

「……」

 尋ねるエドガーに、ミサキは答えない。去るアリアの後姿を見てから、数分はそのままで、エドガーは昔片腕であった男と一緒の方向を見ていた。

「帰ろうか、参謀」

「あんたが参謀って呼ぶなよ」

 今は、と言いかけた言葉を飲み込んだ。

「たぶん、僕らが締め上げるべきだったんだろうな。それで、アリアをもう二度と近付けさせない」

「人の想いは止められんよ」

「痛いほど知ってるよ」

 はあ、と溜息を吐く。

 あの女は厄だろう。関わってもろくなことはない。

 止められない。想いも、あんな顔もだ。

「偽物、かぁ……」

 呟いた言葉に、ミサキはようやく視線を外し、空を見上げた。

「偽物だとか本物だとか、誰が決めてるんだろうね」

「決まっている」

 黒い男は迷わずに答えた。

「自分自身だ」

 答えが出てるやつは気楽でいいよなとミサキは自らを含めて笑う。

 さてと縁から立ち上がって歩き出す。

「どこへ行く」

「L2のとこ。そっちはどうする」

「無論、紫苑の所へ」

 キモイなと思った。


















 ケルベロスがふと振り向いた。撫でが嫌になったのかと思えば違う。犬歯を剥き、ぐるると低く唸りだした。

「お前か」

「ええ、どうも、恋しかったですか? ブルーノさん」

 狐尾族の神祇官、アリアはいつものノリを抑えながら現れた。オルクスがブルーノを守るように横から前に出る。

「やっぱ護衛だったか、オルクス」

「……優雅なる凱旋は真実であり、汝の白を穢すわけにもいかなった」

「……いいけどさ」

 微妙に何言ってるかわからないがなんとなく意味は分かる。

「二人にしてくれ」

「然し……」

「頼む」

「…………」

 考えるように視線をさまよわせ、やがてオルクスは静かに頷いた。

「何か異変があればすぐに駆けつける」

 ケルベロスを連れ、召喚術師はどこかに去っていった。ケルベロスは最後までアリアに威嚇したり、ブルーノに鼻を鳴らしたりと忙しかった。

「どうなさいますか」

「近くに馴染の店がある」

 そこにしようとブルーノたちは移動した。

 ついたのは白熊亭という場所だった。営業時間外なのか、店員の姿は見受けられず、カウンターで作業をしていたマスターはブルーノが手を上げるとすぐに出て行った。

「ここは?」

「エドガーが持ってる店だ」

 現実では似たようなものを何軒か持っているらしく、こちらでも入用になるかと思い確保したらしい。他にもいくらかの資産を運用したりと金周りに関してもあの男は一級だ。

 さあ、と適当に腰を掛けてブルーノは言った。

「話があるんだろ」

 好きにしろとどこか投げやりに告げる。ではとアリアは自らを語りだした。

「私は航界種。枯渇した資源の回収のため創造主たちに派遣された監視役のようなものです。回収役はまた別にいて、それが典災」

 アリアをじっと彼は見つめている。話を最後まで聞いてからしか喋らない。

「監視者はグループを形成し月にいたのですが、私は少々事情がありまして地上に降りてきました。結構その事情というのは方便なんですがこれがまた厄介でして。平たく言うと調査に来たんです、生命体のランク調査ではなく、身内に対するもの。ランクに関してはまた違う胸がでかい子がいます」

 そういえばあの眼鏡は今どうしているのだろうなと考えたが、すぐに消した。

「調査対象は典災。それも欺瞞一派。ブルーノさんたちが交戦したカホルたちです。器の影響を受けているはずのカホルたちが我々とそん色なしに思考し行動している。それは進化ともいえるのか、この現象に大いに脅威をそそられました。ですがそれ以上にカホルらに根付いた悪意を危惧しました。共感子を回収するだけでなく、自分たちのために使い、人を蹂躙する」

 異常ですとアリアは言い切る。

「あれがなぜ発生したのか突き止める、そのためにもあれらと交戦、もしくは接敵してはいけないのです。疑われていると僅かな懸念さえ許されないというのが上の判断です」

 あちらにバレてはならない。

「これが私の理由です。ですが先ほども言ったようにこれは地上に降りてくるための後付けと方便なんです」

 それから彼女は少し迷うように付け加えた。

「納得していただけませんかもしれませんが、私は降りてくるのに無茶をしました。そのために合致、大災害の関することは話せません」

 聞き終えると、ブルーノはうんと呟いた。

「何か、いうことはありますか」

 どんなことを言われてもかまわないと思った。彼らよりも情報を持ちながら黙って、これからも黙っているのだから。

「どうしてお前はそうまでして降りてきた」

「それは……その……言わなくてもわかりませんか……?」

 普段のからかうようなそぶりは失せて、少女のように顔を真っ赤にしながら、アリアはブルーノを上目遣いで見た。

「…………」

 めんどくせぇ。そんなこと知ったことではないんだ。

「…………まあいいか」

 じゃあ、

「お前はどんな気持ちで黙ってたんだ。俺たちを笑ってたのか」

「っ、それだけは違います! 私はあなたの味方です」

「そうですかってすぐ信用できないさ」

 いってから、白銀はまた違ったなと思った。あれは馬鹿だしああいう感じだからとしか言いようがないか。

 アリアは、目の前の監視者は、そうではない。

 思考している、その体にある記憶を得ている。違う誰かが皮を被っている。

 ……それは俺も同じか。

「怒ってます?」

「は?」

「いえ……なんだか難しそうな顔をしていたので……」

「怒ったほうがいいのか?」

「え? あー、いや……なるべく怒らない方が私はありがた……いえ、貴方の好きなように……」

「俺はどういう反応したらいいのかわからないし、正直どうでもいい」

 全部が。

「アリア、お前は好きなようにしていい。俺は俺を」

 和人を、

『ころしてくれ』

「――――」

 戻さなきゃ、

 返さなきゃ、いけない

 のに。

 全部、返さなきゃ。そのはず。

『否定してるよ……!!』







「俺は俺を」

 殺してやる。

「取り戻す」

















 だから、消えないと。

















































 見上げるほどの無数の書架が立ち並び、人々を威圧する迷路のような場所は蒐集院の大書庫というダンジョンだった。

 静かだったはずの書庫に響くのは勿論戦闘の音と、ページを繰る音だ。書庫としては当然な紙を擦る音は戦闘音にまぎれ、誰の耳にも届かないが確かな存在感を放っている。

 ダンジョンと化した大書庫は本が成った魔物やロープを着こんだ魔法使いなど、モンスターがうろついている。それに対峙するのは白銀の頂でもルーキーとして名を上げていた紫苑率いる一隊だ。巻き込まれた時にはすでに中堅だった紫苑はすっかり上級へと手をかけ、その知識と知略は上位の冒険者にも引けを取らない。SAEKOやもみじも、場慣れなどの影響もあってか中堅とは思えない雰囲気を纏っている。

「右、魔本!」

 指示を飛ばし、紫苑は琴を持っているのではなくセンジから譲り受けた槍を振るった。広い書架の間と言えど、振るうには技術がいる場所で拙いながら戦っている。

 モンスターは同程度。ときにはパーティーランクが紛れているがそれらはページの音のついでにくる援護が処理していく。

 紫苑たちは少し抑えた戦いをしているのも原因でいつもより時間がかかる。というのも、詰め込まれている本を傷つけさせず、後ろにいる先輩たちを守っているからだ。防衛はあまり気負わずとも殲滅を心がけていればいいが、派手にやらず本を傷つけないというのは精神が削れていく。そのためもあってか戦闘時間は合計で三十分に届かないのに紫苑は戦闘をおえ、肩で息をした。

「これで五分は休憩だね」

「はぁ……」

 疲れたまま口もきけないもみじは急いで水筒から水を飲む。SAEKOはふーと息を吐き汗を拭っている。

 振り返ると、梯子に腰を掛けたまま分厚い本を読んでいるL2の姿があった。かれこれ五時間はこうしているらしい。紫苑たち護衛チームはかわるがわる本を傷つけないこととL2の防衛と敵の殲滅を続けていた。

 何を探しているのかというと、才天や典災のヒントだ。現実で見た覚えがない敵ではあるが、こちらの文献にならば何か残っているのではないかと考え、L2たちは大書庫に詰めている。

 この大書庫は以前から目をつけていたものだ。ダンジョンではあるが、背景であった書物は読めるのではないかと活字中毒者共は考え、L2はこれ幸いにと踏み込んだ。

 エルダーテイルの文字は、言葉と同様に翻訳される。しかし、古文書のようなものまでは別の言語として判断されるようでここの書物はすべてそのままでしか読めない。そのために読めるのはL2、ミサキ、そしてアルフォンスの三人だけだ。

「そういえばミサキさんはどちらに?」

「ギルマスの方だ。最近何やら護衛だなんだと気を回している」

 顔を上げずに紫苑の疑問に答える。先月の件以来、それとなく白銀はブルーノを気にかけている。遠征や探索など、以前はリーダー格というか、まとめ役がそろって出ることも多かったが最低でも一人は残っていることが多い。ブルーノが気を落とし、二日ばかり寝込んでいたあの日、誰も私室の扉をたたくことができなかった。

 彼は今不発爆弾みたいにも思われている節はある。いつまたぶり返すかわからない。以前から危うさがあったが、それが増したような気もする。

 年月が過ぎれば当たり前のように人は変わる、何かは進んでいく。いいことなのか。変わらないことは悪いことなのか。

 ふむと考え始めた休憩中の紫苑の前をちょこちょことアルフォンスが本を抱えて過ぎていく。

 現在進行形でアルフォンスもまた、白銀の自室から出歩けるようになっていた。徐々に外の環境になれたのもあるだろうが出歩ける一番のきっかけとなったのは推しのイベントである。

 レーナ・ミリディエルのトークイベント。アルフォンスは見たかった。配信はないしもう駄目だこれは本しかないとぐすぐすぐずっていたときに届けられた知らせは引きこもりを動かすには充分である。インターネットという娯楽の六割をむしり取られたのもあるだろう。しかし問題は外だ。アルフォンスは一人で行こうとして自室の外に出た瞬間ゲロったのでソロはやめた。

 白羽の矢が立ったのは当然ギルマス。布団でいつも通りぐるぐる巻きにしてもらい、隣にギルマスを置くとなんとか動ける。が、布団のせいで前が見えなかった。しょうがないので担いでいくことになると、ぐるぐる巻きの冒険者は奇異の目で見られたが白髪というのを確認すると皆が知らぬ顔をした。

 それを何度か繰り返し、客席ではぐるぐるをとることができるようにまでなり、この書庫にはテントを張り、そこをアルフォンスの部屋へと誤認させていた。そしてダンジョンではお外怖いより敵怖えになったので、テントを巣とすることで活動できているのだが、

「…………」

「? アルフォンスさんどうしたんですか?」

 突然フリーズしたアルフォンスをもみじが覗きこむ。

「……動けない」

「あー……」

 運びますと慣れた様にもみじとSAEKOが抱える。よっせよっせとテントへと運ばれている最中はきそうと言ったので加速した。三半規管が唸ったが何とか耐えれたのでテントの中でいつもの布団で体を巻いて、ブルーノのもう使っていないコートをさらにかぶせる。落ち着くらしい。テントも最初は使って匂いがついているものをいろいろと放り投げたら入った。犬か猫か。提案したのはブリーダーをやってるというオルクスである。

「マスター、本ヲオ持チシマシタ」

 ひざ丈程度の大きさをした金属のロボが本を抱えて通り過ぎて行った。

「…………」

 L2の足元において、えっほえっほとまた本を取りに戻る。その際、紫苑と目が合い、

「何見テンダ人間」

 と、悪態をついて去っていった。

「なんですかあれ」

 動けない紫苑の代わりにもみじが呟く。

「ほれ」

 とSAEKOが差し出してきた紙の束を受け取る。

「自律機動白髪兵器AIメカギルマス……」

 とんでもないのが出てきた。ざっともみじとよんでみると、魂内臓とか白髪搭載とか学習型AIだとかいろんなことが乗ってた。要するにL2が開発した対話可能な自律駆動ロボらしい。ちなみに願望は世界白髪化。魂の触媒となったのは寝てたブルーノの髪の毛。

「……なんか、なんだ……?」

 どうして機工師がこれつくれてるんだろう要素バリバリだったが、L2だからで済ませるのがひどい話だ。

 制作者を見ると一切意に介さず本を読み漁っていた。常人よりも素早い。

「何してるんだ」

 振り返るとアルファがいた。

「アルファ……と琥珀さん」

 お久しぶりです、と紫苑が隣に立っているピンク髪の女性に頭を下げた。脇と胸元が露出している巫女服だ。オブリーオの視線が吸い寄せられるタイプのもの。もみじはこの手の服装に未だ見慣れておらず、な……と言葉に詰まっている。SAEKOがゆるゆると立ち上がる。

「紫苑、知り合い?」

「うん、琥珀さん。アルファの保護者の人」

「おい誰が保護者だ。オレに保護者なんか――」

「まあまあ、落ち着きなよアルファ」

「え」

 琥珀と呼ばれた男性は明らかに男性の低い声でしゃべった。その様子にSAEKOも目を丸くする。

「っと、ああ。初めてはそうなるよな。俺、バ美肉でやってるんだよろしく」

 おお、とSAEKOは復帰し、よろしくお願いしますと頭を下げる。もみじはというと放心してる。まあしょうがないかと思う。レーナたちとは少し違う形となるが、ネット上でアバターの性別を変えて配信している者たちもいるのだ。琥珀のように。

 琥珀は大災害以後でも変えず、今でも活動していた。アルフォンスは彼のことを知っているらしいがあんまり知らないらしい。推しで手一杯。

「それでどうして休憩してるんだ」

「あっくん相変わらずつんけんしてるね」

「……」

 SAEKOをぎろりとアルファは睨むが本人は動じない。

「紫苑」

「え? いまインターバルだよ。倒したからしばらく敵でないでしょ?」

 じゃあ、とアルファが指さした。

「あいつはなんなんだ」

 指し示した先にそれはいた。明らかに場違いな制服を着た、少女の姿。冒険者かと思ったが違う。アイコンはモンスターを示している。解読班を除く白銀が構えた。前に出るのは紫苑だ。武器攻撃職である関係上、ここには他に後衛しかいない。

「なんでこんなにバランス悪いんだよ」

「L2さんがばらばらにつれてきたから……」

 アルファの苛立たしげな声に呆れた声音で返すとでかいため息が聞こえた。L2まで届いていないだろう。

「初めまして、白銀の頂のみなさん」

「!!」

 少女が頭を下げた。その行動はモンスターにはない知性を意味する。

 浮上するのは彼ら、典災、才天の存在。しかしそのどれにも当てはまらない。

 存在感がないのだ。

「君は……」

「私はカホルに呼ばれた存在。信じてもらえないかもしれませんが、敵ではありません」

 カホルに。欺瞞の典災。では、と本を閉じる音が響いた。

「Vか」

 L2が椅子から降りた。容赦なく手の中には杖が握られている。

「はい」

「何をしに来た」

「裏切りに来ました」

「誰を」

 もちろん、と少女は言う。

「カホルを。私は、終わった存在です。その終わりを勝手に否定し、あの怪物は私を無理やり続かせた」

 私の、命を。

「だからどうかあの男を殺す、その手伝いをさせてください」

 偽物が、創造主を殺す。そんな異常事態を前に紫苑たちは混乱せざるを得なかった。

 ただ一人を除いて。

「興味深いな」

 彼を知っている、彼を選んだ魔法使いは呟いた。

「君の名前は」

 尋ねられた少女は、確かに答えた。

「私の名前は水雲透です」

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