第8話 マーダーダンス





「おはよう……って何してんの、ブルーノ」

 三時間程度の睡眠から起きてきたミサキが談話室で最初に目にしたのはソファに突っ伏しているブルーノだった。時刻は十時。いつもならばとっくに朝食も作り終え、だらしなくはあるが寝転ぶことはあまりないブルーノにしては珍しい。

「おはよう……」

 顔を上げれば家族全員が旅先で亡くしたと告げられたかのようなひどい表情だった。

 結局昨日、ドレイクの襲撃から帰って来た七時まで起きたまま。冒険者の体は寝ずとも平気だが精神はどうにもならない。

「寝れたの」

「一応。ただ、夢がなぁ……」

「夢?」

「なんだ、何か見たのかギルマス」

 ミサキより遅れて、L2が現れた。ミサキと同じような睡眠時間だったが二人はこの程度慣れていた。

「いや、夢というか……」

 うーんとブルーノは悩みながら起き上がり、自分のマグカップを手繰り寄せる。机の上には他にかじりかけのパンがおいており、食べかけだったらしい。

「……なあ、ちょっと聞いていいか」

「言ってみろ」

 L2が向かいに座るのにあわせてミサキも座る。

「…………付き合ってないのに一緒に暮らしてる男女ってなんだ?」

「……なんだって?」

 真面目な顔して何言ってんだこのギルマスと軽蔑の視線を向ける。横のL2に目を滑らせると、

「二人暮らしか?」

 などと真面目に付き合っていた。ダメだとミサキはあきらめようとして、ふと考え直した。

「ブルーノ、なんか見たの?」

「見た……んだとおもう」

「はっきりしないね」

「仕方ないだろ。おれだってあんまり覚えてないんだよ」

 苛立たし気に頭を掻きむしるその動作をL2が窘める。

「ゆっくりでいい」

「……たぶん、現実の俺……ああ、記憶を失う前の……」

「ああ」

 もどかしそうにブルーノはうろたえながら、視線をさまよわせ、言葉を繋いだ。

「俺が……女と今日の晩御飯の話をしてた。それ以外になんか聞こえた気がするんだけど……」

 頭を振る。

「思い出せない」

「晩御飯の話をしてるだけなら二人で暮らしてるってわからないんじゃないか?」

「料理をいつもしてたのは俺だよ、いや俺だった。これは絶対に間違えない」

 妙な説得力を持った言葉にミサキは押し黙った。

「女の名前は。ギルマスの名前でもいい」

 L2が訊ねると、ブルーノはやはり首を振った。

「覚えてない……見たし呼んだ覚えがするんだが……」

 どこにもないんだと呟いた。

「そうか」

 少し考え込むようにL2はソファの背もたれに体重を預けた。

「最初のだけど、付き合ってないのに一緒に暮らしてるのは珍しいね」

「やっぱか」

「あんまり例を見ないから。そうまでするならたぶん……あれ? ブルーノ、その記憶ってどのくらいの年齢?」

「たぶん、高校生じゃないか。制服を着てた」

 随分、なんだか……ミサキは考えを打ち切った。個人の自由だ。そういうこともあるだろう。誰かの現実が冷え切っていても、誰かの現実は面白おかしかったり爆発したりする。僕の隣にいるのが大学構内を爆走したりとかも記憶から消せそうにない。できれば忘れたいが無理な相談だ。怖いと思った次の講義の隣の席で消しゴムかしたら始まったのだから。

「……なんにしても同棲してただけじゃわからないな」

「だよな……」

「でも前進じゃないか、記憶をぼんやりとでも思いだせたなら」

 ミサキが慰みの言葉をかけると、返事はなかった。ブルーノもL2も黙り込んで何か考えているような感じだ。

 キャッチボールの玉が誰にも拾われなかったいたたまれないものを感じ、ミサキは何かしようとしたがやめた。

「今リア充の話した?」

 睡眠不足も相まって目をギンギンにかっぴらき、充血させたディーとライザーが起き出してきた。手には弓やら魔導書が握られているので間違えれば容赦なく放たれる。

「してねえよ。おはよう」

「おはよ、ひでえ顔だなギルマス」

「超怖い」

「お前らもだよ……」

 当然ながらうちでギルメンの起床を促すなどやっていない。繰り返すと各自自由が基本だ。今日のように毎夜遅くまではしゃいでいる連中が午前中に起きてくることは珍しい。

 それだけ昨日のを警戒していることかなとミサキは思い、席を立つ。

 ともかく朝食だ。ブルーノはしばらく使い物にならず、もごもごとペースの遅い食事を続けるだろうし、L2は動く気配がない。同棲やらなんやらと囁いている馬鹿二人を連れて食堂へと降りて行った。

 静けさが談話室に戻る。

「ギルマス」

「なに」

「痛覚があるな」

「あ?」

 何言ってるんだ当たり前だろとブルーノが彼女を睨んだ。

「俺だって人間だよ。記憶喪失だけど」

「私たちは痛いという認識と傷がついた場所の認識ができる程度の痛みだ。どんなにすごくてもせいぜい親指をぶつけた程度」

 だが、

「お前は本当に痛いな」

「……中二病?」

 茶化すなと叱られる。

「SAEKOからもみじのビンタの件を聞いた。ミリディエルのときも終わってから腰を抑えていた」

「ただのフリだ」

「じゃあ」

 ひゅっとL2がナイフを振り下ろすが寸前で止めた。

「問題ないな」

「あるわ!! 何いきなりしようとしてるんだよ!!」

「痛くないんだろ?」

 真顔で小首を傾げられた。

「だからってためらいなく行くなよ!!」

 ぎりぎりと拮抗しているが筋力の数値で言えば前衛職のブルーノの方が強い。捻れば簡単に終わるが無手になった場合どっからか杖を出してきて打ちぬいてきそうだ。普通やらないがこいつはやる、絶対やる。

「私にだって躊躇いはある」

「一二の三をゼロで行くタイプのくせに……俺に痛覚あったところで何も変わらないだろ」

 指揮も戦闘も変わらない。白銀はそう言う場所だと認識していた。

「変わらん」

「じゃああっても無くてもいいだろ」

「こっちの気分の問題だ」

「俺の痛覚じゃん……」

 うるさいなぁと心底面倒くさそうにL2が言う。なぜだろう、ブルーノ自身のことなのに。

「言わずともいいさ。いつだってその背中を狙ってるからな……」

「お前どっちが殺人鬼だよ……」

 ふふふと意味ありげに笑って力を抜いた。離すと同時に突き刺そうとしてくるのを止めるが、

「フロストスピア小」

 切っ先から小さな氷の槍が飛び出しこめかみに突き刺さった。

「いってえ!!!!」

「よし痛覚ありだな!!」

「お前マジで言ってる!?」

 ソファから転げ落ちてもがき苦しんでる人間に喜々とした声を上げるの怖い。

「これくらいにしておいてやろう。貴様の痛覚ありなのはわかった」

「こめかみにブッ刺すな」

「これで何か変わるわけではないが、いろいろと共有した方が黙って抱え込むよりかは楽だ」

「…………良いこといったなみたいな顔やめてくれないか? まだ刺さってるんだよ」

 仕方がないとばかりのL2に槍を引き抜かれ、零れた血を拭いていると、扉が開かれた。

「何をしている」

 低く黒い声。そちらを嫌そうにブルーノが見るとエドガーが不思議そうに首を傾けていた。

「お前がなんで他ギルドのところにいるんだよ」

「古巣の様子を見に来ているだけだ」

 そう言って我が物顔でソファに座る。ブルーノが座っていた対面だ。つまりL2が座っていた隣。床を拭いていた白狐はおもむろに舌打ちして血を粗方拭われているのを見て食堂へと降りていく。

「何かあったのか、などとは言わんぞ。大体は把握している」

「どこから漏れてるんだか」

 はあと息を吐いて、ブルーノはソファに腰を下ろした。後の血はどうとでもなるだろう。

「喋りの詐欺師などいるだろう。後は……し、紫苑……」

「顔赤らめてんじゃねえよ通報するぞ」

「ここに不審者を取り締まる司法はないさ」

 世も末だなと世紀末まっしぐらなギルドの長は思った。

「襲撃か。二度目だな」

 レプリカの件から一か月。遡ればトラブルは最初の五月、ススキノから続けてだ。毎月一件を更新していることになる。月刊誌かよ。

「今回は部外者ではなくブルーノ、貴様自身だが。何か心当たりは?」

「ない。そもそも俺は記憶喪失だ」

「そう言う言い訳が通るのは一月目だけだ。もう二か月は暮らしている、よりにもよって白銀でだ」

 どこか嬉し気なエドガーに対してブルーノは機嫌を悪くする。

「どうせなら元の頭に戻せばよかったのに……」

「停滞は面白くないだろうに」

 小声を聞きとられ、なおのことむすっと口を歪ませる。

「俺は恨みを買ってない……たぶん。買ってる量が多いのは阿保たちだ。それが俺に来るのはありえないことじゃないが……」

 そいつだけではなく、ギルドのリーダーにまで恨みが増えることはあるか? 単純に考えればない、ないが、否定しきれもしない。

「別に怨みだけが行動理念ではない。いろんな感情があるとも」

「あっそ……」

 きょうだい、親しみ。兄弟。殺人鬼。影。

 影。

 少し頭に痛みが走った。

「何か思い当たる節があったかね」

「いや……あんまり正しくは言えないな……」

 背もたれに体重を預け、ブルーノは息を吐いた。頭痛は一瞬だったがひどく嫌な痛みだった。

「ふむ……なんにせよ、どうするつもりだ」

「どうするって?」

「このままアキバで大人しくして嵐が過ぎ去るのを待つという性分でもあるまい」

 ああと小さく返事をしながら、

「どうしようかな……」

 と迷うそぶりを見せ、白銀のギルマスは気怠そうにメニューを開いた。

















 目が覚めた。

 終わったはずなのに、目を開ける。

 いつもの場所ではない。画面の中じゃない。

 分裂した視界の中、赤い服を着た男を捕える。

 それは踊っていた。

 両手を振り上げ、腰を動かし、ステップ、ターン。

 恍惚とした表情で。

 足を打ち鳴らすと反対の脚を振り上げ、喜劇気取って回りだす。

 終わったはず。終わったはずなのに、続いている。

 それはまるで、

 これはまるで、

 誰が願った思いのように。

 しかし、今目の前にあるのはより無情な、ただひたすらに死体を踏みにじる行為。

「んっふふ!」

 男はこらえきれずに笑った。

 ふっと影が差す。新しく顔を見せたのは身長が高い。カソックにも似た服を身に着けている。

「機嫌がいいな」

「あったり前やん!」

 男が跳ねて、ポーズをとる。恭しく私たちに頭を下げ、にやりとこちらを見た。

「終わった役に皆が望んだ蛇足を」

 命、

 偽物、

 代替品、

「あるはずのないくっだらないシリアスを!

 あり得もしない台本にお前たちの脚本を!」

 すべては欺瞞の手の上。

「くれてやるよ、リスナー! お前らが望んだ存在し続ける命をなぁ!」

 さあ、

「永遠に終わらない役割を」

 はじめよう。

 つづけよう。

「永遠に終わらない夢を」

 偽りの生を。

 お前たちが終わらないでくれとのぞんだものを。

 お前たちにくれてやる。

 欺瞞は笑い、踏みつけたレプリカの上で踊る。

 まだ終わっていないのだと、私はそれを見せつけられた。

「ちょうどええし、行こうや。戴冠なんやろ?」
















 いまだ区画に手が入っていないアキバの廃墟。

 その一棟にブルーノが入る。

 喧騒は遠くに聞こえ、緑の匂いが強い屋内だ。以前どこかのごろつきが使っていたのか、椅子が何脚か転がされているが積もった埃が不在を示していた。

「よう、遅かったな」

 先客、ドレイクは丸机の上にボトルとグラスを置き、ブルーノに椅子を示した。

「随分埃っぽいな。掃除しろよ」

「はっ、母親かよ」

 ブルーノがとった選択は愚かにも見えるもの。実際、愚かなのかもしれない。相手に聞くのが手っ取り早いに決まっている。

 一応無策ではない。外には保険としてセンジを待機させている。指示を出せばすぐにでも攻撃はドレイクへ届くだろう。

「くしゃみしちゃうだろうが」

 あからさまに嫌そうな顔をしながら、魔法鞄から折り畳みの椅子を出し、座った。

「信用ねえな」

「あるわけねえだろ殺人鬼」

 ごもっともと笑い、ドレイクは自身が示した椅子に座る。

「それで? 何の話だよ、兄弟。つっても、見当はつくがな」

「つかないと驚きだよ。お前、なんで来た」

「あぁ? 来るに決まってるだろ? 兄弟からの初めての呼び出しだぜ? 俺ァ、毎夜毎夜飲んだり殺したりしながら飲みの誘いが来ねえかまってたんだ」

 気持ち悪いなとブルーノは顔を顰める。

「殺しの最中に来たらどうしてたんだよ」

「殺してすぐ行く」

 あ、そうと呆れる。こいつも馬鹿だな。飲みにでも誘ってれば被害者は減らせたかもしれないという考えがよぎるが、そんなことはどうでもいい。

「お前、なんで俺を狙った」

「おいおい、それはもう答えただろ」

 気落ちしたようにドレイクがいい、グラスに酒を注いだ。

「殺したい気分になったんだ。ほんとはあのレーナって女が良かったんだが……途中からどうでもよくなったな。あんただ、あんたを殺したくなった」

 ありがたくない告白だ。

「じゃああいつらはなんだよ」

 その後、街を襲撃した影たちとイズミという冒険者。こちら側には殺人鬼として広まっていたが、殺し屋という側面が強いらしい。

「ありゃ刺客だ。言ったろ?」

「誰からのだよ」

「さあ知らねえ」

「お前な……」

「落ち着けよ兄弟。覚えてねえんだよ」

 覚えてない。どういうことだと話を促すとなぜか楽しそうにドレイクは続ける。

「そいつが誰だかはわかんねえ。だが俺としちゃ悪いことじゃなかった。ぶっちゃけあの夜は適当に一人殺して同じ町にいる兄弟を誘いだせばいいって思ってたんだぜ。だってよ、兄弟と殺し合うって悲しいことだろ?」

 殺人鬼の口から語られる正論にブルーノは表情を消し去った。

「そんな顔するなよ。すくねえ身内でつぶし合うのはつらいことだぜ? 日本から狼が消えた理由だ」

 危険だから、異物だから、侵害する前に殺し尽した。

「俺達みたいなのは少ねえ、助けあえればいいと思ってたが……」

 結果はこれだ。

「話がずれたな。後詰めにイズミっていうガキがいた。あれは依頼主に気に入れられて影をわけられてたよ」

 影。ススキノで見たあれだ。

 大元がいる。

「その依頼主の目的は」

 ドレイクはつと指先を向けた。

「兄弟、あんただ」

 他ならぬ、ブルーノに。

「……どうして俺なんだ」

「知るかよ。でも狙われてるぜ、あいつも俺も、いろんな奴が」

 楽しそうに言うドレイクに、忌々し気に舌を打つ。

 どうして、どうして。何度思った。

 どうして俺なのか。

「……俺をどうしろって?」

「連れてこいとよ」

「どこへ」

「ゴブリン王へと続く道、ザントリーフ半島」

 ゴブリン王。クエスト。戴冠。

 駆け抜けるように浮上した記憶にブルーノは頭を抑えた。

「っ……! まさか……!!」

 気付いた瞬間、視界目一杯にボトルが飛び込んできた。それを払いのけるとドレイクの蹴りが鋭く肩に突き刺さる。

 受け身をとり後ろに転がると起き上がりに拳が叩き込まれる、さらに転がって避け蹴り上げを放つとドレイクが飛びのいた。

「センジ!!」

 着地の寸前、呼びかけに応じ斬線が走った。伝播する斬撃はドレイクを捕えようとするが、彼は足元の影へと沈む。影が分けられてるじゃないかしっかり。

「待てボケ!!」

 椅子を投げつけるとすり抜けるようにして砕けた。

「来いよ、待ってるぜ兄弟。お前の記憶が待ってる……」

 そんな台詞を残してドレイクの姿が消える。

「大将!」

 外に待機させていたセンジが飛び込んでくる。

「あの野郎は」

「逃がした……」

 苛立たし気に何か言おうとし、お門違いに気が付く。深呼吸して、ブルーノは口を開く。

「だがどこに逃げたかはわかった。動けるのを集める」

 待ってるだけではつまらない。














 広場に明かりがさす。

 明け方の時間帯にも拘わらずそこは人がつめており、壇上ではかのレイネシア姫が立っていた。傍らにはD.D.D.のギルドマスター、クラスティ。対するように控えているのは記録の地平線ギルドマスター、シロエ。

 満ちる武器を打ち付ける音、姫に応える冒険者たちの声、行動。

 その中には当然、頭が白い者たちだとていた。

 明け方近く。いまだ夜は続いている。

 屋根の上からそれを見ているL2は静かに念話を繋ぐ。

「ギルマス、これだ」

 これを利用しようという声に、白い男は頷いた。

 白銀の頂はシロエが叫ぶ内容、十五分以内の準備に間に合わせるようにいち早く動き出した。

 組まれる大隊のためにフルレイド程度の人員は目立ちすぎる。よくてハーフレイドから一人欠けて、十一人だ。一部のメンバーが動き始め、寝こけてた者たちが騒ぎを耳にし起きたころにはすでに選ばれた十一人はホームから姿を消していた。

 通達のあった人員が実験ドッグへと流れていく。ブルーノ率いる一団はドッグには入らず離れたところで様子をうかがっている。

 ディオファントスだけが呼び出しを受けたというような平然と顔をしてドッグへと入る。人の流れに逆らわずするすると船へと近付くがふと向けた視線の先に高山三佐を見つけ、フードを被った。

 元上司は気付かず呼びかけを行っており、ディーは安堵の息を吐かず足早に抜けた。軽い動きで明かりから離れた場所で乗り込むと最後部に明かりを一つ張り付けた。衝撃が来ても取れないようにL2印の接着剤をつけたものだ。白色のそれは夜闇の中でも目立つ。前を向いて進む彼らならばきっと見つからないと踵を返すと目の前にメガネの偉丈夫が立っていた。

「……み、みろ……」

 苦笑いのような恐怖でひきつったような味のある表情のままかたまる。黒い鎧、でかい、ごつごつしてる、眼鏡。眼鏡。

 D.D.D.のギルマスだ。ひゅっと空気が抜けた音がする。なんだと思えばディー自身の喉だった。

 ワンチャンあるかもしれないとそろそろと横を通り抜けてみる。

「失礼しまーす……」

 フードを被ってるからばれて、

「君は確か……ああ、モテない」

 ました。一瞬切れそうになったがギルマスに目立ったら夕食抜きにされるので黙った。

「ひ、人違いじゃ……」

「それはない。随分と彼女たちの手を焼かせていたようだから」

 こいつ絶対確かとかつけたのわざとだ。眼鏡って性格悪いやつ多くない?

「えと……その……何もしてませんよ?」

 ふうんとクラスティはためらいなく船尾に向かおうとするのでディーは土下座した。

「勘弁してください、ミスると夕食抜きなんです……」

「プライドはないのか……?」

 あったらモテてるやつ襲ってない。

 顎に手を当て、眼鏡の男は迷うそぶりをしている。面白そうと邪魔なものは排除したいの半々程度か。レギオン組むのに当然時間はいる。そりゃ膨大に。これは時間を大幅に短縮してこなすことができるがわずかな時間も惜しい。一押しだなと考え、一言かけで付け足した。

「ギルマスが動いてるんです……邪魔は、まあそりゃするかもしれませんが……」

 面白いっすよと土下座のまま言った。

 嘘偽りのない本音だ。

 レイド出来て飯がうまい、そりゃたしかに白銀のギルマス務めるには充分だ。でも面白いか面白いかは必要。この世界じゃ特に。

 飢えたやつには、特に。

 クラスティは考えるように押し黙る。表情は見えない。見えるのはこすりつけている床の木目だけだ。

 そのまま偉丈夫は何事もなかったかのように通り抜けた。

「あまり期待はしないでおこう」

 それだけいって船室へと消えていく。ディーは今でも尊敬はしている男に軽く頭を下げて、船から抜け出した。ま、尊敬しているだけだ。女の子がそばにいたらためらいなく弓を絞るだろう。

 こそ泥のように抜け出し、白銀の元へ戻ると明かりを設置したことを報告。

 オキュペテーが発進するより遅れてギルマス率いる一団はグリフォンを持っている者たちはあまり使わないフクロウをもって進軍を開始。

 夜の中互いに距離を取りはぐれた場合、オキュペテーにとりつけた明かりに集合、またはフレンドリストから現在位置を確認するというやり方を取った。

 即席だ、穴があってどうしようもないものだ。だがその無理を通してきたのが白銀。

 未だ夜は続く。

 ザントリーフ半島が近付いてくる。

 二人一組一人あまり、フクロウを交代させながら空をかけた。


























 夜を切り裂く炎の鳥が戦端を切り開いた。

 火力隊が遠距離攻撃で敵を焼き尽くしていく中、クラスティ率いる第一部隊が前に出る。

 彼が率いるのは正真正銘の軍勢。ヤマトサーバーでは経験者すら少ないそのレイドを巧みに操り、ザントリーフ半島へと怒涛の勢いで迫り行く。

『ミロード』

 酷薄な笑みを浮かべながら鮮血の斧を振るっていると耳元で声が響く。護衛を任せていた高山三佐だ。

「どうしました」

『正体不明の一団が右翼から突出しています』

 思い当たるのは彼ら。あのディオファントスが流れ着いたギルドのことだ。

 同時に思い出すのはD.D.D.に所属していたころのディオファントス。良くも悪くも目立つことはなく、暗殺者としての役割を果たしていた彼は息苦しいとの理由で抜けた。ノリが良く、仲間に溶け込んでいた白髪の男を引き留めるものは誰もいなかった。クラスティが詳しくつつくよう指示を出したのは気まぐれか何かの琴線に触れたかのどちらかだ、もう覚えていない。

 よくあることだった。女性関係のねじれなどというのは嫌でも目にする。要するに彼は自主的に抜けたのではなく、追い出された形だった。

 それを調査し、中心人物をあたるとある女性プレイヤーが浮かび上がった。そのプレイヤーと周辺男性を即座に追放した後、あるうわさが流れだした。

 カップルを、あるいはモテる奴を、リア充に襲い掛かるプレイヤーの噂。

 白い髪で、暗殺者。罠を扱うそいつは負けたり勝ったり、だいたい負けていた。誰も気にしないそれはあるギルドに入り、孵化する。

「白銀の頂」

『……』

 念話越しに息をのむ音が聞こえる。当時、調査に当たったのは即座に動けた手の空いていた人材。

「彼らは邪魔しません。無視を伝えてください」

 はっ、と了解が告げられ、念話が切れる。

 一撃で大地もろとも敵を砕く狂戦士は、すでに念話を忘れ戦いへと舞い戻る。






















 展開するレギオンレイド右翼より前方。難なくここまでたどり着き、彼らの露払いの後、前へと出た白銀の一団は無数のゴブリンたちを退けつつ前進していた。

 目指すはここより前方にあるドレイクの反応。

 悪路をライザーとL2のフライの呪文で駆け抜けていく。

「ひゃっふー!!」

 センジだけがフライがかかっていないのにかかわらず猿か何かのように木々を伝いゴブリンをちぎっては投げ千切っては投げ進んでいくのをブルーノが呆れながら追いかける。

 ゴブリン主力部隊、クラスティ率いるレイドより孤立する形となるが十一人の顔に恐れはない。死んだらそれはそれだ。

 死んだらどうなるかというのは死亡者が多い白銀ではそれなりに把握されている話だったがぶっちゃけどうでもいい。

 くそみたいな現実だ。確かに惜しいものもあり、恐れている者も中にはいたがここにいるのはたいてい前へと進み続ける馬鹿ばかり。

 加えて、この突撃がゴブリン主力に対して影響を及ぼすことはないとわかっているのも気楽に思える要因の一つだった。道行く先で遭遇すれば切り伏せるが、目的はドレイク一派だ。

 おそらく彼らが潜む場所へと駆けていく途中、ブルーノが突然足を止めた。

「ギルマス?」

 急ブレーキをかけL2が止まると、センジでさえも枝をつかみ一回転し、その場で止まった。

「この先だ。この先の神代遺跡に反応がある、が」

 続く言葉にミサキが眉をひそめた。

「後ろから厄介なのが来てる」

「厄介なのって?」

「あの偽物」

 レプリカ騒ぎの黒幕、カホル。

「どうしてあいつが……」

「考えるのは後だ。どうする、ブルーノ」

 前には殺人鬼と影。後ろからは偽物。

 行きたいのは前だ。だがそちらを優先して挟まれれば無駄死に。死は問題ではないが目の前に吊り下げられたものをとれないのはゲーマーとして非常に腹が立つ。

 考えつくのは戦力の分断、いやいっそのこと挟まれるのを承知で突撃。あの性格が悪そうな偽物がブルーノの目的を知れば邪魔をすることは必至だ。影も未知数。性格が悪ければ、絶対悪いが、偽物と組んでくることもあり得る。そもそも別口ではなく同じ可能性もある。気配は間違いなく別種を示しているが偽装の可能性。

 頭を振ってダメだなとブルーノが呟く。

「時間がないな……しょうがない。ディー、ライザー、残って後ろからのを迎撃」

「了解」「うっす」

「残りは予定通り進軍。足止めか殺すかしてくれ」

「それでよいのならば良いが、貴様は行かないような口振りだな。足止めなどと」

 なんかついてきてるエドガーが口を挟んだ。露骨に嫌そうな視線を向けられる中まったく気にしないのは本当にすごいことだと思う。

「行かない。カホルをここで潰しておく、最高撤退させる。エドガーが単騎で追い詰められたのならあれはせいぜいランク2だろ。ディーとライザーがいるなら詰め切れる」

 少し顎に手を当て、エドガーは頷いた。

「ではあれの撤退は貴様に任せよう。私も用があるが今は従う」

 背を向け、遺跡方面へと歩き始めると上から落ちてきたセンジに踏まれた。

「大将! いいのかよ!?」

「いいって。代わりにドレイクぶっ殺してくれ。影を一回喰らってるならお前は絶対そっちだからな」

「くらってねえ」

「お前なんで死んだかじゃあ言ってみろ……」

 つまらない嘘つくなと叱り、銀次郎に視線を向けた。

「銀次郎、カバーしてやってくれ。というかメイン盾はお前だ。指揮はミサキがとれ。いつも通りだ」

 了承の声が八つ重なる。よし、とブルーノは頷いて踵を返した。

「行こう。ディー、罠は持ってきてるな」

「当然」

 言いながら何をしようとしているかわかった罠師は魔法鞄のジッパーを下げた。

「やるぞ」

 レギオンよりも先で、円卓が知るはずのない戦いが開始される。





















 静かな森を行くカホルは不意に足で何かを引きちぎった。

「おっ」

 ひゅんと前方から矢が放たれる。軽く飛んで回避すると着地地点にくくり罠。体重で作動するそれは跳ね上げられるが当然のようにカホルは回避した。

 枝の上に飛び移り、カホルは目を細める。

「待ち伏せか? くっだらんことしよるなぁ」

 風を切る音がした。しかしどこにも月明かりを反射する矢じりはない。カホルは軽く後ろへと飛び、足の甲を引っかけると先ほどまでいた場所に矢が刺さった。

 黒塗りの矢。艶消しも施されているそれは完全に闇討ち用だ。

 あたりに仕掛けられている罠と言い、良い罠師がいるらしい。

「見っけ」

 矢の射角からカホルは即座に木々を踏み台にしてわずかに見えた白いのを追いかける。あいつらは白髪。それを夜闇であろうと変えることはない。

 嘲りと共に腕を振るう。しなった剣のような腕がそれを断つと白い髪の毛が落ちた。いや、違うこれは。

「布の切れ端……」

 ずるっと切り落とした布から赤く輝く石が顔をのぞかせ、

「ちっ――!!」

 爆発した。

 あたりに火炎と衝撃をまき散らせた火昌からカホルは逃れる。服装に火傷の痕こそあれど無傷。

 かちりと何かを踏み込んだ音がして咄嗟に身を屈めると頭上を丸太が通り抜けていった。

 罠、罠、罠。周囲を探ると罠ばかりで冒険者の姿はない。

「なめてんなぁ!!」

 両腕を大きく変形させ、周囲の木を薙ぐ。罠などどうせ木々を起点としている。ならばそれほど薙ぎ払えばいい。

 隠れているのも木だろうとカホルはあたりをつけ、斬りながら進んでいく。どちらにせよこの先にある無数の反応が彼を不快にさせてやまないのだ。あの気味の悪い男がいても未知がいても、試すには絶好の機会。

 放たれた矢を弾く。瞬時に方向を判断し、巨大な岩がある方面へと迫る。ハンマー染みた厚い拳へと変形させ、ぶち抜く。天然の散弾と化した石達が撃ちぬいていく。

 外れか。先程の矢は間違いなくこちらから来たはず。

「っとぉ!!」

 破砕音に紛れ、上からブルーノが斬撃を繰り出す。それを挑発するように避けると矢とは違う方向から閃光が放たれた。

 夜を切り裂くような輝きは雷撃。まぎれるような漆黒の矢が同時に迫りカホルを捕えようとするが回避、した先にブルーノが回り込んで攻撃。

「チッ」

 舌打ち一つで距離をとる。

「三対一は卑怯ちゃうか?」

 欺瞞は健在。とれるとは思っていなかったがこうも聞いていないとなると面倒くささと苛立ちが勝つ。

「黙れよ似非関西弁」

「本場も知らんくせに」

「てめえより知っとるわクソ馬鹿。ゴミ箱にほってやるよ」

 人の神経を逆なでするような態度のカホルはブルーノの気に障る。おそらく彼の特性の一つ。苛立たせ、人を浮足立たせて隙をとる。でなければただの趣味。よりタチが悪い。

 一足で行ける範囲に木はない。張らせたトラップもワイヤーも使えないが、狙撃二つは生きている。攻撃タイミングはあちらの自由にさせていた。

 ディオファントスとライザー、名コンビと不名誉的に呼ばれるような二人は息が合う。今までの経験と裏打ちされた実力。狙撃にタイミングを合わせる術はブルーノにとっては朝飯前。

 カホルはエドガーに追い詰められ逃走した。エルダーテイルプレイヤー、最高ランクに近ければ一人でも殺せる。三人ならばなおのこと可能性は高まる。ここで殺し切る必要はないが、不確定は早いところで処理しておきたいのが本音だ。

 変身も変形も、速度も対応できないほどじゃない。

 両剣を構える。カホルも徒手を構えた。

「三対一なら勝機はあるやんなぁ」

 にやにやと男が笑う。

 嫌な予感がする。

「三対一なら、」

『ぐっ!』

『てめ』

 予め繋いでいたグループに二人のうめき声が入った。それから枝が折れるような音と、打撃音、斬撃音。

 風を切る音に気を取られる。

「なぁ!」

 カホルが一息で間を詰めてきた。

 剣と剣が白熱し、鍔迫り合う。

「タイマンいこっか、男ならぁ!!」

 弾く。空いた胴に蹴りが飛んできた。横に避け切り返すと腕を盾に変形させ防がれる。

 足場の悪い森の中、カホルは自在に体を変えての攻めを展開してくる。以前のような記憶改造人間がいるのか、ディーとライザーの反応がない。あれらは弱いため時間はかからないはずだ。何かあったに違いない。

 あの二人がてこずるほどのもの。思考を回しながらブルーノは普段通りの戦いを組んでいく。

 デバフを叩き込み、相手の機先を削いでいく。が、

「ふふふふ……」

 ヴァイパーストラッシュの出血が、アーリースラストでつけたマーカーがカホルの体から抜け落ちていく。

 種の仕掛けは自切によるもの。トカゲだなんだと同じだ。危険と感じた箇所を切り落とし、あまつさえ。

「ッ!」

 離れた肉が槍のようにとがってブルーノを狙ってくる。そこに滑り込んでくるのはカホル自身の攻撃だ。避けづらい枝のような斬撃に腕をドリルのような変形をさせるものやハンマーのような重い一撃。

 変幻自在の攻めにブルーノは防戦に近くなる。

「タイマンは弱いんかぁ!? 白銀いうギルドもたいしたことないねんなぁ!!」

 畳み掛けるような攻撃。斬撃が打撃が銃撃もすべてがブルーノへと襲い掛かる。

 瞬時に赤くなる体力。あの時感じた違和感は何もない。ただこれは虚言癖のあるかわいそうな男なだけ。

 叩き潰す。両手を組み合わせ大剣を振り下ろす。

 斬るというよりも押し潰す斬撃が届く瞬間、大剣がブレた。

 弾かれた。わずかな動作で。

 ブルーノが大剣を踏み抑え、迫る。

「おまえ、さそ」

「おっそ」

 ライトニングステップで加速。通り過ぎざまにカホルの胸に十字の傷が刻まれる。

 今まで感じたことのない異様な痛みにカホルは思考が一瞬飛んだ。

 なんだ今のは。傷が、違う。剣? わからない。わかることは一つ。

 誘われた。とどめまであれは待った。

 休む暇も無く後ろから両断の一撃が走る。カホルの体が真っ二つになり、

「はっ!」

 笑いと共に上半身と下半身が独立する。

 左右からの攻撃に二刀でブルーノは応じ防ぎ切った。

「プラナリアかよ」

「そんなら君はミジンコかいな」

 センジのような馬鹿みたいなラッシュのおかげでうまく入った。ああいう手合いは慣れている、何度もたたきのめされ、叩きのめした。勝率は大体三割だったが、決めれたのは練度の低いカホルだったからだ。二撃目に続けられなかったのは痛いが、敵の自切による自傷ダメージはある。デバフを避けるために自傷が入るのはなんともいえない調整か、それともあれが間抜けなだけか。

 どちらでもいいとブルーノは血を吐き捨てる。

 体力はすでに赤。

 だが、勝負と言えばここからだろう。

 瀬戸際こそが何よりも楽しい。

 ギリギリの命をかけた戦いってやつだ。

 我知らずブルーノは口角を上げる。

「なにわろとんねん、きっしょ」

 無視して、ブルーノが身を前に倒した。

 打ち合う攻撃はぶつかり、連続していく。双方退かずの速さ比べだ。

 剣が喰い込む、カホルの腕が変化し、ソードブレイカーのようにうねっている。それにまきこまれ、ひねられた。抵抗せずにブルーノはくるりと一回転すると着地に巨大な拳が迫る。

 カホルの両手はふさがっている。腹部から生えた腕をよけるためためらいなくブルーノは剣から手を離し避ける。その腕に斬撃をいれ、カホルへと裂き迫る。

 腕の途中が盛り上がり阻もうとするが変化が遅い。生える直前に傷をつけてやるとそれだけで崩れる。

 本体へと走るブルーノにブサイクな目玉だけを生やした下半身が突撃してきた。片手剣。前方には本体。

 下す判断は一瞬。ユニコーンジャンプで飛び上がると同時に残った一本を下半身に投げる。想定外の一撃をもろに食らった下半身は縫い付けられたように動きを止める。

 落下地点は生えた腕の上。本体が腕を切り落とし、無手のブルーノを嘲笑うように迎撃。

 盗剣士は武器攻撃職という分類が示すとおりに武器がなければ本領が発揮できない。エドガーとの対戦がそうであったかのように機動はあってもとらえきることはない。

 互いが拳を振りかぶる。カホルがより早く繰り出した打撃はブルーノには当たらなかった。その場から失せた。

 違う、下。

 振り切ると見せかけ、転がるように身を倒したブルーノの本命は重量をかけた蹴り。振り抜いたカホルに綺麗に決まるがダメージは少ない。冒険者の身体能力があっても、同様の肉体を傷つけるには足りない。

 追うようにブルーノが行った。寸前でカホルは形を変えたが掠る。そのまま変化した穴をふさぎ捕えようとするが、不意に体が蠢いた。

「!!」

 テンポが乱れた。対応できたのはエドガーと一度やり合ったため。しかし二度目は。

 きらりと光るものが見える。絡み取った最初の剣。いつの間にかソードブレイカーから逃れており。

「まず」

 カホルを遠慮なく切り裂いた。

 血が飛ぶ。詰めてくるブルーノに下半身をけしかける。それを処理している間カホルが下がろうとするがまた剣が投げつけられた。

 なぜ体が変化できなかった、阻害された。必死に探る中、視界の中にデバフアイコンが見える。回避性能が下がっている。

 ブラッディピアシング。なぜ、どこで。ブルーノは無手だったはず。

 ……あの貫手。掠った爪先。

 まさか、まさか。ブルーノは自身の爪さえ武器として扱ったのか!

「ふざけやがる……」

 戦闘前に使った二体分は後衛に使った。前もって作った置いた一つをカホルはほいと投げた。

 下半身に刺さっていた剣を手にし、処理し終えたブルーノが来る。投げたそれに気付いていない。

 攻撃を防ぐ。片手剣となってなお速度は変わらないが攻めの厚みがない。

 斬り合い、弾き合い、何度目かのやり取りのように熱がせり上がる。

 カホルの防御を崩し、ブルーノが詰めの一撃を放とうとしたとき、不意に彼の腹から刃が生えた。

「――――」

 ごぽりと血が口から流れた。投げたそれはヒトの形をとっていた。

「くそ、が」

 悪態を聞かず、カホルが剛腕で殴りつける。吹き飛んだブルーノは木に叩きつけられ、立て直す前に打撃を入れられた。

 軋む骨と肉。

 待ったをかける前にカホルが笑い声を上げながら攻撃を畳み掛ける。

「どうした、どうした!? あり得んもんでも見たかぁ!? レーナちゃんだけかと思ったかいな!!」

 殴る。殴る。殴る。

 蹴る。蹴る。蹴る。

「考えられへんとか想像力無さ過ぎ! ほんまになんもないねんなぁ。記憶喪失の、ウスノロぉ!!」

 執拗なまでの攻めはあっという間にブルーノのHPを削り切る。

 血まみれでぼろぼろになった白い男は呆気なく木にもたれかかったきり動かなくなる。

 死体を見下ろしたカホルはそのまま蹴りを頭に叩き込み、ぐりぐりとねじる。

「聞こえてるぅ? ああ、すまんすまん死んでたかぁ」

 はははと笑い、汚れた手をカホルはそこに控えていた少女で拭った。感情が抜け落ちた顔で先ほどブルーノを刺した刃を握りこんでいるそいつは、レーナレプリカの死体の記憶から引っ張り出してきたよくわからないバーチャルアイドルだかなんだかの一種らしい。あちらで活動停止したものを引っ張り出してきた。

 終わりを歓迎したものもいる。しかし、生きていてほしいと身勝手に願うのが人間らしい。その願いをカホルは叶えてあげたのだ。

 べったりとついた血で制服を汚した後、ふとまだ消えていない死体に違和感を抱く。

 冒険者の死体は体力がつきわずかな猶予の後に虹の泡沫となって消える。冒険者だけでなく、すべての生命がだ。レプリカに関してはカホルが内側に潜ませていたものが生存しており、まだ生きていると思い込ませていたがこれは違う。

 共感子がとどまっている。魂が揺蕩う。

 記憶がないはずの男にある魂。

 魂魄。

 静かにカホルは手を伸ばし、触れる。

「善は急げってな」

 そして、典災は彼の魂へと侵入した。













「退け、このくそ!!」

 追ってくる吸血鬼に矢を放つと辺りに霧が漂って、気が付けば後ろを取られている。

 何度目かの悪態をつきながらディオファントスは即座に飛びのいた。

「ふざけた恰好しやがって……!!」

 今のは炎上しそうだと一瞬冷めるが敵の攻撃を回避し、お返しに一発放つ。

 敵の吸血鬼の動きは割と読める。厄介なのが霧化と純粋なステータスの差。

 あの記憶改造人間ではない。ミリディエルと同じような、レプリカの一体。

 ジャージを着た吸血鬼が必死こいて下がった距離を一足で詰めてくるのを見てディーは思わず笑った。

「イケメンは良いよなぁ!!」

 足長いもんなと思い引き撃ちを開始する。引いて、撃つ。原始的だが射程がない相手には有効な手段。これを別ゲーでされるとキレそうになったのでエルダーテイルでやったら大成功だった。先駆者がいたが。

 ディーが行うのは罠も絡め、木の根っこなど足場の悪さも加味したものだが、身体能力に物を言わせた吸血鬼は即座に詰めてくる。

「クソゲー!!!」

 詰り、払いを三角飛びでよけた。木々の配置は覚えてる。得意げにした瞬間、枝が顔にぶつかったのでもうしない。

「――――!」

 隙を見て吸血鬼が来た。軽い動きでよけていく。回避性能を上げているディーは軽々とした動きを見せるが細かい傷とMPの減りを見て舌打ちする。

 不利。吸血鬼だし弱点は日光とか回復とか。銀矢は持ってないし杭も当然ない。罠は普通に避けられたし顔面は負けてるし何あのスパチャの量はびっくりしちゃうわ。関係ないね。

 しかも面がいい。声は出ていない。そもそもなんでここにいるんだコラボしてたけどそれはグループ内のレーナであって彼は来てない。関わり合ったかと思うがディーはそもそもそちらに明るくない。アルフォンスに聞けばわかるだろうがあの馬鹿は引きこもりだ。念話繋いでも寝てる。

 勝っている要素は何もなかった。むかつく。

 ガワを被る前はどうなっただろうなどという邪推をする。例によって俺達みたいだったのか、全然違ったのか。

 まあどちらでも、

「死ね、イケメン……!!」

 矢を放った。やれることにかわりはない。矢を番え、撃つ。罠は使えない今これしかない。周りの奴らがどれくらいモテたかとか遊びに行ったとかそういう話をしている間もこちとらこうしていたんだ。

 八つ当たりだ? うるせえ。うるせえよ。そんなことはどうでもいいだろうが。

 吸血鬼は当然のように霧化する。あたりに立ち込める霧を睨み付け、バックパックから新たに矢を番えた。

 みんなに注目されてちやほやされてゲームできて楽しそうだよな。ああ偽物なのはわかってる。

 しゅーという導火線が燃える音を携えたそれはあまりに簡素な造りで爆弾を先端につけていた。それを容赦なく放つとあたりに熱と風をまき散らす。

 霧が空気にまかれ、吸血鬼は安定をかいた。実体化する。

 イケメンは、モテてるやつは、リア充は、

「むかつくんだよ!!!!」

 早業。あっという間に二の矢を構えたディーは打ち出し、吸血鬼がもろに食らった。攻撃と回避に性能を振っているからか装甲は薄い。モンスターの扱いか。よくわからない存在だが体力は減る。

 殺せる!

 流れるように構え、吸血鬼が速度を上げこちらに飛んできた。

 撃つ。防がれた。一部分を蝙蝠に変え止めた。接近戦は暗殺者、ディーのようなスナイパーには不利。

「と思ってんのかよ!!」

 弓を上へと放り投げ、太ももに装着していたソードブレイカーを閃かせる。かち合う剣と爪。

 交差は一瞬。弓を放り投げた今を好機とみて今一度霧化する吸血鬼にディーは笑った。

「馬鹿が!!」

 取り出したるは先ほどの爆弾矢。ためらわずそれを手中で爆破させた。

 響く轟音。吸血鬼はまたもや実体に戻らされ、煙の中から退避する。

 ディーは自爆した。紙装甲に耐えられる爆発ではない。

 焦げた木の匂いに交じって肉と血の匂いが漂う。煙は晴れない。

 ぱきりと木の枝が折れる音。

 生きている。勘で吸血鬼が薙ぐとそこには半分焦げ骨が露出した腕が落ちていた。

 右腕。両腕がそろわなければ意味がない弓矢において最も重要な因子。

 それを欠いた今あいつは。

「――――!」

 そのとき、吸血鬼が本能で頭上を見た。木に寄りかかり、珍妙な体勢をした、白髪の狩人。

 ぎりぎりと弓を足で支え、片手で弦を引き絞っているそれが。

「ぶっ死ね」

 憎悪と殺意。モテてるやつをぶち殺す矢が放たれた。絶殺の一撃はしかし珍妙な引きのせいかどこかへと飛んでいく。

 あきれ吸血鬼がディーへと飛んだ。もはや彼に抵抗の意思はなく。

 五連爪が薙がれると同時、吸血鬼の体を矢が貫いた。

 ごふりと吐き出される血。なぜ矢が。

 驚きに染まり、落ちていく吸血鬼の視界の中、非モテの男が満足そうに笑う。

 いつからか、ディオファントスは放つ矢の軌跡を操れることに気が付いた。気付いたの理由は勿論何とか物理法則を無視した動きでリア充だけを殺す攻撃にならないかなと憎悪を込めてうっていたからだ。

「これぞリア充殺し……!!」

 そう言いながらずるりと足を血で滑らせ、ディーは枝で頭部を強打した。
















 やはり月を天上に輝かせた戦場で火花は散る。

 展開されているのは合計四つの戦闘音だ。近いのにそれぞれ独立している原因は一つ。

 相手の動きだ。互いに干渉しないような戦い方は白銀も付き合わざるを得ない。

 神代遺跡で始まった戦闘はすでに五分を経過しており、センジは飽きもせずにイズミ目がけて突っ込んでいく。

 ドレイクは執拗に食らいついてくる銀次郎に怒声を発し、L2とミサキは三人目のまったく想定していなかった冒険者を相手取っていた。エドガーは遺跡に蔓延る影と死体をクリスとアプリコーゼ、オブリーオを率いて競り合っている。

「お前のこと、見覚えあるな」

 正確には声だがとL2はいい、かざした手からフロストスピアを放つが宙に展開した黒い障壁が弾いた。

「えー、そうなの? てれちゃうなぁ」

 亜麻色の髪をした神祇官の女は見るからに男受けしそうな巫女服で舞うように戦っている。

「もっとテレていい、いや恥ずかしがってもいいぞ。私が覚えている理由はお前が逃げた女の声に似てるからだ」

「あぁ?」

 先ほどの声とはまるで違うドスの聞いた低い声で睨み返し、立ち止まる。走る氷をものともせず、手を払うと障壁が走り砕けた。

 五分の戦闘。それだけ続けばなんとなくわかることがある。

 この女のことは、ディオファントスとライザーのおかげでよく知っている。ブルーノが最近入ったことにより、飯に絆された二人は彼にギルドを追われた理由を喋っていた。

「数年前、男性関係で悶着起こして逃げたやつにそっくりだよ。そいつは数年大人しくしててつい最近戻ってきたらしい」

 そう、なんだったかなとL2はわざとらしく考えるように人差し指をこめかみに当てて、

「思い出した。私は詳しくないが、バーチャルユーチューバーだろ? ばれてるよ。性格がブサイクだ」

 酷薄な笑みで指をさして笑うと、女が、ミオが両手を勢いよく打ち鳴らした。柏手というにはあまりにも勢いがあるそれに応じ、L2の両脇に障壁が展開。打ち鳴らしの結果というように二つの障壁が一気に迫り、押し潰す。

 爆炎。ただ潰しただけではありえないそれにミオは舌打ちすると、振り向く。

「なに? なんでいきてんの?」

 L2は杖をつき、冷笑を浮かべた。

「わからないか。まあ当たり前だな、姫プ」

 ヒットの直前、ミサキの他者キャスリングによって、L2は彼のフェニックスと位置を入れ替えた。ミサキはどさくさに紛れ、エドガー達の救援にいったようにしているがここを離れてはいない。

 フェニックスは潰れた。この戦闘中に復帰はできない。

 穏やかではないミオの攻撃をL2がいなし、反撃していくのを隠れて隙を見ながらミサキはあたりを見た。

 ドレイクと銀次郎のタイマン。あそこはたぶん問題ない。先程からドレイクの怒声が響いており、銀次郎のタンクとしての腕が光っている。とりきれるかどうかは不安定だがどこか一角が崩せればあそこはとれる。

 崩せる可能性が一番高いのはセンジとイズミ。投擲武器と影の組み合わせが一番厄介でセンジは草薙を一本とられているが投擲との併用はできず、あいつはタンクのくせにアタッカーのような打点の高さも持っている。何より厄介なのは直感。策をめぐらせようともあれは察知できる本能を持ってる。

 エドガーたちは遺跡出入り口での戦闘だ。後衛回復がアプリコーゼしかいない状況で無数の影と死体を相手に出来ているのは彼女の腕のよさとクリスの過剰ともいえる二枚盾、エドガーの手腕だ。オブリーオはまあまあ。

 ここに先程までいたディーとライザー、ギルマスを入れてみるとほとんどがアタッカーだ。しかも物理より。

 バランス悪すぎる。クソだ。

 というのも急ごしらえのために仕方がない。

 ミサキは今隠れているがL2がああも動けているのは素なのもあるがいざとなればミサキの補助もあるからだ。なくても絶対動いているが、いるというのは相手にもわかっていてL2の他に隠れているミサキにも処理を裂かなければならず、現在位置がわからなければ警戒すべき箇所は増える。

 攻性をもった障壁の自在移動。攻撃も防ぐし痛手にもしてくる。厄介。しかし攻めは単調。L2の言う通りよしよしされてたんだろうし、攻撃は神祇官にはイレギュラー。できるうちの阿保がおかしい。

 後ろからブルーノたちが追いついてくる可能性は低い。ブルーノの腕は信用しているが、もってくるトラブルはそれ以上だ。

 そして、ブルーノが言っていたこの遺跡の中にいるといっていた異質な気配、影の主。

 真っ黒な服を着た、影を操る男は未だ姿を見せない。

 突然の介入の可能性を考えながら、ミサキはそろそろ期を図る。

 周辺マップを開くと、レギオンから外れ、向かってくる一団を確認。

「……何人かいないと思ったらそういうことか」

 かの銀髪乙女の演説を聞いていたのは何もミサキ達だけではなかったらしい。

 では、とミサキがヤタガラスを呼び出すと同時、遺跡が揺れた。

「っ、なに!?」

 ミオが視線をやった先、せり上がるように上空に広がったのは土煙と無数の土砂、木の残骸、ゴブリンやダイアウルフたちの残骸。

 視線を外した瞬間、L2は渾身の氷の槍を叩きつけるが、

「ちっ」

 事前に張っていた障壁が砕けただけに終わる。焦った顔が一転、ミオが嘲笑うような表情を見せるが彼女の横っ面をヤタガラスの突撃が粉砕した。

「よそ見するなよ」

 ミサキが三脚の鴉をうちこみながらも、広がる土煙とあたりを舐める様な突風の発生源を目で追ったが森の方向で見えない。

 何が起きてる。

「指揮を外れる!」

 エドガーが簡単に言い残すと石柱を駆けあがり、上からそれを見た。

「…………なんだと」

 珍しく驚いた様子のエドガーはわずか数秒その光景を信じられないかのように見て、はっと気づいたように降りた。

「何があった!?」

「山が斬られている」

「はあ!?」

 何をトチ狂ったのかとミサキが見返せば指揮に戻っていくエドガーの顔は真剣そのものだった。センジや銀次郎と言えば戦いに集中していて先ほどの轟音などなかったかのようだが、クリスたちは不安を覆い隠して戦闘に努めている。オブリーオは何かを言いたげにしていたが、エドガーの顔を見て押し黙った。

 何が、起きている。

 ブルーノが言っていた気配の正体か。改めて問う暇も無く、ミオが復帰する。

「死ね!」

「うわ過激!」

 向かってくる障壁をヤタガラスで潰す。障壁は並みだ。

 舌打ちと共に手を払うと連なるように障壁が連鎖した。

「L2」

「行くぞ」

 十を超える攻性障壁に二人の術師は意識を集中させた。






「あっちはすごいことになってるぜおい!!」

 ドレイクの声に銀次郎は眉根一つ動かさずに相対した。

 伸びたステータスの猛攻をすべて凌ぎ切り、不足した体力を削り取り回復していく。弾き、返す。返し型を銀次郎は今回採用していた。これ相手に攻めをできるのは初見ではセンジかエドガー、それにブルーノくらいだ。自分はそこまで賭けを打つタイプではないと騒ぐ血を適度に抑えつけながらカウンター中心に組み立てていく。

「つまんねえな、てめえは」

 無視。

「てめえみたいなのは殺しても詰まんねえ。もっと俺は上等な殺しがしてえんだ」

 殺しに上等も下等もくそも無い。

 眉を立たせると、ドレイクは嬉しそうに歯を見せる。

「不感症かと思ったぜ。猫野郎!!」

 重い打撃をいなす。叩き落すような斬撃を受けてなおドレイクの拳は無傷だ。相殺できているが相手にまで届いていない。返しは入っている。攻めきれないのはいい。成り行き上、殺人鬼と刃を交えることになったが、銀次郎はいつもと変わらず、しかし熱く刀を握りしめた。

「怒ってんのか? もしかして人殺しはいけねえとかいうタイプだったか」

 心底意外だとにやにやと男は笑う。

「人を殺して何が悪い!? なぁ!!」

「そりゃ悪いだろ。悪いもんは悪い」

「おお、口きけたんだな。結構だ」

 ドレイクはまるで舞台の中心に立っているかのように両腕を広げる。

「別によ、いいじゃねえか。誰殺してもよぉ。幸せそうなやつ、彼女いる奴、友達いる奴、嫌な態度とって来た奴、こっちのことを何も知らねえ奴とか、仕事してるやつ、今日が給料日の奴、今日が休みの奴、赤信号で止まったやつ、青信号で進んだ奴、右を向いた奴、傘をさしてるやつ、呼吸してるやつ、生きてるやつ、死んでるやつ、あっちがきらきらしてるやつとかよ、いいだろ? あっちが幸せなんだから、ちょっとくらい死んでも平気だ。幸せじゃなくても死ぬくらいいいじゃねえか。死んでも死ねねえんだ。何回でも死ねる、何回でも殺せる。大地人も冒険者も、俺は平等に、不平等に殺してやるよ。俺は痛くねえし怖くねえし楽しいからな。死んで良いやつもいるだろ、死んで喜ばれるやつもいるだろ、悲しむやつもいるかもしれねえな」

 だからよ、

「いいじゃねえか。誰を殺しても誰に殺されても、俺が殺しても変わりはねえ」

 腰を落とし、構える。

「尚更、お前は無視できないな」

「はぁ? おいおい、兄弟、お前んところのギルマスも人殺すの好きだぜ? 俺を許さねえなら兄弟も殺せよ。殺さねえとおかしいだろうが」

 銀次郎は思わず鼻で笑う。

 こいつは何も理解しちゃいない。

「ギルマスが好きなのは人殺しじゃない」

 あいつが好きなのは、

「その過程だ。笑えるほどお前の理解は低いんだな、猿」

 ドレイクの顔が固まり、一瞬の後に歪んだ。

「…………そうかい」

 ごきりと骨を鳴らし、ドレイクは般若が如き顔で銀次郎を睨み付ける。

「ぐちゃぐちゃにしてやるよ、クソ猫ぉ!!」

 怒声と共に二人は爆ぜるように駆けだした。

























「お前はここにいない」





「なんもないわ、お前」






 ああ、そんなことは。

 俺が一番、よく知ってることなんだよ。

















 だから。

 もういい。死なせてくれ。もういいだろう。

 死にたい。消えたい。死にたいとずっと思っていた。

 もういい。何もできないし、何もすることはできないのは痛いほどわかってる。

 ここでなら死ねる。ここで。

 ここで。あの女がいないのなら、ここで。

 死にたい。もう、疲れた。

 あの女の呪いはここにはない。















 どこかへと沈んでいく。

 赤い何かが視界の広がる。

 燃えている。

 燃えている。

 黒い何かが躍って、燃えている。

 地獄だとすぐにわかった。

 幾千幾万の焦げたそれらは手を伸ばし、もがき、助けを求めていた。

 怨嗟のたまり場だ。

 その中の一つがこちらに気が付く。

 お前。

 声が響く。

 どうして。

 どうして。

 声が連鎖する。死者たちは荒れ狂いこちらへとやってくる。

 どうして、あいつの息子が。

 生きている。



























 赤い校舎、黒い下駄箱、塗りたくられた影みたいになった少年が一人立ち尽くしていた。

 自分のネームプレートが書かれた下駄箱を開いたまま、じっと何をするわけでもなく見つめている。

 本来外靴が詰め込まれているはずのそこにあるはずのものはなかった。上靴のまま帰ろうかどうしようかと少年は考えていた。

 いや、実を言うなら考えてなどいなかった。

 あったのは諦念だ。

 しょうがない。これからずっとこういうのが続くのだろう。だから、今のうちになれておくんだ。

 しょうがない。

 しょうがない。

 そう思いながら、少年は目頭が熱くなっていくことを無視した。

 排斥。みんなの輪の中から弾かれた。

 自分はこういうことをされてもしょうがない。他人よりも悪いのだから劣っているのだから、だから、だから、許してくださいと。

 校舎に人気はない。なくてよかったとおもう。先生の手伝いを引き受け、送っていこうかと言われたのを断ったのはなんとなく。だけどこれでよかった。

 どうしようか。意味のない疑問を出す。考えるふりをする。じっと何もない下駄箱を見つめている。

 躊躇っている時間こそが最も無駄だ。お母さんには謝ろう。

 仕方ない。

 何分そうしていたか、下駄箱をきっちりと閉じて、少年は玄関へと足を向けて、そこに立つ少女に気が付いた。

 少年と同じ黒いランドセルを背負った、白い髪の少女。

 夕日に染まった中でも、その両目は浮いたように紅い色でこちらを見てくる。

「春、なんでまだかえってないの」

「遅いから心配で来たの」

 時間が遅くて危ないのは女の子であるそっちの方じゃないかと言おうとして、つかつかとこちらに歩いてくる春の気迫に負けて口をつぐんだ。逆らえない。

 一歩二歩下がってから、しまったと思った。なぜなら上靴だったし、なのに玄関の方を向いていたから春にはバレバレ。

 かたんと慣れた手つきで下駄箱が開けられる。

 靴はない。生えてくるなら歓迎していた。

「和人」

 隣のクラスで一番、いや学年で一番、いやいや学校中で一番かわいいとかきれいとか、人気者とか言われている彼女が、唯一下の名前で異性を呼び捨てにする。

 単なる呼び捨てだ。それでも、気にくわないやつはいるらしい。それはクラスの男子とかに限らず上級生とか先生とかまでにもいる。

 馬鹿らしい。彼女が思ったことは、なそうとしたことはすべてその通りになるのに、どうしていやがるのか。

 どんな大人もこれには知恵で叶わない。生意気なガキとか、子供のうちまでとかいうやつもいる。

 だが少年には、これが収まるとは到底思えなかった。

「靴は?」

「あけたらなかった」

 観念して言うと、春は息を吐いた。大人びた様子で、子供ならざる仕草で。それだけで少年はここにいるのが嫌になってくる。

「あなたには対してため息をついたんじゃないのよ」

 少し焦った様子で春が言うのでわかってるよと返すと微笑まれた。どうして彼女はおれのことなんか気にするのだろうとは昔から考えているがやはりしょうがないことだと諦めた。

「こんなことする人がいるのね」

 甘く見てたと春が呟く。

 どうなるかなんてわかり切ったことだった。

 たぶんこれからこういうことをする人間はみんないなくなる。

 一生だ。姿を隠した悪意は、匿名の暴言は、一切彼を責めたてることはなくなる。

 なぜなら彼女がそう望むからだ。彼女が指を動かす、それだけで世界は動く、変わる、何もかもが思うまま。

 非現実だとかありえないとか好きに言うならいうといい。

 彼女は、

 橋場春は、

 ここに存在しているのだから。

 否定したくても、出来ない。

 人はこういうものなんだとどこかに消えた靴で悟った。

 どうしようもないという存在を、少年は白い少女で悟った。

 何をしても、自分はどこまでも無意味だ。

 そして、その少女は僕に向かって振り向いた。

「赤いおじさん」

 紛うことなく、少女の両目は僕を見ている。

 あり得ない。

「サインがほしいなら事務所を通してほしいのだけれど」

 なぜこちらに気が付いて。いや、そもそもこれはただの記憶。

 ただの情報が、記録が、欠片が、自我を持ち、あまつさえこちらを観測するなど。

「そうじゃないなら――和人の記憶にお前如きが触れるな、偽物」

 少女が指を鳴らした瞬間、爆ぜた。













「っづぅ!!」

 突然の切断にカホルは呻きながら離れた。

 右肩の内側から爆ぜている。今のは。

「記憶……いや、共感子の欠片か!」

 魂が何もない男に付着していた。

 しかし、ただの欠片が自我を持っているなどあまりにも規格外。

 それほどまでに格の違う魂。結びつきが強い。

 あんなものが存在しているという衝撃。そしてそれと強いつながりを持っているこのブルーノという肉体。

 彼の魂にはなにもない。だが肉体にはこびりついたそれらがある。

 興味深い。だが次はないということは分かっていた。

 これは警告だ。次に干渉すれば容赦なくカホルは叩き潰されるだろう。

 このような不安要素、触れずにいるのが定石。だが、だが! カホルにとってこれ以上ないほどまでに魅力的な、素材だ。

 ならばすることは一つ。

 嫌な笑みを浮かべ、カホルがブルーノの腕を削ぎ落そうと掲げた瞬間、

「――――君、ほんまにかわいないわ」

 鈍い音がしてカホルの腕が落ちる。

 死んでいたはずのブルーノは、力を振り絞り動き出す。

 ブルーノ自身、何が起きたかわからない。死んだはず。死んだことはたしか。記憶を巡ったかどうかさえ分からない。身体の動きは悪く、ぎこちないし全体的にだるい。魂があたりに霧散している。魄も十分ではない。

 だがブルーノはつんのめるように動いた。

 思考は一瞬。焼き切れるようにほとんど消えたそれはただ一つ。

 殺す。

 右足に力を集中させ、跳ねる。想定外の動きにカホルの対応が遅れる。

 刃が届く。

 交差もまた一瞬だ。勢いのまま着地を取ることもできずブルーノはごろごろと柔らかい地面を転がり、木にぶつかり止まった。

 振り返り見た先にあるのは、傷を回復させつつあるカホルのみ。

 届いていなかった。

「くそが……」

 舌打ちする気力も無くただカホルを睨み付ける。そんな様子の男を見下ろし、偽物は醜悪に笑みを作り出した。

「残念残念。君のつけた傷も全部、ほらこの通り。無駄ぼ――」

 勝ち誇った顔は唐突に崩れた。切り落とされた腕が生えて、また落ちたからだ。

「な」

 驚愕の目で自らの腕を見つめるカホル。自身に起きた現象さえ欺瞞と変えることができる、はずなのに傷は回復せずに落ちた。左腕だけが。よりにもよって瀕死となったブルーノにつけられた傷が。

 なぜと満身創痍のブルーノに視線を向け、カホルは気が付いた。

 明らかにただの冒険者であるスペックを越えた古来種、レーナレプリカとの戦闘。体力が尽きても残る死体。何もない魂。身体に残る記憶。死から蘇った今とカホルの腕。

 すべて原因は一つ。

 彼ら冒険者が扱える代償など、典災が、監視者が、創造主が求める理由そのもの。

「共感子を既に扱ってるやと……」

 ムラはある。練度も程度もまるでなってない。そしてそれを自覚せず、無意識的に扱っている。

 危険だ。そこまで早く進化するこの個体は。

 だが、なおのこと、

「興味湧いてきたやんなぁ!!」

 今は満身創痍。好機とみて攻撃を繰り出す。二度目はない。

 攻撃が届く寸前、




 星の無い夜が落ちてきた。












『報告! レギオン左翼後方第二隊が突出し、進路を離れています!』

 大規模戦闘部隊の進行を無視する、後方とはいえ意味の分からない行動。報告を受けた高山三佐は眉を顰め、その隊のメンバーを確認し、滅多につかない溜息を吐いた。

 彼女の後ろにいたレイネシアはその様子に不安を掻き立てられ、声をかける前に振り向いた高山三佐に心配ありませんと先に声をかけられた。

「おそらくミロードが事前に仕込んでいたものです。だから後方隊をあそこだけ二重に……」

「あの、えっと……何が起きているのですか……?」

 姫が問うと、平素より少しだけ眉をひそめて、高山三佐は言った。

「退屈嫌いののプレゼントです。白い髪の、かわいくはない者たちです」

 意味を図りかねたレイネシアは首を傾げ、更に聞こうとしたとき、目の前の戦場から新たな光が瞬いた。

 狂戦士は、進み続ける。
























 ドレイクと銀次郎の激突は、かなうことはなかった。

「あぁ!?」

 踏み込んだ足先から白い茨が生えてきて、殺人鬼の体に絡みつく。

 付与術師。ソーンバインドホステージ。

 乱暴に千切ろうともがくドレイクに侍の痛打が突き刺さる。

「クソ猫ぉぉ!!」

 怒りをものともせず銀次郎は四連斬。五つの茨が弾け、斬撃の分も合わせてドレイクの体力を赤く削るが、足りない。

 返しの一撃が鋭く放たれた。必要経費と覚悟したそれは銀次郎に届く直前、揺らぎのような障壁によって阻まれた。飛沫のように砕け、辺りを照らす。

「悪い、待たせた!」

 言葉とともに銀次郎の背後へと二人の白髪が降りた。付与術師と神祇官。予定外のメンツに、銀次郎は目を見開いた。

「水蓮に出雲か!」

「俺らだけじゃないさ」

 遺跡に迫る影と死体たちに応戦しているところへと、木の根がうねり敵を絡めとった。そこに走るのは盗剣士による広範囲斬撃。弱っていた影はまとまって削り取られた。

「り、リシア!」

 オブリーオの嬉しそうな顔はしかし後から嫌そうに出てきたカロスによって無となった。

「……なんでお前が一緒に!?」

「僕はレイネシア姫をもう少し近くで見たくて来ただけだ。戦うつもりはないのにどうして僕が……」

「いいじゃんいいじゃん、かろりん。一緒に演説聞いてここまできたんだしさ」

 なぜ明け方に二人でいるのかなどという思考がぐるぐると回る。

「俺の、知らない間に二人が……なんで……? どうして……?」

 オブリーオが馬鹿になったのでクリスが前に出た。カロスの参戦により、コーゼの余裕ができいつものヒールワークに戻っていく。

 クリスの体力に余剰が生まれると、エドガーが速度を上げた。伝達のために飛ばしていた声が少なくなっていく。昔のようにだ。

 昔の白銀の頂。エドガーをギルマスとして暴れまわっていたころ、一糸乱れぬ連携へと変形した。

「うわー私これやなんだよね、窮屈でさ」

「でも今はこれしかないですよ」

 死体の攻撃を弾き、盾で押し潰しながらクリスが言う。えーんと泣き真似をするコーゼは文句もあるがブランクを感じさせないほどに術を打ち込んでいく。

「ふっ、懐かしいではないか。あの頃のように行くとしよう」

 かつてレギオンレイドさえ率いたことのある暗殺者は不敵に笑い、影と死体を切り裂いていく。

 展開された障壁が氷と炎によって砕けていく。

「っ、なめやがって!!」

 ミオの苛立たしげな声とともに追加された障壁は跳躍した狼によって蹴り壊された。

「っと、遅れてすまないね」

 軽い動きで着地したkyokaはいつものように気負わず舞う障壁を蹴り落としていく。

 攻性障壁は動くといえば度それらはすべてミオによる制御だ。数を増やせば増やすほど精度は落ちていくし、そもそも。

「下手くそだね」

「この!!」

 追加が来た。

「これなら援軍はいらなかったかな」

 しかし、セイレーンが生み出した水流によってすべて叩き潰された。

「……ば、かな」

 水流はL2の生み出した冷気によって凍り、砕けるとミオに降り注ぐ刃となる。

「ふざけ」

 眼前へとそれが迫りくる。絶対的な死という奴が。

 障壁は間に合わない。






 前触れもなく、エドガーの背筋に危険が張り付いた。





「避けろ!!」



 激突の寸前、エドガーが叫び、







「――――――!!!」






 遺跡ごと薙ぐ斬撃が走った。




















 カホルとブルーノ、対峙する二人の間に影が落ちる。

 落ちた影からやはり黒い男が飛び出し、迫るカホルへと影がうねった。

「んなっ!」

 影は薄く鋭く。しなり、切り裂こうとするが直前で弾く。

「お前は……」

 ブルーノが息をのんだ。

 こいつは、この影は。

 センジが遭遇した、ススキノでのあの影。

 黒いシャツを着こんだ男はやあと気軽に手を上げ、微笑んだ。

「随分ピンチだったね。間に合ってよかった」

 やけになれなれしい様子の男はブルーノに手を貸し、立たせた。困惑したままのブルーノはなされるがままに立ち上がり、よろけたところを影に支えられる。

「どうした? そんな鳩に豆鉄砲浴びせたみたいな顔して、兄弟」

 ずきりと頭が痛んだ。何かがこじ開けられるような感覚。

「お前……俺のことを知って……!」

「当然だろ?」

 にやりと笑った男はそうして後ろに手を掲げた。

 響くのは硬い金属の音。カホルが接近し、攻撃を仕掛けたのだ。

「なんや、君。いや、君ら」






 切り落とされた遺跡が沈み、土煙を巻き起こす。

 その中で、誰もが固まり、斬った化け物を見ていた。

 そこに立つのは白い髪を伸ばした貴族のような恰好をした吸血鬼。

「おやぁ? こっちに彼はいないのか。残念だなぁ」

 せっかく会えるのかと思ってたのにと吸血鬼は肩を落とす。

 イレギュラーの中のイレギュラー。

 こいつは、このスペックは。

 示されたステ―タスはばかげたランクを示していた。

 フルレイドランク。

 そんな化け物が喋り、あまつさえふらふらと徘徊していた。

 ありえない。

「貴様……何者だ」

 エドガーの問いに、やはり吸血鬼は笑った。






 予感はあった。

 ブルーノが感じてた気配。

 遺跡の先にあるもの。それが単一だとは限らない。

 これらこそが、ブルーノが探していたもの、ブルーノを探していたもの。





「オレはヴィルヘルム」



 悪魔のようにいやらしく黒い魔人が笑う。




「僕はバートリー」



 吸血鬼は道化のように優雅な一礼を。











「我らは才天。とるにたらない、人間未満さ」







 二つの怪物は同じような口で、同じ言葉をしゃべり、その姿を彼の元へと現した。

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