三章 命の終わり(下)

第7話 ×人の目覚め









 ミニライブは盛況のまま終了した。

 レーナは主催してくれた関係者たちに礼を告げたりし、未だ騒ぐ彼らからそっと離れる。

 酒場に残っているものの中に白髪を見つけて、おやと思うが何も白髪ばかりが白銀ではない。どこか聞き覚えのある歌声を響かせていた吟遊詩人は足早に奥の席へと入っていった。

 あちらと比べると気分は楽だった。人は少ないが、その分だけ観客の顔は見えてしまう。興味のない人間も、自分のことが嫌いで顔を背ける人間も、食い入るような人間も。

 舞台上に立たずともよくなったが、やりたいからやっている。一か月前、改めてやるかどうかを聞きに来たエドガーにやると答えた以上、半端はできない。

 頻度は下がったが、それなりといっていいだろう。

 外に出ると、夏にしては涼しい夜風が吹いて来た。

 マイハマより二時間はなれた街、ブランシュ。大地人が暮らす街はマイハマの影響を受けており、今回のライブもそのことも影響していると聞いている。

 アキバに暮らしているなら七割の人間が耳にしていることだが今円卓会議は自由都市同盟イースタルとの会談のために数人をマイハマへと送り出していた。

 偽物を、いやもう一人の自分ともいえる彼女の遺体を持ち去られてから一か月。あれからこちらでもレッスンを受けたりと忙しかったりして、白銀の頂と連絡は取っていない。

 これが従来だとエドガーは言っていた。はみ出し者たちはみんなの中にいれる人間と積極的に絡むことはないという。やはり例外はある。基本白銀は馬鹿だから。

 関わりはなくなっていくのだろうかと考えていると、目の前から男がやってきた。

「よう、あんた、見覚えあるな」

「え、あ、あの……どうも……」

 急に話しかけられたレーナは身をすくませながらなんとか応じた。まだこうして話しかけられるのは慣れていないし、これからも慣れることはないだろう。

 肉食獣のような気配を纏っている男だ。ぎらぎらとした笑みは白い歯を見せている。なんだろう、なにか、どこかで覚えがある雰囲気。肉食獣という雰囲気ではない。

「ああ、思い出した! Vtuberだな? あっちじゃたまに見てたよ。俺ぁ、あんまり詳しかねえが応援してる」

 接近する。腕を伸ばして、握手を求められる。

 近づけば近づくほどに何か思い出しそうになった。

 立ち振る舞い。こつこつと響く足音。歩幅。雰囲気。笑み。

 笑み。

 ブルーノ。

「その、えと……」

 ブルーノと似ているのだ。

「ありがとう、ございま」

「お前何してる」

 手が触れそうになったとき、白い声が響いた。

 ぴたりと両者の距離はそれ以上近付くことはなく、止まる。

 振り向くと、ブルーノがいつも通り機嫌悪そうにこちらを睨み付けている。

「ブルーノさん……? どうしてここに」

「ミニライブ見てたんですよ。うちのがいたんでね」

 七市ってやつですと付け加えると、レーナはあ、と声を上げた。

 終わってすぐに奥の席にいっていた白髪だ。

「歌手やってたって聞いてたから聞きに来たんです。そうしたらレーナさんがいて、なんか嫌な予感がしたので」

 ついと視線をずらして、男においと言った。

「俺の縄張りだろ」

「兄弟」

 満面の笑みを浮かべ、両腕を広げてハグを男は促した。

「答えろよ」

 が、彼は一切取り合わない。互いに知り合いのような雰囲気。男は好意的に、ブルーノは敵対的だ。この二人は、なんだ。

「確かに俺たちゃ不可侵つったけどよ。ここは俺の縄張りだぜ」

「はぁ? 俺が歩いてんだろ、今、ここで。俺の目の届く範囲だろうが」

 さっさと帰れ。

「その人に近付くな」

 明らかな敵意を向けて、ブルーノは吐き捨てた。

「つれねえな」

 にやにやと先ほどよりも楽しそうな男はじゃあどうするかなとレーナとブルーノを交互に見る。

「俺の趣味はお前と同じだ。いいだろ? ああ、もしかして」

 兄弟の獲物か、といやらしい視線よりもはるかに恐ろしいものを向けられて、レーナは身をすくませた。

「そういうのじゃない。別ので我慢しろよ」

「いいや、ダメだ。そういうのじゃねえならいいだろ。そういうのでも尚更良いけどよ」

 つまり最初から、

「約束を守るつもりはねえんだな」

「おいおいおいおい、先に破ったのはどっちだよ」

 ん? と訊ねる男を無視して、ブルーノはレーナの手を取った。

「逃げて」

「え? え?」

「早く」

 戸惑っていたレーナはその目を見て、こくこくと頷き、足早に去っていく。その背中を見送ることなく、男と向かい合う。

 歌手の七市にメッセージを飛ばして保護を任せる。それを終えると、舌打ちした。

「俺は、兄弟とも殺り合いたかった」

「どんだけイカレてんだよ、殺人鬼」

 男は獰猛な笑みを濃くし、構えた。徒手空拳。武闘家。

「俺とお前の仲だぜ? 隠さなくていいじゃねえか、ブルーノ」

「いっぺん死ね、ドレイク」

 対峙するブルーノは不揃いの両剣を抜いた。二刀流。盗剣士。

 この頃、アキバ近辺ではあるうわさが流れ始めていた。

 殺人鬼の噂だ。ブルーノは以前から犯人を知っていた。そういう癖を持っていると最初から分かっていた。でもそれは関係なかった、今この瞬間までは。

「前から聞きたかったんだけどよ」

「あ?」

「好みの女のタイプは?」

 何言ってるんだこいつ。心底呆れと侮蔑の表情を隠すことなく余すことなく作り、ため息をはきながら頭を掻く。そして掻いた方の手を考えるそぶりをしながら懐に入れた。

「優しい人だ」

 瞬間、ドレイクはくっと身を折って笑いだした。そして空を見上げ、歓喜する。

「俺も優しい女が傷つくのは好きだ……好みが一緒だな、兄弟……!!」

「一緒にすんなや。まるきり違うじゃねえかよ」

「いいや、一緒だ。お前も穢したいタイプだろ?」

 にやにやとした笑みを見て、ブルーノはふっと笑い返した。

「ぷっ」

 何がおかしいのか、ドレイクが笑いだす。

「く、ははっ! はーっはっはっはっはっはっ!」

「ふふっ、ははは! ははははははははは!!」

 ブルーノもつられ、両者は先ほどのにらみ合いなど嘘のように笑いだした。

 はーあ、と眼尻の涙を拭い、ブル-ノは満面の笑みから表情を削ぎ落とす。

「ちげえに決まってんだろ、ドクズ」

 言うなり、互いの姿が一瞬かき消え、

「――――――!!!」

 激突した。

「いいねぇ、いい殺意だ! 殺るからにゃ楽しもうぜ、兄弟!!!」

「てめえとは穴でもなんでも兄弟じゃねえよクソ野郎!!」

 剣と拳がぶつかり合い、歪な音を立てる。

 ドレイクが踏み込み、押し出そうとするが寸前でブルーノはサマーソルトのように切り上げ回転。着地と同時に拳を叩き込もうとするが、懐から抜き出された銃口がドレイクを狙っている認識し、身を退いた。

 ぱん、と軽い音がして撃ち出されるのは一条の光だ。十メートルほど斜め上に抜けてから、あたりを昼間のように明るく彩った。

「四十秒」

「あぁ?」

「うちの馬鹿たちが駆けつけてくる時間だ。さっさと尻尾巻いて逃げろ負け犬」

 聞いていたドレイクはふっと吐き捨てるように笑って、額に青筋を立てながら拳を構えた。

「逃げるよりいいことしてやるよ。三十秒でお前を殺して、十秒ストレッチで来た奴らぶち殺してやる」

 面倒くせえ奴だなとブルーノは再度構え、二人は再びぶつかり合った。












 L2が開発した閃光弾ははぐれたセンジ用、もしくはセンジに知らせるためのもの、ついでになんらかの理由で危機に陥った時を想定されたものだ。いまだ試験段階で、耳がいいセンジのために音を大きくしてはどうかという案も出ているが馬鹿には音の反響で大体がわかるような気もする。

 次撃が噛んだ時点でドレイクは覚えていた違和感を確信に変えた。攻撃がいつもと同じように機能していない。普段なら相殺の上からでも容赦なく削り取るはずの攻撃が確実に打ち消されている。その手ごたえと素早さに内心歓喜しながら、拳をさく裂させ、前に出た。

 迫る攻撃を凌ぎながらブルーノは断定した。ドレイクの動きは明らかにレベル90では到達できないものだということにだ。以前の正体不明、カホルのようなものかと思うがそれは違う。気配からして冒険者だ。前に出てきたドレイクをけん制し、ブルーノもまた距離を詰める。

 剣と拳、舞うような乱舞から接近した互いは高速のドッグファイトへと移行した。間合いの内側にもぐりこまれる危険性がある剣という武器において危険なそれはブルーノの立ち振る舞いにより補われている。三次元的な動きを地上戦に用いたそれにドレイクはまたもやボルテージを上げる。

 最高だ。最高過ぎる。こんなに楽しいのならば、もっと早くぶち殺せばよかった。

 楽しむドレイクとは反対に、ブルーノはいつもと変わらず不機嫌そうな顔を維持しているが、口の端を釣り上げている。

 面白い。そう、殺し合うことは面白いし、傷つけあうことは楽しい。

 戦いは、こんなにもひりひりとした感覚を味合わせてくれる。

 酔うことなく、身を任せるように攻撃しながらもブルーノはそれに気が付いた。

 ドレイクに表示されている妙なアイコンだ。こうなってから、戦闘中にこめかみのあたりを集中させ、相手のステータスなどを把握するなどといった酔狂もしくは高度なことをする者は少ない。少ないだけでいないわけではない。ブルーノがそうだ。

 彼が見たのは赤々とした武闘家をイメージしたアイコン。見たことのないそれは一つの結果をもたらす。

「口伝か」

「正ッ解ッ!!」

 口伝。特技を越えた技術体系。組み合わせや解釈などにより、一か月前より囁かれていたそれはブルーノにとってひどく身近なものであった。災いの世界しか知らず、あちらの技術と不可思議な記憶喪失という特異な状態にあるブルーノは型を破っている。

 そんなものが近くにいるおかげか、以前からの適正か白銀の頂は隣に走るライバルに追いつくように自らの技を研鑚していっている。

 速度と威力からして強化されているのはステータス。先程から特技を使っていないのは口伝のためだ。

 ドレイクの口伝は特技を使用不可とする代わりにステータスを底上げするものだ。

 特定行動に対する縛り。自分に対する縛りによって身体能力を強化する。

 名前はない、必要がないのだ。わざわざ名前を叫んで起動するのなんて馬鹿か連携のためか示威行為だろう。

 だからというように距離を詰め、殴打する。二倍近い倍率を持った打撃はモンスターのように敵をえぐるはずだが、ブルーノには通りが悪い。

 すべての攻撃を回避、弾き、相殺しながらブルーノは戦闘を続ける。

 こちらの手数は多い。それらを使い凌ぐ。あちらに口伝があるように、こちらにも似たものがあるのだ。

 特技の拡張、拡大解釈。言ってしまえばそれだけのものだが通常に知識があればあるほどに初見に刺さる。だが言ってしまえば初見ではなくなればつらい。

 短時間戦闘。タイマン。ブルーノにとっては苦手な状況。だから時間稼ぎへと持ち込もうとしても、

「ハッハァー!!」

 攻撃が叩き込まれる。底上げされたステータスに馴染んだ動き。ブルーノがそこらの冒険者に何とか優位をとれていた、体の馴染。もはや三か月近く立った世界では無意味なものとなっている。

「おいおいおいおいおいおいおいおい、そんなもんかよ、そんなもんなのかよ、えぇ!? 兄弟!?」

 連打。左右から叩きつけられる殴打に思わず防御態勢に入ってしまう。くそ、と悪態をつくも遅い。このタイプに守るのは不利。

「俺が! 思ってた! 兄弟と! 動きが! ちげえ! もっと! 枷を! 外せ!!」

 一単語ごとに重い打撃が叩き込まれる。揺れる上体を引き寄せるように倒れ込むことがないように調節された殴打はついにガードをすり抜けた。

「兄弟、ブルーノ、なぁなぁなぁなぁなぁ!! 頼むぜ、おい……」

 胸倉をつかまれて揺らされるも、痛みでそれどころじゃない。

 ああ、くそ。やはり、

 やはり。

「俺と、お前は同じだろ……? 楽しませてくれよ、イカレてくれよ」

 抑制された痛みではなく、正真正銘の痛覚がブルーノにはある。痛いのは嫌いだ。いかれるなんてまっぴらごめん。

「悪いが、無理だ……そういうのは、」

「いいや、まだだ。兄弟。俺は兄弟を、見捨てねえ」

 拳が振り上げられる。

 顔面に叩き込まれる寸前、ぽとりと落ちた。

 ドレイクの腕が落ちた。

「馬鹿に任せる」

「よーう、随分楽しそうだなァ」

 響くのは下駄の音。たなびくのは派手な桜色の紋付き袴。ぎらぎらと輝いているのは抜身の太刀だ。

「まだ二十秒だろうが……!」

 ドレイクの焦った声にこともなげにブルーノが答える。

「悪いな、平均四十秒だ」

 つまり、まあ、早いやつもいる。たとえば二十秒でどんな時でも駆けつけてくるもはや呪いのアイテムみたいな武者とか。

「うちの大将に何してくれてんだ、糞野郎!!」

 雷を思わせる怒声が響くより先に斬撃が飛んだ。そうとしか思えないほどに早い一撃がドレイクの体に叩き込まれる。

 死神、センジ。白銀において一番強い馬鹿。

 ご、という音と共に突っ込んだセンジは防いだドレイクを確認せず次の一撃を繰り出した。それをなんとかドレイクは避け、器用に建物の屋上に飛び上がる。

「逃げんのか?」

「俺だって逃げたくねえさ。弱いままの兄弟のことが気がかりだ。でも邪魔な奴がいるもんでな」

「あぁ?」

 ぶちっと血管が破れる音を間近で聞く。センジが切れたのは自分のことではない。ブルーノが侮られたことだ。たとえ実力が本当になくとも馬鹿にされれば切れる。

「ッとぉ!」

 黒く塗られ月夜に紛れ込む矢がドレイクに弾かれた。ちっとどこからか舌打ちが響く。

「ここまでか。次に会う時まで他の奴に殺されんなよ、兄弟」

 最後までにやついた表情の男はふっと夜の中に消えていった。

「平気か、大将」

 差し出される手を大人しく握ってブルーノは起き上がる。

「助かった」

 あーあと溜息を吐いて、

「他の奴……?」

 と、苦笑いを浮かべた。




















「あーらら、失敗しちゃった」

 自らの拳を血に染めたドレイクの前に一人の少女が現れる。

「あぁ?」

 苛立たし気にそちらに目を向けたドレイクの両手の甲は、骨が露出していた。剣と打ち合って平気であるはずがない。

「んだよてめえかよ。さっさと消えろ」

「うーわ、つめた。余裕なさすぎ、誰かにフラれたの」

 くすくすと笑う少女に殺人鬼はためらいなく腕を振るった。派手な破砕音が響き、レンガが割れ木箱の欠片がばらばらと錯乱する。

「そんな怒らないでよ」

 ふわりと少女は後ろに着地すると同時、弾丸のような後ろ蹴りがめり込んだ。

「失せろ」

「怒んないでってば」

 ったく、と肩をすくませる少女は無傷で、男の脚をいつの間にか持っている短剣で防いでいた。

「次は私ね」

「兄弟に手出したら殺すぞ」

 言葉だけなら感動ものだが実際を見ればまるで感動できない。

「依頼だからね。文句あるなら彼に言いなよ」

 ドレイクは言葉を無視して、そのまま歩き出す。

 先ほどまでのハイテンションが嘘のように不機嫌な背中を見て、少女はため息をはいた。あんな厄介なのが同じ標的を狙うのはひどく面倒だ。どうせならさっき殺しておけばよかった。

「俺は俺のために兄弟を殴る。邪魔したらてめえも、てめえの上も殺す」

 振り向かずに吐き捨てた言葉に少女はべっと舌を出す。

 背中が見えなくなったとき、うんと背伸びをした華奢な少女は笑った。

「じゃ、そろそろ。お仕事しよっか」






















「どうだった?」

 問うた先、息をつきながら入ってきたやはり探偵の白髪が椅子に腰を下ろす。

 ブランシュの宿酒場。日中は宿泊客にしか営業を行っていない店内には客の姿も店主の姿さえなく、代わりに白銀の頂の人間だけが当然という風にたむろしていた。

「とりあえずなんか飲ませて」

 そう言ったシャムズにブルーノは適当に注いだ珈琲を渡した。

「ブラック?」

「うん」

「ごめんミルクちょうだい」

 はいと渡すと礼を言いながらコーヒーにミルクを入れる。白と黒がまじりあってなんとも言えない色に変化していく。それを一口飲むと、彼は話し出した。

「殺人は一か月前から出始めた。死者は三十人程度」

「三十人? そりゃまたハイペースだね」

 ミサキが驚く。一日一人、これはとんでもない。趣味にせよ習慣にせよなんにせよ、それだけやれば派手でいろんなところに目につく。

「ま、一人じゃないからな」

「だろうな……」

 ドレイクの去り際の一言。うんざりするような考えの正解でブルーノはため息ばかり出続ける。ガトリングガンだ、毎分六百発。

「分布は大まかにアキバより東。さすがに統治機構の傍ではない。殺害方法は一人は刃物による殺傷、もう一人は」

「主に殴殺」

「そ。一人は殺し方が綺麗で一人は殺し方が汚い」

 間違いなく汚い方はドレイクだ。あの口伝と性格から間違いない。

「綺麗な方は間違いなくプロだ。狙われてるのはアキバの貴族やら権力持ってる人間。簡単に殺せてるから間違いなく冒険者」

 依頼による殺人。現実できけば鼻で笑っておしまいなそれは確かに存在を見せてくる。殺せるんだから、それを稼ぎとするのも当然だろうとブルーノは考えた。

「……シャムズって浮気調査でエルダーテイル始めたけど小説みたいな依頼あったの?」

「ない。基本猫探し、尾行。人が死ぬのはちょっと……」

「じゃあなんで探偵の勘みたいに言ってたんだよ……」

「い、いいだろ。同業に小説に出てくる探偵みたいなやついたんだよ!」

 しらっとした視線を向けられるがシャムズは抗議する。

「本当だ。江戸川っていう……」

「わかったよ。続けてくれ」

 疑わしい視線を向けられながら、渋々話を再開する。

「汚い方。ギルマスの……知人、でいいんだよな」

 うん、とブルーノが頷く。

「ていっても数度酒場で飲んだだけだけど。間違いなくあれは人殺しだ」

「根拠は」

「臭いと立ち振る舞い。あと昨日襲われたから」

 もっともな証拠にミサキはまあねと苦笑した。

「知ってることはなんかある?」

「くだらないことばっかだな。家族構成とか馬鹿話。あとは俺と癖が同じだろみたいなやつ」

 癖? と聞き返すとやはり面白くなさそうにブルーノはいった。

「殺人癖だと」

 ふっと鼻で笑うのはミサキだ。シャムズも苦笑した。

「いやいやまさか」

「ぷっ……」

「ギルマスはそんなのじゃないだろ」

 そんなのが似合うタマじゃなくて悪かったなとブルーノが拗ねた。

「あーもううるせえな。あいつが勝手に言ったことだぞ」

 笑いをかみ殺すのを無視して続ける。

「刃物の方が理由ありきなら、間違いなくドレイクは理由なしだぞ。完全に趣味で思いつき」

「思い付きならもっと早くに身元ばれてるだろ」

 被害者の中には冒険者の名前もあった。

「何かあったんだ。記憶を阻害するような、何かが」

 突飛した考えだが、その場にいた誰もが否定できなかった。

 もう、すでに目にしているのだ。エルダーテイル以外の何物かを。それに準ずる、あるいはそれそのものが関係しているのなら、ありえないなんてことはありえない。

「ああ、そうだついでに」

 沈黙が降りた場にシャムズは一つ付け加える。

「離れた場所ではあるが少年たちが失踪した後、モンスターの生息域で遺体の一部分が発見されるという事件が起きてる」

 事件? と首を傾げると、探偵は確かに頷いた。

「どうにも臭う。必ず身元が分かるようなものを身に着けて発見されるんだぞ? モンスターという不確定に襲われて」

「確定するようなものを身に着けて死ぬのはゲーム時代のクエストでもあったことだろ」

 形見を取ってきてほしいだとか、かたき討ちをしてほしいだとかのクエストだ。しかし、ゲーム時代のもの。

「確認した場所でそんなクエストはない。おかしいんだよ」

 ならば、と考えたとき、ブルーノが身震いした。

「――――」

「大将?」

 様子にいち早く気づいたセンジが声をかけるが、彼は応えず、そして。

「来た」

 ばん、と扉が開かれた。

「襲撃だ! 影みたいなモンスターが街に来てる!!」

 ディオファントスが叫ぶ。

「規模は」

「わからない。とりあえず報告を……」

「わかった。行くぞ」

 迷わずブルーノは立ち上がる。センジも残りの御飯をまとめて平らげ続いた。

 影。

 ススキノ。

 確信に近いものを抱いて、白銀は外へと踏み出した。















 ざわざわと動き出す。

 腐った匂いをまき散らしながら、筋肉も半ばとれたゾンビや骨の兵士が現れる。

 続いて姿を見せるのは影たちだ。ぬっぺりとした平たいそれらは影人。そしてナイトシャドウ厚みを持たない騎士はがしゃがしゃという音を伴う。

 ブランシュの路地に、道に、屋上に、彼らは前触れも無くやって来た。街になんなく侵入している彼らは蠢き、狩りを始める。

 悲鳴を上げる大地人に襲い掛かり、鮮血が飛んだ。ゾンビに殺されたものは死体に、スケルトンに殺されたものはやはり骨だけになる。

 影に殺されたものは影へと沈んでいき、異様な光景を映し出していた。

 この付近に精霊やアンデッドなどが発生するゾーンはない。マイハマに近いここは初心者向けのレベル帯となっている。こんな者たちはたとえ夜でさえ、見かけない。

 親子が走る。背中に剣を振り下ろそうとしたスケルトンが撃ちぬかれた。ディオファントスだ。

「逃げろ!」

 母親が子供を抱えて逃げていく。ディーに続いて駆けていくのはブルーノたちだ。

「どうなってる!?」

「知らねえよ! とにかくこいつらが急に湧き出した。街の住民はうちのが今呼びかけに走ってる」

 白銀のメンバーは先ほどの襲撃で十名程度、夜の中こちらにやってきていた。すでに三時間経過しており、察知能力が高い奴は集まっている。

 ブルーノはフレンドリストを見てきているメンバーを確認。機動力があるやつらを遊撃に回し、ディーとライザーの二人を中央の高い塔に配置し狙撃と報告、その下にクリスとコーゼを置く。

「残りの奴らは街に展開しろ。無理するなよ」

「ギルマスは」

「俺も遊撃だ」

「いや留守番だ」

 な、と口を開く前にライザーが後ろから現れてギルマスに組付いた。

「おい!」

「殺人鬼で気が立ってるのはわかるけどよ、今狙われてるんだから待ち構えたほうがいいってのは分かるだろ」

「いつも動きたくないくせにこんなときばっか動くなって」

「おい離せ非モテパ!」

「なんだとてめごらぁ!!」

 わぁわぁ言いながら離れていく阿保三人を見送るミサキの横にL2が飛び降りる。

「どうだった、エル」

「指揮官は見当たらなかった。塔に上がれば見渡せるだろうがそうするにはまず足元を払わなければ見落としが怖い」

「まずは殲滅か。いつも通りだね」

 頷くL2はふと気が付く。

「センジは……行ったのか」

 見ればついていたセンジの姿はない。ブルーノの方に行ったかと思うもあれが大人しくしてられるわけもないし、動くにもうるさく宣言することが多い。

「嫌な予感がするな」




















「こんばんは」

 戦闘区域と化した街中、展開していたオブリーオは脚を止めて振り向いた。後ろにはリシアがいた。今ここでかっこいいところを見せるチャンスだ。

 リシアがいるはずなのに、そこにいたのは華奢な少女。ニコニコと笑っている。

 かわいい子だった。細くて、守ってやらなきゃなんて思うようで、スカートが短い。ニーソである。

「ブルーノっていう人を探してるんですけど、知りませんか?」

「知らねえ」

 教える義理も無い。こんなに血の匂いをさせている外部の人間には、うまい飯を作るギルマスのことなんか教えてやらん。短剣を構え、ためらわず切り捨てるために踏み込んだその一歩の前に何かが放り投げられる。

 弧を描いて落ちてくるのは丸くて赤くて白い何か。

「リシ――」

 途端、ずるりと視界がずれた。身体に走るのは鋭い耐えきれるほどの痛み。しかし痛みが走る位置がやばい。

 ぬるりと血が滴り、膝から崩れ落ちた。

 斬られた。あの位置から、切り落とすような威力で!?

 そんなもの一刀両断程度でしか見たことがない。女は軽装。振りかぶるようにきらりと見えたのは明らかな短剣の輝き。武器攻撃職。

 ごんと目の前にリシアの首が落ちた。悲鳴を飲み込み、なんとか彼女の上に倒れまいと腕をつき、膝で前に行く。

「ただでやられると思うなよ……!!」

 懐に手を突っ込んだが、また短剣がひらめく。否、閃いてない。見えたのは黒い影。薄く伸びる黒。

 影。

 思い出すのはギルマスが言っていたススキノのぶれる影。

 来た、と二つの意味で思うなりオブリーオの首が飛んだ。

「はい終わり」

 まだ意識を保っている首は宙にいながら少女を睨み付け、べっと舌を出す。

 負けたのに何をと思っていると、引き抜く音がオブリーオの体から響いた。脳裏をよぎるのはブルーノの使った照明弾。それに準じるものを懐の中で作動させた。

 だがそれは服の中で炸裂し、軽い破裂したような音とくぐもった光とオブリーオの服を焦がした程度。これくらいならばこの町で応戦する妖術師が扱う魔術反応と大差ない。

 しょうがないから探すかと少女がすでに息絶えたオブリーオの首に近寄った。生首はそれだけヘイトをあつめる。逆上するには事態の理解が必要だ。それまでの一瞬、視線を集めるだけでいまの少女は同業を殺せるには充分。

 影を揺らめかせ、一歩進んだとき、それがきた。

 落下してきたのは白。桜色の派手な羽織を身に着けた、金色の瞳を持つ。

「よう」

 白い、白い武者。

「っ!」

 女が短剣を振るうとセンジが足を振り上げ、振り下ろした。すさまじい音が響いて、地面に亀裂が走る。

「影か」

 踏みつけたし先にあるのは蠢く影。勢いを失いすぐに霧散していく。

「反応するってやばいじゃん……」

「やばいのは人殺すお前だろうが!」

 まっとうなことを叫んだ武者が前進した。

 それをひらりと避けた少女が笑う。

「あなたみたいな乱暴な男の人タイプじゃないの。だから、失礼させて」

 飛ぶ。

「もらうわ」

 軽やかな動きだ。盗剣士や暗殺者のように素早い。三角飛びの要領で屋上へと飛んだ彼女は不意に重力を失う。

「え」

 がしりと、少女の足首を一つの手が捕まえていた。

「言っておくけどなぁ」

 そのまま勢いよく地面へと叩きつけられる。まともに地面の味を味わい、女は咳込みながらそいつを睨み付ける。

 凄まじく早い。いや、予測していた。逃げることを。

「俺は男じゃねえ。めんどうくせえけどよ。俺は、俺だ!」

「……なるほど、簡単な仕事じゃないわね」

 ようやく本気で女は短剣を構える。

「大将は殺させねえよ、ぶっ殺す」

「出来るかしら」

 女と馬鹿は互いに一歩踏み込んだ。
















 高い塔の上にディーが顔を出した。

「よしよし大丈夫そうだな」

 鐘も設置されているここは思ったとおり見晴らしもよく、黒い外套を羽織ればこの夜闇に紛れることができる。

 ライザーとブルーノも上り終え、剣と杖を抜いた。

 景気づけに一発援護しておくかとディーが構えた瞬間、ブルーノが止める。

「なんだよギルマス」

「センジが戦い出した」

「それがどうしたよ」

 センジが戦闘に参加しているのはフレンドリスト経由で把握できていた。二分前から始まり、継続している。

「一点にあの馬鹿がとどまっているのはありえない。狙撃は待ってくれ。厄介なのが多分来てる」

「……厄介じゃないやつが来るとは思ってねえよ」

 弓を下げ、ディーは苦笑する。ライザーも同様に杖を下した。

「じゃあどうする。待ちか?」

「見える範囲で味方に伝達を飛ばそう」

 了解と目薬を落として、ディーは何度か瞬いた。目薬が馴染むと、月明かりでも遠くまで見通せるようになる。

「ライザーはそっちを。ギルマスも手伝ってくれるよな」

 ああ、という返事は一つしか聞こえなかった。

 不思議に思いディーが振り向くとブルーノはふらりと倒れた。急に体に力が入らなくなり、受け身すら取らず倒れ、頭を強く石畳に打った。

「ギルマス!?」

 その声に反応してライザーが振り向いた。

「どうした!?」

「わかんねえ。急に倒れた。ギルマス! 平気か!?」

 呼びかけてもブルーノはうめき声しか返さない。冒険者は頭を強く打った程度では致命的な隙にはならない。意識を失うことも早々ない。ブルーノの運の悪さはあるが今回に限ってあり得なかった。尋常ではない量の汗をかいている。

「コーゼを呼んでくる」

「施療神官で何とかなるかよ」

「うるせえ。呼んだ方がましかもしれねえだろ。俺はコーゼの代わりに下で詰めてる」

 わかった、と頷きを返すのを待たずライザーは降り始めた。

 頭を揺らさないようにゆっくりと仰向けにする。どうすればいいのか吹き飛んだ。

 ブルーノの目はいつもより赤く濃くなっている。

 疑問に思う暇も無く、ふとよく見えるようになった。

 月光妖精の雫が普段よりも効力を発揮したわけがない。雲が月にかかったのかと上を見れば、

「……嘘だろ?」

 月も星も、なくなっていた。

 夜空がない。

 真っ暗闇だ。町に申し訳程度にしか置かれていない明かりしかない。

「何が起きてる……!?」

 下から悲鳴が上がる。アプリコーゼが真っ暗になったと文句を言っている声が聞こえた。

「平気か!?」

「大丈夫。いま目薬さす」

 順当に上ってくる音を聞きながら、ディーはその黒から目が離せなかった。







 




「ッ!!」

 頭が割れそうになった。頭痛に苦悶の声を上げると、いつの間にか地面に倒れ込んでいる。

 ぬるりと額をよくわからない液体が濡らす。

 頭が痛い。違う、二つに。なんだ、何が起きてる。

 息ができない。うまくできない。焦れば焦るほどにぶれていく。

 どうやって息をしてた。

 どうやって生きていた。

 ダメだ考えるな考えるな分からなくなる。考えれば考えるほど頭痛は激しくなっていき、考えは霧散する。

 思考を止めたら戻れなくなる。思考すればどんどんわからなくなっていく。

 しびれた様に体が動かない。麻痺じゃない。目だけを動かせているがやがてそれもできなくなっていく。

 だが、視界は動いた。なんだ。

 違う。

 町が見えた。ブランシュの街。

 ライザーが見える。

 視界がぶれている。二重になっていた。まったく異なる景色が見える。

 手足を動かそうとするもうまくいかない、スポンジみたいな体になっている。

 自分の手が一回り小さくなったか一回り大きくなったか。神経がそこまでしか通っていなくて、自分の腕は見えているのにわからなくなった。

「落ち着きなよ」

 声が響いた。暴風のような中で、しっかりと声が通る。

 いや、通っていない。ひたすら近くに聞こえるだけだ。

「お、まえ……なんだ!?」

「さぁ? わからないね。それより落ち着きなよ」

「…………」

 深呼吸を、ゆっくりと。男の声に合わせて、吸って、吐いてを繰り返す。

「落ち着いたかな」

「…………お前、なんだ」

 痛みはまだあるが、割れるほどではない。

「さっきも答えたけどわからない。君の方がわかるだろ? 君からオレに入ってきたんだから」

「はぁ?」

 見下ろすと、ブルーノは黒い服を着ていた。ありえない。今日も白いコートを身に着けていたはず。

 なぜ黒いシャツを身に着けている。

「なんで……」

「わかったかな。これはオレの体さ」

 兄弟。

 そして意識はぶっつりと切れた。















 光が眩しくて、眉をしかめた。

「ギルマス、平気か。急に倒れて……」

「…………」

 起き上がったブルーノの頭の傷はアプリコーゼによって治されていた。

「ギルマス?」

「……ああ、いや。大丈夫だ」

 考え込んでいたようなブルーノは頭を振って、悪いとだけ謝った。

「何かあったのか」

「わからない……」

 叱られた子供のように一瞬小さくなって、ブルーノはすぐに立て直した。

「たぶん、もう大丈夫だ」

 ふらりと立ちあがると、壁に寄りかかった。

「ギルマス。無理しないで」

 支えようとしたコーゼをやんわりと拒絶して、空を見上げる。

「兄弟……」

 ドレイクのものよりも確かなその言葉が、ブルーノの頭から離れなかった。

 夜を奪われた黒いだけの空は、檻のように街を囲っている。































 イズミという襲撃者はナイフを投じる。

 スローイングナイフ。それを連続で投じ続けるのは盗剣士でも変則的なビルドである投擲武器職人である証拠だ。

 それを切り捨てながら、センジは前に出る。

 珍しい構成で盗剣士というのは分かった。なぜわかったかと言えばギルマスが一度組んでいた、というより試していたことがあるからだ。結局、双剣スタイルに落ち着いたのだが。

 センジにはイズミのスタイルがわかった。引きながら打つというのは立派な戦法のうちの一つである。

 投擲職人は往々にして弾数制限に悩まされる。中堅あたりから弾数無限や回復というのもあるが、リキャストがあるために隙はできる。

 センジはもはや三十を越した射出の中でどこでリロードが起きるか把握していない。面倒だし、よくわからない。

 だからなんとなくで踏み込んだ。

 リロードのタイミング。わずか一秒で十九の短剣は補充されるがその一秒は致命的だ。

 剣を振り切る直前、センジが身をかわした。先程までセンジがいた場所に斬撃が走る。

「っと、あれ? 気付かれました?」

 イズミの手には二十一本目の黒いナイフが握りこまれていた。リロードは終わっていない。

 影で作られたナイフ。

「? なんのことだよ?」

「……もしかして勘で突っ込んできたんですか」

 当然だろとセンジは答えず刀を構える。そんな当たり前のこと聞くな。

 ありえない、この人とイズミは引きながら、再装填が済んだナイフをホルスターからとる。

 短剣と刀がぶつかった。リーチの差は圧倒的だが、故に速度はこちらが勝っている。

 センジは呆れるほどに強い。イズミにとって苦手なタイプでもある。ガンガン攻めて、前進し続ける戦車のような武者は今も止まらず攻め続けてくる。

 もはや投擲だけに絞らず逆手に構え対応するイズミは奇襲のために刃を打ち出していた。投擲だけではないスタイルはこちらに打ち上げられてから標的を殺すために身につけたもの。勿論モンスターに対してもだ。本能のまま暴力的に動くそれらを相手取るにはどうしても接近戦の心得がなければだめだ。

 白い武者はモンスターのようだ。恐ろしく直感的で、視覚から刃を放ったとしても対応する。初見の技はない。長くエルダーテイルをやっている人間はおのずと他職の特技さえも把握している。レイド経験者ならばなおのことだ。考えるほどのことをせずとも持っているものは分かる。

 イズミも同じだ。レイドの経験こそ少ないが対人戦ならば腕に心得があった。この容姿で、声で立ち回るのなら厄介ごとはついてくる。それらを周りにいる雄たちをけしかけて潰しきれなかった場合、イズミが潰した。

 今までの相手はアマチュアだった。今回の相手は、純然たる最高峰。

 白い死神という二つ名がついている冒険者。大災害においても鋭さを上げ続けるイカレ野郎。

 それに臆することなく、イズミは踏み込んだ。

 刃を弾きながらセンジは思う。

 こいつも相当強い。人の殺し方を知ってる。ブルーノと同じだ。あれよりは練度は低く、行儀がいいが殺し方を知っているだけでやりにくくなる。

 動きも装備も良い。

 だけど。

「ッ!!」

 それだけだ。

 刀をバットのように振り抜いた。峰打ちのそれは当たれば骨を粉砕するだけの威力を持ち、かろうじて防いだイズミは体勢を保ちながら後ろへと弾かれた。

 喰らいついてくるだけの輩にはセンジは負けない。いいや、白銀の頂は負けない。

 なぜ中距離に離したとイズミは困惑した。この間合いは完全に投擲武器のもの。武者も弓などの遠隔攻撃手段を持つが彼が持つのは刀しかない。

 そのままセンジは幻想級の刀、草薙を振り抜いた。

 ひゅう、と風の音がした。それだけだった。

「? こけおど、しっ!?」

 油断した瞬間、イズミの体を斬撃が貫いた。

 胴を真一文字に貫かれている。

「な、んで……!?」

 血が落ちる。防いでいた攻撃をまともに浴びた。

 何が起きた。あの刀か。

「くっ!」

 痛みの箇所を自覚しながら、イズミはナイフを投じる。

 センジは当たった瞬間に動き出していた。殺しきれないとわかっている。何の特技も載せていない斬撃だ。

 草薙は幻想級の武器。MPを消費する代わりに斬撃を飛ばす、否周囲の物体に伝播させることができる。

 先ほどの振り抜いた一刀。あれが建物の壁を伝い、イズミの真横から出現、見事にヒット、ということだ。

 ナイフをよけると、イズミの足元で影が蟠るのが見えた。

 影は広がり、周囲の壁や地面に広がる。

 侵食するような影に触れるのはまずいだろうなと思ったセンジは迷わず、草薙を投じた。

「は!?」

 唯一の武器であるはずのそれが投じられたことにイズミが驚きの声を上げ、凄まじい勢いの刀は轟音を伴って、着弾と同時に爆ぜた。

 震える空気と巻き起こるレンガであった煙。衝撃をぶちまけた瞬間に影は飛散している。

 どうなったとセンジは睨み付けていたが、やがてぞろぞろと煙が晴れた。

 そこにいたのは、半身を赤く染めたイズミ。

「っつー……いった……あなた、どういう思考回路してるんですか……刀投げてそれの勢いだけで範囲攻撃とか……」

 まともに喰らってなお、立ち上がる。そこに妙な影のサポートありだ。千切れかけている右腕を影が糸の様に縫い付けている。

「でもま、ありがたくもらっておきましょう」

 突き刺さっている刀を引き抜き、影が覆った。

「あぁ?」

 首を傾げた前で、イズミの手の中に草薙が収まる。単なる手に持つという動作ではなく、所持している状態に移行した。

 エルダーテイルにおいて、ある程度の武具は所有者だけが装備できるというロックがかけられている。ゲームシステムによるそれは当たり前だがゲーム時代に開錠できることはなく、こちらでも当たり前のようにそうであるという認識だった。

「うっわ、これ幻想級じゃないですか! ありがたく使わせてもらいますね」

 にこりと笑うなりイズミが草薙を振るい、センジが反射で飛んだ。

「――――!!」

 寸前までいた空間に無数の斬撃が走る。

 草薙の特殊能力。所有者でなければふるえず、発動できない特殊を使った。

「人の物盗ったら泥棒だろうが」

「でもー、この子は私がいいみたいなんですよね」

 へらりと笑うイズミにセンジはむかついた。ぜってえ刻む。

 ともあれ原因は絶対に影だ。初めから最後まで怪しい。触れないようにしておこう。

「しゃあねえ……」

 センジは腰にさしていた刀をもう一本抜き放つ。

「スペアあってよかったぜ」

「…………は?」

 現れたのはもう一振りの草薙。

「ちょっと、それは反そ――」

 言い終わる前に斬線が走った。瞬く間にイズミの体に斬撃が走り、血が吐き出される。

 まずい。やばい。

 白い死神という二つ名をつけられるほどのプレイヤー。油断していなかったわけではない。

 同じ幻想級を二本所持しているというイカレ具合にイズミは戦慄した。

 センジからすればやっていたレイドでなんだか二本出たし他の人間もいらないから貰っておこうという軽いノリで持った二本目だ。何を驚くことがあるのかという調子で飛んだ。

 鍔迫り合いに持ち込まれ、イズミはたたらを踏む。受け流し、火花が飛べば、再度斬り合いが始まる。

 先程の投擲でイズミの右腕がちぎれかけているが影による補助によって、やや右だけが強化された状態となっている。体力は四割をきっている。死んでいないことの方が異常。

 対してセンジは戦闘の積み重ねにより体力は一割を切っていた。とにかく攻撃を受けるのだ、回避はする、防御もする。だがセンジは血塗れになっていく。己の血でも、相手の返り血でも平等に。

 所々に刺さった投擲武器から滴る血を無視し、警鐘を鳴らしまくる赤い体力を気にせずセンジは攻める。普通一割を切っては普段通りの動きはできない。一度でも喰らえば落ちつろ言うプレッシャーは尋常ではないのだ。タンクともなればなおのこと。自分が落ちれば戦況が動くという、要のような位置。慎重に重きを置いてしまう場面で、センジは踏み込む。

 押される。押される。イズミが後ろへと下がらされていく。

 退避はない。退去はない。撤退はありえない。

 なぜならば、ここで退けば、

「面白くねえ!!」

 一刀。

 今度こそイズミの右腕を切り落とす。

「あんた、きもすぎ……!!」

 斬り返し、いや違う。イズミの刀はセンジを切らず、壁へと吸い込まれた。しかし壁に切り傷はなく。

 走るのは斬光。遠隔斬撃。

 武者の周囲に広がり、中心点に伸びる斬線。

 コンマ一秒で通るそれはしかし、重なる音のみで攻撃が発生しなかった。

「はぁ!?」

 斬撃は確かに起動した。センジを襲うよりも先に等しい斬撃で相殺されただけのこと。

「ありえないでしょ!?」

 遠隔斬撃を遠隔斬撃で撃ち落とした。

 背筋にぞくぞくとしたものがせり上がる。

 攻撃が届くまでのわずかなラグ。来る前に線である斬撃を的確にとらえた。

「ありえなくねえだろ」

 そもそも、的確に打ったはずがない。センジはただ軌道上に攻撃を置いただけだ。向かうように縦ではなく、遮るように横に。

 だとしても異常な反応速度のそれに気おされたイズミは自らの隙を呪った。

 最上段から刀が降り下ろされる。











「やあ」










 ばしゃりと、黒い影が液体のように弾けた。

 イズミの足元からずるりと前触れなく何かが出てきた。

 それが振り下ろしを弾く。

 異物。

 そうとしか思えない気配にセンジが距離を取ろうとするが、

「……ちっ、影はお前か」

 体が動かない。エラーを起こしたように。

 影がかかった半身だけ。

「御名答」

 影と同じように黒い服を着た、エドガーよりも真っ黒な男は鼻で笑い、正答の報酬と言わんばかりに手をかざす。

 男の足元の影が蠢き、イズミのものよりはるかに上回る量の黒が爆ぜ、薄く伸ばされ刃のようにセンジの体を抉った。

 傷口から言いようもない何かが体に広がる。胸の奥に伝わってくるこれは、よくわからない。もやっとした、嫌なものだ。

 舌打ちだけできる。手足は影の傷から広がった麻酔みたいなものに侵されて動かせなくなっていく。

「ダメだな」

 諦めた。身体から力を抜くと同時に影の中に足が沈んでいく。

「また会おう」

 男のにやけた笑みにむかっとする。

『撃て!』

 どこか遠くで、塔の上から発された指示をセンジが聞けるわけがない。しかし、次の瞬間男を射抜いた矢を見て、センジは確信した。

「ディーか!!」

 最初から塔に動いた男が今ここで狙撃を切った。狙撃位置につくなり攻撃を行うような我慢がない男だ。ならば待たせ、ここで攻撃指示を出したのは。

「大将……!!」

 塔が閃いた。直線状に伸びる雷はセンジに伸びていた影を破壊し、ふとセンジの右手が開く。

「センジ!!」

 動かせることに気が付くのと同時、L2が来た。杖を構え、詠唱を終えたものは当然フロストスピア。

 塔が光る。

 次いで打ち放たれるのは光、矢、氷、剣撃。

 それらが一斉に躍りかかったのは影。

 展開するよりもはやく到達したそれらが激突し、割砕した。

「……駄目かよ」

 影がどろりとあたりにまわる。すべてを飲み込んだのは当然男の黒。

 不敵な笑みを浮かべた男はそのまま手を伸ばそうとし、ふと動きを止めた。

「夜明けか」

「あぁ?」

 動きが止まったその場で、男は何もない黒い空を見上げて、やれやれと肩を落とす。

「焦りすぎたか。でもまあ、いい。今日は君達を見に来ただけだからね」

 じゃあ、と男は嗤う。

「また会おう、白銀の頂諸君」

 それから、塔を一瞥して、男は影の中に沈んでいく。

 呼応するように黒い空にひびが入り砕けた。イズミもまた影の中に入っていき、困惑する白銀を置いて、街から敵対モンスターはすっかりその姿を失った。

 明けた空に遠くから日が刺す。

 ブルーノが息を吐いていると、センジにとりついた影がなんかとれないから自殺したという知らせが入った。

「しまんねえ……」














『あの未浜市のテロから十二年。いつもと変わらない日々を送ろうとしていた人たちの命を奪ったのはあの新興宗教団体、飢語の会――――』

 がやがやといつにもまして騒がしい教室から、和人は誰にも気付かれずに抜け出した。

 どこの教室も今日に限ってはそなえつけられたテレビは普段果たすはずもない役目を全うしている。

 流れているのは十二年前のテロ事件だ。今年も哀悼の意を告げるなんたらみたいなのがあり、ニュースは朝からずっとこれ関連。

 十二年。誰もがきっと忘れているような年月をたってなお、未浜テロは語り継がれている。

 普段より少し声量を大きくしふざけている生徒も、静かに聞いている生徒も、当時のことを思い出している教師も、ぽつぽつとついばむようにテロについて語っている生徒たちも。

 誰もかれもが、このテロを意識していた。

 日本で起きた史上最悪のテロ。それも府内とあらば誰だとて意識しないというのも無理な話だ。

 耐え切れず、和人は逃げた。その話題ばかりということに滅入ったわけじゃない。

 責められているような気がして、ここにいてはいけないという思いに駆られた。

 喘ぐように立ち去った先は当然のように生徒会室だ。

 先程までの喧騒はなりをひそめていた。生徒会室の周りはひどく静かで、同じ学校内と思えないほどだ。

 扉の前にたち、ためらう。本当にいいのか。

 本当に。

 唾を飲み込んで、手にかけた。しびれるような何かが駆け抜ける。早くしろと本能が叫んでいた。

 力を入れて、横に開く。扉は抵抗なく静かに開いた。

「――――――」

 そこに、その女はいた。

 陽光を透かし、風に乗ってなびく白い髪。こちらを見る真っ赤な瞳。

「時間通りね」

 天使が浮かべるような微笑をたたえた女はさあと和人をいざなった。

 橋場春。学校の生徒会長。

 生徒会員が決して誰も座らない、所属していないものたちから座らずの椅子という不名誉な呼び方をされている椅子に座る。

 それから何も言わずに春は窓を閉めた。

「どうだった?」

「だいたいわかってるだろ」

 毎年通りだよというと、でしょうねと帰ってくる。春は自分の椅子を移動させ、和人の傍に座った。

「なんで隣に来るんだ」

「言わせたいの?」

 何をだよと思ったが口には出さない。

「弁当食べた?」

「ええ。世界一美味しかった」

「そこまでじゃないだろ……」

 いいじゃないと春はしなだれかかってくる。

 いい匂いがした。温かい。それから太ももに手が乗っかる。やんわりと払いのけようとすると、伸ばした手の指を絡めとられた。

「…………」

 まあ、別にいいか。昼休みが終わるまでの間だ。生徒会室にはきっと誰も来ない。教師も、生徒会役員も。春も和人も校内放送で呼ばれるという心配もないし、ここは外に音が漏れない。

 何をしても。誰がどれほど叫んでも。

 だからといって、和人は何をするわけでもなく、ただ時間が過ぎていくことを望んだ。

 一方春は待っていた。結果は決まっている。でも、でもだ。もしや動くのではないかと考えると鼓動が早くなる。

 和人はそれを知っていた。動かない。いつも通りに。

 学校というのも嫌だ。口だけねと言われるかもしれないが、和人は嫌だった。

 どうしてこういう関係になったのかは和人にもわからない。

 ただ小さいころ、あのとき、春を初めて見た日。

 この世界で一番きれいな、かわいい子に出会って、これ以上綺麗な人はこの世界にいないだろうなと思った。

 応じないのはどうしてだろう。区切りが悪い。居心地が悪い。そういう目で見れない。どれもが嘘のように聞こえる。

 考えてどうでもいいと結論付けた。幸せを得ると、それだけで後ろから、地面から何かがせり上がってくる。

 きっと、きっとこれは、罪悪だ。

「ねえ」

「なに?」

 春の方に首を向けるとひどく近くにいた。椅子の軋む音がして、首に腕が回される。

「キスしていいかしら」

「…………なんでだよ」

「気分」

「…………」

 返答せずに春を押し戻した。くすくすと笑っているが何がおかしいのかわからない。

「付き合っても無いのにキスするかよ」

「あら。付き合って無くともするときはあるものでしょう?」

「知るか」

 友達も少ないし仲がいい女の子なんてできたことはない。

 誘惑に負けないように椅子から立ち上がる。時計はもうすぐ昼休みの終わりを示そうとしていた。

「もう戻るよ」

「じゃあ私も一緒に行くわ」

 自分の椅子を戻そうとする春を止めて、和人が戻す。その間春が生徒会室の鍵を取った。

「あ」

「?」

 扉に手をかけて、和人はあることを思い出す。

「今日の晩御飯何がいい」

 んー、と唇に指を当ててから、彼女は微笑んだ。

「魚がいいわね」

 そういうことで、今晩は魚をメインにしたい。
























 ごん、と落ちた衝撃でブルーノは目覚めた。

 ベッドから落ちたらしい。

 アキバのホーム、その自室だ。センジやL2からもらった家具が見える。

 昨日、夜があけるなり結界がないところは危ないだろうという判断で急ぎで帰ってきたのだ。

「あー……」

 見たのは、夢じゃない。

 記憶だ。

 以前の自分。

「一緒に住んでて付き合ってないはおかしいだろ……」

 ブルーノは呻きながら、逃げるように毛布にくるまった。

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