第2話 頂の始まり









 死ねばいいのに。

 死ねばよかったのに。

 あそこで死んでおけばよかったのに。

 お前なんて生きる価値があるのかよ。

 声がした。

 いくつもの声が、俺を取り囲む。

 俺はそれをただ、じっとうつむいて聞いていた。

 その通りだと思った。

 あそこで死ねばよかったんだ。

 あの、赤い地獄の底で、墓穴で死ねばよかったのに。

 俺は耐えて、耐えて、声から逃げた。

 そうしてたどり着くのは、家だ。

 家の前に、両親が立っている。

 泣きそうな顔で俺はそこへ歩いていく。声はついてきていた。

 それでも、それでも両親なら。

 そう思って、顔を上げると、両親はお帰りとわらった。

 安堵は、なかった。あるのはただの絶望だ。

 親の目は、何よりも雄弁に語っている。

 死ねばよかったのに、と。

 お前など、拾わなければよかった。

 あのとき、死んでおけば。

 涙があふれてきた。視界がにじむ。

 泣くな。泣いてどうなる。うずくまってどうなる。

 死んで、

 死んでおけばよかった。

 いや、今からでも遅くない。

 死ぬのだ。死ぬしかない。死ぬべきだ。

 声も続く。

 俺はもう嫌になって、やけになりながら振り向く。

 俺を取り囲んでいたのは、俺だった。

 死んでしまえ。

 何をしても特別にも、何者にもなれないんだから。

 生きてるだけで恥ずかしい、あそこで死ねばよかった。

 ふざけるな。

 おれは

 俺は、まだ死にたくない。

 まだ何もしてない。

 使命を果たすまで死ねない。

 ぶんれつしている。
























 自殺から目が覚めても、神殿は相変わらずの冷たさを保っていた。

 得たのは何もない。ただ不快な悪夢と、それに伴う吐き気に、断首の違和感だけだ。ただの思い付きなど、試す価値はなかった。

 白銀の頂のギルドホールを借りずに、宿屋で昨日は夜を明かした。野宿でもいいのだが、金はあったのだ。

 そう、金はある。衛兵での戦闘で死んだとき、失ったのは消耗品のポーション程度である。目覚めたときから持っていたのはアンバランスな二刀流と、日ごろ使う消耗品程度。貨幣の類は銀行に粗方預けていた。死んだときにばらまかれた装備も、白銀が回収してくれていて、渡してくれている。

 エルダーテイルを遊んでいた痕跡はある。

 なのに、とブルーノは呆れるほどに確認した動作でメニューを開き、フレンドリストを呼び出す。

 フレンド登録は当然のようにゼロだった。

 ブルーノを知っている人間もいない。アキバで目覚めて二日ばかりなのだから仕方ないが、そもそもそれが異常だ。皆、二週間前にはこの事態に放り込まれている。

 考えても仕方ないと息を吐いて、ブルーノはほとんど失われていない経験値を、見過ごしていた。

 アキバ南端、立派な石橋がかかる場所はブリッジ・オールエイジスだ。サービス開始時より、多くの冒険者の旅立ちを見送ってきたその橋に、そいつらはいた。

 昨日とは打って変わり、数えるほどにしかいない白銀の頂に出発の励ましなどというものはないらしいし、おそらく邪魔なのだろう。

「来たな、ブルーノ」

 朝焼けの中、白い髪は光を受け流している。

「よう」

 簡単に挨拶を済ませると、ばらばらに挨拶が帰ってくる。興味なさげにそれでも無視はしなかったミサキは魔法鞄の中から白い布の塊を渡してきた。

「……なにこれ?」

「君の防具は武器に対して不釣り合いだからお荷物にならないようにね」

「ミサキは昨日遅くまで見繕ってたぞ」

「いうなよ!」

 しゃーと威嚇したミサキをよそにブルーノは身に着けていたコートをしまい、布の塊を広げる。

 やはり白いコートだ。数値を見ると確かに先ほどまでまとっていたものよりも良い。といっても盗剣士が装備できる防具と言えばせいぜい革鎧だからあまり防御数値に変動することはない。この場合どちらかというと防具に付与されている特殊能力が目的か。状態異常付与確率アップがついている。ありがたいものだ。

 礼を言うとミサキはふんと鼻を鳴らす。なんだかとげとげしいが、悪い感じではないと思いたい。

「この人数で行くのか?」

「ああ、できるだけ人数は少なく、さくっと目的を果たすために素早く動けるようにだ」

 ブルーノを入れて五人。一パーティーとしては一人足りない形だ。それに、とL2は小さく問題の数は初心者のために減らしたほうがいいだろうと呟いた。それを受けてミサキは遠くを見ながら、あの馬鹿がいる時点でと返すがブルーノにはよく聞こえない。

「なんだ?」

「いや、なにもない。それより紹介をしておこうか」

 まず、とL2は自らを示した。

「私だ。妖術師。昨日合わせたとおり。これはミサキ、召喚術師」

 雑に呼ばれたミサキが僅かに眉を顰める。

「次にセット商品のディオファントス、ライザーだ」

「誰がセットだ!」「ガチャでようやくセットでSSRになるタマじゃねえよ!」

 妖術師二、暗殺者、召喚術師に盗剣士一人。射程持ちばかりだ。

「補助入れなくていいのか」

「火力で通す」

 それでいいのかとミサキを見ると、肩をすくめた。諦めているみたいだ。

「まあ召喚術師は補助でもきるからいいのか……物理は俺だけでいいのか」

「ああ、問題ない。途中で拾うのが武士だから」

 それは理由になっているのか。近接攻撃手同士の連携というのは昨日始めてやってみたが、呼吸が重要そうだ。射程持ちは距離を取り、十字砲火で火力を合わせられるが攻撃手はそうもいかない。なにせ両者と敵は動くのだから呼吸を合わせるほかない。連携の難しさで言えば近接職の方が上ということになる。

「……まあ出たとこ勝負かな」

 結局昨日もアドリブでこなせたのだ。なんとかなるだろう。

 いや、とブルーノは考えを止める。

「ススキノにいる奴を助けに行くだけなのにどうして戦力がいるんだ。いや、道中モンスターがいるのは分かってるが」

 なにせ二分の一とはいえ、アキバからススキノまで馬での旅だ。日数はかかり、それだけ乗り越えるゾーンは無数にある。

「…………」

 尋ねると誰もが黙った。目線をそらし、へたくそな口笛を吹く。

「おい」

「やあ、もうこんな時間だ。さっさと出よう」

「そうだね」

「おーし」

 そそくさと白銀は橋を抜けていく。

「おい待て」

「ギルマス、置いて行くぞ」

「ギルマスになった覚えはねえよ!!」

 怒鳴り、追いかけながら、ブルーノたちの旅は始まった。












 馬と徒歩で一か月半。ざっくり計算して、ススキノまではその程度かかるとL2は言っていた。

 が、

「空ね……」

 グリフォンの背にまたがりながら、ブルーノは地面を見下ろした。

 足がついていない。風を全身に受けている。もしここで手を離せば、とまで考えてミサキの服の袖を握りしめた。

「ねえ」

「なに」

「袖とかだと多分落ちるよ」

 腰を思いきり掴んだ。事実何度か落ちそうになっていたのでマジで怖かった。この高度から地面と激突などという死に方は一度たりとも経験したくはない。何度死ねたって、御免な死に方は星の数ほどある。

 死霊が原の大規模戦闘、翼持つ者たちの王との共闘によって得られる戦果だ。二十四人規模戦闘は大規模戦闘の醍醐味を凝縮したとまで言われるものであり、これに挑みクリアできるのはやはり相応の実力者でなければ得られないものだ。

 これを白銀の頂の少なくとも二十四人はエンドコンテンツに挑み続ける実力を持っていることの証左だ。これが四人、ススキノへと向かっているのなら、到着は確実。

 残念ながらブルーノは所持していなかった。ギルドにも所属していなかったのだろうなと以前のブルーノを予測する。

 持っていないならどうするかは今の通りだ、ミサキの後ろに乗せてもらい、落ちないように必死こいて抱き着いている。最初はL2の後ろに乗ることになっていたのだがミサキが反対した。ブルーノ自身はディーとライザー以外ならばどうでもよかったし、L2の性別も拉致監禁勧誘されている関係なくどうでもいいが、ミサキは拒否した。

 前方ではしゃぎながらアクロバット飛行をしている阿保二人を見ながら、ブルーノはミサキの後ろで良かったと心底安堵し、前にいる召喚術師は腰にかかる必要以上の力に耐えていた。

 一日四時間の制約があるとはいえ、この踏破速度ならば一週間程度でたどり着けそうだ。

「なあ聞いていいか」

「ものによる」

 ミサキのそっけない返事にではと質問する。

「拾いに行くセンジってどんな奴なんだ?」

 念話は使わない。それなりの声量を出さなければ風のせいで声が通り辛いが、大声で会話しようものならミサキに地面に叩き落されるだろう。

「…………見ればわかるよ」

 筆舌に尽くしがたい様子で、背中でもわかる哀愁を漂わせながら応える様子に、嫌な予感がビンビンに立つ。

「絶対ダメなやつじゃん……」

 もしや殺人してばかりの監視しなければ好き勝手にやるような脳内ヒャッハーなのだろうか。ありとあらゆる危険人物の想像を働かせるが、気落ちするばかりでブルーノの胃は少し荒れてくる。

 考えないようにしよう。そう思い、ブルーノはただ空の中から景色を見る。

 ああ、おぞましいなと、なぜだかそう思った。














 午前中は馬で移動し、午後食事をとるとグリフォンに乗り換え進んで、日が落ちる前にはキャンプの準備をする。

 四度目となれば慣れた様子でブルーノたちは枝を集め、テントを張る。

 その日は枯れ枝が足りなかった。枝を集める担当を振られたブルーノは野営場所から少し離れた場所に足を延ばしていると、がさりと音がする。

 腰に差した双剣に指をかけた。剣を見ず、小指から添えて柄を確かめ、位置を調節して握りこむ。剣がなければ勝てはしないが、それに集中することが致命的であることもある。注意を怠らず、指の感覚だけで剣を握る技能をブルーノはいつどこで知ったか教わったか、やはりわからなかった。それでも何度も繰り返した動作のように挑みなく行う。

 音は、二時の方向から聞こえた。わずかに抜いてそちらを見ていると、かすかな金属音がした。

「どなたですかにゃ」

 にゃ? とブルーノは取って付けたような語尾に目を丸くし、やがてこちらに姿を見せた猫人族の男性を認めた。

 体を構成するパーツは細く、針金細工が集まったような印象を受ける。

「こんなところでご同業に会うとは奇遇ですにゃ」

「貴方は……」

 相手が剣の柄に手をかけてないのを見て、戦闘の意思はないということをわずかに遅れて気が付いた。慌てて剣を手から離して、構えを解く。

「にゃん太と申します。君は?」

 きみはだれですか。

 お前は誰だ。

 俺は、

 誰。

 何かが。

 すっと差し出された手をしばらくブルーノははあ、と気の抜けた声を出して見つめた。思考にノイズが走って、うまく認識できない。

 ずいぶんと動きに無駄がない。それでいてゆったりとしている。典雅というのはこういうものを言うのだろうと考え、はっと挨拶であると気付いた。

「あ、その……えっと、ブルーノといいます」

 もごもごと情けなく発音しながらブルーノは手を握った。

 猫の手に近いのかもしれない。肉球を確かめることは、初対面ではできない。

 にゃん太、という男性は二振りのレイピアを腰に下げており、表示は間違いなく盗剣士。そしてサブ職業は料理人だ。

 まるきり、ブルーノと同じ職業構成。だから同業と言ったのだと、やはり遅れて気が付いた。

「ふむ……白銀の頂……」

 興味深げに呟いた男を、ブルーノは思わず顔を凝視する。

 髭がピンとたち、おっと、とにゃん太は笑んだ。

「いきなり見つめるのは不躾でしたにゃ、申し訳ないですにゃ」

「え、あ、いえ、全然……その、白銀を知ってるんですか」

「知っているも何も、有名ですにゃ」

 有名、と口の中でつぶやくもその理由は大概わかる気がした。なんにせよあいつらは目立つ、そして阿保である馬鹿である。面白いと思う連中もいれば、不快だと感じる者たちもいるだろう。

「君はなぜ白銀に?」

「俺は……白銀じゃないです。一時的に連携がとり辛いからと仮登録をしているだけです」

「おや、これは勘違いを……」

「いえ、いいんです。そんなことまで気が付く人はいません」

 またも謝ろうとするにゃん太を制した。ブルーノは言葉が足りない、いや話が下手だ。

「もし、答え辛かったら答えずとも好いのですが」

 と、にゃん太は切り出した。

「どこへ行かれるのですにゃ?」

 猫目がしっかりとブルーノを捕えた。

 疑問を持つのは当然だろう。

「ススキノへ」

「ススキノ……」

 答えると、にゃん太は目を大きく膨らませる。

「なぜそこへ」

「俺は直接知らないんですが、ギルドの人間を助けに」

「…………」

「あとは、自分のことを知るために」

 自分のこと? とにゃん太は首を傾げる。本当に、これだけならば頭のおかしい人間か自分探しだなんだという人間みたいだ。

「ああ、えっと……俺は記憶がないので……そのヒントがどうにも、ススキノにあるみたいで、それを探しに」

 なぜ自分でもこんなことを話すのかと思いながら、口を動かした。視線はさ迷って、喉は乾く。緊張する。だが、舌は回る。心臓が脈打つ。

「…………そう、でしたか。ううん……」

 猫人は額に手を当て、目を閉じた。

 当然だ。こんな言葉はただのいかれた戯言か何かに思うに決まっている。アキバから離れたこんな場所で聞かされるなど、誰が面白くて受けるか。

「若者たちを導くのが年長者の務め……ですが、これに口を出す経験は私にはないですにゃ……」

 すまないと言いたげに目を開く。

「いえ、やっぱり当然のことだと思います。記憶喪失の人間なんか、大勢は見たことがないですから」

 ですが、とにゃん太はしっかりとこちらを見る

「何も言えない老体の身ではありますが忠告を。我々はススキノから来ました」

 ススキノからの冒険者。

「これからアキバに帰る予定です。君たちのように、二人の青年と少女が手を尽くして我々を脱出させてくれましたが」

 ブルーノたちの先達、ということになるのか。

「いまススキノで王様のように胡坐をかいていた男は叩きのめされ荒れているでしょう。それに伴い、ススキノ内の勢力も」

 ススキノの治安がアキバよりもひどいことは聞いていた。ここに来る道中、説明していなかったといわれたがここまで来てもう引き返せはしなかったのだ。

「お気をつけなさい」

 じり、とにゃん太の頭の中で何かが焼けた。このブルーノという男。

 青年か、少年か、年齢は分からない。それでも高校生は越えているだろうとわかっている。わかっている。何か妙だ。

 判断ができない。何かがおかしい。詰まったそれは取り除くことができない。アドバイスでさえも、もっと何かないのかと探してしまう。

「はい、ありがとうございます」

 ブルーノは頭を下げて、礼を言った。

 奥からさらにがさりと木の葉を分けて、黒い少女が顔を出した。

「老師……む、その男は」

「ああ、アカツキさん。この方は……」

「ブルーノです。枯れ枝を探しに来て……」

 あ、とそこでこちらに来た理由を彼を思い出した。

「そうだったのですかにゃ? それならば」

 と、にゃん太は向こうに置いていた枯れ枝をいくつか分けてくれた。

「ブルーノさん、うまくいくことを祈っています」

「……はい。そちらもご無事で」

 では、

「アキバでまた」




















「死ぬ……」

 青い顔をしながら、ブルーノは項垂れ、口を押えた。

 ススキノに至るために、いくつものゾーンを駆け抜けなければいけないのは当然だ。それに加えて、ダンジョンに入ることも何度かあった。

 ティアストーン山地。ドラゴンの下等種であるワイバーンが無数に生息するその山地を、白銀はあろうことか空から突っ込んだ。

 無策であった。というかなんか行けそうだから行くかという馬鹿の極みとノリでいった。ミサキは叫んだ。ブルーノは数秒後に理解し叫んだ。

 そこからといえば三百六十度、あらゆる方向から迫りくるワイバーンを潜り抜けての空中戦だ。

 飽和攻撃をL2とライザーが真正面から火力で勝負で押し通し、追撃に来るワイバーンをブルーノがグリフォンから叩き落され、迎撃した。

 落とされた。ミサキは明らかにここでブルーノを囮にしようとしたのであろう。いくらかヘイトはむくであろうし、山地を抜けられる可能性は少しは出る。

 ブルーノは死ななかった。迫りくるワイバーンにかじられ、爪で裂かれてなお喉笛を切り裂き、翼を断ち、脳に剣を突き刺し操った。

 全身傷だらけになりながら何とか行きもがくブルーノはワイバーンを次々と乗り換え、L2のグリフォンにキャッチされては進路を開くために投げ飛ばされては戻ってきた。

 それを何度か繰り返し、ブルーノは落下と空中になれてしまった。戦っているときは脳内麻薬がドバドバ出た。それを見てディーとライザーは笑った。やはり脳内麻薬だった。L2は笑った、素だった。ミサキは叫び疲れて、摩耗した。

 何度も死にかけ、ぼろぼろのままグリフォンに掴まれて、ブルーノは気が付けば山地を抜けていた。

 ススキノを前にし、ドバドバだったテンションは落ち着き、空中戦の恐怖がぶり返した結果、ブルーノは顔を蒼くし、吐き気をこらえている。

「平気か、ブルーノ。あともうちょいで出発だぞ」

「あ、ハンバーグいるか? 味しないけど」

「いらない……」

 吐き気を消すように水をごくごくと飲み、ブルーノは目を閉じた。少しでも情報量を減らしたかった。

「いや、楽しかったな!」

「お前はそうだろうな……投げられなかったからな……」

 つやつやしたL2はふふふと楽しそうに笑い、ミサキは隣でげっそりとしていた。

 ひどい、旅だ。しかしこれ以上はないだろうとブルーノは思っていた。そう思っていた。

 城門のようなゲートを潜り抜け、五名の冒険者はススキノへと足を踏み入れた。

 物々しい、威圧的な外観が示すとおりにススキノは好戦的な軍事国家とデザインされている。そのためか、寒々しい空と町に掲げられた武器たちは威圧的に見えた。

 加えて、街の往来を行く日々とは冒険者も大地人も皆一様に暗い表情をしている。

 雰囲気が悪い。

 にゃん太が言うには、ブリガンディアというゲーム時代から評判の悪かった乱暴なギルドが街を我が物顔で歩いていたそうだ。そこのギルドマスターをにゃん太たち、猫曰く大体は眼鏡の青年がやったそうだが、簡単に言うとぶちのめし、一人の冒険者を救出したそうである。

 ギルドマスター、デミクァス。ひどく乱暴な男は叩きのめされ、くじけるような大人しい男じゃないだろうなとブルーノは勝手に思う。そうでなければ、ススキノがこんな顔をするはずはない。

「嫌な感じだ」

 L2が顔を顰める。

 沈むような圧迫感と雪に埋もれるような静かさの中、ふと遠くから無数の足音と怒号が聞こえてきた。

「……?」

 音は段々と近付いてきて、ブルーノはそれに追われていた過去を思い出す。

「なぁ、センジってやつはどんな奴だっけ」

「ん? ああ、言って無かったか」

 音の方角を見ながら、わずかに口角を上げて白い狐が言った。

「馬鹿だ。後先考えないとびっきりのな」

 怒号が、響いた。

 髪をまとめた、褐色の武者がこちらに走ってくる。無数の冒険者に追われながら。

 そいつは褐色の肌で、桜色の派手な羽織を纏っていて、

 髪は、白かった。

「おい」

 ミサキが顔をこわばらせる。ディーとライザーは呆れたようにため息をはく、L2は笑っている。

「うわ!! L2ともてねえのとミサキじゃん!!! どうした!!??」

 叫びながら、腕をぶんぶんと振ってこちらに向けて加速した。

 む、と首を傾げて、また叫ぶ。

「その白いの誰!?」

「全員白いだろ……」

「新しいギルマスだ!!」

「ギルマスじゃねえよ!!」

 ふうむ、と追われているセンジはうるせえなと後ろにむけて、何かを放り投げた。何かはぼんと音を立てて煙をまき散らす。煙を吸ったものは皆例外なく涙を流しながら、咳をし始める。

「おいあれ町中……」

 ブルーノは呟くが気にする者は皆煙の中である。

 武者はききーっとブルーノの前でブレーキをかけて、あちこちから見始めた。

「んー……んー……?」

「どうだ、面白いか」

「え、なに、なにしてんのこれおいっ! 何、嗅ぐな! めくるな! なにしてんだよ!!」

 うむ、とセンジはつやつやとした顔でブルーノの肩に手を置く。勢いがいいためにばんとすさまじい音がして、ブルーノは数ミリ埋まったような気がした。

「あんたが大将だ!!」

「なんで!? 会ったばっかだろうが!!」

「は? なんでか言う必要ねえだろ、俺があんたのことを大将だって言ってるだけだ」

「それは呼び方的な?」

「白銀のギルドマスターってことだな!」

「どうしようたすけてください日本語が通じる方いらっしゃいませんか?」

「いいか、ブルーノ」

 黙っていたライザーがブルーノの肩に触れた。当然センジにふれることにもなるのでいらっとしたセンジが露骨に嫌そうな顔をしたのでライザーは少し泣いた。

「触んなよ」

「いま解説しようとしたのにひどくない!? こほん、大将はわかるな」

「ああ」

 それはなんとなく。というかセンジに抑えられた肩がなんかめきめき言い出した。逃がさないつもりか。

「つまりうちのギルマスということだ」

「何一つ変わってないんだけど!? つか白銀にすら入ってねえよ!!」

「マジ!?」

 センジが驚愕の顔でL2を見て、L2はこちらを見る。

「もう一度監禁していいか?」

「お前らが一番やばいギルドだよ!!」

 帰ったら即座ににゃん太という人に念話で助けを呼ぼうと思った。このギルドはやばい。

「あのー、みんな? 盛り上がってるところ悪いんだけどさ」

 ミサキがちょいちょいと前方を指した。皆がそろってそちらを見ると、

「煙が晴れてこっちきたよ」

「センジィィィィィ!!!」

「待てよてめええええええええ!!!」

 怒り狂う冒険者たちがこちらに走り込んできた。

「逃げろ!! 門まで行け!!」

 ブルーノが叫び、白銀の頂はどこか楽しそうに一斉に走り出した。







 踵をさっさと返し、走り出したブルーノは離れていくミサキとL2、ディーとライザーの背中を視界の端で確認した。

 背後にはゲートがあるがこうも近いのではあちらの戦闘解禁も早いということで、すでにススキノへと足を踏み入れているブルーノたちの復活場所はススキノの神殿に上書きされている。

 三組となってばらばらに逃げ、いったん身を隠すのを選択した。ブルーノはゲートまで走ろうとするが、

「お前なんでこっちだよ!!」

「は!?」

 センジがついてきていた。

「あんたが大将だからだが?」

 なにこいつこわい。どういう構造してるんだ。知りたくない。

「……待てよ、お前こっちで暮らしてたんならススキノの道分かるよな?」

 ならば相手を撒くための道など知っているかも、

「え? 道なんて感覚で歩いてるし迷ったら俺は屋上走るからわかんねえぞ?」

 しれなかった。しれなかっただけだった。

「じゃあ……うん……」

 ダメだなと葬式のようにつぶやくと、センジはドンマイと笑った。くそ……。

 ではどうする。後ろを見ると数は分かれて減ったが追ってきている。センジを振り切ればおってこなくなるということもおそらくないだろう。もう味方だと思われている。そもそもセンジは走っているだけで分かるが早い。阿保みたいに早い。

 最前で守護戦士がセンジのことを親の仇か何かのように睨み付けているからあれは相当だ。

 アキバで最初に死んだとき、随分早かったねと神殿から出て、ミサキに声をかけられた。宿屋で記憶が戻らないかと、ひどく怯えながら死んだ時も時間の経過は少なかった。いや、ほとんどラグはなかったはずだ。

 あの海で、いや、再構成するときに、見るものがないからか。

 息を吐く。ならばとブルーノは急ブレーキをかけ、冒険者共に相対した。

 死ぬのは怖い。怖いのはいやだ。

 だがまあ、やるならやるだけだ。

「逃げろよ」

「あぁ?」

 いぶかしげにセンジがこちらを見て、何が何だかわからないが信じたぜと笑った。

「任せた、大将!」

「だから大将じゃねえっての」

 二刀を抜く。それを見た守護戦士、タカツキは嘲笑を浮かべる。

「馬鹿が! 気でも違ったか!」

 その通りだとブルーノは息を吐き、迫る冒険者へと剣を走らせる。

「えっ」

 盾を構えたタカツキの横にいた男の首が落ちる。即死だ。離れた距離で一撃。

 ブルーノの手から剣が姿を失っており、回転した刃が男の首を飛ばしたと気付いたのはタカツキだ。

 冒険者と言えど、現実で言う即死、例えば首を落とすなどすれば死ぬというのは割といい発見ではないだろうか。戦闘中に首という急所をさらし、あまつさえ致命的なほどの一撃を与える余裕があればであるが。

 ダンスマカブルを消費した。それと剣を。不意打ちだからこその一人。

「っの野郎!!」

 怒号を上げ、タカツキはいち早くこちらを盾で叩き潰そうとしてくる。

 そこへ割り込むように、ブルーノの目の前に衛兵が出現した。

「なっ!?」

 守護戦士は加速を押しとどめるが、勢いはすぐにかき消せるものではなく、そのまま衛兵へとぶつかる。

 がん、と間抜けにも音が響き、後ろに続いていた一味が顔を蒼くする。

 こうなるとは思ってなかったブルーノも意表を突かれ、動きを止める。

 どうなる。一秒ほど静止した衛兵は後ろをちらりと見て、それからブルーノに対し、剣を抜いた。

 攻撃を行われたのにこちらが悪いと判断した。

 やはり、中に人がいる。当然のことだ、あまりにもその鎧のせいでそういうタイプのものだと認識してしまっていた。

 目と目が合う。茶色の瞳に浮かぶ感情は何か、ブルーノにはわからない。

 大剣が剛と風を切り裂いた。フェンサースタイルが発動、迎撃するがやはり相殺を越えてダメージが入る。

 前へと出て、衛兵をライトニングステップですり抜ける。

 ブルーノの基本スタイルは盗剣士定番の二刀流だ。手数の多さと範囲攻撃で敵を仕留める。今の片手ではアキバでの立ち回りのようにはいかない。

 だから、と片手剣を振るい、タカツキへと斬りかかる。

「お前ぇっ!」

 盾と剣がかちあい、ずるりと受けられる。それに構わずすり抜きざまにタカツキへと斬りかかりながら、集団の中へと踊りこんだ。

 困惑する数人の冒険者へとラウンドウィンドミル。ヒットした対象が硬直状態となり、襲い掛かってきたことを自覚した後列の者たちの侵入を数秒阻んだ。

「相手にするな! 道を開けろ!」

 タカツキではない、誰かの声により硬直状態から解けた冒険者が退く。そこにクイックアサルトで神祇官の男へと切り込む。

 続けてヴァイパーストラッシュを浴びせようとするが、追いついた衛兵により阻まれた。

 攻撃動作中のところに大剣が降り注ぎ、ブルーノの体力をゼロにする。

 ぶつりと半ばまで断たれた体で転がり、周囲を睨み付けるまでも無く、

「ですよねー」

 と呟き、砕けた。

 虹の光に帰り、衛兵もそれに続く。

「おい! ぼさっとしてんじゃねえ! 今のうちに神殿に……おい、センジはどこだ!?」

 タカツキの怒鳴り声ではっとした荒くれ者たちはあたりを見渡すが既にあの武者の姿はない。

「み、みうしな」

「くそが! さっさと探せ!! 残りは神殿に迎え!!」

 タカツキが肩を怒らしながら走り出し、数人が慌てて着いていく。残された者たちは神殿へと走り、血だけが残った路地を見下ろしていた一人の白髪に気がつかなかった。

「みんな上っていう発想がねえんだなー」

 さて、とセンジは神殿へと向かい始める。

















 分派のブリガンディアはすでに神殿の近くまで来ていた。白コートの男を見つけなければ、タカツキに怒られるという恐怖だけで彼らは動く。

 死亡より十分も立っていないうちに彼らはたどり着き、神殿周囲と神殿からの経路を抑えることには成功した。

「……おい、誰かあいつを見たか……?」

 が、誰も彼を見つけることはできなかった。

 神殿から離れた位置で、ブルーノは息をついた。すでに包囲網から脱しており、念のために顔を覆っていたフードを脱ぐ。

「抜けたか」

 以前よりも復活速度は速くなっている。ペナルティである経験値の喪失も抑えられていた。

 それに、記憶の再生も無い。いやというほど嫌な部分を見せられるというものも無く、死亡にデメリットはブルーノにとって少ない。

 そもそも再生する記憶もないのだ。やはり何かがおかしいのだろうとブルーノは自分の体を、脳みそを疑う。それを確かめにも来たが、事態は馬鹿のせいで落ち着いたものではない。

「助かった。ありがとう、ええと……」

「アリアです。お礼を言われるほどじゃありませんよ」

 にこりと、白い髪を長く伸ばした狐尾族であるアリアは微笑んだ。

 神祇官のアリアはいかにもといった巫女装束で、神殿から慌てて出てきたブルーノを騒がしいブリガンディアから隠してくれた女性だ。

 訳あってここに滞在していた彼女はブルーノに顔を隠すためのフードをくれて、建物の中にある地下道を案内してくれた。

「いや、随分と助かった……何か礼をしたいんだけど……」

「分かっています。今は急ぎましょう」

 さあ、こちらへブルーノさん、とアリアに手を引かれる。

 白く、すべすべとして小さい手。

 何を考えているのかとブルーノは首を振る。馬鹿か、童貞か。童貞か……いや、そういうことではない。

 何か違和感が。

「あれ、そういえば俺名乗ったっけ……」

「名乗っていませんよ」

「え、じゃあ」

 なんで、という前にそれが落ちてきた。

「たいしょおおおおおおおみっけええええええええええ!!」

 大声を上げながらセンジはばきんばきばきばきとレンガと共に滑りながら落ちる。

「大将!? あれ大将どこいった!? 大将!!!??? またどっか行ったのか!?」

「お前が踏んでるんだよ!!!」

 なにぃ!? とセンジは下を見た。

 砕けたレンガと埃をかぶったブルーノがいた。

「なんだ、大将そんなところにいちゃ体が冷えるぜ?」

「誰が踏んだんだよ……」

 青筋をたてながら無理やりセンジに引っこ抜かれ、腰をうちながらも立たされた。

「まあとにかく無事でよかったぜ大将」

「いま無事じゃねえ」

 アリアが手を伸ばし、回復してくれる。それに礼をしながら、それでとセンジを見た。

「お前なんでここがわかったんだ」

「勘。あとなんか雰囲気。センサー」

「……なんだろう、すげえ納得しかけたんだけど何?」

「白髪センサー」

 白銀の頂は白髪大好きギルドなので納得しかけた。なわけあるか。ありそう。

「フレンド登録じゃないんですか?」

「あぁ? 白髪センサーはそんなもんじゃねえ……ところでお前誰だ? 性悪狐か?」

「おいセンジ」

 なぜか警戒心むき出しでがるると唸りそうなセンジをいさめるが、アリアはいいんですと首を振った。

「あなたみたいな脳みそ筋肉に知性は期待しておりませんので」

「あん? やんのか?」

「おやおや……」

 ばちっと目に見えぬ火花が散る。やな雰囲気。帰りたい。

「私はアリアと申します。ブルーノさんの手助けをしています」

「俺はセンジだ。うちの大将が迷惑かけたな。もういいぜ」

「待て待て二人とも。なんでそんなに喧嘩腰なんだよ……」

「あぁ?」「なんでしょう?」

「あ、なんでもないです……」

 二人ににらまれると怖かった。

「じゃなくてさっさと移動した方がいいだろ。音たてたし、目立つぞ」

 何しろ白三人。しかも一人はレンガを頭にぶつけて血をだらだら流していた。

 渋々といった様子で二人は睨みあいながら歩き出し、ブルーノはそれについていく。

 みたところ二人はススキノに詳しそうだし、迷うことはないはずだ。

「どこまで?」

「とりあえず進んでくれ。今聞く」

 聞く? とアリアは首を傾げる。ブルーノは慣れない手つきでフレンド欄を出して、L2を呼び出した。

 念話はすぐにつながる。

『ギルマスか!?』

「ギルマスじゃない」

 やけにうれしそうなL2が声量を抑え気味に応えた。

『まあいい。なんだ、ブルーノ。今の私は君にフレ登録されていたという事実だけでうれしい』

「お前そんなキャラだっけ……どこに集合する」

『正門だ。来た時と同じ場所にする』

「いいのか?」

 敵もおそらく一番警戒している場所だ。そこにわざわざ、というより。

「……いや、そこ以外にないのか」

 それに外に出て戦闘可能ゾーンに出るなら叩き潰したほうが早い。

『相手に知恵があればだがな。だから待っている。センジと早く来い』

 了解、と切る。センジと既に合流できていることは分かっているみたいだ。きっと信頼しているのだろう。

 羨ましいかどうかはわからない。

「正門に向かってくれ」

「オッケ―、任せろ」

 二人の先導についていく。元々正門方向へと向かっていたのか、目的地がはっきりしたことにより少しペースが上がった。

「そういや大将。ここにきたの目的あったんだろ、それはいいのかよ」

「ん? ああ……そうもいってられない状況だしな……」

 ここで動けなくなるのは論外だ。もし捕まるくらいならさっさとここから出るほうがいい。記憶がないというのも、ブルーノが少し情緒不安定になるだけだ、と思いたい。

「ふーん……」

「なんでお前が知ってるんだよ」

「L2に聞いた」

「あの野郎……」

 割と喋るな。仕方がない。いや、とブルーノは考えを改める。隠すよりはっきりと言っていった方が情報は集まる……のか?

「お前はどうなんだ、センジ」

「俺ぇ? 俺はそうだなぁ……もともとススキノを根城にしてたんだけどよ、こっちこうなっちまったしつまんねえし、じゃあアキバ行くかって思ったはいいけど」

 こちらを見て、後ろ歩きのままセンジは腕を頭の後ろで組んだ。

「ここ仕切ってたデミクァスってギルマスがぼこられてよ、荒れてる間にさっきのハゲ、タカツキがうまい汁吸おうとしてたんだよ。大地人襲おうとしてたからその後頭部をぶん殴って弱いって煽ったら切れられて追いかけられてる」

「……お前殴ったらどうなるかくらいわかんなかった?」

「でもむかついたからしゃあなくねえか? あ、大地人はなんかこっちの反ブリガンディアみたいなのが保護してるらしいぜ」

 いかにもセンジぽい。後先考えずに動くあたり。むかついたから殴るあたり。たぶん大地人を助けようとか考えてない。ただ純粋にタカツキがむかついたから殴っただけだろう。

 一緒に行動して数分にも満たないが、なんとなくわかるものはある。

「ブルーノさん」

 ぴくりとアリアの耳が立つ。同時にセンジが目を細めた。

「ブリガンディアか」

「正確にはその分派です」

 少し後ろを向くと数人の男たちがにやにやと笑いながらついてきている。

「タカツキは……いないな。なのに勝ち誇った顔してやがる」

「群れてるからだろ」

 センジがばっさり切り捨てて、構わずに正門に歩いていく。

 襲っては来ない。

「ま、それはそうか」

 外で楽しめるならそうするだろうさ。それに男たちの視線はアリアがいることもあるのだろう。

 下卑た視線が巫女服からでもわかるその体にまとわりついてる。

 馬鹿みたいだ。よっぽど余裕がなく、モテなかったのだろう。

「…………」

「……なんだよセンジ」

 こちらをじろりと見ているセンジに、視線を外しながら問う。

「大将とそっちのは前からの知り合いなのか?」

「……いや、違うけど。今日会ったばっかだ」

「ふーん……」

「おや、仲の良さに嫉妬しましたか?」

「あ? やんのかてめえ。仲の良さ対決なら負けねえぜ。なあ大将」

「どっちも今日会ったばっかだよ……」

 そういいながらも何か違和感を得た。

 なぜアリアは、名乗ってもいないのにブルーノの名前を呼んだのだろう。ステータス表記を読んでいた? いや……違う。

 アリアと会った時の記憶が濁っている。思い出そうとすると、何かが躓く。

 記憶の障害。これは。

 ――ようやく見つけました、ブルーノさん。

 この狐はようやく見つけたといっていた。狐。月。

 月。

「ブルーノ」

 呼ばれて顔を上げた。L2とミサキが寄りかかっていた壁から背中をはなして、手を上げる。

「遅かったな、ギルマス」

「ギルマスじゃない」

「そっちは誰だ」

 ああ、とブルーノはアリアを手で示した。

「アリアだ。こいつもススキノが嫌になったとかで」

「少しでもブルーノさんのお力添えが出来ればと」

 楚々とした動作で頭を下げる。なぜか詐欺のような印象を受ける。人に見られているということを自覚している。これは、見た覚えがある。

「……そうか」

 不覚にもL2は見惚れてしまう。その白髪のせいもあるが、何か、覚えがある。

「……なんだか顔色が悪いんじゃないのか」

「心配してくれるのかよ」

「これでもレイドの時は副官として立ちまわってたのさ」

 ミサキがそう言いながら、歩き始める。

「後ろの増えてるのはどうする」

「無視だね。僕が走ったら続いてはしって、同じ位置で飛べ」

「飛べ?」

 どういうことだと聞き返そうとして、ミサキが走り出した。

「もうちょい余裕持たせろよ!」

 L2、センジ、それに少しだけ遅れてブルーノが走り出す。

「え? え!?」

 困惑しながらもアリアがわずかに遅れて続く。

「追いかけろ!!」

 分派が一斉に動く。

 正門までの疾走は僅か数秒で終わる。

 ミサキが飛び、一行が続く。正門を通り抜け、雪の上を行く。

「なんだ?」

 先頭の冒険者が怪訝に眉を顰めるがもう遅かった。突然、派手に躓いて転げる。それに巻き込まれる形で数人が転倒。

「ッ、てめえらぁ!!!」

 タカツキの怒号が響く。

「ははははははは!! 見たか今の! あっさり引っかかってもう面白いことこの上ないな!!」

「それに見ろ! こけた先でトラばさみにひっかかってやがるぞ!!」

 はははははは、と二重の笑い声が聞こえたかと思うと、身動きが取れない冒険者の喉に矢が突き刺さった。

「死んでろ」

「罠師か!」

 タカツキと叫ぶとともにトラばさみを踏んで悲鳴を上げた。愉快である。

 ディオファントスとライザーはくつくつと邪悪に笑いながら、白の外套で雪に紛れながら援護射撃を開始。狙うのは主に先頭のものと罠を抜けてきた者たちだ。

 姿を見せなかった二人は正門の裏にそのまま潜んでいたらしい。街の内側に意識が裂かれている間に正門正面に罠を張り巡らせていた。

「さっさと逃げるぞギルマス!」

「ギルマスじゃねえ!」

 グリフォンの笛を吹く。忠実な鷲獅子は友のためにその羽を羽ばたかせる。先行して二匹のグリフォンが真っすぐに滑空してくるが、火球が焦がした。

「はぁ!?」

 グリフォンが落ちる。笛による召喚物は死んだとしても再召喚はできる。だが当然使用しきった扱いにより再使用規制時間が発生する。

 射角と弾道、それらを見たディーが攻撃者を目で追う。

 そいつは正門の上にいた。街の中、いや、あそこは結界内ではないのか。

 正門の上に立つのは灰色のロープを身にまとった男。

「妖術師か!」

 あぁ? と鬱陶し気にそちらをにらんだセンジがあ、と声を上げる。

「ロンダークか!」

「知ってんのか!」

「まあなぁ。何回か殴ったんだけど」

「え、何で殴ったんだよ」

「あいつデミクァスの腹心だぜ? ぶっちゃあいつが黒幕っぽいよなー」

 へー、と周りが頷きながらも走る。待てよとブルーノが口を出した。

「腹心が来てるってことは」

 うわああ、と罠にかかっていた冒険者が吹き飛んだ。

「タカツキィィ!! テメエ好き勝手に何してやがる!!」

 たくましい体つきに浅黒の肌をした男、デミクァスは怒り狂っていた。


 




「なんだ!?」

 冒険者の死体が落ちてくるのをミサキが振り返り、問うがそれにこたえるものは誰もいない。

「センジ、あれは」

「ブリガンディアだな!」

 分派ではない、本派。荒くれ者のデミクァスが率いる本来のブリガンディア。

「どっちもどっちっぽそうだな」

 同じギルドで争い出した彼らを背にして、白銀は走る。だが、

「っおいおい!」

「逃がすわけねえだろ!!」

 回り込まれた。それを見下ろすのはロンダークだ。彼が指示していたのは逃げ出そうとしている分派の殲滅。引っかかったのは白銀だが、どちらでも、構わない。

 ただ潰すのみだ。

 センジが正面のブリガンディアに斬りかかる。

「ライザー、L2、ディー、火力を集めて一人ずつ殺して進め!」

「了解!」

「ミサキとアリアは補助!」

「君はどうする!?」

 召喚獣を出しながら、ミサキがブルーノに問うと、彼は後ろを振り向き剣を抜いた。

「後ろからくるのを止める。進め!!」

 正門前、タカツキとデミクァス、分派と主派は互いにぶつかり合っていた。

「あんたはもう終わりなんだよデミクァス!!」

 あの日、外から来たギルドでも何でもない、数名の冒険者に敗れたときからタカツキの中でデミクァスは死んだ。

 ブリガンディアはすでに旗本であった絶対的な暴力を失い、傾き始めた。

 だがここからでも持ち直す可能性はある。いや、タカツキならば持ち直すことができる。

「黙れ!!」

 壁を砕く拳が盾へと叩きつけられる。

 今ここで、デミクァスをもう一度下すことにより、ブリガンディアは代頭を受けいり、生まれ変わるのだ。

 ススキノを恐怖で支配したあのブリガンディアに。

「死ねぇ!!」

 剣撃を回避し、デミクァスが下がる。着地する地面、そこにわずかな違和感を感じた武闘家は咄嗟にファントムステップで回避。弾かれた冒険者がそこに叩きつけられるとトラばさみが起動した。

 ちっと舌打ちをしたタカツキにデミクァスが強烈な跳び蹴りを放った。

「むっかつく手を使いやがってェ!!」

 数日前の敗北を思い出し、デミクァスは猛った。

 隙の無い攻撃が守護戦士に襲い掛かる。速度では武闘家に、守りに関しては守護戦士に分がある。

 タンクとして求められている性能が違う二職はもつれあうようにぶつかり合って行く。

 上段からの叩きつけ、次いでストレートが三発。そのどれもを盾で受け止めると、拳を大きく振りかぶる。

 ここだとタカツキは剣を握る手に力を入れるが、デミクァスはつまらなさそうにエリアルレイブ。

 盾が持ち上がり、隙が出来た。大熊のように素早い動きでデミクァスに組付かれたタカツキは肘打ちを浴びせるが構わず前へと投げ飛ばした。

「オラァ!!」

 全身鎧、重量のある盾を持った大男が浮く。

 その落下先には白銀の頂。

 宙のタカツキはわずかな間ににやりと笑うがそこにブルーノが斬撃を浴びせた。

「てめええええええええええ!!」

「うるせえ」

 鎧の隙間を掻い潜り、空中の守護戦士の脚を綺麗に切り裂かれ、血がしたたり落ちる。出血状態となったタカツキは起き上がるとともに剣を振るがひらりとブルーノは回避した。

「ブルーノ、お前の名前は覚えたぞ……!!」

 殺気をまき散らす男にブルーノは黙ったまま剣を向けた。

「どうせすぐ忘れるだろ、大猿」

「なんだとてめ――!」

 挑発に気をとられた言葉の途中でタカツキの後頭部に蹴りが入る。

 蹴りを放ったデミクァスは苛立たし気に、ブルーノを睨みつけた。

「お前に、俺はなんの因縁もねえ」

 ぴり、と空気が張り詰めたような気がした。

「だがな、お前は盗剣士だ。だったら、理由は、それだけで」

 筋肉が盛り上がる。タカツキに向けていたものよりも、黒い怒気が噴き出す。

「理由は十分だ!!」

 雪が破裂したように飛び、デミクァスが襲い掛かってくる。寅の爪を模した武具を受け止め、ブルーノはわずかに笑った。

「八つ当たりってやつかよ!!」

「ああ、そうだ! 一片死ね! てめえも!」

「死ぬのは手前だ!!」

 後ろからかかったタカツキの攻撃をかわす。ブルーノが代わるように打ち払いきり返す。

「盗剣士に、守護戦士、暗殺者、思い出すだけでむかむかしてきやがる……!!」

「ちょうどいい、お前ら二人ともぶっ殺してやるぁ!!!」

「マジでうるさいな、お前ら」

「殺す!」

「殺す!!」

「殺す」

 剣を構え、拳を構え、盾を構え。

 雪さえ溶かすような熱量を持った三つ巴が始まる。

 前衛二人、攻撃一人。

 ブルーノだけが耐久性能に不安を抱えるが攻撃性能は見劣りしておらず、彼にはこの世界に対する違和はない。加えて、タカツキとデミクァスはこちらにくるまで互いに削り合っており、すでに傷ついている。

 ブルーノがデミクァスを刺しに行けばタカツキが隙をつき、デミクァスがタカツキを殴ればブルーノが背後から切り裂いた。

 入り混じるような攻防戦は互いに削り合い、死へと加速していく。

 盗剣士は範囲攻撃に優れてこそいるが、この状況で余計に二人からヘイトを稼げば合致した二人により薄い装甲のブルーノは落とされ、背後の白銀へ接近を許してしまう。

 デバフ付きの攻撃でさえ彼らはひどく苛立たし気にこちらを睨み付けてくるのだ。稼ぎ過ぎれば取られる。

 対人戦はモンスターを相手取るよりも何倍以上の緊張感を強いられる。それはPKになれているデミクァスも同様だ。経験した敗北のおかげで、なおのこと荒々しくも本来のスタイルに戻りかけている彼は意外にも冷静に隙間を縫うように痛打を出してくる。

 反対にタカツキは己の本分を忘れているかのようにむちゃくちゃな突撃を繰り返しているが盾と圧倒的な装甲により即座に倒れることはない。

「ひらひら、よけんじゃねえ!!」

 剣が走る。それを紙一重でよけるも追うようにシールドバッシュ。防御を捨てた攻めにブルーノは目を見開くが、無様に雪に転がった。はっと笑ったタカツキの顔は次には怒りに満ち溢れる。

 空いた背中にデミクァスが打撃を入れる。タカツキを挟むような形になったブルーノたちは息を合わせたように特技を起動するが攻め落とすには足りない。

 MPの使い過ぎは厳禁だ。ここが最後ではない。

「てめえ、何笑ってやがる」

 タカツキを踏み台に武闘家が踵落しで接近する。身をかわしながら、白い男は息を吸う。

 今なんと言った。

「笑ってる? 冗談は……」

 確かめるように唇にふれ、ブルーノは言葉を止めた。

 確かに口の端はつり上がっている。

「なんだ、お前は……!?」

「んなことは俺が一番知りてえんだよ……!!」

 笑みを怒りに変えきることができないまま、ブルーノが攻める。下段を中心とした、防ぎにくい攻撃は相手のいやがることを優先してやり続けるのを選択したものだ。

 ああ、くそ、とブルーノは相手の攻撃をかわし、肉を切る。血が噴き出す。

 ひりひりとした、熱にも似た感覚がブルーノを駆け抜ける。

 ああ、

 ああ。

 たのしい。









 三人の冒険者が立ちはだかる。センジはにやりと笑ってから、太刀を地面へと突き刺す。

 何かが来ると身構えた冒険者は次にくるそれを見て、微妙な顔をした。

 センジは両手を広げ、片足を強く踏み込み、その恰好のまま固まった。

 見得を切ったのだと三人のうちの一人が気付くも、困惑するばかりだ。僅かな硬直の後、どこからか桜の花びらが入っているザルを取り出し、そこら中に花びらを散らせる。

 雪と桜。出会うことのないはずのキレイなものにほう、と感慨を抱かせるが、気を取られているうちに次のものを出した。

 とっくりとおちょこである。とっくりを傾け、とくとくと酒を注ぐ。おっとっとと傾け、零れそうな酒を戻し、センジはぐいと一気にのみ、桜と雪を見やる。

「お前、何やってやがる!?」

 あまりの出来事に目を奪われていた三人のうち一人、武闘家のイェーガーが叫ぶとセンジはひどく機嫌よさそうに酒をまた飲んだ。

「花見だ」

 話が通じない。

「まああせんなよ。次で終わりだ」

 次? と気になりだした二人にイェーガーが目配せをして、正す。ごそごそと取り出している間に三人は接近し、それの口を向けられたことに固まった。

「たーまやー!!」

 取り出したのは円筒の打上花火。掛け声一発と共に引火した導火線は即座に火薬へと接触。

 破裂音。

 ばん、という音と共にイェーガーの左隣にいた男は綺麗に消えて、後方で光と音が爆散した。

「なっ……!?」

 焦げ臭いにおいと、わずかな血の臭い。異臭は何が焼けたのか、何が爆ぜたのか伝わるには十分。

「さて、やっか」

 軽い動きで円筒を右隣の男にぶん投げる。想像以上の重量に男はあっけなく押し負けると、イェーガーは正面から蹴り撃ち出される太刀を寸でで避けた。

 あぶないと思う暇も無く、腰にさしていた打刀を二本引き抜き、センジが迫る。

 一合、二合と剣戟を合わせ、イェーガーはたたらを踏む。隙を潰すようにもう一人が攻撃を背後から入れるがそちらを見ることなく左の刀で防いだ。

 二人の冒険者による攻撃が開始されるがいずれもセンジはいなし、撃ち落とし、弾き斬る。

「つええ……!」

 一歩も引かず、二人を完全に引き付けきっているタンクとしてこれ以上ない活躍を見せるセンジは楽しそうに笑い、刀を振り回す。

「まだまだ行けんだろ!! 来いよ!!」

 身のこなしは軽く、動くごとに派手な模様の上着がばさりと翻る。

 間違いなく手練れ。それも二つ名を持っている彼らの中でも最上級に位置するほどの実力者。

 だが、三人同時は手に負えまい。

「!?」

 唐突に現れた三人目がセンジを襲う。焦げた衣服を身にまとうのは最初に花火をぶつけられた男だ。花火の直撃で数秒の失神、そして復帰。死にはしなかった。だから、男は舞い戻る。

 打刀がきんと弾き飛ぶ。雪の上に突き立ち、一本では手数が足りなくなったセンジに三人が襲い掛かる。

「おもしれえ」

 武者は呟き、足を振り上げる。何をしようとしているか知ったことではない。このまま殺す。

 勢いのまま飛び込み、

 そして、焦げた男が切り捨てられた。

「あ、え……?」

 なんで、と男は漏らし、崩れ落ちる。

 センジの手には最初に投げた太刀が握りしめられている。

「は……!?」 

 確かに手から離れたはずだ。それがなぜ、手元に戻って。

 いや、とイェーガーは太刀の柄から伸びるきらりと光るそれに気が付いた。

「糸……!?」

「お、よく気付いたな。いいだろ、括りつけてんだよ」

 ほら、とセンジは脚をわずかに上げて、日につながった糸を反射させる。

 あれを先ほどの脚上げで引き寄せ、わずかな動作で男を斬った。

 太刀と打刀の変則二刀流。

「ふざけるな……!」

「待て……!」

 焦った仲間が飛びかかる。それにあわせ動かざるを得なくなったイェーガーが行く。

 はっと笑みを濃くしたセンジは太刀を投射。避けた男は猛り、槍を突き出すが撃ち刀で弾かれ、蹴りで穂先を踏み込まれる。後ろに迫ったイェーガーをひっりとよけ、回転。すれ違いざまに柄でおす。イェーガーはわずかな動作におされ、転ぶと同時にぞくりとした危険を感じ取りよけるとそこに太刀が振り下ろされた。

 足での操作。槍がついで出されるが一撃を弾かれ、二撃をありえぬ形でそらされた。

 武士の手の内には先程失った二本目の打刀がある。

 なぜ、どうして、理解が追いつかない。

 先ほど投げた太刀を引き返させる際に、突き立った打刀を糸で引っ掛け、手元に持ってきたと気付くも信じられない。

 しかし、目の前にある。

 レベルが違う。

「あ……お前……」

 そうかとイェーガーは思い出す。

 白銀の頂というギルドに、ひどく騒がしい武者が一人いるという噂を。

 そして尋常ではない直感の優れた剣士がいるということも。

 こいつだ。

「白銀の白い死神……」

 金色の瞳が、二つ。

 彼らを狙っている。











 後衛職たちによる打ち合いはセンジたちの幕引きにより、一気に動いた。

 遮蔽物としては少し頼りない木々を中心に立ち回っていた三人の白銀はフードを一様に深くかぶり、前に出た。

 L2は氷を中心として扱う妖術師だ。ライザーは雷を中心とする妖術師。ディオファントスは弓矢を扱う暗殺者。

 このあたり一面の銀世界は、髪色だけでなく武器でさえも彼らに味方する。

 白が雪に紛れるとはいえ、動いている物体を見逃すほど冒険者の視力は甘くない。しかし、紛れたものは一時的に脳に混乱をもたらす。たとえ身体が優れていても、それを扱う頭脳が適応していなければ宝の持ち腐れだとL2は今だ違和のある体で思った。

 その点、ブルーノはこの序盤ともいえる二週間で圧倒的なアドバンテージがある。自在に体を操り、それらの処理に対応できる脳みそと、人を傷つけ傷つけられることを覚悟している精神。

 面白い、とやはり笑いながらフリージングライナーを右手から走らせる。雪崩打つ冷気の奔流が打ち出され、かたまり、六人の冒険者を分断させる。

 四と二。

 二の方向にきりと弓が張り詰める音がして、反応するも風切り音だけで矢が見えない。まずいと判断し、そこから飛びのこうとするが矢が足へと突き刺さった。

「アジバ!」

 鮮血があふれ出る足を見れば、矢は白塗り。雪の中紛れる様な細工がなされている。撃たれた角度を見て、声を上げようとする。

「二時の方向に暗」

 電撃が声を焼いた。別方向。フリージングライナーの壁沿いに撃たれた雷はアジバを焼き、それは仲間にも伝播した。

 しびれる。追加効果による麻痺。妖術師のそれは効果が薄い。二秒にも満たない。しかし、その二秒で二方向からの十字砲火によりそいつは死んだ。

 射程持ちによる有利とは火力の集中だ。対応できないほどに砲が多ければいともたやすくおられる。

 遅れ、壁を壊して四人が来る。分断されたその数秒で亡骸となった二人を見て、火力持ちの恐ろしさを実感するが相手は攻撃に特化しすぎている。

 壁を一枚。それをおいて、一人ずつ崩せばいい。そう指示を出そうとして、上からくるそれに気が付いた。

 火の鳥。

「よけろ!!」

 警戒もむなしく、四人を飲み込むようにフェニックスが地面へと激突。火と爆砕をまき散らした。

 召喚術師、ミサキの不死鳥。再召喚まで長いが自分の残り体力を消費すれば消費した分だけ威力を持つ特技を放てる。もちろん、使えば体力を失い燃え尽きるのみだ。

 四人がばらけた。うち二人が起き上がった瞬間に氷と雷になめとられる。残り二人。

「くっそがぁ!!」

 タンクの男が吼えたて、大きな斧をミサキへとぶん投げるが直前でガラスが砕けたような音と共に光の飛沫が待った。

 神祇官の障壁。それもミサキにかかっていたわけでなく、空中に突然現れたかのようなあり得ない挙動を見せ、守られたミサキでさえ眉を顰める。

「貸し一つですよ」

「言うなぁ……」

 進もうと手をついたそこに矢が突き立つ。タンクの男が最後に目にした光景はあたり一面の白だった。

 最後の一人は動けず、ディーのはっていた罠にかかり、呆気なく終わる。

「ギルマス!! 撤退だ!!」

 L2が後方へと叫び、白銀が一斉に走り始めた。

「待ててめえ!!」

 タカツキがブルーノを追おうとするが、彼が突然身を転ばせた。

 転んだとあざけ笑い剣を振ろうとするがそこに矢と氷が突き立った。

「がぁっ!?」

 ブルーノの姿が消えたことにより、攻撃の射線が通った。事前に打ち合わせも無く、何も示し合わせず彼らはそれをした。

 その光景を見ていたデミクァスは苛立たし気に舌打ちし、走るのをやめる。

 転がりながら起き上がりブルーノが叫ぶ。

「行け行け行け行け!!!」

 後ろではブリガンディア同士が暴れている。それも少しずつこちらに迫りながらだ。荒くれ者の集団は一度崩れればより大きく事を荒立て暴するだろう。それに巻き込まれる義理も無い。

 その背後の騒ぎに本気でビビりながら、ブルーノは走った。



















 ススキノから離れていく。

 馬も呼び出す暇さえ惜しんで雪の上を走った。

「おい、そろそろ」

 ミサキがわずかに頷き、グリフォンの笛を鳴らしたと同時、ブルーノがそれを感じ取る。

 何か、来る。

 左手にそびえる山がわずかに震えた。

「は……?」

「なんかおかしくないか……?」

 ブルーノが足を止める。

「ギルマス! そんなことは後でいい……」

 振り向いたL2が続くように足を止めた。

「馬鹿だろあいつ……」

「ブルーノォォォォォォオオオオオオオオ!!!」

 タカツキが狭い道を馬を走らせ、凄まじい勢いで迫ってくる。馬は時折バランスを崩しているが無理やりな操縦によって速度を維持していた。

「すっかり大将推しだな!」

 ははは、と笑いながらセンジは後ろを向くとブルーノはまだ足を止めていた。はて、そんなに驚くことだろうか。

「なにしてるんだ!?」

 ディーが叫び、反転。弓矢を構えようとして、ブルーノの視線に気が付いた。

 鳴動。

 震え。

 視線。

 彼の見ているものはタカツキではなかった。

「うわやべえ。はやくグリフォンふけ!! ブルーノも来い!!」

 おいと叫ぶとはっとしたように男は走り出す。

「なんだ!? あんまり聞きたくないけど聞いておくよ!」

「楽しいぞ! 雪崩だ!!」

 莫大な雪が傾れてくる。爆発が続いてるように大量の雪煙を巻き上げながらそれが一面嘗め尽くすように来た。

「おいおいおいおいおいおいおい!!!!」

 ふざけるなよという思いを込めるようにグリフォンの笛が鳴った。

 雪崩は広く、早い。たとえ冒険者の脚であっても逃げ切れないようなものだ。空に逃げる。それしかない。

 タカツキはそんなもの目に入っていない様で、まっすぐにブルーノに迫ってきた。

 どんどんと加速してくるそれはすべてを飲み込んでいく。

 おおおおおおおという空気が震えていく音は木々をへし折っていく騒音さえも飲み込む。

 それから、ブルーノは目が離せなかった。

 破壊に圧倒されていたわけではない。

 グリフォンが現れる。タカツキはもうすぐそこに迫ってきた。礼儀正しくそれに乗っている余裕はない。

 あっという間に雪崩はすぐそこまで迫ってくる。あまりにも巨大で距離感は狂っていた。

 もう逃げきれない。

 寸前のところでグリフォンが地面ギリギリを飛ぶ。危険を承知で彼らは友のために来た。

 次々とグリフォンに飛び乗っていく中、アリアが体勢を崩す。

「っ!」

 立て直しにも時間がかかる。

「おいて、いっ!?」

 アリアの首根っこがつかまれ、

「いいいいいいいいいいいいい!?」

 ぶん投げられる。

 回る視界の中見たのは、ブルーノの姿だ。

「大将!?」

 センジが無理やりにグリフォンを操縦して、ブルーノに近付くが、跳ねた雪により、離れざるを得なくなる。

「ブルーノさん!」

 アリアが身を乗り出そうとするが受け止めたL2が引き留める。

「もう無理だ」

「おいてけ!」

 ブルーノの声に応じるように、グリフォンたちが離れていく。タカツキが迫った。

 それを待ち受けた。

 これがここに来た理由だ。

 月面の中の影。

 L2たちが離れ行く中、見たのは雪崩の中から飛び出して、ブルーノとタカツキをまとめて飲み込んだ黒い影だった。

「おい……なんだよこれ……」

 僅か数秒後、グリフォンの背の上で、ミサキは息をのむ。

 雪崩が一斉に、黒い影に飲み込まれ、跡形もなく消えていく。

 下に流れていったものを残して。

 つまり、これは。

「ギルマスだけを、狙っていったもの、なのか……?」

























「起きたの?」

 気が付けば、ベッドの上で寝ていた。

 知らない、ふかふかとした感触のベッドと柔らかい枕。

 人の声。女。

 ここは、どこだ。まるで身覚えがない。

 でもどこか懐かしい部屋だと感じる。

「大丈夫?」

 女性がこちらを覗き込んだ。

 綺麗な人だった。

 白く長い髪に、赤い瞳。美しかった。あの白髪なんかよりも、圧倒的に。

 目を引く。絶対的な存在だと、本能で感じ取る。

 たぶん、いや、絶対にエルダーテイルでもこれ以上綺麗な人を見ないくらいに、そう、まあ、世界で一番きれいだと思う。でも、どこか、恐ろしくて、嫌悪する。

 大丈夫と言おうとして、咳込む。

「ほら。ゆっくり」

 女性に水を差し出される。受け取ろうとするが、やんわりと止められてそのまま飲まされた。途中どうしてか起き上がろうとして水が零れる。

 充分に喉を潤し、体を起こした。

 あちこちが痛む。見下ろせば、いろんなところに包帯やらシップが張られている。

 黒い髪が、視界の端にちらつく。

 これは、

 頭が痛む。

「ありがとう」

 ございます、と続けようとして言葉が続かない。なんだ。自分の体が、思い通りに動かない。だが、動いている。自分の意思は通じていない。

 訳の分からない事態に、飲み込まれかけるが窓ガラスに映った自分の肉体を見て、納得した。

 黒い髪の、印象の薄い、目付きが少し悪い男がそこにいる。

 ブルーノの体じゃない。嫌に馴染む誰かの体に、意識だけが入っている。

「どこか痛む場所はない?」

「嫌な痛み方はしてない……骨は折れてた?」

「当たり前よ。轢かれたでしょう」

 ああそうだったと男は息を吐いた。柄じゃないことをしたとも続ける。

 頭の中がかきむしられている。ブルーノの頭の中が。

 ノイズが走る。がりがりと内側で無数の虫が這いまわり、鼠が掻き回しているような感覚。

 何かが。

「これに懲りたら少し休むことね」

 ふっ、と女性がほほ笑んで、男を抱きしめる。

 嫌悪感がブルーノの全身に走った。

 綺麗な女性に触られたのに。ドキドキするような感覚はない。ただ、おぞましい。人間の振りをした何かみたいだった。それも、体温のように暖かいから始末に負えない。

 吐き気がする。甘い匂いで、意識がもうろうとしてきた。

「かずひと」

 ああ。

 ああ!

 意識が戻る。これ以上なく鮮明に。

 ブルーノの脳髄に訳の分からない情報が注ぎ込まれ、繋がり、消え失せていく。

 これだ。

 全身が喝さいを叫ぶ。

 これじゃない。

 全身が祝福を投げ捨てた。

 急速に文字が浮かび上がりは消えて、連鎖するように、一つの名前が組み上がる。

 橋場和人。

 俺の名前だ。

 現実の名前。

 歓喜に体が打ち震え、電撃を浴びせられたかのように体温が上がる。

「春、あつい」

 男は、いや、橋場和人は橋場春を迷惑そうに押しのける。

 天才。

 春は残念そうに離れ、にこりと笑った。

「役に立った?」

「何が?」

 首を傾げ、和人は聞き返す。

「だから、人を殺すときの手の話」





 あなたは、





「左手の方が、人をうまく殺せたでしょう?」






















 ああ、この女は悪魔だと、理由も無く理解した。























 また唐突に景色は切り替わる。

 今度こそブルーノ自身の体に引き戻される。

 魂の剥離は懐かしさを伴う痛みだった。

 眼球に電極を刺され、電流を流され続け、最後にはずぶずぶと頭の内側に入り込む。そんなものが懐かしい。

 肩で息をし、濡れた視界で顔を上げる。

 そこに広がっているのは一面の夜空。

 赤い月。

 椅子に座ったまま寝ている男。

 そして、四人の人影。

 椅子に近い男がこちらを向く。

「お前は誰だ」

 何か変だ。

「お前こそ、誰だよ」

 よろよろと、もてる限りの気力で立ち上がる。

「俺は、今は何もない」

「今は? 何かを得れるような口ぶりだな……くそみたいだ」

「お前はどうだ」

 そんなものは決まっている。

 はらわたが煮えくり返るような最悪な気分になる。

「俺には、何もない。ずっと、誰にも、何にもなれない」

 記憶がなくても、それくらいはわかる。

 自分は、そんな人間だ。

 人影が笑う。自嘲のようなそれに、吐き気がした。

「どうだろうな」

「黙れ!! お前に何がわかる!!」

 ああ、うるさい。頭の中がなぜだかうるさい。

 言葉がずっと響いて浮かんで、消えてくれない。

 ずっと、ずっとうるさい。

「死ねよ、お前。さっさと死ね、今死ね、すぐ死ね、生きる価値なんかないだろうが!!」

 頭が狂いそうだ。いや、もう狂っているのだろう。

「俺は、おれになる」

 もう一度、始める。

 生きるために。

「ふざけんな!!」

 ブルーノの我慢は限界に達し、人影へと踏み出した瞬間、それは一歩退いた。

 椅子に寝かされている男が見えた。

 足先がきらきらと光って、消えている。

 なんだ。

 黒い髪。

 印象の薄い男。

 目があいている。

 でも、その瞳はなにも見ちゃいない。

 そこにいるのは、








 橋場和人だ。





























 あなたはだれですか































 なにがあなたをあなたにしますか




































 うるさい

















 俺は誰だ



















 俺は、どこにいればいいんだ























 わからない


















 俺は




















 タカツキは痛む体を起こし、剣を取った。

 歪んだ顔に、歪な笑み。

 何かに歪まされたような雰囲気を纏って、タカツキは横たわるブルーノへと足を向ける。

 ここがどこで、どうなったかなどもう関係がない。

 殺す。邪魔をしたこの男を殺す。

 ざざざとノイズでも走るかのように、タカツキの影がひび割れた。

 コマ落ちのように収縮を繰り返し、原形をとどめずに荒れ狂う。

「殺す……殺す……殺す……殺す……」

 口だけが動いている。殺意だけが渦巻いている。

 糸で操られた人形のように、かくかくとした動きで影に支えられ、タカツキは剣を振り上げた。

「ころすぅ……!!」



















 俺は


























 刃が突き刺さった。

 タカツキの顔が喜色に歪む。

「ァハァ……!」

 快感が体を貫いた。

 求めるように何度も何度も突き刺す。

 真っ赤になるように、

 白い髪が、

 白い服が、

 白い雪が、

 赤く、赤く汚れていく。

「ひひ、はは……! あっはははははははは!! あーあ……」

 飽きた。首を落とそう。

 それでもう終わりだ。

 風を切る音。

 切っ先が落下する。

 首が落ちる。

 はずだった。

「……?」

 ぴたりと剣が止まっていた。

 指と指に挟まれて止まっている。

 赤い目が開いている。



 おはよう



 微笑み、口が動いた。

「ぁ……ひ……」

 タカツキの向こう側にいる誰かに話しかけるみたいに。

 全身が総毛立つ。

 不理解、不可解、不安定。

 恐怖。

 戦士を蝕んでいた影が揺れる。タカツキとは真反対に、驚喜をもって。

 新しい発見。

 ブルーノが剣先を持ったまま起き上がる。

 コマ落ちしたみたいに、鮮明に不鮮明。

 目と目が合った。

 ぞぶっと音がして、タカツキの耳に痛みが走る。

「あ……? あ、い……!?」

 たらりと頬を血が伝う。

「あ、あああああ、ああああああああああ!!!」

 耳がない。

「てめえ俺の耳をどうし」

 噴火したような激情が、それを見て止まった。

 ブルーノがそれを吐き捨てる。

 ぷっ。

「まっず」

 唾液と血液に塗れた耳の残骸だ。歯形がいくつもついている。

 雪の上に転がって、タカツキは吼えた。

「このくそ野郎!!」

 視界から男が消える。

 どこに、消え。

 ぞくりと気配が来る。下だという直感と共に飛びのくと、追いついてくる。

 低い姿勢を維持したまま、地面にかするように上体を倒し掴んだのは落ちていたブルーノの剣だ。

 右手に剣を持ち、ブルーノが振り切る。慌てて剣を防御した。

 ぎん、と硬い音がして剣が折れる。

 度重なる衛兵との死闘、ススキノ正門前での戦闘、それまでずっと修理していなかったブルーノの剣はついに折れてしまった。

 勝った。次はもうない。あいつの刀はもう雪崩で折れている。かろうじて残ったのはその剣だけだ。

 それも、折れて使い物にならない。

 にやりと笑って剣を振ろうとして、脇腹の痛みに気が付く。

 つー、と血が垂れる感触。

 振り切った際に、刃は到達していた。

 構わず剣を振ろうとして、滑る。

「っ!?」

 足元には血と雪。

 溶けている。雪が血の暖かさで。違う、これは。

 影が蠢いて。

 なんだ、これは。

 はっとしたときにはもう遅い。

 折れた剣をブルーノが首筋に突き入れた。

「こ、の野郎……!」

 次はない。

 はずだった。

 ブルーノは折れた剣先を空中でとっていた。

 左手で。

 一切迷いのない刺突がタカツキの眼孔を抉る。

「があぁぁぁあぁああああっぁあああああああ!!」

 痛みが走る。なんてことのない、タンスに親指をぶつけた程度の痛みのはずが、こうも鮮烈にタカツキを襲う。

 なんだ、ふざけるな。

 なにがおきてる。

 なぜ、こんなにもいたい。

 眼窩にずぶずぶと折れた剣先が入り込む。硬いところにがつがつとぶつかって自分の中から音がした。

 悲鳴がおびただしくあふれ出る。

 目の前に閃光が走る。

 ちかちかちかちか。

 火花が散って、訳も分からず抗おうとするが痛みのせいで筋肉がうまく動かない。

 歯がうまくかみ合わない。

「死ね」

 剣が奪い取られ、殴られる。

 雪の上をのたうち回る。

 抑えつけられ、馬乗りになられて、何度も何度も剣で突き刺された。

 タカツキが動かなくなったのは、十数秒後のことだった。






































「大将!!! 大将!!! 飯だぞ!!!!」

 がくがくと死ぬほど揺らされてブルーノはゆっくりと瞼を開ける。

 おぼろげにセンジが見えたので目覚めが最悪だった。

「大将起きたぞ!!」

「うるせえ……」

「あ、ブルーノさんおはようございます退いてくださいそこのうるさい人」

 ばしっとアリアがセンジをどけようとしてわあわあと喧嘩しているとその二人をL2とミサキが掴んで別の場所で喧嘩させ始めた。

「起きたか、ギルマス」

「ギルマスじゃないんですけど……」

 体を起こすと、あちこちが濡れていて最悪なことに変わりはなかった。

 はあ、と息を吐いて周りを見ると、相変わらず雪まみれではあるが山の姿はない。

「ここは?」

「海峡超えたあたり。君ずっと寝てたんだよ。ここまで運んだんだから感謝してほしいね」

 ミサキがやれやれとわざとらしく疲れたアピールをすると、ブルーノは素直に礼を言った。

「ありがとう。助かった」

「……そうかい」

 ミサキがぷいと離れ、ディーとライザーのテント組の方へと歩いていく。

「今どんな状況か説明がいるか?」

「いや……だいたいわかるからいい……」

 あの後気絶したのを回収して、ここまで一気に飛んできたのだろう。日もそろそろ没する時間だ。降りてキャンプの準備をしているのは分かる。

「でもどうやって俺の居場所が分かったんだ」

「フレ登録」

「あー……」

 そういえば念話機能の他にもフレンド登録した相手の居場所が分かるようになっている。

「雪崩でそんな騒がなくてよかったのか……」

「いや騒ぐだろ……すごく滑ってたぞ君ら……」

 そうかなと首を傾げる。正直影に飲み込まれてから記憶があまりない。

 じくりと頭痛がした。

 名前。

 橋場和人。

 俺の名前。

「ギルマス? どこかまだ痛むか」

「ああ……なんでもない」

 ただ、

「ちょっと眠い」

 L2が珍しく微笑する。

「ならもう少し寝ているといい」

 そういって、彼女は離れていった。

 見送ってブルーノは横になる。

 疲れた。

 だからもう少しだけ寝ていたい。

 ゆっくりと、ブルーノは眠りにつく。






 見た目だけはいい湿気た段ボールのようなせんべいを食べ終えてから、未だ目覚めないブルーノはテントに放り込まれ放置された。

 誰もが寝静まった真夜中に、テントにするりと誰かが入ってくる。

 ぴょこんと白い狐耳を立たせたままアリアは警戒し、あたりをきょろきょろと見渡す。

「ふむ、誰もいないですね……」

 先ほどまで寝ているブルーノの隣にはセンジがいた。犬のようにまだ起きないのかとぐるぐるしていた武者はやがて大型犬のように飽きてテントから出ていった。

 ブルーノの隣に腰を下ろし、アリアは顔を見る。

 寝心地悪そうに顔を顰めながらの睡眠は、いつも通りで安心する反面、心配だった。

 そんなことにくすりと笑って、言うべきことを思い出した。

「おやすみ、和人」

















































 アキバについたのは、空が茜色に染まるころだった。

 徐々に明かりがつけられていく街を見ながら、ブルーノは腕をセンジにつかまれ歩いていた。

「おい離せよ」

「いいじゃねえか、大将すぐ逃げんだからよ」

「お前が追いかけてくるからだろ」

「犬みてえだなぁ」

 お前に言われたくない。

 はあと息を吐く。

 L2とミサキ、ディーとライザーはついてギルド会館へと戻っていった。ブルーノはではと別れようとしてセンジにつかまった。

 アリアは、気がついたらどこかへと消えていた。あの態度もたぶん、ススキノから逃げたい一心からついた嘘なのだろうなとそう思う。

「どうしたもんかな……」

「何が?」

「この後だよ。住処は何とかなるとして……」

「おう、白銀あっからな」

「…………」

 おや、もしかして。

「俺白銀はいる気ないんだけど」

「は!? むしろまだはいってねえのかよ!? 入れよさっさと! んで大将になれよ大将! つか大将になんねえと地獄の果てまでおい回すぞ大将。どこでのうのうと生きててもあらして白銀にしてやるぞ」

 怖い。ススキノから一番やばい奴拾って来たんじゃないだろうか。あのまま封じ込めて……絶対抜け出すよなぁ……詰んでいる。

 戦っているときにも思っていたが白銀の頂はもしこの世界に主人公だとかそういう概念があるなら、間違いなく敵側の阿保共だろう。そんなものに協力してしまったんだなと思うと憂鬱な気分になる。

「後なんかあるかよ」

「記憶」

 あーとセンジは声を上げる。

「でもなんか思い出したんだろ」

「まあ、一応は……」

 名前。これだと思えるように思い出した。

 だというのに、現実の名前だけ思い出したってどうなるのだと思ってしまえばそれまでだ。

 こっちで名前を言いふらしたところで思い出すものでもないだろう。

 後は、括りつけられていたおそらく自分の肉体と、四つの人影。

 タカツキに巣食っていたそれとあれらはおそらく一緒だ。

「ただの記憶喪失じゃない……か」

 ろくでもないことになっているのは、確かだった。

 何がどうなっているのか、何が起きたのかはわからない。

「ま、気にすんなって。俺らがいるぜ」

「あ、そう……」

「俺みたいにアキバに集まってくるやつもいるからな!」

「それ思ったんだけど、お前ススキノに一人でもやれてただろ」

 わざわざこちらに来るまでもない。こいつはきっとススキノでも大暴れできただろう。

「だったら、白銀が集まってくる必要なんて、ないだろ」

 きっとこいつらは一人でも生きていけるような連中だ。

 そういうと、センジはぽかんとしてからにやりと得意げに笑った。

「なんだ、大将のくせに知らねえのか!」

「あぁ……?」

「一人はな、寂しい時もあるんだぜ?」

「……ああ、そうだな」

 太陽が沈んだ。

 星も無いその日。

 ブルーノは白銀の頂になった。

 ギルドマスターを引き受けた理由は、彼自身には、わからなかった。




































「空から、月から、やってきた」

 月光を受け、その狐尾族の女は笑った。

 未知を前にして歓喜する。

 これは、創造主でさえ観測できなかった、大いなる事象だ。

「始めましょう」

 月の光が、白い髪を透かせた。



































 太陽が昇り始める。

 暁を背に、男はまっすぐに立つ。

 この足は、きっと地平線まで刻む。

 この手こそが、頂を掴む。

「俺は、ここにいる」

 ここに、生きている。

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