オリジン・デパーチャー#2-11
「事象の歪曲を確認。仔猫の『意地悪な願望器』が活性化。あまりに強力……さくらの眼と干渉しあっている」
咲良の呟きを肯定するように、スクリーンは乱れ、判別可能な映像を結ばない。
「冬壁ちゃん! 冬壁のぞみちゃん! 大丈夫!?」
紅葉が手にした携帯電話もノイズを返すばかり。
「夏樫小雪は復讐者を排撃した。すぐ帰還する。それまで時を稼げれば」
淡々とした咲良とは対照的に、紅葉は蒼白になり呼びかけを続ける。
「冬壁ちゃん、生きてる!?
お願い、返事して!!」
『生きてる!?
返事して!』
小学生の机と机の間に転がったガラケーからノイズ混じりに紅葉の切迫した声がした。
「い、生きてる、わ」
埃まみれで壁にもたれ掛かる冬壁は咳こみながら答えた。崩れた階段の下敷きからかろうじて逃れ、ほうほうの
『こうなった以上、尾野夫人と一緒に避難を優先。タケルと子猫は夏樫小雪が戻るまで回避するしかない……しまった、子猫のほうが独立して動いている。何を仕掛けてくるか分からない……逃げて』
弾かれたように顔を上げた。開け放したままの引き戸から、くだんの子猫が滑るように入ってきて、冬壁の背中が総毛立った。
みー、と鳴いて、三毛猫の目が赤く輝いた。
教室の隅、太った金魚の泳ぐ水槽が内側から音を割れる。
その金魚の体が見る間に人間大に膨らんだかと思うと、そのヒレが異様に発達し、水掻きのついた手、腕へと変化して床を踏みしめた。巨体を揺すりながら、ぱくぱくと開閉する口で噛みつかんと突進してくる。
後ろに下がろうとして、横転した机に足を取られて尻餅をついてしまう。
巨大な金魚の、針のような歯の並んだ口が冬壁の頭を飲み込もうと迫ってくる。
「い、や――!」
生理的な嫌悪、恐怖。頭をかばってかざした両手。その指先に、狂おしいほどの異質な力が漲った。一瞬の抵抗をたやすく突き破り、不可視の刃となって放たれる。
金魚の怪物の動きが止まった、と見えた瞬間、その体が鮮やかなほどに左右の半身に分かたれ、生臭い臭いと血液を噴き出した。
周囲の教室の天井と床に深い傷が刻まれ、モルタルや木片やガラスが散った。冬壁の見えざる鋏が、それらを巻き込んだのだ。
金魚の化け物の三枚おろしが教室に転がり、びちびちと跳ねた。
返り血が、冬壁の体を染めていく。
「はあ、はぁ……ッ」
確かに目の前の化け物を切り殺した感覚。荒く吸い込む空気、まだ自分が生きているという感覚。
体を震わせながら、自分の両手、手のひらを見つめた。
夏樫が自分に填めた黒手袋。鋏でズタズタに切り裂いたようになり、肌が露出していた。じっとりと汗が染みだし、金魚の血と混じり合って滑る。
「わたし、が……」
――自分の意志で、鋏の力を抑える手袋を突き破ったんだ。
自覚すると、気持ち悪いほど力強く早い、心臓の脈動を感じた。血に混じって、自分の生まれた世界でいじめの主犯を切り刻んだ、あのおぞましい力が体中を駆け巡っていくのが、分かる。
肩で息をしながら、視線をあげる。
首を傾げる子猫の赤い目が、冬壁をまっすぐ見つめていて、それを抱える少年の柔らかそうな頬に、飛び散った血が一滴飛んでいた。
その怯えた丸い目は、間違いなく冬壁を見つめていた。
――そうだ。男の子にとってわたしは、化け物を逆に葬った、怪物。
誘拐殺人犯、あの鋏の男を、逆に鋏で殺したわたしだから。怖がられて、当然なんだ。
自嘲と諦観が、冬壁の心に染み渡っていく。
『物理的切断力の異質性を確認。異質物”絶対裁断の黒鋏”の再覚醒と断定。夏樫小雪の封印を打ち破るほどの出力。危険性の評価を上げる必要がある』
『冬壁ちゃん、大丈夫!? 落ち着いて、まずは深呼吸してね!
そっちのもみじが向かってるから……』
転がったままのガラケーから響く声は、どこか遠く、トンネルの向こうから聞こえるようだった。
閉じた片目を通して、滅びゆく世界の自分と思考と感覚を共有した
タケル少年の母の手を引きながら、冬壁を迎えに急がせる。
「待ってて冬壁ちゃん、今行くからね。タケルくんもお母さんに会えばきっと落ち着くよ」
「紅葉ちゃん待って。子猫の事象歪曲がまだ落ちついてない。一度仕切り直すべき」
「あんな目にあった冬壁ちゃんを放っておけないよ!!」
冷徹に制止を呼び掛ける咲良だが、異質な瞳に集中している間、彼女は自由に行動が出来ない。
冬壁の安否に焦る紅葉を強引に止めることは出来ず、スクリーンに映る制服姿の紅葉と尾野夫人が「走らない」と書かれた張り紙の前を疾駆する様子を見つめることしか出来なかった。その人形のような顔立ちに玉のような汗が流れ落ち、苦しげに頭を揺らす。
「冬壁ちゃんは守らないといけない子なんだよ。あんなに血まみれで震えて……ッ」
並行世界をまたいで繋がる春咲紅葉同士。走る紅葉の動悸がスクリーンを見つめる紅葉に伝わり、双方の焦燥に拍車をかける。
「危険、紅葉ちゃんその理科室の前で止まって!」
真理眼を使っている状態で、珍しく咲良が声を荒げた。
しかし、二人の紅葉には聞こえていたが足を止めることは出来なかった。
「え、もう通り過ぎちゃって……うっ」
ようやく傍らの咲良を振り向いた紅葉が、もう一人の自分からフィードバックされた激痛にうずくまる。
スクリーンの中の紅葉が、新たに現れた怪物になぎ倒される様子が映し出されていた。
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