オリジン・デパーチャー#2-10

 歪曲空間にたたき込まれて転移した怪物騎士は、途中から90度曲がったビルの壁面に剣と鉤爪を突き刺して制動をかけた。

 竜の頭蓋骨のような兜を素早く巡らせる。その足元、ビルの窓が割れ、白い蛇のように湾曲した刃が飛び出す。

 甲冑で覆われていない、膝裏の関節部に噛みつき、肉を抉りすぐに引っ込んだ。

 膝をつきながら、騎士は素早く正反対の位置の窓に剣を振る。直後、伸びてきた白い鎌と激突し、火花を散らす。


「ふふ、モグラ叩きもお上手やなあ、ジュウベエ」


 夏樫なつかしの笑い声が足下から聞こえた。兜の奥の鬼火の目が、膝をつけた窓越しに夏樫の目と合った。


「夏樫ィィッ!」


 その窓に剣を突き入れ、翼で空気を叩いた勢いのままビル内に飛び込む。

 ガラス片が舞う、横倒しになったオフィスの中を、かの騎士は仇敵を追い求めて飛ぶ。揺れる白い髪を目の端に留め、一気に加速。赤黒い魔力弾を飛ばし、夏樫の足を牽制。

エレベーターの開いたままの扉に夏樫を誘導し、彼も飛び込んだ。狭いエレベーターシャフトの、90度傾いた縦穴の闇。振りかぶられる白い刃が、内壁にぶつかり突き刺さって止まる。

その長大さ故、柄の先端もシャフト内につっかえ棒になって動かない。


「お、っと」


 動きを止めた夏樫が呆けたように呟く。

 今こそ千載一遇のチャンスだった。左手にどす黒い魔力弾、右手に大剣を構えて突撃する。

 だが。寸前で、夏樫はこの上なく愉快そうに笑った。

 シャフト壁に突き刺さった大鎌の柄が、中心から折れる。いや、二つに分離したのだ。それらはぐにゃりと歪み、変形して二振りの小さな鎌を作り出す。

 翼を逆進させブレーキをかけようとするも、生まれた推進力は相殺出来ず。

 二刀流となった夏樫の、空気を歪曲させて生み出した真空の刃が閃き、怪物騎士の手足の関節部が分断され、翼が引き裂かれた。





 

「こ、こわい……」

 

 張り出しにしがみつき、小さなスニーカーのつま先で塔屋の壁を探る少年。彼がためらっている間に、校舎の上空には紫の雲が近づいていた。先ほどの赤い雹といい、何が降ってくるか分かったものではない。

 擦り傷を作りながら先に降りていた冬壁は、毒々しい雲を一瞥してから少年に向けて両腕を広げた。


「受け止めるから、手を放して!」


 少年の怯えた瞳が冬壁と、自力で降りた子猫を見る。みー、と子猫が鳴き、それに勇気づけられたのか、一つ頷いて冬壁の胸に飛び込んできた。

 子ども一人とはいえ、その重さと衝撃に冬壁は呻いたが、なんとか受け止めて床におろした。

 が、少年はやや不満げな顔をしているので、首を傾げると、


「……かたい」

「……君、いい性格してるわね」

 

 冬壁は苦々しく呟いた。


 抉られた大穴に近づかないよう、苦労して塔屋から降りた冬壁と少年、そして、小さな三毛猫。みー、と鳴きながら、赤い大きな目が、冬壁の紅い目を見つめてくる。


『酸の雨が近い。中に入って、まずは男の子、尾野タケルを母親と合流させて。保護すべき対象を一カ所に集めておきたい』


 古い携帯電話から、咲良が指示をする。


『お母さんはそっちのもみじが連れて行くからね』

「わかったわ」


 いったん通話を切る――と言ってもこの電話は勝手に繋がるようだが――と、冬壁は深呼吸してから少年に手を差し出した。


「あ、あなたのお母さんが来てるわ。雨が降る前に、戻りましょう……タケル、くん」


 声がうわずった。余裕のあるように振る舞いたかったが、冬壁自身も夏樫がいなくなった不安を抑えられなかった。

 少年、タケルは黙って頷くと、猫を抱え直して冬壁の伸ばした手を取った。


 二人は黙って階段を降りた。リズムの異なる足音が、階段室にやけに響く。

 その足音の片方が途絶えがちになり、やがて完全に止まった。

 冬壁は後ろを振り返って見上げた。一段上で、タケルが腕の中の猫の頭、耳と耳の間に目を落としている。


「……どうしたの?」

「おかあさんのところ、いきたくない」


 拗ねたような子どもらしい声。冬壁は眉をひそめた。滅びかけた世界で小さな男の子の手を引いているという状況への落ちつかなさから、冬壁の言葉はトゲトゲしくなった。


「は? なに言ってるのよ。お母さんが心配してるから早く――」


「おかあさん、ミケを見たら絶対捨てて来なさいっていうもん」


「ペットはダメとか、塾にいけとか、はいしゃさんに連れて行ったりとか、イヤなことばっかり……おかあさんはぼくのことキライなんだ! ぼくだっておかあさんなんかキライだ!」


 そうわめく、声変わり前の高い男の子の声。冬壁は脳天がかっと熱くなるのを感じた。

 青い顔で息子を探す彼の母親と、目をそらして紙幣を押しやってきた冬壁の母親が交互に脳裏に浮かぶ。


「お母さんはあなたを心配してる。お母さんはあなたを愛してるのよ、わたしと違って! どうしてそれが分からないの!?」


 諭すというより、咎めていた。責めていた。彼の胸元を掴み、揺さぶってやりたかった。


『まってまって、怒鳴らないで!

刺激するのはマズいよっ』


 慌てた紅葉もみじの声がして、冬壁は我に返る。

 自分の声が階段に反響した名残が鼓膜に届いた。

 自分を凝視するタケルの目は見開かれていて、小刻みに震えている。階段の下に立って彼を見上げる足が震え、心臓がうるさいほど脈打っているのが分かった。

 黒い手袋の内側が、やけに熱い。それが封じているものに気づいて、冬壁は肩を上下させながら息を吸った。


『もう遅い。そこから離れて、冬壁のぞ――』


 咲良の声に反応する前に、

 泣き出しそうな少年の腕の中で、みー、と子猫が一声鳴き、その目が赤く、赤く光った。


 冬壁の頭上、上階の階段の裏側に見る間に亀裂が走り、音を立てて落ちてくる。

 冬壁に怒鳴られたタケルの心の拒絶を嗅ぎ取った異質物の子猫が、周辺の事象を歪めたのだ。

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