オリジン・デパーチャー#2-9

「あれってまさか!」


 粉塵で覆い隠されたスクリーンの前を片目だけで凝視し、紅葉が狼狽えた声を出した。

 彼女の閉じられた目は、別の世界の『クラスの優等生の春咲 紅葉』と意識と視界を共有している。少年の母親が屋上へ行かないよう、誰もいない場所を一緒に探すふりをしている。


「……夏樫小雪を追って、この崩壊しかけた世界までやってきたんだね」


 乾いた唇を開いて、秋塚咲良はやや警戒を滲ませながら呟いた。


「呪われた60億人めの異世界勇者。駆逐された転生者の生き残り。永遠に彷徨える復讐者」


 

 

激突の瞬間目を瞑っていた冬壁は、身構えていたような衝撃がいつまでたっても襲ってこないことに気づいて瞼を持ち上げた。

 先ほどまで自分たちがいた場所にクレーターじみた大穴が穿たれ、煙の向こうに階下の教室で散乱した机や椅子が見える。一段視点が高くなっているのは、いつの間にか塔屋の上に移動していたからだった。

 冬壁のすぐそばで、子猫を抱えたタカシが、冬壁と同じく目を丸くして座り込んでいた。


「えっ、ここって、あれはなぁに?」


「ふぃー、困った時は疑似瞬間移動、やな」

 

 塔屋の上に仁王立ちした夏樫が、腰に左手を当ててクレーターを見下ろす。右手には、冬壁の鋏を受け止めた白い大鎌が握られていた。


「悪いんやけど、今日は先約が入っとるし、終わったら新人ちゃんと遊びとーてなぁ。また今度来てんか? ジュウベエ」


 小馬鹿にしたように首を傾げて、夏樫はクレーターの底で蠢くソイツを見下ろした。

 ウラン鉱石じみた黄色とアメシストがごとき紫のまだらの空の下、校舎に穿たれた大穴。

禍々しく赤黒い金属に包まれた異様な存在が、その中心に身を沈めていた。

 あまりにも巨大で、それが刃だと認識できない程のおびただしい分厚さと棘を持つ、剣のようなもの。

 赤黒く揺らめく光を湛えた昏い鋼色の鎧。

 手甲と脚鎧を貫いて伸びる鉤爪。兜の下部からは深海魚のような牙が突き出し、そのスリットの奥からは鬼火のような光が二つ浮かび、頭上の夏樫を睨みつけている。

 鎧の背中から、肉を突き破る生々しい音と共に、骨と皮膜で形作られた翼が伸びたかと思うと、ジュウベエと呼ばれたソイツは凄まじい速度で飛び上がり、夏樫めがけて突進して来た。


「っひ――」


 冬壁の傍らで少年が怯え、異質物の子猫をひときわ強く抱いた。

 禍々しい剣の切っ先が夏樫の胸めがけ突き出されるが、白い鎌が振るわれ、刃と刃が衝突する。

 爆発的なエネルギー同士がぶつかり合い、しかし昏い鎧の怪物と夏樫はその場に釘付けになったように動かない。

 広がる衝撃波が、冬壁とタケシの体を叩き、冬壁のツインテールを激しく揺らした。


「ちょっと……何が、どうなってるの?

 こいつも異質物なの?」


 冬壁の疑問が答えられるより前に、

 怪物の牙がこすれ合いながら開き、――憎悪と怨嗟にまみれた、錆び付いた声音が紡がれた。


「ゆるさ、ない――夏樫、貴様を――許さない」

「変わり映えせーへんプロポーズやなあ、数えてへんけど百回は越えとるんとちゃう? ええ加減耳タコもんやで」


 煽るような軽口を叩きながら、夏樫は腰に当てていた左手を伸ばす。怪物が振り上げた鉤爪が、見えない何かにからめ取られたように動きを止める。


「そのアクションも分かっとるんよなあ」


振り払おうともがくが、見えざる拘束はそれを許さない。


「ナつ、かし、こユきぃィヰッ!!」


 裂けるように開かれたあぎとから絶叫と共に放たれた炎。夏樫が展開した空間歪曲の壁に反射したそれは、屋上のコンクリートと怪物の鎧を赤熱させた。

 間近で燃えさかる炎が夏樫の白い髪を照らし出し、モノクロの背中が鮮烈に目に焼き付く。

 冬壁は背筋に氷を差し入れられたような戦慄を覚えた。怪物はもちろんだが、平然と渡り合える夏樫に。

 怪物の両腕と火炎攻撃を防ぐ夏樫が一度こちらを振り返る。それは冬壁が暗闇の中で出会ったときと変わらない、不敵な笑みだったが、言いしれない何かを冬壁の胸に生じさせた。


「あきさく、はるもみ。ちょーっとこのストーカーと肉体言語でお話してくるさかい、冬壁ちゃんたちを頼むわ」

『分かった。なるべく急いで、世界の崩壊が加速してる』


 冬壁の手の中の携帯電話の応答を確認すると、夏樫は火炎放射が途切れた瞬間を見計らって脚を振り上げた。

 歪んだ空間の壁ごと吹き飛ばされた怪物に向かって夏樫はさらに大鎌をかざす。

 怪物が飛ばされた方向の空間が歪み、引き裂かれたような大口を開いた。その向こうに見えるのは、先ほど冬壁も見た、ねじ曲がったビル群だ。

 空間の裂け目は怪物を飲み込み、


「冬壁ちゃん、ちょいと坊やと遊んどいて~」


 それだけ言うと、夏樫は跳躍飛び込み、瞬く間に裂け目は閉じた。


「ちょ、ちょっと……」


 塔屋に取り残された冬壁は、夏樫の消えた方向に向けて手を伸ばした。

 みー、と。

 硬直し、目を見開いた少年の腕の中で、この世界を滅ぼし得る子猫が一声、鳴いた。

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