オリジン・デパーチャー#2-8

「あ、こゆちゃん! 」


 校舎の一階を進むと、シャッターが降りた上り階段の前に佇む二人の女性のうちの一人が振り返る。


「え……もみじさん……?」


 冬壁はその場で固まった。桜色の髪と全体的な顔立ちは先ほどオムライスを振る舞ってくれた『春咲紅葉はるさきもみじ』とよく似ている。けれど右の目が伸ばした前髪で隠れていて、後ろ髪は今の冬壁のようにハーフアップのツインテール。服装は緑色のブレザーだった。


「あ、キミがこゆちゃんの新しい相棒だよね。この世界の春咲です、よろしく」


 優等生然とした所作で頭を下げる彼女に、いや相棒じゃないとか、『並行世界の紅葉』の実物への驚きなどが湧きあがってくる冬壁だったが、隣の蒼白な顔の女性を見て――残してきた、自分の母親の疲れた顔を思わせる、ひそめられた眉や鼻筋の周りの皺に口をつぐんだ。


「はるもみ、その人がおらんくなった男の子のおかーさんやな?」


 促すように夏樫に目を向けられ、女性は堰を切ったように話し始めた。


「あの子、今朝から様子がおかしかったんです……最近はずっと機嫌がよかったのに、落ち着かないみたいでずっときょろきょろ、あちこちひっくり返してない、ない、って。避難指示が出てたから無理につれてきたら、目を離した拍子にどこかへ行ってしまって……」


 肩を震わせ、嗚咽で言葉尻が揺れた。その目に光るものを見つけて、言いようのない劣等感を感じ、冬壁は目を逸らした。


「それで、一階は全部探したんだけど……地震のせいかシャッターが全部閉じて、上にいけないの」


 ツインテールの紅葉が、固く閉じた防火シャッターを押して続けた。


「よっしゃ、ほなおかーさん。ちょいとウチ、悪さするんで。見てへんことにしてくれますぅ?」


 ぺろりと舌を出した夏樫の、異様な風体にようやく気付いたかのように瞬きをする婦人を尻目に、夏樫はフードから大鎌を取り出し、その白い刃をシャッターに触れさせた。

 鉄板の歪む鈍い音を立てて、防火シャッターに穴が開き、内側からめくれ上がるように大きく広がった。

「ウチと冬壁ちゃんで三階、はるもみはおかーさんと二階を探すで」


 ぽかんと口を開ける婦人に声をかけ、階段に向かう夏樫。


「なんでもあり、ね……」


 かぶりを振って、冬壁も後に続く。



 二人と分かれた夏樫は三階の踊り場をスルーし、屋上に通じる階段を上り始める。


「ちょっと、三階を探すんじゃないの?」

「こーいうとき小っちゃい子が隠れるんはだいたい、普段入られへんトコと相場が決まっとる。追いかけっこしとると分かれば特にな。ほれ」


 言いながら、夏樫は屋上の扉が開け放たれている――正確には鍵穴と錠が抉り取られたように消失しているのを顎でしゃくって見せた。


「待って、鍵を壊すなんて……」

「そう、男の子自身が異質物の意志かが、力を使うてるいうことや。さ、ご対面といこか」


 冬壁に、よく出来ましたと言いたげな目線をくれてから、彼女は気負う素振りも見せずに出入り口をくぐる。

 冬壁は一度息をついてから後に続いた。

 毒々しい空の下にむき出しになった屋上。長方形のコンクリートの隅、転落防止の柵に蹲るようにして、荒い呼吸をして目を見開いた、小学一年生くらいの男の子がこちらを凝視していた。背中に手を回し、明らかに何かを隠している。


「な、なにもいない、いないよ!! あっち行って!」

「ふふ、そのセリフでボク、なんや隠してます~言うてるようなもんやで?」

「ほ、ほけんじょの、人なんでしょ!」

「イヤやわ坊や。ウチらはただのやさし~おねーさんやで? ほうれ、なんも持ってへん」


 いたいけな顔を真っ赤にして必死に叫ぶ男の子。お構いなく近寄っていく夏樫は、彼の目にはさぞ恐ろしく見えていることだろう。


「い、いやだ! 出てきちゃだめっ」


 押さえていた小さな腕の間から、そいつが――大きな赤い目をした、三毛猫の仔猫が顔を出してみー、と鳴いた。


「あきさく」

『その仔猫だよ。意地悪な願望反映器。生体融合型だね』

「ん」


 古い携帯電話から、咲良の冷淡な声。

 夏樫はそれを聞いて頷くと、冬壁の手に電話を握らせ、怯える男の子の近くまで歩いて行ってしゃがみ、目線を合わせた。


「な、ぼうや。おねーさんに教えてくれへん? そのネコちゃん、どうしたん?」


 柔らかい声音。すっと心に滑り込んでくるような調子。自分にもそれが向けられたことを意識し、冬壁は顔を顰めた。


「マンションがペット禁止、だから、ママに怒られるから……こっそり、牛乳とかあげてるんだ。誰もいないとき……家のベランダに入ってきて。それで、……さみしいとき、お喋りしたの」


 恐る恐る夏樫を見上げ、仔猫を抱えた少年はぽつりぽつりと話し始めた。


「歯医者さんに行くのがイヤだってミケに話しかけたら、お休みになったんだ」

「うんうん」

「それから、習い事に行くのが面倒だって言ったらその先生が風邪を引いたり」

「ほうほう」

「ケンカした子のこと、どっか行っちゃえって、ミケに言ったら、急に転校して……」

「そっかー……なるほどなあ」


 みー、と鳴いて夏樫を見上げる仔猫を見ながら、冬壁はぞっとする推測を浮かばせていた。

 それではまるで、少年の小さな手に収まる仔猫が、彼の素朴な願いを叶えてやっているようではないか。


『その通りだよ』

 

 携帯電話が、冬壁に話しかけてきた。慌てて耳に当てる。



「その子が願ったことを、仔猫に宿った異質物が叶えて来た。ただし、歯科医の家族の不幸や、習い事の先生の病気、友達の親の仕事の問題など、願いを叶えるために無作為に世界を歪めてきた。本来の予定が狂い、経済活動が僅かにずれ、時に人の生死も左右してきた。バタフライエフェクトだね」


 スクリーン越しに冬壁を見つめながら、秋塚咲良あきつかさくらは説く。


「その子以外にも同じように異質物で願いを叶えた人物はその世界に数十名ほどいた。長く時間をかけて、少しずつ願いを叶えたことで生じた歪みは世界に蓄積し、閾値を超えて、世界の崩壊現象となって顕在化した。毎日少しずつ蓄積する大陸プレートのひずみがやがて大地震を引き起こすように」

 

 咲良の額には汗が浮かび、頬に緑の毛先が貼り付く。

 紅葉はタオルで彼女の汗を丹念に拭ってやる。


「今ならまだ、その異質物を破壊すれば世界の崩壊は止まる」


 スクリーンの中で電話を持つ冬壁は、仔猫と少年を見つめて青い顔をしていた。



「それって……」

『そう、殺すことになる。夏樫小雪の能力はあくまでも歪曲させるもの。修復や分離、ましてや奇跡を起こす魔法ではないから、異質物と融合した生命体を助けることは原則不可能』


 冬壁は痺れたように固まっていた。咲良の言葉の意味は分かる。降下するときに見た地獄絵図も、ここで生きる人々が助かるためには仔猫を殺すしかないということも。

 でも、理解したくなかった。受け入れたくなかった。夏樫の笑顔に心を開きつつも、なおもぎゅっと三毛猫を抱きしめている男の子。その寂しさを埋めていただろう温もりを奪うことを。

 かつて自分が小学校で唯一心を許せた友達。もしも彼女が異質物で、その命を奪わなければ冬壁の生きていた世界が無くなると言われたら――自分は、頷けるのか?


『あなたは。知りたいと願ったのだから、見届けてもらわなければならない。世界を歪ませる異質を除去する行為を。実行しなければ世界が一つ滅びるということを。そのために許容しなければならない犠牲を』


 夏樫はその笑顔と人たらしの才能で持って、自分にも抱かせてくれないかと男の子に言っていた。

 幼い顔に浮かんでいた警戒と緊張が薄れ、夏樫の伸ばした腕に仔猫が差し出されようと――


「まって」


 思わず、声を上げていた。少年と、仔猫と、そして夏樫が、冬壁を振り返る。


「冬壁ちゃん。どうするつもりや?」


 お前に何ができるのか。そう言いたげな、吸い込まれるような黒い瞳が。毒々しいまだらの空の色を映した瞳が、試すようにこちらを見つめてきた。


「わたしは……」

 

 黒い手袋に覆われた指に目を落とす。

 我が身に宿る、絶対的な切断の力。物体も、人間と世界の結びつきも切り裂いてしまえる、おぞましい凶器。

 冬壁には、それしかない。

 その力で、世界を滅ぼす仔猫に。怯える男の子に。何をしてやれるというのか。

 結局は、夏樫たちと同じことしかできないのではないか。

 そして、自分にはその力を何かに向けるなんて出来ない、


「わたしは……」

 

 冬壁の肩が、手が震え。俯くことしか出来なかった。


「冬壁ちゃん、……」


 諭すように夏樫が口を開いて、冬壁は叱られる子供のように身を固くした。

 しかし、夏樫が何を言おうとしたのかは分からなかった。

 轟音と爆煙が、屋上に満ちる。

 毒々しい空を裂いて、隕石のように飛び込んできたモノが――白い髪、黒いパーカーの少女目掛けて、その手の凶器を振り下ろしたのだ。

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