オリジン・デパーチャー#2-7

「……行っちゃったね」

「ね」


 残された紅葉もみじ咲良さくらは顔を見合わせて呟いた。


「だいじょうぶかな、冬壁ちゃん」


 二人が使った食器を片付けながら、紅葉が呟く。


「小雪ちゃんがついてるから、大丈夫だよ」


 咲良は二度、瞬きをして答えた。彼女は能力で『視て』いるときは淡々とした断言口調でしか話さない。


「言葉で説明するより、見たほうが早いよ」


 自分たちのときもそうだった、と紅葉は思い返して頷いた。


「そうだね。じゃあ、もみじたちはいつも通りバックアップしようか」


 紅葉と咲良が移動した部屋は、冬壁が目覚めた部屋とは対照的に、床も天井も家具もすべてが黒かった。そして同じく黒い壁には、大きなスクリーンがかかっている。

 まるで今からこのホームシアターで映画を見るのだというように。

 しかし映写機は存在せず、代わりに咲良が部屋の真ん中に鎮座する大きなソファに深く腰掛けると、ぎゅっと目をつぶった。

 と、壁のスクリーンに光が灯り、先ほど冬壁と夏樫が消えた先の、別次元の世界の様子が映し出される。

 秋塚咲良の”真理眼マリガン”――任意の並行世界をその目で俯瞰し、目にしたものの性質を見抜く視界は、世界を蝕む異質物を即座に見つけだし、追跡することを可能にする。

 咲良が見ている世界の様子を映し出したスクリーン。映画の主役を追うように、冬壁の手を掴む夏樫がアップになる。

 黄色と紫が入り交じる毒々しい空を、重力を歪めたのだろうか、ゆっくりと降下していく二人の白と黒の少女。対照的な髪が軽やかに舞う。


「ん~、こうしてみると絵になるなあ~」


 にへへ、と口元を緩ませながら、紅葉は古びた二つ折りケータイや経口補水液のボトルやふかふかのタオル、氷砂糖の詰まったタッパーなどをローテーブルに準備した。

 咲良のための支度が整うと、紅葉は彼女にぴったりと体を寄せて座る。


「……小雪ちゃん、あの子のこと気に入ってたね」


 映画の本編が始まる前に会話をするように、春咲紅葉は呟く。


「そうだね。まるで『相棒』にしたいように見えた。それに、“絶対裁断のキリトリ鋏”にかなり期待しているのは間違いない。異質物を断ち切れるものだから」


 嘆息するように、秋塚咲良は答えた。


「冬壁希未が自分の異質物に絶望してさくらたちと敵対するか、なんらかの希望を見出してさくらたちに協力してくれるかは……夏樫小雪次第、だね」


 瞼を閉じたままの目を、大写しになった冬壁に向ける咲良。


「……仲良くなってくれたらいいね。朱音ちゃんみたいに、ね」


 かつて紅葉の作った下手な料理も上手く出来た料理も食べたことがあった少女、そして二度とここに帰ってこなかった者の名前を、そっと口にする。

 咲良は黙ったまま、彼女の肩に頭を乗せた。


「……時間がない。この世界の歪みは臨界点に達しようとしている」




 異様な色彩に染まる空を、夏樫に手を引かれてゆっくり落下していく。

眼下に広がる、まさに世界の崩壊と言うべき光景に、冬壁は目を見張った。

巨大なタンカーが風船のように宙に浮かび、高層ビルがねじれて地面に対してほぼ直角に曲がっている。

遠くにそびえる山脈が、数万年かけて侵食される様を早回ししたように崩壊していく。

海が泡立ちながら沸騰し、同時に拳大の真っ赤な雹が降り注ぐ。

その一粒がこちらにも落ちてきたが、夏樫が手をかざすとぐにゃりと歪んで溶け、消滅した。


「なによ、これ……まるで地獄じゃない」

「異質物が悪ささえせえへんかったら、ここも冬壁ちゃんがおった世界とおんなじようなもんだったんやけどな」


 外れた天気予報のように言ってのける夏樫。パーカーのフードに手を突っ込み、型落ちにもほどがある、アンテナのくっついた二つ折りタイプのケータイを取り出して通話ボタンを押す。


「あきさく~、どのへんや?」

『避難場所になってる小学校の建物に向かって。体育館に大勢集まってるけど、そこから抜け出して、校舎の片隅に隠れた男の子がいるはず。その子が持っているものが、崩壊現象の核』


 淡々とした声が、冬壁にも聞こえた。あの部屋に残った二人と通話できるのかという驚きは、あまりにも信じられないことを経験し過ぎた冬壁にとって小さなものになってしまっていた。


「あー、なるほどな。ちょっぴり可哀そうなやり方になるけど、まあしゃあないか」

『そっちのもみじと同期したよ。今その子のお母さんに特徴を聞いて、探してる』

「よろしゅう頼むわ。ウチらもそこに行くで」


 紅葉の声も聞こえた。違う世界の自分がいて、考えていることを共有するというのはどんな気分なのだろう。冬壁は、あの鋏の男にそのまま殺されていた自分、そもそもあの男に誘拐されなかった自分を想像してみて、気分が悪くなったので、頭を振って止めた。

 夏樫が足元の空気を蹴ると、二人の体はねじ曲がった松の森のようなビル群から少し外れて、黄緑色に染まる西日の方角に漂っていった。

 ゆっくりと降下し、赤い雹でところどころ抉られた運動場に降り立つ。咲良が言った通り、小学校のものと思しき体育館と校舎が見えた。

 いつの間にか夏樫が用意していたスニーカーを履いて地面を踏む。

 別の世界に足を着けている。形容しがたい奇妙な感覚が冬壁を襲った。

 夏樫はといえば、口笛を吹き、見てもいない穴ぼこをひょいひょいと避けながらスキップして校舎へ歩いて行く。

 その背中で揺れる白い髪の房を睨んで、冬壁は苦労して穴に足を取られないようにしながら追いかけていった。



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