オリジン・デパーチャー#2-6

「は~い、今日はばっちり自信作だよ! 冬壁ちゃん、召し上がれ~!」

「おお~、今日は当たりやな」


 白い部屋を抜けると、色とりどりのランチョンマットが敷かれた四人掛けの木のテーブルの上に料理が並んでいた。窓はないが、どうやらダイニングらしい。カウンタータイプのキッチンがテーブルの向こうに見える。

「わあ……」


 湯気を上げているポタージュスープの温かい香りが鼻をくすぐって、冬壁は思わず声を漏らしていた。その横に並ぶ、オムライスの上に大きくケチャップで書かれた『ようこそ♡冬壁ちゃん♡』には少し気圧されたが。

 それでも、胃袋が訴えてくる空腹と、笑顔の紅葉に引っ張られるようにして席に着く。

 眠っていた咲良も、夏樫が座らせると音がしそうな勢いで瞼を持ち上げた。


「良かったね、今日は料理上手いもみじちゃんと同期できたんだ」

「そういつも失敗しないよ~、さ、食べて食べて、冷めないうちに」

 

 さっそく食べ始めた咲良に向かって口を尖らせたあと、、こちらに促してくる紅葉。マットに置かれたスプーンを手に取る。

「い、いただきます……」


 まず、スープを掬って、少し冷ましてから口に入れる。じわりとした熱さと、まったりとした旨味が口の中を満たし、喉を温めながら空っぽの胃に滑り落ちていく。


「……あったかい」


 小さく呟いた言葉が上気しているのが、自分でも分かる。そして、食欲が否応なく刺激される。

 スプーンの縁をそっとオムライスの卵に入れる。ふわりとしたやや半熟の黄身がとろりと染み出し、その下にあるケチャップライスと絡まる。スプーンの中で一体になったそれを咀嚼すると、卵の甘さとケチャップの酸味が口に広がっていく。


「ふふ、美味しそうに食べとるなあ」

「ん~、冬壁ちゃんの食べてる顔幸せそうでかわい~」


 いつしか夢中で半分ほど皿を空にしていると、夏樫と紅葉が微笑ましそうにこちらを守っていて、冬壁はスプーンを口に突っ込んだまま赤くなった。

 そんな食卓で、すでに料理を平らげ、船を漕いでいた咲良が、不意に音がするほどの勢いで目を開けた。

 がたん、と彼女は食卓に音を立てて手をつく。


「さくら、まさか……!?」


 緩ませていた顔を引き締めて、紅葉は咲良の頬に両手を添えた。


「うん。異質物の引き起こした歪みで、悲鳴を上げてる世界がある」


 先ほどまでの幼い眠たげな響きは消え失せ、再び超然とした調子ではきはきとしゃべる。


「やれやれ、ゆっくり食べるヒマもありゃせんなあ。モテる女はつらいわあ」


 そう言いながら、綺麗に空になった皿にスプーンを置いた夏樫が立ち上がる。


「ほな、ちょいと行ってくるわ」


「かなり崩壊が進行してるよ。気を付けてね」

「ん~わかっとるわかっとる」


 余裕を漂わせる夏樫に反して、まっすぐ見つめて声を掛ける咲良と顔を曇らせる紅葉。

散歩にでも行くような気軽さで、白黒の少女はひらひらと振って見せた手で手刀を作ると、何もない空中を切る。

すると、手刀が裂いた空間がぐにゃりと歪み、鈍く波打ちながら広がって大きな穴を形作る。


「なに、これ……」

 

 思わず立ち上がった。

洒落た食器の収まった戸棚や壁紙といった風景に現実離れした空間の穴。その向こうには、稲光の走る極彩色のマーブル模様の不気味な空とそこに冗談のように漂う巨大な船や建物――地獄のような光景が広がっている。


「これが、ぎょーさんある世界のひとつ。異質物のせいで滅びようとしとる世界や」


 地獄絵図の前で振り返った向けた夏樫の笑顔は、髑髏が笑いかけているような凄みがあった。


「世界が滅びる……異質物のせいで……?」


 呆然と繰り返す冬壁。


「そう、そしてウチはそれをぶん殴って世界をどーにかしに行くっちゅうわけや」


彼女は手袋をゆっくりと脱いだ。黒い生地の下から現れた白く長い指で冬壁の手を取り、黒い手袋をそっと握らせる。


「これを嵌めとったらウチがおらんでも、冬壁ちゃんの鋏を押さえとけるで」


 滑らかな生地の感触に戸惑いながら顔をあげると、夏樫は露わになった左手をバイバイ、というようにひらひらさせた。


「ええ子でお留守番しとってな~?」


 なぜか、置いて行かれる、という心細さが胸に滑り込んできて、冬壁は短く息を吸った。

 そんな冬壁を見て、夏樫は蠱惑的に首を傾げる。


「それかウチと一緒に食後の軽い散歩せーへん?」


 左手はそのまま、右の手の平を上に向けて、差し出してくる。


冬壁を見た。そのどこまでも飲み込まれるような黒の瞳で。

彼女の背後には、おぞましい世界が広がっている。一歩後ずさる。オムライスの味が口に残っていた。このまま、安全なこの場所にいたいという思いと、食事の前に問いかけたことことへの答えは、今この手を取らなければ二度と分からないという根拠のない確信があった。

唾をごくりと飲み込む。

冬壁は一度手元に目を落とし、そっと自分の両手を黒い手袋で覆った。そして、自分から夏樫の瞳を見る。


「アンタが、何をしているのか、何を、してきたのか……見せて」


 つっかえながらもそう口に出すと、光を飲み込む黒い瞳がちかっと輝いた。

 サイズがやや合わない手袋。それに包まれた手を差し出す。


「ふふ、ええで。一緒に行こか、冬壁ちゃん」


 夏樫の手が、しっかりと掴んだ。

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