オリジン・デパーチャー#2-5


「ここかなっ? もうちょっと上かな? ヘアゴムでくくって~、はい完成! ツインテール冬壁ふゆかべちゃん~!」

「おお~、可愛くてよう似おうとるわ」


 夏樫なつかし紅葉もみじが、ソファの後ろから冬壁の髪をあれこれといじる。

 見て見て、と鏡を見せてくるもみじだったが、冬壁の顔が再び曇っているのに気づいたのか首を傾げた。


「あれ、ツインテはイヤだった?」


 頭を振ると、もみじがくくった二つの黒い房が揺れたのが分かった。


「わたしの、目……どうして紅いの」


 か細い声の問いかけ。一度瞬きした咲良さくらが、冬壁のすぐそばのソファに座った。ミルクのような甘い香りが鼻をくすぐる。


「う~ん……あなたと異質物が結び付いたから、ってところまでは分かるけれど……ごめんね、さくらの目にも、そこまでしか見えな…ふぁ……」


 今まで淡々と冬壁に告げていた咲良が、急に見た目相応のかわいらしいあくびをして、ずっとまっすぐ見つめていた瞳が瞼で隠された。咲良から感じていた、不思議な圧力のようなものが途切れる。


「さくらにも見えないんじゃ分からないね。ありゃ、おねむかな?」


 紅葉が覗き込むと、目を閉じた彼女は頷いた拍子に体を傾かせ、冬壁の膝に横向きに倒れ込んだ。ミルクの香りと、小さな体の温かい体温が伝わってくる。戸惑った冬壁は、彼女の緑の頭の上で手を硬直させた。


「え……?」

「ああ冬壁ちゃんごめんね~、咲良は色んなものが見えるし見えたものは分かるんだけど、こうやって反動で疲れちゃうんだよね」


 そう言いながら、ふかふかしたタオルケットを持ってきて咲良にかけてやる。


「ちょっとご飯作ってくるから、ゴメンだけどしばらく咲良寝かしといて~」


 そう言って、紅葉は一面白い部屋の、一見なにもない壁のドアを開いて出ていった。その向こうに台所があるのだろうか。そう思った途端、冬壁のお腹が情けない声をあげた。


「ふふ、二日も寝とったからおなかすいたやろ」


 咲良の反対側に腰掛けた夏樫が、にっと唇の端を吊り上げる。


「別に……」


彼女と出会う前は死ぬしかないと思っていたのに、今自分はここにいて、空腹を感じているということがどうにも落ち着かない。それを夏樫に認めるのがどうにも悔しくて、冬壁は目を逸らした。

 が、彼女は冬壁が逸らした方向に体を傾けて目を会わせに来た。反対方向に首を回せば、その分追随してくる。咲良の目には重圧を感じたが、真っ黒で底の知れない、それでいて愉快そうな夏樫の瞳には苛立ちを覚え、睨むように覗き込む。

 その瞳の中に、紅い目の自分が映り込む。嫌悪感で思わずのけ反ると、夏樫は一度瞬きして、目を細めた。


「……この子にも分からないって、どういうこと」


 何故か、夏樫には納得のいかないことを全てぶつけていい気がして、ぶっきらぼうに尋ねた。


「ん~、そうやな。よう分からんけど、冬壁ちゃんはトクベツ、っちゅうことやろ」

「そんな、適当な……」


 眉を寄せる冬壁に向かって、夏樫はますます笑みを深くする。


「ええやん、目ぇの色がフツーと違うても。どーせ元の世界には戻れへんやろ?」


 戻れない。夏樫が軽く言う事実に、冬壁の胸は一瞬痛みを感じたが、直後、虚無感が身を浸していくのを覚えた。


「そうよね、戻れない……わたし、これからどうすれば……」


元の世界にも帰れない。あの家はもう自分の帰る場所じゃない。『鋏』を抱えたまま、生きていくなんて出来るのだろうか。

冬壁が俯くと、すやすやと寝息を立てる咲良の緑の頭が目に入った。膝の上のぬくもりを感じる自分の内側はひどく冷たかった。


「ああ、ちゃうちゃう、落ち込まんでええよ」


 ソファから立ち上がった夏樫が、冬壁の前でしゃがみこみ、顔に手を伸ばしてきた。おとがいを手袋の指先でつままれる。


「その『鋏』をウチのために使ってくれれば、ウチが一生面倒見たるよ。きっと楽しいで」


 下から覗き込んでくる黒い瞳。吸い込まれそうになり、慌てて首を振る。『鋏』を使うなんてまっぴらごめんだった。


「イヤよ……こんな鋏なんて使いたくない、特にアンタみたいな胡散臭いヤツのためには!

だいたい、アンタやこの子や、もみじさんは何なのよ。なんで訳がわからないものや世界がどうこうって話をするわけ。そもそもここはどこなの」


 睨んでやると、夏樫は満足そうに頷いた。


「ええ質問や。ほんじゃ、はるもみのゴハンが仕上がるかコゲるかするまで、おべんきょうといこか。確率はだいだい半分はんぶんやけどな」


 ソファの背もたれに肘を乗せ、夏樫はいたずらっぽい仕草で人差し指を一本立て、咲良がさっき描きつけた壁の絵を示した。冬壁の目線も自然と吸い寄せられる。


「さっきあきさくも言うたけど、数えきれへんほど世界っちゅうもんは存在しとる。冬壁ちゃんのいた世界やろ、それとよう似とる世界、科学がべらぼうに発達してもうた世界、魔法がばんばん使われとる世界。誰でも宇宙旅行に行ける世界もあればエイリアンと生き残りかけて戦うとる世界もあるで。冬壁ちゃんはどこ行きたい?」


「行きたいとこなんてないわよ」


 そんな余裕はない。睨む視線を鋭くしてやると、夏樫は肩をすくめた。


「つれへんなあ冬壁ちゃんは~。

まあ、いろいろ世界はあるわけやけども。世界同士は離れて独立しとって、たまに橋がかかった感じで繋がることはあっても基本、べっこにあるワケや。そうほいほい行き来はできへんし、異世界転生やら異世界転移やらはタダとはいかへん。そうでないと、お互いの世界の秩序がぐっちゃぐちゃになってしまうさかいな。魔法のない世界にドラゴンをぶち込んでも、科学のない世界に核爆弾を持ち込んでもエライことになるかなあ」


 冬壁は横目で夏樫の整った顔を窺う。この混沌と矛盾の塊のような女から、『秩序』なんて言葉が飛び出したのが意外だった。

 そんな冬壁の反応を見て、夏樫は嬉し気に鼻をぴくぴくとさせた。


「ふふん、驚いたん? ウチは世界を守る側やで? なんたって正義の味方、やからな」


 その言葉で一気に胡散臭くなった。冬壁はため息をつく。


「そんで、ウチが世界のためにシバいとるモンが“異質物いしつぶつ”や。世界のぜんぶをこしらえた神サマがおるとすれば、そいつの遺失物おとしものが“異質物”やな」

「それって、……あの男の、鋏みたいなものなのよね」


 わたしの鋏、とは言えなかった。まだ、受けいれ難い。


「そう、ウチのなんでもかんでも歪められる“歪曲葬送曲わいきょくそうそうきょく”もそうやし、このあきさくのお目めも、はるもみもや」

「えっ……」


 思わず、自分の膝で寝息を立てる少女を見つめる。


「さっきあれこれ説明してくれたたやろ。あれはさきさくが、異質物と別の世界を覗いて性質を把握できる異質物の目を持っとるからや。それとはるもみは、世界一つひとつに“もう一人の違う自分”がおるタイプの異質物の人間やな。さっき料理がうんぬん、言うてたのは、三ツ星レストランで調理師しとる世界のはるもみの記憶と上手いこと同期出来るかかが50パーやからや。別の世界の自分の知恵や技術使えんのはフツーにチートやな」


 軽く述べるが、冬壁は戸惑っていた。


「待って、この子ももみじさんも、人間でしょ? それを“物”って……?」

「んー、ホンマに道具やら武器、建物やら乗り物の形した“モノ”もありゃあ、あきさくはるもみとおんなじような、マンガで言うとこの超能力者みたいなモンもおるけど」


 夏樫は立ち上がって、壁の絵のところまで歩いて行き、クレヨンで書かれた円を一つずつ指差していった。


「それぞれの世界で、魔法のある世界では魔法は当たり前のモンやし、超能力者がおる世界はそーいうもんや。ソレありきで世界が成り立っとる。ところがそのそれぞれの世界の法則からとんでもなくズレたモンがあるのが問題になってくるワケや。そんで、その数えきれへん世界の中のアイテムやらチカラの呼び方に被らない呼び方、ちゅうのが“異質物”しかあらへんかったからそう呼んどる。

名前が被っとたら、分かりにくいやろ?」

 

最後に壁に『異質物』と書き添えて、肩をすくめる夏樫。あまりにも多くの情報に、口に出すことで整理しようとする。


「この子も……もみじさんも“異質物”を……」


 では、そんな世界の理を超えた異質物を『シバく』とはどういうことなのか。

 やはり、自分のような制御出来ない異質物を持った者はいないほうがいいのだろうか。

 思考が再び暗く沈もうとしたとき。


「ごはんできたよ~」


 紅葉の間延びした声が、開いたままのドアの向こうから聞こえてくる。


「とりあえず、ごはん食べよか。腹が減ってはホニャララ、やしな」

 

 冬壁の膝から咲良の体を起こして背負うと、さっさと歩いていってしまう。


「ちょっと」


 冬壁は思わず手を伸ばしたが、再三悲鳴を上げた自分の腹に顔を顰めて、白い部屋を出ることにした。



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