オリジン・デパーチャー#2-4
何故か成人式にでも出るかのような艶やかな緑の振袖を着た
「ね、お腹空いたでしょ、好きなの言ってみて? こう見えてももみじ、名物シェフのなんだ~」
言われて、冬壁は今更のように自分が空腹であることに気が付いた。
しかし、食べたいものと言われても何も思いつかなかった。
「でも、それは別の世界のもみじちゃんのことでしょう? もみじちゃん」
「う、それ言わないでよさくら~、こっちのもみじだって頑張ってるんだから」
二人の親し気なやり取りは、冬壁の泣き疲れた体と心を少しだけくすぐるようだった。
顔を上げてそちらを見ようとすると、長い長い髪がすだれのように視界を隠す。
それに気づいたのか、彼女は髪の隙間から目と目を合わせてきた。
「冬壁ちゃん、かわいいね~こんなに長いのにとっても綺麗な髪、羨ましいな~」
そう言って、彼女は丁寧に冬壁の長い長い髪を手に手に掬い上げた。
あの学校で髪を掴み、無造作に鋏を入れたいじめっ子の手つきとはまるで違ったが、それでも冬壁は体が強張るのを感じた。
髪を触っているだけなのに、その温かさが伝わってくるような手の平を見つめていると、
「でも、さっきこけかけてたね。良かったらちょっとだけ切って整えてみる? 美容院で働いてるもみじもいるから、ちょっと時間くれたらもみじにも出来るよ~」
首をやや傾げながら彼女が発した、温かいものでしかない言葉。冬壁はそれに恐る恐る触れようとして、
「やっぱり黒髪ならポニテでしょ~、それから、ツインテールもいいよねっ」
「き、る……?」
紅葉の柔らかく温かい指が触れている髪から、凍える冷気が這い上ってきたかのように、背筋が粟立つのを冬壁は抑えられなかった。
「髪を切ってさっぱりすっぱり、心機一転! 新しい恋だって始まるかもしれないよ~」
冬壁の様子に気づいていない紅葉が、今にも鋏を取り出すのではないかという恐怖で、冬壁は顔を逸らした。同時に、一度鎮まった『鋏』が体の奥で身じろぎしたのが分かった。
「あれ……?」
「ダメだよもみじちゃん、髪を切られることの彼女の心の傷が“絶対裁断”に結び付いてるんだから」
首を傾げる紅葉に、咲良は瞬きしない目を向け、たしなめるように言った。
「あ~!! そうだった! ホントにごめんね、もみじってばかだから……このとーり!」
大げさに慌てて青ざめ、強張った冬壁に向かって土下座を始める。桜色の後頭部が白い床に伏せられた。
滑稽とすら映る彼女の姿だったが、冬壁は肩を震わせて耐えることしかできなかった。
「ようは、切らんと冬壁ちゃんの髪をいじればええんやろ?」
黙っていた夏樫が、黒い手袋の指先を伸ばす。
体に刻みつけられた恐怖より先に、さっき首を守るように添えられたその感触を思い出し、冬壁はその指が髪をくぐるのを受け入れてしまっていた。
その意味を考えるより先に――指の触れた所から、長い長い黒髪の束が、時間を巻き戻すようにゆるゆると短くなり始めた
切り離しているのではない。ゆらりと歪まされ、折りたたまれ、極細く束ねられるようになって、いつしか膝の裏に届くほどあった長さが、背中の半ばほどまでのほどよさに変わっていく。頭の重さがあっという間に減っていくのが分かって、冬壁はその軽さに目を瞬かせた。溜まりかけていた涙が散って、目の前で土下座から顔を上げた紅葉と、ソファからこちらをじっと見つめる咲良の顔がはっきり見えた。
「歪めて束ねて、歪曲させてカットせずに髪を調整してあげたんだね。さすが小雪ちゃん」
「ふふ、もっと褒めてもええんやで~?」
「あ~、もっとかわいくなった!! これならツインテもポニテもできるねっ」
青ざめていた紅葉の顔が明るくなる。ころころ表情の変わる人だな、と冬壁は思った。
「ほらっ、かわいいっ!」
彼女が取り出して向けてきた手鏡――そこに写る自分の顔を見るのを、少し躊躇った。
切れなかった髪の重さを抱えていた頃は鏡を覗くのもイヤだった。
その恐れも、笑顔を向けてくれるこの人たちがいれば乗り超えられる気がした。
「え……?」
見返してくる鏡の中の冬壁。
髪もそうだが、様変わりしていたのは自分の目だった。
紅い。泣き腫らして充血しているわけではなく、黒だったはずの瞳が血のような鮮やかな紅に染まっていた。
瞳に浮かぶ、呆然とした顔の自分。
あの日の血だまりの中から、幼い自分が助けを求めて覗き返している気がして、鏡から顔を逸らした。
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