天使とまた会う日まで

 真っ二つになって今度こそ動かないロボットが濡れた雑草の上に転がっている。切り開かれた公園の大量の水も、ゆっくりとどこかに消えていった。

冬壁は意識を失った怪物に歩み寄ると頭の上に大活躍の和ばさみをかざして、何かのおまじないのようにかしゃりと開閉させる。一瞬だけ、銀色に光る糸が怪物から伸びて、それがプチン、と切り取られたのが見えた。

 すると、ぶよぶよのお化けダコそのものだった怪物の体が見る見うるうちにしぼんで、ボロボロの服を着た丸刈りの男の姿に――人間に戻った。アタシはまたあんぐり口を開ける羽目になった。ゆうべからびっくりし通しだ。

「ようやく片付いたわね」

 気絶したままの男を見下ろして息をつく冬壁。こんな大立ち回りはいつものことって感じだ。でもこの寒空に競泳水着はぜったい寒いに決まってる。それにいくつか掠めた傷が赤く滲んでいた。

「もう、いっちゃうの?」

 男と、バラバラになった機械を見ながら尋ねていた。

「そうよ、この男に埋め込まれてた“異質物モノ”を切除したから」

「冬壁って、いつもこうやって戦ってるの?」

「そうね、割といつもこうよ」

 左手の和ばさみと、元に戻った右手のハサミを握って冬壁は答えてくれた。

「大変、じゃない? どうしてこんなこと続けられるの」

「それは……」

 考えるように、冬壁は雲の少ない冬の空を見上げた。

「朝も言ったでしょ。鋏で切るしか出来ないから、やってるのよ」

「でも、学校に行ったり……友達と遊んだり、そういうのは?」

 アタシはスカートの裾をぎゅっと握っていた。傷つかないわけじゃないのにこんなに戦わなきゃいけないなんて。アタシの顔が曇ったことに気づいて、冬壁は困ったように頬に着いた小さな傷に手をやった。こんなとき絆創膏のひとつも持っていない自分が腹立たしい。

「別に、あなたが気にすることじゃないわ。あなたはもうあの化け物に襲われることはない。親と向き合って、これから将来に、夢に向かって努力するんでしょう? もう会うこともない私のことなんて気にしなくていいわよ。忘れなさい」

 ぶっきらぼうに言って顔を逸らす冬壁。たまらず、アタシはその濡れて冷えたほっぺたを両手で掴むように包み込んだ。

「な、なによ」

 目を丸くした冬壁が離れようとするけど、ぎゅっと手の平を押し付けた。睨むようにして、紅い目を覗き込む。

「忘れるなんてイヤ。タコの化け物から守ってくれて、母さんと仲直りさせてくれたこと、忘れるなんてムリに決まってるじゃん」

「私が勝手にやったことよ。たまたまあなたが助かっただけ」

「それでも、冬壁はアタシのヒーローだよ! また会いたいよ。もう会わないなんて、寂しいじゃない」

「私――私は、ヒーローなんかじゃないわ。ヒーローなんて……」

 冬壁が苦し気に顔をしかめたので、アタシは危うく添えた手を離してしまいそうになった。彼女の背負ってるものの暗さ、重さ、冷たさに怯みかけた。

 けど、アタシはさっき冬壁を抱きしめたことを思い出した。一度はあっためられたんだ。踏みとどまって、水着に包まれた細身を抱きしめる。

「ちょっと、あなたも濡れちゃうでしょ」

「じゃあ、天使! ヒーローじゃないなら、天使でいいじゃない。誰がなんて言おうが、冬壁はアタシにとっての強くて、優しくて、あったかい天使だよ」

「それじゃダメ!?」

 遮って、大きな声で問いかけた。くっついた体が、少しだけ温度を増す。かすかに、冬壁の頬が緩むのが、くっつけあったほっぺたを通して分かった。

「……何よそれ、無茶苦茶じゃない。天使だって似たようなものでしょ」

「今、笑った! 笑ったよね、冬壁!」

「違うわ、笑ってなんかない」

 抱き着いているから冬壁の顔は見えない。だから冬壁も言い張るけど、アタシは絶対引き下がらない。

 しばらく笑った、笑ってないで騒いだ後。肌がだんだんポカポカしてきた冬壁が息を吐いて、体の力を抜くのが分かった。

 アタシの肩に手を置いて離して、呆れた風に言う。

「……分かったわ。好きにしなさい。でも、本当は私にもう会わないほうがいいのよ。私と会うってことはまた危険な力に襲われるかもしれないんだから」

 今まで見た中で一番柔らかい表情だった。アタシはそれが嬉しくて、

「それでも会えたら嬉しいよ。そのときは、アタシも夢を叶えてるように頑張るから」

 本当にそうなるといいな、とアタシは願った。

「そう、ね。あなたの夢が叶ったらいいわね。ありがとう、さっき鋏を渡してくれて助かったわ」

 冬壁の声も、今までよりずっと柔らかかった。その優しさは、きっといつもは冷たさで隠れてるけど、冬壁の一番芯の部分なんだ。そう分かって、アタシは頷いた。

「うん。……また、会えるよね」

「約束はできないけど……否定はしないでおくわ。さあ、あなたはもう、帰りなさい。私ももう行かないと」

 言葉はゆうべと同じようでも、アタシと冬壁の受け取り方はもう全然違って、それがうれしい。紅い瞳が見守るようにアタシを見ているのを、目に焼き付けて。

「分かった……じゃあ、またね」

 踵を返して、公園の階段に歩き出した。

 と、戦いで折れて壊れたハサミが転がっているのに気が付く。拾い上げて、冬壁を振り返る。

「ねえ、これ、もらってもいい?」

「そんな壊れたの、どうして必要なの」

 首を傾げる彼女に、アタシはピースサインをして見せる。

「冬壁がアタシを守ってくれた、証だから。お守りにしたいの」

「しょうがないわね……好きにしなさい」

 冬壁は肩をすくめた。

「ありがとう! じゃあ、またね!」

「……ええ、また」

 アタシは向き直って、まっすぐ公園の出口へ、母さんの待つ家へ――未来に向かって、歩いて行く。

 階段のところで、アタシはもう一度振り返った。けれどそこには機械の残骸も、気絶した男も、黒髪に白い水着の彼女もきれいさっぱり姿を消していた。

「……見ててね、冬壁」

 どこかでまだ声が届くような気がして、アタシは呟いた。それから階段をゆっくり下りていく。

 まだ明るい空がアタシの頭の上に広がっていた。階段を下りて家に歩いて行く足が、だんだん自然と早くなって、小走りで駆け出して行った。

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