せんすいかんが、潜水艦に

 日は高く昇って、住宅街には黒々と影が落ちている。冬の乾燥した空気にアタシの白い息が吹き散らされる。

 公園の入り口の階段に足をかけると、急に吹いた風がアタシの背中を押して、弾かれるように駆け上がった。今までこんなに一生懸命走ったことはないってくらいに。

 肩で息をしながら、登り切る。白っぽい日差しに照らされた公園、せんすいかんの側のベンチ。黒髪とセーラー服が目に入った。

冬壁ふゆかべ!!」

 冬壁が立ち上がってこちらに目を向けた。白いフレームのメガネとマスクをしていたけど、レンズの奥の目の紅色は間違いなく彼女だ。

「どうして来たの、当分ここには近づくなって言ったはずよ」

 咎めるような声だった。

「そのメガネとマスクどうしたの」

 正直ちょっとやぼったかったけど、そんなとこもちょっとカワイイと思った。

「顔を隠してアイツらをおびき寄せようとしたのよ。いえそれより、さっさとここから離れなさいよ。帰ったんじゃなかったの、母親とは……」

 眉をそひそめて続けようとする冬壁に、アタシはさえぎって抱きしめた。

「ちょっと、なに」

 怪訝気な冬壁のほっぺたは冷たかった。もうずいぶんここにいたのかもしれない。アタシが母さんと抱き合って出来た温もりを押し付けるように、ぎゅっと力を込めて、頬ずりした。

「冬壁のお陰だよ、アタシ、母さんと話せたよ」

 アタシに気づかれずに電話したり、だからこそ家に帰れって言ったり。

「冬壁、ありがとう! アタシ、がんばれそう、これから。応援してくれるって、母さんが言ってくれたから」

 冬壁は、あったかい子なんだ。ツンツンしてるけど。

「そ、そう……」

 触れ合ったほっぺたがちょっとだけ熱くなった気がして、アタシは嬉しくなってもっと彼女の耳元で続けようとした。

「ほんと、冬壁はアタシの天使――」

「離れてッ!」

 そこで、鋭い金属音が聞こえた。途端、アタシは突飛ばされて、尻餅をつくようにベンチにぶつかった。

「いった……」

 目を上げると、さっきまで立っていた公園の地面に鈍く光る三日月が刺さっていた。

 それがアタシたちを狙って投げられた武器だってわかったのは、冬壁が巨大化させたハサミで二発目を弾き飛ばしたから。

「来たわね」

 冬壁の視線の先に、ゆうべ邪魔しに来たゴリラロボが浮いていた。こっちに向けている太い腕が縦に割れて、中からバチバチ音を立てて青く光るクリスタルみたいなものが覗いている。見たこともないものだけど、飛び道具だってことは間違いなさそうだった。

 ゆうべと違って真っ昼間の公園、ジャングルジムとブランコを背景にしてゴリラロボが佇んでいるのが、とんでもなく不気味だった。

 目の前でハサミを構える冬壁が白く光った。紺色だったスカートや襟のラインがみるみるうちに色が抜けて、全身真っ白になる。

 ゆうべ見た白一色のセーラー姿になった冬壁に、目を奪われる。

「さっさと出てきたらどうなの、ハイエスト・チェアの雇われ研究員さん」

 冷徹な声に応えるように、ふよふよと目玉型のドローンが空から降りてくる。

『また邪魔をするのかい、冬壁くん。ならば先に君を無力化し、しかる後に正規の実験をするだけだ。昨夜のようにはいかんよ』

 ドローンが言うと、突然ゴリラロボが冬壁に飛び掛かった。大砲になっていた腕がまた変形して、カマキリの腕みたいな刃が伸びる。

 閉じたハサミを剣のように構えて受け止めた冬壁の白い靴底が、地面にめり込む。動きが止まったのを確認したのか、ドローンの目玉がちかちか緑と赤色交互に光った。

 どこからともなく水があふれ出して、公園の地面を浸していく。

「マズっ」

『おっと、君には彼だ』

 溺れさせられないうちにと立ち上がったアタシの目の前、いつの間にかボロボロの服を着た男が立っていた。坊主頭で、だらりと腕をぶら下げている。足にも力が入っていないのか、陸に打ち上げられたタコみたいにふにゃっとしていて、虚ろな瞳が明後日の方向を見ている。半開きの唇から、

「……おんなあ」

「は?」

 まさかコイツ――

『さあ、エサの時間だ』

 それが合図だったように、虚ろな男は気持ち悪い身震いを始めた。

「あ、ああ、あああああ」

 男の坊主頭がツルツルの肌になったと思うと、一回り大きくなった。見間違い、と思いたかったけど、丸い頭が風船みたく膨らんでいく。目を丸くするアタシの前で、ぶよぶよしてそうな体積がみるみるうちに大きくなって、アドバルーン大にまでなり、首から下がすっぽり飲み込まれる。代わりに散々な目に合わされた吸盤付きの触手が這えてきた。そして、大口を開いてよだれを散らしながら叫ぶ。

「おんなあああああ!」

「マジ……?」

 本当に人間が化け物にされてたなんて。

 唖然としてた間に、水かさがどんどん上がってきて足元を浸す。触手を持ち上げた怪物の目玉が、ぎょろりとアタシを見る。ヤバい。

 アタシが駆け出すのがちょっとでも遅かったら、ベンチに叩きつけられた触手にまた捕まってただろう。

「ああもう、だからここに来るなって言ったのに!」

 アタシが水をバシャバシャ踏み散らして逃げていると、ロボから離れた冬壁がすっ飛んできた。

「だって……」

その間も水位が上がってくる。ゆうべより圧倒的に勢いが強い。波になって背中に迫って来る!

「こっちよ」

 冬壁に腕を掴まれて引かれる。転がり込んだ先はせんすいかんの遊具、土管の中だった。

 冬壁は昨夜『とどめ』と言ってた黒い和ばさみを、土管の開いた口に向けて、透明な何かを切り取るように円を描いてジャキジャキと動かした。

「それなにしてるの?」

 冬壁が答える前に、押し寄せて来た波が土管にぶつかる。冬壁は土管の反対側にも同じことをした。

「うわっ……え?」

 土管の入り口に透明な窓が嵌ったように、水は一切入ってこなかった。水しぶきが収まると、ゆうべと違って木やブランコ、一部が壊れたままのジャングルジムが浸かっていくのが良く見えた。「窓」の外が、薄青い水中になる。

 せんすいかんが、潜水艦になった。

「空間の連続性を断ち切ったから、水は入ってこないわ」

 そう言いながら和ばさみを仕舞うと、冬壁は洋バサミを取り出してアタシを見た。

「アイツは公園を完全に水没させるつもりよ。危険だからここにいて。いいわね」

 冬壁の背後、窓になった土管の口の向こうに悠々と泳ぐ生首タコの姿。

 そうだ、タコやイカが真価を発揮するのは、間違いなく水の中。だから、昨日よりも大量の水で公園を満たした。

「冬壁、これじゃ……外に出たら息が出来ないじゃん! アイツと戦えるの?」

 いくら冬壁でも水中でずっと息が出来るわけない。

「そうね、だからすぐに終わらせるわ」

 身を翻して水中に潜り込もうとする冬壁。思わず、真っ白なセーラー服を掴んだ。

「大丈夫よ、信じて待ってなさい」

 アタシの手をそっと押さえると、冬壁は今度こそ「窓」をくぐり抜けて水中に身を踊らせた。

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