おれの選択

「フジモト!?」


 酸素マスクを着け、目を閉じる白い顔は、いっさいの血の気がない。マスクの内側を曇らせる呼吸も、弱弱しく今にも絶えてしまいそうだ。

鏡の中のフジモトに、“コレクター”は片手をかざす。


「そう、今わたしはこの鏡から彼女を自由に出来る」


 冬壁の顔で、冬壁がまずしないだろう愉快そうな表情をして、奴は言った。


「冬壁君も、坊やも。彼女を見殺しになど、出来ないだろうね? 賢明な君なら、どうすればいいか、分かるだろう?」

「……やっぱりアンタ、性根が腐りきってるわね」


 悔しそうに、冬壁はハサミを閉じると、床に落とした。


「そう、それでいいとも。さあ……」


 立ち尽くす冬壁に、メスを握ったゾンビが近寄り、その首筋にぴたりと添えた。


「お、おい……」


 思わず声を出し、体をよじるが、“コレクター”の腕はびくともしない。


「素晴らしい気分だ。これで不死の命と“絶対裁断”の二つが我が物になるのだから!」


 勝ち誇る奴に、おれは奥歯を噛みしめた。まんまと騙され、フジモトの命を好きにもてあそばれ、冬壁まで眼の前で……。

 冬壁の首にメスが今にも刺さろうと――


「あっはっは!! 真打は遅れて登場するモンやな、やっぱり!!」


 まったく緊張感のない笑い声が響き、冬壁とゾンビの間の空間がぐにゃりと歪み、真っ白な髪が飛び出してくる。

その白い奔流から、一本の触手が長く伸びてゾンビの胴を貫通し、捕まったおれのところまで迫り、腕に鋭い痛みが走った。途端、解放された体が床に転がる。

 首をよじると、離れたところで、冬壁の姿をした“コレクター”が肘から先が消えた片腕を押さえていた、一体……?


「……夏樫、小雪ィ……!! 貴様……!!」


 笑顔が消え、“コレクター”の顔面に激しい憎しみが刻まれる。


「アンタ、何余計なことしてんのよ!」


 二人の冬壁からそれぞれ険しい視線を向けられた白い髪に黒づくめのそいつは、


「二人も冬壁ちゃんがいるんや、こりゃあ両手に花っちゅーわけやな!」


 まったく意に介さずに笑っていた。触手か蛇のように長く伸びていたものが縮んで固まり、骨の色の鎌になる。おれの横まで歩くと、憎々し気に睨むニセ冬壁を指差した。


「さあ、形成逆転や、おとなしぃせいや、“コレクター”!」


 だが、痛みに蹲りながらも“コレクター”は嘲笑ってみせた。


「ふん、だが貴様は甘い、甘い甘い!! 今回の『鏡呪い』は……! 私に危害が加われば自動的に発動する……すでに藤元京香の肉体には致死の呪いが加わったのだ! 棘は突き刺さり――眠り姫は眠ったまま死んでいく!!」

「なんだって――」


 おれは駆け寄り、浮かぶ鏡を覗き込む。そこには今まさに命が消えかかっているフジモトが映し出されていた――

 お仕着せの袖、脈拍を示すグラフが激しく乱れ、裾から見える白い肌に赤黒い斑点が次々に浮かんでいく。


「ほんっと、アンタは最悪ね!」


 視界の隅で冬壁がハサミ片手に切りかかっていく。“コレクター”がなにかわめいていたが、おれはフジモトから目を離せなかった。治療に当たっていたはずのスタッフが駆け付けてくれるかもしれないが――


「まあ、フツーの医療じゃ無理やろうなあ。なんせさっきそこのド阿呆がかけたんは人を呪い殺すワザんなかでも相当なもんや」


 淡々とした声。夏樫が背後からしゃべりかけていたが、絶望が増すばかりだ。

 悔しかった。ちゃんとフジモトと向き合えないまま永遠に別れてしまう自分が、悪人に騙され、さんざん振り回された挙句に、何も自分でフジモトのためになにも出来ない自分が――


「生きててほしいんだ……」


 もう一度、ちゃんと話して、向き合い、フジモトから逃げた罪をつぐなうために。


「いのち……不死をあげれば、でも……」


 おれが突然手に入れた、おれがもっていても役に立たない、役に立てられない不死身。それがあればフジモトの命だけは助かる。


「でも……」


 ――たとえ善意でも、治るあてのない病気を抱えたまま延々と苦ませるの?――冬壁の言葉を思い出して、おれは目を閉じて頭をふる。きつく握った拳から汗が落ちる。

 つぶったまぶたの裏で、病院で見た人たちが浮かんだ。様々な患者がいて、様々な人がいた。苦しむ人、それを支える人。そして、小母さんの蒼白な顔。病気の重さや苦しさなんて、味わったことなんかないおれには想像するしかない。

 しかも、それが不治の病ともなれば……フジモト本人と、フジモトの家族も、どれだけ苦しめるだろう。

でも、見舞いにきていた家族、リハビリを手伝っていた恋人のように、そばにいて、少しだけでも支えることだけなら――おれでも、出来るかもしれない……本当か? 小母さんのようにずっと付き添っても、怪我の痛みや病気のほんとうの苦しみは、結局それと戦っている本人にしか、分からない。トラックに轢かれた傷を一瞬で消してしまったおれには……。

病気の苦しみを肩代わり出来ないおれに、フジモトをほんとうには支えられないんじゃないか?

いや出来るように、努力するんだ。それをしようとしなきゃ、今までのおれと一緒だ!

 でも、生きててほしいなら、フジモトをずっと病気と向き合わせて苦しめても良いのか? それはおれの身勝手じゃないのか? 生き続けて、苦しみ続けて、それがフジモトのためになるのか?

 ずっと繰り返される堂々巡り。頭が痛くなって、もどかしくて――おれは、おれは―――


「知らねえ――! エゴだろうがなんだろうが、誰になんて言われたっていい、アイツに――フジモトに、生きててほしいんだ!!」


 迷うのを振り切ってそう叫ぶと、いっそ怖いほど熱い気持ちがこみ上げてきた。


「待ちなさい! まさか、本当に……」


 戦っていた冬壁が振り向くが、おれははもう迷わない!


「ああ、そうだ! おれはやる! どんだけおっかない貧乳黒髪ナースに止められてもな!」


 景気づけのために放り出した言葉に、やや青筋を浮かべた冬壁は刃渡り二メートルのハサミをおれに向かって構えた。


「……っ、じゃあ力づくでも止める! 動かないで!」


 フジモトを映す鏡の前に割って入り、ハサミの二枚の刃がおれの右足を挟むように床に突き刺さる。黒光りするエッジ、その迫力に一瞬体がすくむが、


「止まってたまるか! やるって言ったらやるんだよ!!」


 強引に足を踏み出す、フジモトを庇って飛び出したときの無鉄砲で。

 バターでも切るようにさっくりと右の膝から下が離れ、吐き気を感じるほどの痛みが脳天を直撃する。噴き出した血で廊下が染まるのに目がちかちかするし倒れ込むが、


「いた、くねえ……フジモトは!! もっとくるしんでるんだっ!!」


 ハサミから離れ、両手で床を這う。激痛を無視し、顔を上げてフジモトを見ようとした。


「いま、いまいく……フジモト!!」

「よう言うた! よう吠えた! それでこそ男や!」


 後ろからぽん、と肩を叩かれる。しゃがみこんだ夏樫がニヤッとしていた。


「さ、そうと決めたら善は急げ、や」


 夏樫がなにかをした――と思った時には目の間がぐにゃりと歪んで、次の瞬間には鏡の中から見ていた病室に立って、目を閉じて横たわるフジモトを見下ろしていた。ちょん切れた足はいつの間にか再生していた。看護師やスタッフの姿はなぜかない。

もうあれこれ考えるのはやめて、おれは熱い思いのままにフジモトに近づき、斑点に覆われ震える手を取る。冷たい感触。

 どうやって命を移すのか、なんてことは考えもしなかった。目を閉じ、祈りながら集中する。胸のうちの熱さが、触れ合う手と手を伝ってフジモトに流れ込んでいくのを、強く思い浮かべ、それが現実になっていく。

 薄く目を開けると、つないだ手と手が、かすかに光っているように見え、やがて禍々しい斑点が少しずつ消えていき。おれの手に、力強い脈拍が伝わってきた。



「っく……夏樫小雪め! なんどこの私の崇高な蒐集行為を邪魔立てすれば気が済む……忌々しい……」


 やたらと豪奢な剣で漆黒の刃を受け止めながら、“コレクター”は恨み言を呟いた。


「最後の部分だけは、全面的に同意するわ。けどアンタのコレクション趣味はひたすら迷惑なのよ」


 自分と同じ顔に向けて冬壁は冷淡に告げると、両手で握った鋏を閉じ、貴重な品であろう武器をやすやすと両断した。


「病魔に侵された体に不死など、なんと無益なことを……貴重なものをああも汚されては、もはや……」


 唇を噛み、折れた剣を投げ捨てると、“コレクター”は冬壁の止める間もなく鏡の中に姿を消した。


「……今度会うとき私の顔をしてたら、絶対に首を切るわよ」


 呟くと、彼女は自分の純白の看護服を見下ろして眺めてから、鏡の世界の病院から脱出した。

「不死身の命は、冷血症候群と、あの呪いと混ざりおうて最後にはフツーの人間と同じようにある程度まで生きて、最後は死んで生き返ることはあらへん。まあ、そうなるんやろうなあ。不死身のモンがこの世界におることにはならへんのや」


 京香のいる病室の窓を、少し離れたビルの屋上に座って眺めながら、夏樫が呟く。これで全部解決した、と優しく言い聞かせるように。


「まさかアンタ、最初からそれが狙いだったんじゃないでしょうね」


 彼女の背後から、冬壁が歩いてくる。すでに看護服ではないものに着替えているが、それもまた上下白づくめだった。


「んん~どうやろ? まあ、結果オーライでええんとちゃうか?」


 やはりニヤニヤ笑いながら、夏樫は振り向く。


「あれ、もう着替えてもうたん? ナースさんのカッコ、かわいらしかったのになあ」

「……好きで着たわけじゃないわよ。それより、よくも振り回してくれたわね。あんだけ苦労させられて結局またアンタの好き勝手に付き合っただけじゃない」


 冬壁は詰め寄るが、夏樫は肩をすくめてかわした。


「ちゃうよ、マサキくんは自分の意志でジブンの大切な選択をしたんや。それを尊重しただけ、や。冬壁ちゃんかて、あそこでマサキくんが自分の足切るとは思っとらんかったやろ?」

「ほんとに切るつもりはなかったのに、あんなことが出来るなんて」


 縮小され、市販品と変わらぬ大きさの鋏を、冬壁は手に取って見つめた。その黒には、少年の流した血の跡がやや色味の違う黒として混じっている。


「な? あの覚悟があるんなら、大丈夫やって」


 嬉しそうに、夏樫は頷く。


「……彼がずっと彼女の面倒を見て、支えていけるか、なんて保証はないのよ?」

「それはそれ、マサキくんのこの先はマサキくん自身が決めていくしかあらへん」

「アンタって無責任よね」


 睨む冬壁の頬を、夏樫はいたずらっぽく突っつく。

「そんなこと言うて、冬壁ちゃんもああなってほんまは嬉しいやろ?」

「……やめなさい。次、さっさといくわよ」


 指を払いのけて歩き出す冬壁の後を、夏樫は満足そうに眼を細めて追いかけた。


「まってーな、ひんにゅー言われたの気にしとるんやったらウチが揉んだるで~」

「やかましい!」




 消毒液の匂い。京香が瞼を持ち上げると、久しぶりに自分の体があったく感じた。倒れてからの記憶がないが、思ったよりも体調は良い。

 体を起こすと、朝の眩しい光が差し込んできていて、そこで左手が何か引っ張られるのを感じた。


「……マサキ」


 ずっと、小さかったころの関係に戻りたいと思っていた少年が、イスに腰掛けて、両手で京香の手のひらを包み込んでいた。

そこから感じる確かな温かさに、熱い雫が目に浮かんだ。


「ねえ、マサキ、起きて。また……一緒にいよ」


 少年はまだ起きなかったが、優しい表情をしているように、京香は思った。



 それから数日経ったある日の昼下がり、病院の中庭。車椅子に乗った少女と、それを押す少年の姿があった。

 少年はまだぎこちなかったが、確かに彼も、少女も、柔らかい表情を浮かべていた。





 

 








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