そのデカいハサミで白衣の天使は無理がある

 角付き犬が動かなくなりほっとしていると、ドアの向こうの廊下が急に騒がしくなる。


「こんなとこ見られたら面倒ね。行くわよ」


 角付き犬、剣呑なナース。そりゃ、どっちも見られれば騒ぎになる。

 ハサミを右手にぶら下げたまま、彼女はおれの腕を掴み、強引に立ち上がらせ、割れた窓に向かって跳びあがった。


「うへえ!?」


 三階の高さから落っこちていくんだから、情けねえ悲鳴が飛び出すのは許して欲しい! 男一人抱えているというのに、彼女は猫みてえに着地して見せた。おれはというと、手を放された途端にまた尻餅をつく。


「さっさと立つ! まだまだ来るわよ」


 優しさの欠片もない声で、慌てて芝生の上に起き上がる。おれたちが出てきた窓を見上げると、言い訳出来ない程無残に割れている。と、その窓から誰かが顔を出した。騒ぎを聞きつけた医者……ではなかった。


「うぎょおわあぅるあわ」


 意味不明なうめき声を挙げ、身を乗り出してヨダレを垂らしている、緑の肌のソイツは。


「ウソだろ……ゾンビ?」


 ホラー映画でお馴染みのモンスターが、マジに目の前にいる。慌てて隣に立つナースを見るが、まったく狼狽えていない。


「あいつら……相変わらず死体遊びしか能がないわね」

「え、なに、知り合いか?」

「バカなこと言うんじゃないわよ」


 おれの質問はばっさり切り捨てられた。ひどい。


「うがあ!!」


 ゾンビの叫びに、ビビッて体を固くする。奴は窓枠からずり落ちるように飛び降り、乱杭歯をむき出しにしておれ目掛けて襲い掛かってくる。映画で見るよりもめちゃくちゃ速い。

 冬壁の動きは素早かった。おれの前に割って入ると、右手を突き出す。どたばたと突進してきたゾンビの動きが、何かにぶつかって止まる。

 右手に握られていたハサミが、腐った肌に食い込んでいた。ハサミはいつの間にか、形はそのまんまで刃渡り2メートル程にでっかくなっていて、しかも持ち手も刃も真っ黒に染まっている。

 黒髪白衣のナースは、両手でそれぞれの持ち手を握った化け物じみたハサミを勢いよく閉じ、下半身が転がった。

 おれの目の前に落ちてきた上半身は、着地と同時にその首が切り飛ばされてホームランよろしく放物線を描いていった。


「なんだか、ダルマとばしみてぇだ……」


 さっきからあまりに現実感が無さ過ぎて、バカな感想しか出てこない。

 芝生を踏むいくつもの足音。ナースは巨大化したハサミを構え直し、おれは彼女の足元でビビりまくる。

 病院の裏手、木立の影から、さっきの角突き犬やらゾンビ野郎の仲間がぞろぞろ出てきた。


「なあ、あいつらなんなんだよ、特殊メイクマニアかなんかじゃねえの!?」

「残念ながら本物よ。あっちは死なない人間を作りたい変態の手先」


 ゾンビ軍団のほうを指差し、


「こっちは人間は全滅すべきだから不死身の人間が許せない団体の飼い犬よ」

「……解説サンクス」


 聞いてもビビるのは変わらなかった。暇なことをするやつが多いモンだ。


「死にたくなかったら、大人しくしてなさい」


 それだけ言ってダッシュで犬の群れに飛び込んでいく。あっという間に犬が蹴散らされ、返す刀で――ハサミだが――ゾンビの首を切り飛ばしていく。


「……あの、おれ、死なないんだけど……」



 どっかの誰かさんがそれぞれ1ダースほど送り込んできたゾンビと角付き犬をコテンパンにした後、黒髪のナースに腕を掴まれて一緒に逃げている。というより、引きずられている。


「おい、どこ行くんだよ!? どこまで走るんだよ!」


 息が上がる。冬壁の、美少女と言っても過言じゃない看護師姿はめちゃくちゃ人の目を引く。これで手を握られていたなら良いシュチェーションだったんだが……。


「喋ると舌噛むわよ」


 突然、両足がいっぺんに地面を離れた。かと思うと見えていた街並みの景色がいきなり変わり、夕暮れの空とそこに浮かぶ雲が見えた。


「な、なんだぁ? 空?」

 腕を引いていたナースが急に足を止めたことで勢いよく前につんのめり、そのまま固いコンクリートとキスする。


「いってぇえ~!」


 起き上がり、周囲を見回す。何本もの高層ビルの景色、ごうごうと鳴る大きな室外機。

「……屋上?」


 どこかの街のビルの上。いったいどうやって一瞬でここまで来たのかまるで分からないが、ただでさえ分からないことが多くてリアクションし切れなかった。

 冬壁はというと、涼しい顔でおれのところに歩いてくる。いつのまにか元のサイズに縮んでいた黒いハサミを、看護服の胸ポケットから取り出した。


「さ、アンタの、切り取るわよ」


 じゃき、と小気味良い音すら立ててその凶器を開いて構える。


「なにを!?」

「決まってるでしょ、アンタのその死ねない異常体質よ」


 不死身を、切り取る?

 自分が不死身だってこともまだ飲み込めていないのに、いきなりそんなことを言われても「わかった!」と言えるはずもない。


「な、なんで……」

「アンタ、別に不死身じゃなくても困らないでしょ? だったらそんなものさっさと捨てちゃいなさい。でないとさっきみたいな奴らに一生付きまとわれるわよ? 死ねないから永遠だけどね」

「そりゃあ、それはゴメンだが……」


 目の前のハサミから目が離せない。化け物犬やらゾンビやらを簡単に切り裂いたあの刃で切られたらどんだけ痛いんだろう。


「その……なんだ、痛いのか?」

「別に体の一部を切り落とすわけじゃないわ。物理的な痛みはちょっとだけよ」


 なんだ、と安心する一方、別の疑問が湧いてくる。


「それ、切り取った後おれはどうなるんだ?」

「ただの人間に戻るだけよ。怪我すれば治療がいるし、殺されれば死ぬ。年を取れば死ぬ。普通の人間なら当たり前でしょう? 死なない人間はいない。それがいわゆる、誰でも知ってる『普通の世界』の在り方」


 いいやと答えたら怒られそうなので頷く。


「そこに『絶対死なない人間』がいれば、それだけで『普通の世界』ではなくなってしまう。『普通の世界』ではない、歪んだ世界になってしまう」


 例えば歴史上の有名人が事故や事件で死んでおらず今に至るまで生き続けたら、歴史の教科書の内容だって今授業で習うものとは変わってしまうはず。そういう形で世界が歪むのだと、冬壁は淡々と説明した。


「さ、納得した? まさか、もう一度死ぬ目にあってから生き返りたい、とか言わないわよね」

「あ、ああ……まあ……」


 答えかけて、ふっと頭に車イスの上でそっぽを向くフジモトが浮かんだ。難しい病気。完全に治す薬はないらしい。あいつがこの不死身の命をもっていたら――?


「いいわね、じゃあいくわよ――」


 さっさと終わらせる、とばかりにハサミを近づける冬壁に、ちょっと待ってくれと言おうとして――


「まあまあ、ちょっとぐらい遊ばせてからでもかまへんのちゃう?」


 背後から降ってきたコッテコテの関西弁。振り返ると、給水塔の上に腰掛ける少女がこちらを見ていた。夕焼けの中でもはっきり分かるほど真っ黒なパーカーを羽織り、真っ黒なジーンズの履いた足をぷらぷら揺らして、ニヤニヤ笑ってこちらを見ていた。風に流れる長い髪は、びっくりするほど真っ白だ。


「な、なんだあ!? また敵ぃ!?」


 怯えるおれの横で、今までずっと険しく硬い顔をしていた冬壁の表情が変わった。具体的には、うげっ、と言いたげな顔になった。


「敵だったらよっぽど楽なんだけどね……」


 心底うんざりする、という表情と声。いったいどういう関係なんだろう。


「夏樫! また邪魔する気?」


 夏樫、と呼ばれた相手は冬壁を愉快そうに眺め、


「ひどいなあ、うちがいつ愛しい愛しい冬壁ちゃんにイジワルしたっちゅうね~ん」


 わざとらしい猫撫で声に、冬壁はますます渋い顔になる。


「過去の所業をひとつひとつ振り返ってから言いなさいよ。で? 今度はなに? まだ大した騒ぎも起きてないし、今処分しとけばそれで解決するでしょ」

「んん~わかっとらんな冬壁ちゃんは~」


 やれやれ、と手と顔を振ると、給水塔からひょいと飛び降りる……と思った瞬間にはナース服の背中に抱き着いていた。人差し指で冬壁の頬を突っつく。


「こんなトコでカンタンに終わってもうたらおもんないやんか~」


 抱き着かれながら、冬壁は眉をヒクつかせ、ドスの効いた声を出す。


「いい加減にしなさいよ……アンタの『面白さ』のためにどんだけ面倒が増えたか!」


 イライラを隠そうともせず、冬壁は夏樫を振り払う。猫みたいに屋上を転がりながら、彼女は相変わらず笑っていた。


「あはは! 結果オーライや、結果オーライ。んで、キミィ、定森雅紀クンやんな?」


 ひとしきり笑うと、ずいっとおれの顔を覗き込む。漂白された骨のような白さの髪に縁どられた白い顔の中で、そこだけが真っ黒な瞳に視線が吸い寄せられる。


「あ、ああ……というか、あんたたちはいったい……」


 朝からあまりにもぶっ飛んだことが起きすぎて麻痺していたが、死なない体になったのを教えたり、狙ってくる奴らを撃退したり、そういったことをなぜしているのか。

 おれを面白そうに眺める夏樫と、不機嫌そうに夏樫を睨む冬壁。一人は白い髪、黒い服、一人は黒い髪に白い服。


「ん~せやな、無敵の正義の味方やな! ウチと冬壁ちゃんはサイコ―にイカしたコンビやから、キミも安心してええで」


 にかっと歯を出して笑う夏樫の横で、冬壁はため息をつく。


「アンタはまたデタラメを……少なくともコンビなんかじゃないわ」


 念を押すようにこっちを向く冬壁。


「や~ん、つれへんなあ。まあええわ。雅紀クン、キミ、やりたいことあるんやろ? その不老不死でなんかしたいんやな? アレか、目の間でトラックに立ちはだかってプロポーズしたりすんやな? 失敗しても死なへんからなぁー」

「は? 何いってんのよ夏樫」

「なあなあ言ってみーや、笑えへんから」


 笑顔につられるように、さっき頭に浮かんだことを呟いた。


「その、おれが不死身で……その体質を切り取れるなら、それをフジモトに譲ってやれないかって。難しい病気で、入院してても良くならないんだ。だから……」


 おれが持っていてもしかたない不死身の命なら、このまま病気で命を奪われかねないフジモトこそ持つべきじゃないだろうか。それこそが、フジモトだけに大ケガをさせてしまった、おれの……


「んん~キミの幼なじみの京香ちゃんやな。不治の病のフジモトちゃん、ときたか」


 うんうん、と同情するように頷く夏樫。後ろで冬壁が目を剥いた。


「そんなの駄目に決まってるでしょ! それじゃあ歪みが解消されないじゃない!」


 食ってかかる冬壁がいきなりおれの襟首を掴み、ヘビに睨まれたカエルみたく固まった。


「そんな余計な面倒はゴメンよ!」


 ハサミを取り出しおれに向けるが、後ろから伸びてきた夏樫の手がそれを取り上げた。


「んん~、やりたいことのある青少年を邪魔すんのは野暮やで冬壁ちゃん。ここはどーんと見守ったろ? な?」


 猫撫で声を出す夏樫は、取り上げたハサミをカシャカシャと開閉してみせる。


「あ・ん・た・はぁあああ……」


 こみあげる怒りに耐えかねるように、冬壁は拳を握りしめ、


「いつもいつも、私の邪魔してんのはアンタでしょーがー!!」


 夏樫の手からハサミを奪い返すと、瞬く間に刃を巨大化させて切りかかった。


「お、おい!?」


 ビビって飛び退くとまた尻餅をついた。

 夏樫はと言うと、余裕しゃくしゃくでハサミをよけると、パーカーのフードに手を回してこれまたでっかい、真っ白な鎌を取り出して追撃を受け止めた。


「あはは! やっぱりかわいいなあ冬壁ちゃんは」

「やっぱりアンタがいるから問題がややこしくなるのよ!」


 激怒して攻撃する冬壁と、愉快そうに防御する夏樫。

 さして広くない屋上での攻防をぼうっと見ていると、ふと冬壁の注目がおれから離れていることに気づいた。


「今のうちだ……!」


 手をついて階段のところまで屋上の階段まで這って、おれは一気に駆け下りた。

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