トラックに轢かれて不死身になったら、刃渡り2メートルのハサミを振り回す黒髪ナースに追い回されて困ってます。
おれ、不死身になったみたいです。
おれ、
そんな俺にも人生で初めての不運だった。
交通事故にあって死ぬ、それ自体は特別じゃあないだろう。けど、明日そんなことがあると思って生きてるいるヤツはいない。
それが、寝坊して朝飯抜きで走ってるときに限って……
でっかい車体が視界一杯に広がった頃には、もう遅すぎる。
死ぬまえに脳裏にこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡るというけれど、そんなものは見えなかった。一瞬の衝撃と、暗転。
意識を手放す前に考えたのは、ただ一つ。
どうせ死ぬなら……女の子とキスでもしたかったな……たとえば、ゲームみたいな世界でお姫様と……
(おまえ、フジモトになにしてんだ! 手ぇ出したら承知しねえかんな!)
せいぜいカッコつけて叫んではみたけど、声は裏返って膝はガクガクしていた。目の前、おれよりも縦幅も横幅もデカい不良はともかく、背中に庇ったはずの女子までもが、「なんだコイツ」という目で見てくる。
(な、なめるなよ! ほ、本気だしたるからな!)
ボクシングの見様見真似でジャブを出してみたが、不良をイラつかせただけだった。ずんずん近づいてくるそいつにビビるあまり、とっさに右手を振りぬいた。拳は虚しく空を切り、そのまま不良の持っていたバットが――
死んだ、はずだった。目を開くと、飛び散った血とタイヤの跡がこびりついたアスファルトが見える。通学路の途中でよく買い食いするコンビニにトラックが突っ込んで横転している。どう見ても、異世界ではなかった。ちくしょう。しかも冴えない走馬灯まで。
「ウソだろ……」
詰襟の制服がところどころ破れ、血で染まっている。なのに破れた布から覗く肌には傷ひとつ見当たらない。全身を打ち付けた痛みが、夢じゃないと主張している。なら、どうしてどこにも怪我がないんだ?
「俺は……」
思わず両手を持ちあげ、顔の前で広げると、手の甲に擦り傷があり血が滲みだしている。なんだ、ちゃんとケガしてるじゃんおれ。ところが……。
「えっ……?」
なんだよこれ。確かにあった擦り傷が、録画の逆再生みたく消え失せていく。
「なんだよ、これ」
何度も見返したが、見間違いじゃなかった。最初から事故なんてなかったように手の皮膚は傷ひとつなかった。
混乱している間にサイレンの音が大きくなり、救急車から隊員が駆け付けてくる。彼らの1人が近づいてきて、なにやら俺の様子を見てあれこれしゃべっていたが、傷がないことを確認するとコンビニのほうへ走っていった。
「なんで、怪我が……」
正直、現実感がなかった。夢でもみているようにふわふわしていた。
事故にあったけど無事だったラッキー、とは喜べず大遅刻が確定したことも、あまり現実感がなかった。
「おい雅樹―、今度はどこのヤツとやり合ってきたんだよ、そんな全身ボロボロにしやがって」
三時限目になってようやく登校、制服もあちこち穴だらけ傷だらけとなりゃ、ケンカ上等なマンガのヤンキーばりの扱いも仕方ないかもしれない。ハゲのセンセーにこってり絞られ(ケガが一つもなかったので事故で死にかけたってことは信じてもらえなかった)、その後からかい混じりの質問攻めにあった。
「いやいや、ケンカとかじゃあねえって……」
「またまたぁ。アレだろ? また
「あのなあ、あんなんずっと前の話だろが、忘れろやさっさと」
うんざりして言い返しても、そいつはニヤニヤしたままだった。一年の頃、ひょんなことで隣の高校の不良生徒と殴り合いになって以来(ほとんどコテンパンにやられた)、どうもおかしな武勇伝がついて回る。
ふと、黒板の真ん前の席を見る。そこの机はこの半年ほどずっと誰も座っていない。
「フジモト……今日もいねーのな」
誰にも聞こえないように呟いた。
同級生にはクスクス笑われ、センセーにはジロジロ見られていつもの居眠りさえ出来ずに一日の授業が終わった。
精密検査のため、と言われて紹介された病院に行った。消毒液の匂いの漂うロビーには包帯を巻いたけが人やその家族でごった返している。その中でぴんぴんしているおれは場違いな感じがして、居心地が悪かった。
そういや、フジモトがよく通ってる病院もここだっけか……。
「あら、まーくん?」
呼ばれて振り返ると、そこにはフジモト……のお母さんが立っていた。
「どうしたのその服、何かあったの?」
本当に、心の底からおれを心配してくれているんだろうという顔。
「あぁー、これはそのなんつーか……転んで」
子どものころケガしたときに心配させたことがよぎって、慌ててごまかす。
ただでさえフジモトのことで心労が顔のシワに出ている小母さんに、おれのことで心配をかけるなんて出来なかった。だっておれのせいでフジモトに……。
「そう……今朝、まーくんのうちの近くで交通事故あったらしいから、まーくんも気を付けてね」
まさかその事故で轢かれたとは言えず、あいまいにうなづく。
「あの、フジ……
「ええ、今検診中なの。私は着替えを持ってきたところなのよ」
するとちょうど小母さんの向かいの扉が開いて、幼馴染の座った車イスが押されてくる。清潔なパジャマにやせて華奢な体の線浮き出ていて、思わず目を逸らしてしまう。
「……マサキ?」
いつも気だるげな声が、少しだけ驚いたように跳ね上がる。
フジモトは、1年前と比べて長くなった髪を三つ編みにしていた。昔はよく日焼けしていた顔も、今は白く見え、大きなマスクと長い前髪でほとんど覆われている。
「よ、よう……元気か?」
よりにもよってそんなことしか出てこない。
「……病気してる人間にそういうこと聞く、普通」
案の定、とげとげしい言葉と共に睨まれる。
その眉の、急角度の吊り上がり方は、小さいころよくケンカしたときとおんなじだ。だけど今は……。
「……ワリい」
気まずくて軽く頭を下げる。フジモトはその視線を外して、
「……また、誰かに殴られたりしたの。ダサいね」
「ダサ……っ、や、これは」
「京香! まーくんにそんなこと言わないの」
仲の良かったころを覚えている小母さんがそうたしなめても、フジモトはただふてくされたように俯いてそのまま黙ってしまった。
「そろそろ、参りましょうか?」
看護師の言葉でおれは正直ほっとした。申し訳なさそうな顔の小母さんをよそに、車イスの背中をずっと見ていることしか出来なかった。
あれこれ体を調べられた後、診断結果を聞くためにベンチに腰掛ける。
その間ずっとフジモトの睨んでくる目が忘れられなかった。
やがて呼び出しを受け、クリーム色の扉の一つを開けて中に入る。
するとそこには――真っ白と真っ黒の女がいた。
真っ白い看護服に、対照的に真っ黒な髪。二つに括られ、平らな胸元に垂らされている。そこにある名札には、「
体型は……スレンダーだな、うん。おれの好みはもっと大きいサイズだが、それは置いておこう。
こちらを睨むように見据える瞳はウサギのように紅く、引き締められた唇も鮮やかな赤。
背丈はおれよりやや低く、険しい表情を浮かべる顔はどこか幼さを残し、どんなに見積もっても高校生以上には見えない。
白衣の天使!ってたとえるには顔がずいぶん怖い。にこっと笑ってくれさえすればきっとカワイイのに。
「単刀直入に言うわ」
ナース姿からは想像できない、丁寧さの欠片もない鋭い口調。まるで空気を切り裂くように。
「アンタは――『死ねない』“
「……は?」
マンガみたいに、ぽかんと口を開けてしまった。
いしつ、ぶつ?
「誰が失くしものだって?」
「そうね、神様なんてものがいるとしたら、そいつの失くしものよ。要は、異常な性質をもったモノよ」
なにもかも、断定口調だった。
「い、異常?」
このおれのどこが異常だって――
「大型トラックに撥ねられて傷一つない。というよりは大怪我を負った傍から再生してるのよ、アンタの体は。そんなヤツが普通なわけないでしょ」
「そ、それは……」
断定されると、納得せざるをえない。血が滲んだ傷口がきれいさっぱり消えるのを見たのだ。誰に話しても信じてもらえないのに、こいつ――名札によれば「冬壁さん」――だけはそれを当然のように肯定するのだ。
「確かめてみる?」
ナースは机のペン立てからハサミを取り上げると、おれに手渡してくる。え、これでどうしろと?
「どこでもいいわ。傷付けてみなさい、それで」
お前……看護師がそれはどうなんだ?
訝しんでみても、彼女は顎をしゃくって促すばかり。覚悟を決めて、左の親指と人差し指の間、なるべく痛みが少なそうなところの皮を刃先でつまむように挟み込む。
ぴりっとした感覚と共に、切れ目から血が滲む。
呻いて、睨んでみたが彼女はお構いなしにおれの手からハサミを取り上げる。と、見る見る間に飛び出した血が吸い込まれるように引っ込み――ハサミの刃にくっついたちょっとの血も宙を飛んで傷口に戻った――傷口が塞がり、切る前の滑らかな肌に戻った。
「分かったでしょ?」
にこりともしない彼女。おれはすっかり圧倒されてしまった。
「あ、ああ……」
「で、アンタに目を付けた奴らがやってきてる。イヤなら私についてきなさい」
「奴らっていったい……」
質問をしかけたとき、診察室の窓がいきなり吹き飛んだ。
「うああっ!?」
ガラスの欠片をまき散らしながら、黒い何かがおれ目掛けて飛んでくる。
思わず目を閉じ、手を突き出す……が、痛みはなかった。
恐る恐る目を開ける。そこには、黒髪のナースの足元で蹲る、犬のような生き物がいた。ような、って言ったのはそいつのドーベルマンみたいな頭からヤギみてえな角が伸びて、ガチガチと音を立てる牙が上下の顎から飛び出すほど長いからだ。
ナースはハサミを角にあてがいながら、背中越しに振り向いた。
「こーいうのをけしかけてくる奴らよ。捕まりたくないでしょ?」
パチン、とハサミが閉じる。伸びすぎた木の枝でも切るような気軽さ。表情をまるで変えない彼女に、おれはただ無言で頷いた。
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