黒白の少女と白黒の少女

どっぺる/どっぺるばすたー

 マッチを擦る音。ロウソクに火が点き、暗闇に浮かび上がる。

 ロウソクを乗せた皿を持って、白い手袋に包まれた手が暗闇を漂う。

床に投げ出された掛け時計の針は2時30分を指している。

 虚ろな部屋の中央に、闇に沈んで二枚の鏡が向かい合う。

 鏡と鏡の間に、いびつで禍々しい人型がたたずんでいる。針金と粘土細工で作られた、幼児が捏ね上げたようなそれは、頭部に二つの顔を持っていた。一方は笑って、一方は泣いて、それぞれの正面にある鏡を見つめている。

 白い手が、ロウソクを鏡の間に置いた。合わせ鏡は人形の顔を無数に映し出す。笑顔、泣き顔。笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔、笑顔、泣き顔笑顔泣き顔笑顔泣き顔。


 「そっくりさん

  そっくりさん、

 かがみのなかから

 でておいで」


 虚ろに響く呪文のような言葉。ロウソクの炎が揺らめき、風に吹き消される。合わせ鏡は再び、全き闇に飲み込まれた。


 今に見ていろ、ぼくを散々バカにして見下してきた奴らめ。復讐してやる。想像を絶する恐怖に震え、無様に醜態をさらす姿を晒すがいい。ぼくの味わった屈辱を何倍にもして返してやる。そしてぼくは……ぼくを見下すすべての存在を粛正し、ぼくだけの理想の世界を作ってやるんだ!



 深夜のビジネス街。流行の服を着たマネキンの収まるショーウィンドウ。ブリーフケースを手に提げたサラリーマンが千鳥足で通り過ぎる。そのガラスの表面が、石を投げ込まれた水面のように波打ち――その揺らめきから、ブリーフケースを持った腕が飛び出し、腕から先もガラスから抜け出した。歩道に降り立つと何食わぬ顔で雑踏に紛れこむ。

 その視線の先には、全く同じスーツを着て、瓜二つの顔をして、同じようにブリーフケースを下げたサラリーマンが歩いている。


 日が昇り、人々の活動が始まる。

 女子高生のカナは、顔を洗ってからメイクをしようと鏡を覗いた。鏡の中の自分が不意にニヤッと笑ったかと思うと、鏡の中から手が伸びる。

 叫び声をあげ、飛び退いて壁に背中がぶつかる。鏡の中のカナは、鏡の外に飛び出した手で台のふちを掴み、体を引き寄せる。ずるり、と音を立てて、ブレザーを着た胴体が抜けだした。カナの高校の制服。カナが履いているのと同じ靴下が、カーペットを踏む。


「なに……なんなの、アンタ……っ?」


 カチカチ鳴る歯の間から、勝手に言葉がこぼれた。

 カナと全く同じ顔をしたそいつは、にっこり笑って、カナとまったく同じ声で答えた。

「わたしは、あなただよ。ひとつになろう? わたし」


 カナの絶叫が響き渡る部屋。もう一人の『カナ』はゆっくり近づいて、カナの空きっぱなしの口元に指を這わせる。カナの目が、限界を超えて見開かれた瞬間。

パチン。風船が弾けるような音がして、『カナ』たちは破裂して、消えた。

明るいクリーム色のカーペットの上に、伸びきってちぎれたゴムのような黒い切れ端が落ちていた。


 同時刻、その町のあちこちで、同じことが起きていた。

 いつもと同じ日常を送ろうとした人々の前に『彼ら』は現れた。同じ顔、同じ姿、同じ衣服。『本人』が気づいたときにはもう、逃げられない。僅かにでも触れれば、『本人』と一緒に破裂して消滅する。

 その後には、黒いチリの他には何も残らない。


 ほの暗い部屋。合わせ鏡の中に、人々が自分の分身から逃げ回っては捕まる光景が無数に映し出される。壁紙の剥がれた部屋に、数々の悲鳴がこだまする。

 人々が怯え、苦しみ、正気を失っていく様を、男は眺めていた。愉悦に肩を震わせ、一人またひとりと消滅するたびに快楽がその体を貫く。

 ほうっ、と息をつくと、男はまた目を輝かせて鏡を覗き込む。

 と、男の背後で扉が音を立てた。ドンドン、と激しいノック。

 悦楽に浸っていたのを邪魔された男は不満げに振り返ったが、その眉が訝し気に動く。

 この建物は今日のために選んだ、近寄るもののいない廃墟だ。一階の出入り口は廃材で封鎖してある。暗愚な警察などに、この超常現象の仕組みが見抜けるはずもない。ここまでわざわざ入ってくる輩がいるものだろうか?

 立ち上がった男は太った体をゆすり、忍び足で扉に近寄る。

 ノックの音が突然消え、男が扉に耳をぺったり付けた瞬間、

 金属製の扉から大人の身長ほどもある刃が飛び出し、男の腹の贅肉をかすめた。


「なっ!? 」


 腰を抜かして尻餅をついた男の目の前で、突き出した刃が二つに割けた。鳥のくちばしのように開かれ、戸板に縦に長い裂け目が走る。


「見つけたわよ……」


 不機嫌そうな声が、裂けたドアから聞こえる。大きな声ではなかったが、男は震え上がった。自分に向かって牙を剥く二枚の刃がしゃべったように錯覚したのだ。

 刃が閉じ引っ込んだかと思うと、裂け目から一人の少女が侵入してきた。その右腕に抱えられた巨大な刃が、床のタイルに突き立てられる。

 轟音に男は体を強張らせたが、恐る恐る瞼を持ちあげる。


「黒……白!?」


 その呟きは少女のひらめくスカートの中を目撃したから、ではない。

 床に刺さる巨大な刃の漆黒と、少女の纏う純白。そして、僅かな光を受けて輝く、飾り気のない艶やかな黒髪。

 その鮮やかすぎるコントラストに、目を奪われたのだ。


「あー、アンタがこの分身爆弾騒動の犯人、ってことでいいのよね?」


 冷めきった目で男を見下す黒髪の少女。その口調は、うんざりした作業をさっさと片付けたい、とでも言う風だった。


「な、なんだ、君は……どうしてここが」


 男がやっとの思いで発した疑問を、


「そんな質問、飽き飽きしてるのよ。とにかく訊かれたことには答えなさい。首を振るのがタテかヨコに振れば済むわ。でないとコイツで体に訊くわよ」


 少女は傍らの、自分の身長より長い刃物を親指で示した。床を穿つ二枚の黒い刃は留め金で一つに束ねられ、こちらも真っ黒の丸いグリップが一対、左右対称に並ぶ。その形状は、日常生活でも目にするそれを飛び切り凶暴にした――


「はさ……み?」


 細腕が、巨大なハサミをいともたやすく振り回す。気が付いたときにはその刃と刃の間に自分の腕があった。


「そ。アンタの腕くらい簡単に落とせるわよ。もう一度訊くわ。この騒動を起こしたのはアンタよね?」


 言葉の棘の一本一本が、男の胸に突き刺さる。刃の黒い輝きを前に、怯え切って頷く。


「ああ、ぼ、ぼくがやった……」


「OK、じゃあさっさと分身たちを戻してこの現象を収めなさい」

「そ、それは……」


 怯えながらも、男は鏡に――ドッペルゲンガーに、指示を送っていた。愉しみを邪魔し、圧倒的優位に立っていると思っている生意気なガキに、身の程を分からせてやる――

 部屋の奥の、合わせ鏡と粘土細工にロウソク――男の手製の装置がうなりを上げ、鏡の表面が沸騰するように泡立った。あぶくの一つひとつから、黒髪白衣の少女が飛び出す。一人や二人ではない。ざっと二ダースを超えている。


「ぼくの生み出すドッペルゲンガーは! 本人以上の身体能力で標的となる本人を捕獲し、対消滅する!!」


 横たわりながら、男は勝ち誇る。ドッペルゲンガーである少女たちは、一斉にオリジナルに向かって殺到した。少女の視線が、自身の鏡像たちに向けられ、男からハサミが遠ざかる。

男は逆転を確信して、己の能力の根源たる装置を見た。鏡の表面には、彼だけに視認できる文字で複製した相手の名前が映されている。

冬壁ふゆかべ 希未のぞみ”――これから男の思うままに虐げられるはずの女の名前。


「さあ、死にたくなかったら大人しくして、ぼくの言うことを――」


 ここまで来た少女なら、ドッペルゲンガーの性能は見てきたはずだ。逃れる術はなく、一度でも触れられれば即死であることも。死の恐怖で押しつぶされた少女が、険しく冷たい美貌を砕かれ、無様な命乞いをし、男のなすがままに凌辱を受け入れる様を想像して、分厚い唇を歪め、

 男の目の前で、一ダースもの少女――冬壁のドッペルゲンガーたちの上半身と下半身が、勢いよく分離した。


「……へ?」


 噴き出した血がロケット燃料であるかのように、白い制服を着た胸から上が天井にぶつかり、下半身がドミノのように重なり合って倒れる。濃密な血の匂いが充満するが、その肉体は末端からチリのように分解されていった。

 男は首を捩じってオリジナルの冬壁を見た。

 少女が振りぬいた両手に握られているのは、巨大な黒い十字架――いや、ほぼ直角に開かれたハサミだった。先ほどよりも長さを増したその刃が、残り半分のドッペルゲンガーに向かって振るわれる。

 目で追いきれない速度でハサミが閉じ、再び冬壁のドッペルゲンガーが両断される。が、今度はそのうち三体が直前でハサミの間合いから飛び退いた。

 ドッペルゲンガーたちは手に手に冬壁の持つものと同じハサミを構え、三方向から飛び掛かる。

 冬壁はその表情を変えずに、開いていたハサミを閉じ、素早く半回転させた。ドッペルゲンガーの一体のハサミを受け止め、火花が散る。

残った二人が少女の背後に迫る。が、刃が背中を捉える直前、その黒い刃が硬さを失ったようにぐにゃりと歪む。ドッペルゲンガーが訝しむ間もなく、眼前に発生した空間の歪みに指先が、腕が、その頭が引きずり込まれていく。本人と切り結んでいた複製はハサミごと大きく弾き飛ばされ、体勢を崩したところを切断された。

 自分の複製がフードプロセッサーにかけられたように原型を失くして飲み込まれていくのを、少女は眉をひそめて眺めると、溜息を一つ。


「相っ変わらず趣味が悪いのね、夏樫小雪なつかしこゆき


 心底うんざりしたように、虚空に向けて吐き捨てる。が、虚空から心底楽しそうな笑いが響く。


「あっはっは! 今まであんだけエッグイもんもグロいもんも見てきた冬壁ちゃんやったらよゆーやろ?」


 男は、ついに自分の頭がおかしくなってしまったのかと思った。さっきまで何もなかった空間にヒビが入り、ぬるりと滑り出すようにまた別の少女が出てきたからだ。


「白……黒」


 彼女もまた、モノトーンの出で立ちをしていた。ただし、片割れの少女――冬壁とは対照的だった。

 純白の髪を腰まで垂らし、ラフなパーカーと膝のすり切れたジーンズは墨汁に浸したかのように黒い。手にした長い柄を持つ鎌は象牙を削り出しかのような白く鈍い光沢を放つ。


「なんやイカ臭い部屋やなあ、自己発電で電気でも売る気なんかぁ?」


 その表情も、険しく引き締めた冬壁に対してニヤニヤと笑い心底楽しそうだ。


「下品よ、夏樫」

「ちょっとしたジョークやジョーク! さあて、ドッペルゲンガー使いの坊や? じゅうぶん楽しんだやろ。年貢の納め時やで」


 冬壁の隣に立つと、少女――夏樫はニヤニヤしたまま、首をぐるりと回して男を見た。


「ひいっ! な、なんなんだお前らは!」


 嗤っているはずの表情がとてつもなく獰猛に見えて、男は床に転がったまま失禁しそうになるのを必死にこらえた。


「せやな、正義の味方! とでもいっとけばええんかなぁ」

「平気で人を歪ませておいてよく言えたわね」

「でも、手伝ってくれるんやろ?」

「言っとくけどアンタのために行動したことなんか一度もないわよ」

「つれへんなあ。まあそんなとこがカワイイんやけど」


 軽薄に言ってのける夏樫、呆れたように首を振る冬壁。白い大鎌、黒いハサミ。その二振りの凶器は、


「し、死神……」


 その単語を連想させた。


「お、ピンポンピンポン大正解や。アンタの命をもろうてく死神やで」


 はやし立てるように手を叩く夏樫。恐怖と、少女に見下される屈辱が頂点を超え、男は装置に無茶苦茶な命令を飛ばした。目の前の二人の複製を、一千人を超す規模で作り出し抹殺せんとする。


「あー、ごめんなあ坊や」


 鏡の表面が泡立ち、内部に夏樫と冬壁の鏡像が現れ、こちらに出てこようとする。


「ウチは複製はされても、やっすい女やあらへんで?」


 夏樫がおどけて言うと、装置の合わせ鏡に異変が起きた。飴が溶けるように、ぐにゃりと形を失い、歪み、映っていた鏡像が掻き消える。


「ぼっ、ぼくの装置が……」


 握りつぶされた紙きれのように歪められた鏡が床に転がり、男はついに限界を超えて失禁した。


「あっはっはー、ウチと同じ性能のコピーがなんぼ相手でも、出現前にぶっ潰せば万事OKや!」

「その戦法は絶対、正義の味方なんかじゃないわよ……」


 高笑いする夏樫。鏡に向けて掲げた白い鎌の刃が、鈍く輝いている。夏樫はゆっくり鎌を持った腕を動かし、先端を男に向けた。


「あ、ああああ……」

 彼は自慢の装置を失くし、数分前までは満ち溢れていた全能感を完膚なきまでにズタズタにされ、抵抗する気すら起きなかった。ただ、自分に迫る子の恐怖に全身を震わせていた。


「さあて……」


 夏樫は、恐怖をことさら煽る足音を立てて近寄った。男の真横まで来ると屈んで、黒い袖から白い指を伸ばして男の顎を持ちあげる。


「坊や、逝く準備はええか?」


 唇の端を吊り上げた夏樫の笑顔。ドクロが嗤ったような表情が、男の最後の記憶になった。



 意識を失ったドッペルゲンガー使いの男の傍。白黒と黒白の二人が、装置の残骸を眺めていた。


「やっぱりこの鏡は単なる触媒やな。現象を起こしとったのは男の能力や。他のモンがこれを用意しても同じ現象は起きへん」

「じゃ、とっとと処分しましょうか。どーせまた、”コレクター”か”ゲームマスター”あたりの仕業でしょ」


 腕組みをして待っていた冬壁が歩み寄り、ハサミを手に取る。


「頼むわー。いやー助かった、たまたま冬壁ちゃんがおんなじトコにおって」


 笑みを絶やさない夏樫を、冬壁は胡散臭そうに睨む。


「よく言うわね、わざと先に行かせておいて」

「いややわぁ、ウチが冬壁ちゃんを使い捨てのコマみたいにツッコませるわけないやろ? 口に出さんでも伝わる、以心伝心のコンビネーションちゅうやつや」

「アンタとの以心伝心なんか、世界が滅んでもお断りよ!」


 噛みつくように叫ぶと、冬壁はドッペルゲンガー使いの体にハサミを翳し、『処理』を始めた。


 その日、一つの町がドッペルゲンガーに襲われ、住人の半数以上が消滅した。

 しかし、同日晩に現象は終息する。

 翌朝、混乱が収まったころ、匿名の通報によって郊外の廃屋に警官隊が突入。通報にあった不審者が発見され、拘束されるも、心神喪失状態のため事情聴取は捗らず。

廃屋に残されていた鏡やロウソク、粘土細工、魔法陣のような文様、複数の人間が激しく争った痕跡には事件性が疑われたが、人物の特定には至らなかった。

 一連の事態の真相は不明のまま、人々は不安を抱えつつも日常を取り戻していった。


 ただし――人々は鏡をまっすぐ見ることが、長きに渡って出来ずにいたという。



「まったく、カワイイ子ぉやわぁ……」


 闇に浮き上がる白い髪。夜風に髪を遊ばせながら、彼女は呟く。


「世界なんか、なんぼでも滅びるんやから……ちっともツンにもなってないやんか」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら見つめる先には、艶めく黒髪の少女がいる。





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