来る年、苔の下の蟲に

山川 湖

来る年、苔の下の蟲に

 盆暮れの墓参りを梯子するのは我が家の習慣で、その終盤になると、もはや何に手を合わせているのかすら僕には分からなくなる。

 地元有数の一級河川を上流に遡っていく御先祖スタンプラリーの果ては、大蘇鉄が脇に立つ寂れた盆地の寺院だ。僕の嫌いな場所。無駄に広い駐車場はいつもガラ空きで、いつも灰色のレクサスが停まっている。住職曰く不法投棄されたものらしい。その割に車体がピカピカなのは、いつも僕の心を不安にさせた。

 参道は苔にまみれ、掃除も行き届いていない自然のゴミ箱だ。そんな『人為の歴史の止まったお墓』に、季節が変わるごとにわざわざ出向くのだ。

「自然は気まぐれではないのよ、ヒタキ」

 母は常々そう言った。

「自然には意思があるの。私たちの知識が及ばないだけで。上の雲を見なさい。降り注ぐでしょう?」

 母の引き笑いの残響に、小雨のぽつぽつとした音が混じった。ひっひっひっひっ。母は、おかしくなった。随分前から。

 父が数年前に亡くなった。--ところで、なんて言葉は使わないよ。十分に文脈に沿った話を用意してるのさ--熊に殺されたのだ。

 日課のハイキング中、野生の熊と出くわしてしまったらしい。熊の掌底、ははは。父の遺体は、ふふふ、生肉で福笑いしたみたいな、ねりねりねりねり、有様だった。

 熊の出没は全国でもニュースになった。ワイドショーのコメンテーターなんか神妙な顔しちゃって「ハイキングする時にも、注意が必要ですね」なんて月並みに語るんだから、抱腹絶倒だよね。割れちゃうよ。

 母の様子がおかしくなったのは、まさにそれからだ。結論から言うと、母は残酷になった。熊に対して? 動物に対して? いやいや。マタギに対してだ。

 母はある日、地元の猟友会に乗り込んでマタギに猟銃をぶっ放そうとした。猟銃が見つからず、ついには諦めたけどね。

 母がそんな暴挙に出たのも、自然への畏敬の念からだ。自然の前に人が敗れるのは必然だから、無駄に逆らうな、と。要するに、僕の父親も、必然に殺されたってわけ。だから、父がハイキングに行ったその日の朝に、昼寝を勧めていればなんて想像することになんか、まるで意味はないってことなのさ。草花。

「苔の下には、かつて死んだ鼻フラキがいるのよ」

 母親はそれ以上を語ろうとはしなかった。鼻フラキとは虫の一種らしいが、どんな見た目なのかは教えてくれなかった。

 墓標には名前が刻まれていなかった。その寺において、名前が刻まれている墓など存在しなかったのだ。

 戒名だけは残されていて、曰く「ギラギラにとげ鼻毛はなげ」だそう。住職によるところ、ある経典の引用らしい。

 僕らの先祖であるのは確かだ。なんかこう、ラブクラフトみたいな話だ。不思議な気持ちはしたが、先祖の実物を見たことが無かったから、別に血を恨むなんてこともなかった。



 結局、母はマタギに撃たれた。当時の母は、熊よりも恐ろしかった。

 ひとりになった僕は、とうとう先祖を明かすよすがを失った。

 しばらくの間は、鼻フラキの墓参りはしなかった。夜だ。母はフクロウになった。ほー。



 24歳になった盆暮れ、ひとりで鼻フラキのお寺まで車を走らせた。檀家の費用が家計を逼迫するようだったので、そろそろ永代供養にしてしまおうと思ったのだ。潮時に、塩を撒きに来たのである。

 三郎。通り過ぎた田園。用水路にアメンボ。腐る。

 ところで、風景の赤色に頽れるパンダ。ぱおーん。車輪・車輪・車輪・車輪。ぷーん。(四輪車の真似事か?? へばりつく吸盤を吸うタコだぞ????)

 歪み。

 ひーん。

 頭が割れ                          G G G G h I。

 黄金の鳥肌、背高泡立草のアーチ。火ぶくれの肩甲骨を思い出す。『おい腐りヒラゲ。てめぇ、父親の言うことが聞けねえのか?』『人間は股ぐらから生まれると思っているのか?? リボルバーで叩くぞ???』『おい、台所で包丁を研いでやがるな? てめえも俺のつれあいなら、息子のちん毛をちぎるとよ???』 人間は、はっ。黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄黄紅、紅。

 視界が奪われた。背高泡立草、ふざけるよ!! いや、違うのさ、彼岸花だ。なばらなばらなばらなばらなばら。巨大な牛の群れが、眼前を横断する。ちくりちくり。肺に穴差す、尖りアジサイ。

 寺院のそびえる土地は、僕が知っているよりも随分と上空に隆起していた。まるで、鼻フラキを養分に寺院が成長しているかのようだ。脇に生えている大蘇鉄は、歴史を経て、自律して体を動かせるようになっていた。

 僕は、駐車場を睨んだ。さっき僕が停めた車は、灰色のレクサスだ。思わず震えた。マーモセットだ。ゴールデンライオンタマリンだ。群れで牛の肉をちぎった。キャトルミューティレーションだ。家畜が、傷つき、傷つき...........にぃぃぃぃいいいいん(伊藤四郎)。なってて。なってて。

 隆起した参道には、当時とは打って変わって参拝客が大勢見られた。しかし、その全てが這う這うの体でそれぞれの先祖の墓まで走って、文字通り這うような姿勢になるのだ。そして、脇道の彼岸花を血眼で食らうのだ。その毒性に魅入られ。しゃん......しゃん......絶つ。

 彼岸花を口に含んだ無数の参拝客が、ゴキブリ然とひっくり返り、口から泡を吹いて仏になる。彼らは、寺の肥料となることを選んだのだ。

 僕は、先祖の鼻フラキの元まで走った。彼岸花は、食わなかった。

 お墓の前まで来た時、とるものもとりあえず、土を掘った。

 そして、鼻フラキの頭骨を、ついに見た。その瞬間、思わず足元の彼岸花を握ってしまった。

 食の輪廻。盆暮れの墓参りを梯子するのは......

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