柊木 渚

「夢って、いったい何なんでしょうか?」

 高校三年生の春、先生との二者面談にて最後の質問で私はなぜだかそう尋ねてしまっていた。

「夢か・・・難しいことを聞くね」

 時刻は午後六時を過ぎ、今日の面談者は私で最後。疲れが見え始めたのか先生は眼鏡を一度外し、私の問を考えながら目元をクイッと萎ませ、眼鏡を掛け直した。

「これは僕の主観だけど、叶えたい思い、これになりたいと願う心と歩むべき道筋じゃないかな?」

 意外な返答が返ってきた。

 大人ならまず否定から入るものだと思っていたものでどこか拍子抜けしていた反面、誰よりも真摯に向き合ってくれているのだと感じ取れる答えだった。

「どうして・・・先生は答えてくれるんですか?」

 おかしな事を尋ねているのは百も承知だった。だけれど、私は尋ねずにはいられなかった。

「先生だからね、生徒に答えられることはできるだけ答えるよ」

 クスクスと濁りのない笑みを見せながら答えたその言葉に私は決心して口にすることにした。

「あの・・・ですね、先生。聞いてほしいことがあるんです」

「何かな?」

 嗚咽が出そうになる、何度も踏みにじられたその言葉を私は口にしようとする。

「私、昔から絵を描くのが好きで・・・それで、ですね。」

 言葉が詰まる、ここまで来てまだどこかで彼らと同じ答えが返ってくるんじゃないかと思わずには居られない。

「ゆっくりでいいよ、だから君の思いを僕に聞かせてくれないかな?」

 うつむく私を見て心配に思ったのか先生がそっとそう口にしながらこちらを真剣に見ていた。

 その優しさに震えは消え、私は自ずとその先を口にしていた。

「絵を描く仕事に就きたいんです」

 一瞬ギョッとした顔をしたが先生はすぐに先程までの優しい顔に戻ってから言葉を口にした。

「そっか、絵を描く仕事ね。うん。良いんじゃないかな、素敵だと思うよ」

 どうしだろうか、彼はどうして否定しないのだろうか、親にも以前のクラスの先生にも否定され、嘲笑された事なのになんで彼はこうも容易く口にしてしまうのだろうか。

「・・・否定しないんですか」

「どうして」

 本当に不思議でならないという感じで先生は尋ねずてきた。

「親に言っても、クラスの先生に言っても最初に現実を見ろって、世の中そんなに甘くないって・・・そう言われてきたから・・・先生はどうしてそんな風に否定しないのかと思って」

 自分でその言葉を口にするだけで嗚咽がこみ上げ、胃がキリキリして今にも泣きそうになる。

「僕はね、根拠のない否定はしないようにしているんだ。ましてや否定から入れる程僕はその業界に詳しくないし、君達よりも偉いわけでもないからね」

「でも・・・」

「待った!その先は口にしちゃだめだよ」

 いつの間にか自分自身が夢を否定する言葉を口にしようとしまっていた。

 そんな私の言葉の続きを両手の人差し指で口元に✕マークを作って先生は止めた。

「夢は否定するもんじゃないよ、他人も、自分もね。最初に言ったように夢ってのはその人が願う心と歩むべき道筋だ。それを絶つってことは空っぽになっちゃうと思うんだ。だからその先は口にしちゃだめ」

 こくりと私は頷くと、「分かればよろしい」と少々冗談めかした口調でそう言ってから先生は話を続けた。

「先生もね、夢があったんだ。というか今もあるんだけどね。それを否定されたら誰でも怒るし、ションボリとしちゃう。だってさ、人なんていつだって夢の為に生きている様なもんだろ?これが買うのが夢だ。これをするのが夢だ。この職業に就くのが夢だ。ってね、生きる上で夢ってのは寄り添って一緒に歩いてくれる言わば最も自分を幸福へ導いてくれるパートナーだ。そのパートナーを無くしちゃ悲しいだろ?だから否定はしちゃいけない。その代わり、できるだけ夢を叶える準備をしなくちゃね」

「準備ですか?」

「そう、準備。夢はあくまで指標だ。夢を綱として、そこを最後まで渡るには色々と準備が必要だろ?だから準備をするんだ」

 どこか楽しげに口にする先生を見ていて私もいつの間にか先生の話を前のめりになって聞くようになっていた。

「まずは自分が描きたいことをいっぱい描くこと、なんにだって自分の意志を尊重しないと疲れちゃうからね」

「基礎を作るんじゃないんですか?」

「基礎は後回しだ。夢の中盤に差し掛かれば基礎を抑えなきゃいけないけどつまらないと思って最初で心が折れたら怖いからね。まずは自分に従順になることが先だよ」

 それから先生との話はどんどんと盛り上がっていき、まるで萎れた花畑が徐々に水と光を蓄えて再び咲き上がり、色とりどり鮮やかな花が一面に広がるような感覚に似ていた。

「ありゃ、もうこんな時間か」

 時刻は午後七時。最後に時計を見た時刻から一時間も経ってしまっていた。

「親御さんも心配するだろうし今日はお開きだ。また今度、話しかけてくれれば相談にのるから今日のところはこれでお終い」

「そうですね」

 その言葉を聞いて話していた時とは打って変わって私はまた不安に陥ってしまっていた。

「夢は人を裏切らない。裏切るのはいつだって他人か自分だ。だから自分を信じて、誰が何を言おうと折れないで最後まで藻掻いて、苦しんで、それでもやっぱり良かったなで終わるようにしよう。ね?」

 机においていた手を優しく引っ張り上げながら先生はそう言って私を教室から連れ出した。

「この先は自分で歩まないと。これだけは覚えといてね、隣にはいつも夢が寄り添っているんだ。他人じゃない」

 暗示の様にそう告げ、私は心にその言葉をそっと包んでから不安ながらも頷いた。

「よし!ならとっとと準備してこい!」

 下駄箱へ向かう方向へ私の背中を押してそう口にした先生は誰よりも優しく、誰よりも夢見がちな素敵な先生だった。

「あ、あと!」

 自分の足で先を進もうと一歩前へ進んだ時だった。

「勉強も忘れんなよな!」

 拍子抜けする程先生には相応しくない、満面の笑みの先生が私は最高に尊敬している。

「分かってますよ!」

 迷いはある、だけど前には進んでみよう。

 隣には誰でもない、私の夢が寄り添っているのだから。


 

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