つくえ・くろにくる

坂崎かおる

 ああ、久しぶりなもんでね、この仕事に興味をもってもらえるのは。

 いつの時代から話せばいいのかな。親父の子どものころは、旧JIS・新JIS論争なんてものがあってさ。簡単に言うと、天板の大きさだよ。新JISの方が2インチぐらい幅も奥行きも広くなってるんだ。もちろん広い方がノートとか教科書とか、そういうものが置きやすいからいいに決まってるだろう。だけど、教室の広さっていうのはなかなか変えられなくてさ。いつから決まってるか知ってるか? 明治だぞ、明治。知ってるか、明治。

 広い天板だと、教室が机で埋まっちまうんだ。だから、古い校舎の学校によっては、わざわざ旧JISタイプの机を買い替えるところもあったぐらいだ。まあ、そんな時期はあっという間に過ぎて、新JIS一色になっていったみたいだけどな。

 日本の教室っていうのは、今でもそうだが、他の国とはちょっとばかし違ってるな。特に昔は、おんなじ机と椅子が、どこの学校も同じように並べられてて、はは、今の学者たちが見たら卒倒するだろうな。だけど、粗悪品が出回っていた時代なんだ。こういう画一的な規格が必要だったんだ。俺は過去は否定しないよ。

 当時の机の一番の問題点は何か知ってるか? 強度? 惜しいな。正解は重さだ。教室の机で大事なことは、すぐに動かせるかどうかという点だったんだ。昼飯の時間はグループにしたり、ディスカッションの授業ではお互い顔を突き合わせるんで向かい合わせになったり、とにかく、机ってのは子どもが一人で動かせるぐらいじゃなきゃだめだったんだ。だから、職人たちは、「重さ」についてよく研究していた。

 そうだな、樹脂は当時からよく使われてたみたいだ。天板や引き出し部分の樹脂化は盛んに行われていた。だけど樹脂はへこみやすい。天板がすぐにガタガタになって、これは不評だったそうだ。

 だから、理論社のゲルモニカ樹脂は画期的だった。見た目はプラスチックみたいで、確かに軽い。だけど強度は木の集成材の天板と遜色がない。問題は価格ぐらいだった。あんたも知ってるだろうが、学校っていうのは金のないところだ。まあ、他の国に技術が売られちまって、結果的に安く買えるようになったのは皮肉だったけどな。あいつらは盗人だけど、まあ、使いようだ。

 俺の子どものころも、学校の教室は今みたいな感じだったよ。自由と自由。今はそれに「責任」がつくんだっけか。ご苦労な時代だ。

 マイデスクは入学前に買ってもらったのを覚えてる。俺は虫が好きでな。色は緑にしたよ。そしたら、入学したとき、その色は俺一人だけでよ。他はみんな無難に茶色とかクリーム色とか、ちょっととがったヤツでも、精々オフホワイトってところでさ、お前らの「自由」はそんなもんかって思ったね。お前は何色だった? ……はは、面構えと一緒だな、面白くもない。

 確かにそう言われれば、この道に進んだのは、入学した時の思い出がきっかけになるのかもしれないな。

 今でこそいろいろ「反省」されてるが、マイデスク自体はよかったと思うよ。俺は凝り性だったから、隠し引き出しを作って、その中でダンゴムシを飼ってたね。土と石を入れて、枯葉を探して、時々は水をやって。すごいヤツは、庭をつくってたな。ほら、歴史の教科書とかに出てくるだろ、枯山水とかいうの。触ると怒るんだよ、ワサビが何とかとか言ってさ。あいつは今、何やってんだろうな。

 マイデスクの問題点は、利権が絡んだことや、政治上のアレコレじゃないんだ。結局それは、ひとつの枠組みを越えられなかったことなんだよ。何十年も学校はマイデスクでやってきたけど、マイデスクの「机」の形自体は容易に変わることができなかった。それは確かに、学者たちの言うように、教育の敗北なのかもしれないな。自由は標榜するが、本当の自由にはなりたくない。文化的同調がこの国の何百年という課題なんだ。

 その意味で、マイデスクの次のトレンドは、学校机にとっては冬の時代だった。原点回帰というと聞こえはいいが、要は保守反動だ。「肉体の自由と魂の自由は、自由に過ぎた」なんて大臣のセリフからもわかるだろうが、政治家は自由が嫌いなんだ。自分も他人もな。謝罪めいた論争が議会であったけども、まあ、みんな内心はホッとしてただろうよ。

 それでも、俺はあの時代に完成したEJIS型の机は、最高傑作の一つだと信じてる。見たことあるだろうが、天板の湾曲と、それを支える脚。それが一枚の木でできてるんだ。俺はあの机を見ると、いつも女の体を思い出すんだ。ああ、胸とか尻とか、そういう直接的なとこじゃないよ。そうだな、くるぶしあたりだ。うなじっていうヤツもいるかもしれねえけど、それじゃちょっと性的すぎる。くるぶしぐらいがいいんだ。だけど、女だってわかるんだよ。俺はあの机を見るといつも勃起の感覚を思い出すんだ。実際に勃起はしない。それはわかってる。だけど、勃起の予感が、下っ腹あたりにむずむず湧き上がってくんだ。いや、俺の子どものころに、あの机が無くて何よりだよ。

 トニー吉村っていうのは、日系人だそうだが、よっぽど日本人より日本の感性がわかってるよ。合板や製材の技術がかなり進歩していたのは理解できるが、それを一つの机に昇華できるっていうのは、やっぱり才能だね。天地がひっくり返っても俺には思いつけない。でも、吉村のすごいところは、そのデザインだけじゃなくて、その机の作成を汎用的な工程に落とし込めたところだ。よく誤解されるが、EJIS型は職人芸じゃねえんだ。あれは工業製品なんだよ。一点物の芸術作品じゃない。吉村が見据えたのは大量生産とそのラインなんだ。吉村は誰かのために何かを作ったんじゃない。強いて言えば国とか日本人とか、そういうぼんやりしたもののためにそれを作ったんだ。 ……ああ、この表現もあってないな。それだとまるで吉村はナショナリストだ。いずれにせよ、吉村はアーティストじゃなくて、エンジニアに近い人種だったんだと、俺は思う。

 一回だけ。一回だけ、トニー吉村と会ったことがあるんだ。

 俺の母校で、講演会があったんだ。七月五日だ。ポスト・インデペンデント。講演の中身ははっきり言って凡庸で、俺はあんまり覚えていない。ひどくがっかりしたのだけは記憶してるよ。そんで、がっかりしたまま、帰り際に、たまたま吉村と会ったんだ。吉村は誰かと話してた。学校の職員だったかな。なんとなく、俺と吉村は目を合わせたんだ。向こうの方がずっと年上だったんだけどな、軽く会釈なんかして。それで、俺は、吉村の横を通り過ぎた。それだけの話なんだ。

 だけど、吉村はずっとその間、机の上に腰かけてた。たぶん、俺が通り過ぎてからも。

 何の机だったか覚えていないってことは、EJIS型じゃなかったんだ。吉村はずっと机に腰かけて――腰かけるっていっても、べったり尻をつけてたわけじゃなくて、ちょっと、映画のキザな奴みたいに、へりに座る感じだよ。足の先が地面にちょっとだけついて、身体を相手の方に少し傾けて。そんな感じで、誰かと喋って、俺と目を合わせて会釈して、それで俺が横を通り過ぎるのを感じていたんだ。その間、ずっと机に座ってた。吉村が。あの天才的な机を作った吉村が。

 戦場で思い出していたのは、その吉村の姿なんだ。ハイなプロテクトスーツに着こまれてても、やっぱりキンタマが縮こまるような、びびっちまう場面はいくつもある。仲間の首が玉入れみたいに川の向こうからいくつも飛んできたときとか、音のない飛行機が音のない爆弾を落っことすときとかな。そういう時に、俺はいつも、吉村を思い出してた。あの机に腰かけてる吉村を。そうすると、なぜだろうな、心が落ち着くんだ。落ち着いて、ちょっと勃起の予感さえ覚える。落ち着くと、自分が自由で、何にでもなれる気がしてくる。勲章をいくつかもらえたのは、吉村のおかげだよ。

 うん、そうだな、戦地から帰ってきて、この仕事をしてる間も、吉村の姿は何度も思い出した。EJIS型は、もう学校にはほとんどないんだってな。時代は「責任」を伴うが、また「自由と自由」になったんだ、まあ、当然だ。だけど不思議なんだよな。俺が爆破した学校は、どれもEJIS型の机があったんだ。まるまる教室に詰め込まれていたときもあれば、一つだけぽつんと倉庫に残っていたときもある。選んでいたわけじゃない。俺の仕事はこの国に本当の自由をもたらすことであって、個人的な復讐じゃない。天啓といえば天啓だ。けどまあ、どっちでもいいことだな。

 で、センセイ。俺は結局自由をもらえるのか? ここには机がなくて、退屈なんだ。


〈了〉

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