第22話 暗雲

 私の親友がはじめくんの担任だった。そのとんでもない事実が発覚した衝撃から立ち直り切れないまま、月曜日が来て出勤することになった。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 いつもなら幸福なやり取りも、今日は少し気を遣ってしまう。

 麻里がこの辺りに住んでいる訳ではないけれど、ついコソコソしてしまった。


 私は迂闊だった。

 麻里が高校教師であることを知っていた。はじめくんが通う高校をちゃんと聞いていれば、麻里が教師をしている高校であることに気がついただろう。

 もう少し、はじめくんのことを深く知っておけば事前に知ることができたはずだ。


 はじめくんはあまり自分のことを語りたがらない。

 以前、はじめくんの部屋を見せてもらえるか聞いたことがある。でも露骨に拒否された。

 何か見せたくないものがあるのだろうか。

 私みたいに部屋が汚いということはあり得ない。

 もしかしたら、その可愛らしい見た目に反して、部屋の中には変態的なアダルトグッズがたくさん置いてあったりするのかもしれない。あるいは、アニメのポスターやフィギュアが置いてあったりするのかもしれない。

 だとすれば異性である私を部屋に入れたくないのは当然だろう。

 でも、たとえそうだったとしても、私は別に引いたりはしない。むしろ、はじめくんが好きなものを知りたいと思う。

 

 麻里ははじめくんの違う一面を知っているだろう。

 彼女に色々と聞いてみたいけれど、そのためには私とはじめくんの関係をバラす必要がある。さすがに無理だ。


「はぁ」


 私はため息をついた。




    ◆




 若宮先生が、桜子さんの親友だったとは驚きだ。

 いつもお酒を飲んでいる親友がいることは知っていたけど、その正体が若宮先生だとは思ってもみなかった。

 若宮先生は生徒想いの良い先生だと思う。でも、だからこそ、僕たちの関係は認められないだろう。傍から見れば、まともなものではないという自覚はある。

 先生はきっと僕と桜子さんを引き離そうとするはずだ。それは困る。


「おはよう……?」


 教室に入ると、皆が僕に注目した。

 新しく入ってきた者に反応する、という感じではない。明らかに僕と認識して、そのうえで僕に注目している。

 何かしただろうか。何も思い当たる節がない。


「水臭いじゃねえか、はじめ」

「どうしたの?」


 圭吾くんがニヤニヤしながら、僕の肩に腕を回す。今日は雨が降っているから朝練は休みらしい。

 彼は僕にスマホを見せてくれた。


「あー……」


 スマホの画面に映っていたのは、昨日桜子さんと2人でカフェにいるときの写真だ。

 若宮先生以外にも、クラスメイトが店内にいたのだろうか。気がつかなかった。


「こんなすっげぇ美人のお姉さんが恋人なのな」


 カップル限定のパフェを頼んでいて、しかも桜子さんが僕に「あ~ん」をしている場面だ。誰から見てもカップルだろう。

 クラスのみんなが興味津々だ。

 僕という地味な存在が恋人がいること。その相手が桜子さんというとんでもない美人であること。彼らが騒ぐのに十分すぎる理由なのだろう。


「そういうのじゃないよ」

「なーに言ってんだ、こんな仲良さそうにして」


 どうしたものか。

 僕と桜子さんの関係はまともとは言い難い。できればそっとしておいてほしいのだけれど、彼らの様子からして難しそうだ。


「そのへんにしとけって。笹内が困ってるだろ」


 御厨さんがざわつくみんなを鎮めた。

 さすがは御厨さんだ。

 圭吾くんもバツが悪そうに謝って自分の机に戻っていった。


「ありがとう、御厨さん」

「ふん」


 御厨さんは不機嫌そうにそっぽを向いて席についた。




    ◆




 家に帰ればはじめくんが待っている。

 それだけでどれだけ私の気持ちが晴れやかになるだろう。

 今日も仕事を終わらせて、マンションへと戻る。

 エレベーターを降りて、15階の廊下を歩くと、同じフロアに住んでいる女性と出くわし呼び止められた。


「私、見たのよ」

「何をですか?」

「あなたの部屋に、隣に住んでる男の子が出入りするのを見たわ」

「……み、見間違いじゃないですか?」

「いいえ、はっきりと見たもの」


 これはまずい。確実に目撃されてしまったようだ。

 はじめくん自身も周りに人がいないことを確認して出入りしてくれてはいたが、やはりそれでも見つかってしまうことはある。


「人の交友関係に口出ししたくないけど、このマンションから犯罪者が出るようなことだけは止めてちょうだい」

「当然です」


 その女性は、汚らわしいものを見るかのようにこちらを見ている。

 私とはじめくんは性的な関係は持っていないし、そもそも恋人ですらない。

 法律に反するようなことはしていない。

 しかし、性的関係にないと主張したところで信じてはくれないだろう。

 私は逃げるように、自分の部屋へと向かった。

 はじめくんに一連の出来事を伝えると、彼からも予想外のことを打ち明けられる。


「僕からも言っておかないといけないことがあります」

「どうしたの?」

「実はクラスの女子が、この前のカフェでの僕たちを写真に撮っていたみたいで」

「ま、待って。それってもしかして麻里にも……!?」

「うーん。今のところは伝わってないはずなんですけど、今後どうなるか分かりません」


 本格的に、まずいかもしれない。

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